08 メルニアの街(2)
そのまま日当たりの良い場所に落ち着いて、書物に目を通すふりをする。
先ほどの会話が頭から離れず、本の内容に集中できずにいるが、彼女もどこからともなく現れた護衛と話していて、こちらの様子に気が付かない。
分かっていたはずだった。
彼女は人で、自分は獣人だ。
あまりに彼女や彼女の周りの人達が自分達を普通に扱うので忘れそうになるが、自分はまだ本来の姿さえ彼女に見せる事が出来ないほど、違う生き物なのだ。
「ザイード様」
沈みそうになる思考を遮るように彼女の声が聞こえる。
柔らかく暖かい声。
側で自分の名前を呼んで欲しい。
出来ればこの腕の中で。
どんなに危険な感情でも、結局そこに行きつくのだから仕方がない。
「どこかに移動するのですか?」
「どうして?」
「外を歩いている人が増えているように感じます」
「本当に耳が良いのですね、図書館で私がロニと話していた事、聞こえていませんでしたか?」
「約束します、しかし、そんなに言われると何を話していたのか逆に気になるな」
「まぁ、いけない。この話はもうしません、約束しますね」
サイラス達も気が付き近づいて来たので、そのまま隣の建物に移動する。
「ここは自由に入れるのですか?」
「屋根が少し赤いでしょう?
屋根が赤い建物は、文官の宿泊する場所になっていて、ここの中庭は食事場になっているの」
「では青い屋根にも意味があるのですか? 確かアルフレッド殿があちらに行かれたようでしたが」
「青い屋根は、武官達の宿泊場所で、中庭は修練場になっています。
アルフレッドは、同じ剣の師から学んだ兄弟子がいるらしくて、手合わせして貰いたかったみたいです。」
彼女の話のように、文官達が足早に建物の中に入っていくが、それと同じくらい、荷物を持って出ていく人がいる。
「街を離れる人が多いように思いますが、留まっている人もいるのですか?」
「今日は、終わりの日だから、文官の方は、自分の家に帰る人達が多いんです。
文官の方が少なくなるので、部屋も沢山空いているから今日はこの街に泊まりますね」
「それで今日、なのですね」
「ええ、この街は、食事も美味しいから」
さぁ行きましょうと言うように先を歩きながら、宿泊する建物について教えてくれる。
「こうした宿泊場所には必ず食事場があって、一つの建物に八つのお店が入っているの。
メルニアには、文官の宿泊棟が四つあるから、お店は全部で三十二店。
一日三食、この街にいる間は、そこで食事を取るしかないでしょう? だから、結構みんな味には厳しいのよ。
ここに入れるお店は、街の指定だから、美味しくなかったり、飽きてしまうと、見直しの時に入替られてしまうの」
「つまり、美味しい店しか残っていられないと?」
「ええ、マルタの娘さんが開いているお店もあるけれど、今日は別のお店に行きましょうね」
「彼女より美味しい食事なら楽しみだ」
「美味しいのよ、それに是非、ザイード様達に食べて貰いたかったのだけど、、、」
そういいながら、リディアがまっすぐ一つのお店に向かって行き、ちょうど中から出てきた人に声をかける。
「マリ!」
「リディア様」
「元気そうね」
「はい、おかげさまで」
「良かった、ハルやエミとも連絡は取れている?」
「はい、学び舎の方から必ずお手紙を頂けて、とても助かっています」
「それなら安心したわ、お店の評判は聞いていたのだけど、子ども達のことまでは分らなかったから」
「はい、お店の事もお世話になってばかりで、、、」と言うが、相変わらず私ではないと取り合わない。
「ふふっ、今日はね、アイデアをくれた人を連れて来たの」
「あの、では」
「ええ、お勧めをごちそうになってもいいかしら?」
「はい、少しお待ちください」
リディアと話していた店の女性が厨房の方に走って行く。
二人で自分たちの事を話していたようだが、聞いてみてもニコニコと笑顔を返されるばかりでさっぱり解らない。
しばらくすると、目の前に”トルテ”をのせたトレーが運ばれてくる。
「これは」
「ふふっ、このお店はね、トルテのお店なのよ。
レテ豆は取れないから、皮は小麦で薄く焼くようにしているのだけど、、、どうかしら?」
まさかこんな所でトルテを食べられるとは思いもしなかったので、驚いて戸惑っていると、
「一応調べてみたのだけど、さすがに本物を食べてみることは出来なくて、違っていましたか?」
リディアが心配そうな顔をする。
「いや、驚いただけです。
まさかウエストリアに来て、トルテが食べられるとは思ってもみなかった」
美味しいと伝えようとするが、隣でサイラスが、「トルテだ、トルテだ」と騒いだかと思えば、サッサと口にして「うまい!」と大きな声を出している。
おまけに自分は食べさせたい相手が目の前にいるのに、何もする事ができず、それを考えないように食事をしなければならない。
彼女も獣人にとって食事が意味を持つと知っているので、少し離れるように座って話し続ける。
「ザイード様がトルテの話をして下さったでしょう?
マリがお店をしたいっていうのは聞いていたので、ザイード様から聞いた話を伝えたの。
マリとカリナが色々考えて、ウエストリア風のトルテが出来て、トレポレの町で評判になったから、ここにもお店を出せることになったのよ」
すごいでしょう? と嬉しそうに笑って、
「だからね、ザイード様達が来たら、お礼に絶対ここに来てもらおうと思っていたの」
そう続けては、味はどうですか? と首をかしげる。
本当に困る。
自分たちにとって、食欲と性欲は同じような意味を持つ。
獣人は、番との食事に他人を同席させることはない。
それは番との特別な時間で、親密な時間になる場合が多いからだった。
だが、今、彼女にそれを求めることは出来ない。
離れることも、自分の側に引き寄せる事も出来ないでいると、
「姉さま」
と彼女を呼ぶ声がする。
気が付くと彼女の手首がほんのりと赤くなっていて、今回ばかりは彼の登場に感謝することになる。




