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緑の光

「くそう、チカチカして見えん」


 紫黒の体に手を置いて体を支えつつ、膝をついて自分の体を探る。

 光の点滅で目が痛い。あの光で焼かれなかったのは幸いだったが、なかなか焦点が合わなくて苦労した。視界を奪われれば命に係わる冒険者稼業では致命的だな。

 ほわっと一瞬温かくなったのはベルの魔法だろう。ダシのが効くんだが、今はそれどころじゃないな。


 目を上げると、川の上にぼんやりと大きな月がある。

 新月に夜に登った月だ。まがい物か幻に違いない。周りで揺れる小さな光が朝日の帯の中で揺れる埃みたいに見え、現実感がない。


「奇麗だなあ」


 うっとりとベルが呟いたが、俺にはそうは見えなかった。どちらかというと気持ち悪い。異質なものが擬態してるようにしか思えない。


 月白と紫黒の態度から、あれがナナト様とやらだとわかった。

 女の体に蛇の半身。駄々洩れの神気にはさすが大河の主の一人と思わせるものがある。あんなのの不興を買ったら何をされるかわからない。


 そう思って警戒しつつやり取りを見ていたら、倉庫の向こう側で瘴気を溢れさせていた大蛇たちが一瞬にして消された。手の一振りで、人を喰らう魔物を石に変え、粉々に砕いて捨てたんだ。


『ベルの話だとナナト様に気に入られたくていろいろしてたってことだったが……』


 ナナト様のほうでは迷惑な話だったのかもしれないな。

 そう思ったら大蛇たちが少しだけ気の毒だった。もちろん冒険者たちを散々弄んで殺した大蛇たちにはひとかけらの情もないが、さすがに話もさせないのはあんまりだと思う。


「怖ぇ……」


 思わず呟く。

 大蛇たちの瘴気をぱっくりと食った女の顔は、蛇のように口が耳元まで裂けていた。魔物より魔物らしいと思うのに、まとっているのは邪気ではなくて神気だ。


 神と魔物は紙一重。

 どちらも人とは相容れない。


 実感したら震えが来た。

 それなのになぜか傍らにいるベルは悲しそうに大きく息を吐いていた。

 消された蛇たちのことでも考えていたのだろう。ベルらしくはあるが、今はもっと警戒しろと言いたい。


 そのとき。


『で、わたくしの希望のものをもってきたかえ?』


 冷たい声がした。

 嫌な予感がする。思わずベルを引き寄せ、紫黒と月白が話すのを聞いて予感が当たったことに舌打ちした。


 人の血がほしいとか、もうこいつ魔物だろう?

 思わず背中に背負っていた剣を握りしめようとしたとき、ズン、と重たい衝撃が来て、足元から地面が消えた。


「紫黒! 月白さん!」


 ベルが悲鳴をあげる。とっさに手を伸ばしたが、その時になってようやく、でかい手に握りしめられている自分に気づいた。わら束みたいにつかまれて、ぎゅうぎゅうに締められる。抵抗したらさらにぎゅっと握られた。


 痛みを飲み込み、状況を確認する。

 顔の前にはでかい乳があるが、でかすぎて萎えるしそもそも緑の乳首には欲情しない。

 乳の主、ナナト様は右手にベル、左手に俺を握り、足元でのたうち回る紫黒と月白を見て楽しげに笑っていた。悪女の顔は綺麗だってテンプレは正しいんだなと感心する。


『それじゃ、味見と行こうかの』


 などととんでもないことを言い出したので、思わず小指を蹴り上げてやったら、にやりと笑って俺を見た。

 大きな唇が近づいてくる。美女でもタイプじゃないからと呟いたら、聞こえたのかさらにぎゅっと握られた。いかん、あばらが何本か折れた。肺に刺さらなかったようで血が上がってこないのはいいが、もっと強く握られたら確実に内臓が壊れる。


「女から求められるのは悪くないが、こう身動きできないんじゃキスもできないな」


 腹が立ったので抗議すると、ナナト様は口の端を上げた。


『ほう、わたくしを満足させられると?』

「残念、その自信はない。俺は色白が好みなんだ。それに乳は手のひらに収まるくらいがちょうどいいし、乳首は薄いピンクがいい」


 にやりと笑ったら、二つに先が分かれた舌がチロチロと首筋に触れた。ヤバい、目が据わってる。怒らせたな。


 あー、食われるか、と思ったら、突然拘束がなくなり、気づいたときには川に沈んでいた。

 かなりの高さから落ちたので水面が岩のように硬い。叩きつけられずにうまく水に潜れたので落下での怪我はないが、あちこち骨が折れているようで体中が軋んだ。


 なんとか水面まで上がり、息をする。靴や皮装備を捨て、立ち泳ぎしながら見上げると、月白に向けてナナト様が左手を振り上げていた。状況的に月白が俺を助けてくれたらしい。怒りに濁った眼の先には毅然と主を見上げる忠臣の姿があり、命を賭して主の愚行を諫めようとしているのが分かった。

 黒い指先からあふれる禍々しい力がまっすぐ月白に向けられる。


「だめだ!」


 ベルが右手から抜け出して左手に飛びつき、黒い魔力に包まれたのが見えた。


「ベル! 飛び込め!」


 必死で叫んだが、間に合わなかった。


 ナナト様の指がベルを貫く。

 衝撃に震えたからだから指を抜くと、血が噴き出してナナト様にかかった。


「ああ、穢れてしまいんした……」


 月白が絶望の声を出す。

 せっかく禊をしてすべての穢れを祓ったのに、無駄になってしまった。もう大海には戻れない。

 そういう意味だと分かっているのに、ベルの血が汚いと言われた気がして猛烈に腹が立った。


 そのときだった。


『ああ、なんという美味。わたくしが以前口にしたそれよりずうっと美味しいではないか』


 ナナト様はうっとりと目を細めた。さらにベルの血がおいしいと盛んに褒め、傷口に吸い付いて舐め始めたではないか。


「あれが神とか、おかしいだろ……」


 ポロリと口からこぼれたが、気持ちが付いていかない。全身から力が抜けて、今にも川に沈みそうだ。

 口を真っ赤に染めて、血を貪り食う化け物。

 目の前にいるのは高貴な存在ではなく、別のものになり下がった忌まわしきモノで、欲望のためだけ他者を利用する輩だ。

 先ほどまで美しかった顔は耳まで裂け、口を真っ赤に汚している。黒い瞳を狂喜で光らせる姿はとても女神には見えない。神は人を助けるなんて迷信だとわかっているが、目の当たりにするとひたすら疎ましかった。


 そんなものの手にかかってベルは死ぬのか?


 血の気が引いてぐったりしているベルを見て、体中の血が沸騰したような気がした。

 俺にできることはないと思うが、いや、ないんだが、なんとしてもベルを取り返したい!

 だって、あの顔見てみろ? また諦めて死のうとしてやがる!

 確かにお前は頑張った、えらい、それは事実だ。

 だがなあ、俺にあがくことくらいはさせてくれよ!


 必死で桟橋の足をつかみ、川から上がって身を起こした。

 そのとき。


『このバカ者どもが!!』


 どこからともなく声がして、世界が緑に包まれた。






 緑は先ほどの光と違ってとても柔らかな明かりだった。夜明けの静かな時間に森の中で深呼吸するようなすがすがしい空気がよどんでいた瘴気と神気を流していく。

 空気がおいしい、そう思っていると、足の先から頭のてっぺんまで、どこもかしこも痛みを訴えていた体が光によって癒されていった。治療魔法でもこうはいかないというほど早く傷ついた箇所が修復されるのがわかる。治療に伴う痛みすらない。

 大きく息をつくと、黒い煙みたいなものが吐き出された。まだ瘴気が残っていたらしい。

 反動なのか力が入らなくなってへたり込んでいると、手のひらに乗るくらいの大きさの丸い光がいくつもこっちに飛んできてくるくると周りを回った。


「にんげんはっけーん」

「べりゅのにおいついてるー」

「いっぱいけがしてるねー」

「いたいのいたいのとんでけー」


 小さな女の子たちの笑い声みたいなのが耳元でしたと思ったら、体のあちこちからつねられる程度の痛みが沸いた。髪もちょいちょい引っ張っていくし、ぺたぺた触られてくすぐったいしで、自然と体が揺れる。服の中まで入られて腋毛をひっばられたときはさすがに変な声を上げてしまった。


「にんげんかーわいーい」


 面白かったのか、キャッキャと笑う声がする。

 いや、可愛いと言われてもなあ……。


「やめんか、妖精ども、と言いたいが今回は誉めてやろう。そいつはベルの仲間だ」


 頭上から声がする。

 顔を上げると、ナナト様と同じ目線の高さに緑の美女が浮いていた。ナナト様も美しいがこっちは次元が違う。はち切れそうな腰とくびれたウエストが豊満な胸を強調していて、その形だけでも芸術品。深い緑の短いドレスから伸びた足の形もいい。

 真っ赤で大きな髪飾りの下は鼻と口が大きめの個性的な美貌があり、苦々しい顔を作っても損なわれない美しさを放っている。


「まったく。オレの可愛い子に手を出すとは、いい度胸だなあ、小娘」


 緑の美女は口元だけ持ち上げて嗤った。いつの間にかベルの体は美女に横抱きにされており、ナナト様の全身は緑の蔓で拘束されている。美女が軽く指を鳴らすたびに蔓が締まるようで、ナナト様の口から苦鳴があがった。


『このわたくしに、こんなことを……。許すまじよ。父上に……』

「ほう、まだそんなことを言う余裕があるか」


 美女の目元がゆっくりと三日月を作った。


「大海の龍神は古き友だが、娘を躾けられずに愚か者にしたな。もし龍神から詫びが来ても受け入れぬ。そのせいで海が腐れてもオレのせいじゃない」


 緑の美女の言葉はゆっくりとナナト様に染み込んでいく。

 急に何かを理解したのか、黒い目が驚愕に見開かれた。


『神の樹の精霊、ドライアド様……』

「ほお、オレを知ってるか。だがな」


 ドライアド様は人の悪い笑みを見せ、軽く手を振った。

 大河の水面が一瞬凍り、さらりと崩れたのち、薄く張っていた氷が集まって女の形になる。同時にキーンと耳元でガラスをひっかくような音に襲われた。


「怒りに身が震えているのはな、オレだけではないんだ」


 急なことに反応できなかったが、耳を抑える程度で思ったより害はない。

 と思ったら、月白と紫黒をはじめ、ナナト様やその周りにあった小さな明かりがすべて悶えのたうっていた。どうやら人への効果は薄いようだ。


 音が途切れると、ボロボロの服を身にまとった女がドライアド様の隣に立っていた。目深にかぶられたフードのせいで顔は見えないが、子供を撫でる手つきでベルの頬に触れている。


「ワレに月が綺麗だと言った男を勝手にしようとは、許せぬ。身をもって知るがよい」


 凍える風のような声に身が震えた。

 この女は誰だと思ったとき、今朝がたベルと話したこと思い出す。


『ポータルの事故でドライアド様と泣き女に会って、お茶と飴玉をもらいました』

『食べたとか言わないよな?』

『……、微妙な味でした』


 すとん、と落ちた。


「ベル、お前、人だけじゃなくて精霊まで誑し込むのかよ……」


 生涯を誓わないのならば北国の女に月が綺麗だと言ってはいけない、俺は魂に刻み付けた。

 まあ仕方ないか、ベルだしなあ、と思っていたら、小さな明かりが楽しそうに踊りだした。

 この後、ベルを抱えたドライアド様がナナト様に何をしたか、人である俺にはとても言えない。







 そして夜が明けた。


 俺はまだ目が覚めないベルと並び、桟橋に座っている。

 隣にはちいさくなった紫黒と月白。それぞれベルが楽な姿勢になるように身を寄せている。ついでに俺も寄りかからせてもらえているのでちょいと楽だ。

 俺たちの周りには手のひらから親指程度までの小さな光が浮いている。小さいのは住処に住む蛇たちの魂火で手のひらサイズはドライアド様が出てきたときについてきてしまったという妖精たち。妖精たちはベルのことが好きらしい。まあそうだろうな、これだけなついてれば言われずともわかる。


 朝日がゆっくりと昇りかけた大河の上では、光る鱗で覆われた青い体の巨漢がドライアド様と泣き女の足元に平伏していた。

 巨漢の脇には黒い髪の少女がいて、頭をがっつりと押さえつけられたまま大河の水面に顔を押しつけられている。


「娘がすまんかった!」


 朝の光が届く前、風とともにやってきた巨漢はナナト様の父親だそうだ。

 ということは、大海の龍神か。

 そんなすごい存在がドライアド様の足元で必死に謝罪している。神の樹とはいえ樹の精霊だから同等じゃないんだろうかと疑問に思いつつ眺めていると、ドライアド様がケッと吐き捨てた。


「森と海とのいい関係をヌシの代で崩すか?」

「ぐっ、そ、それは……」

「豊かな森が豊かな海を作る、世界の理だ。森に降った雨は、葉や土に蓄えられ、溶け込んだ栄養分をゆっくりと川や海へと流す。オレは森を守り、ナナト大河と海を育てているが、ヌシらにとっては必要ないものだったようだな」

「い、いや、そんなことは……」

「非常に残念だ。話は終わりだ、そこな娘の顔など二度と見たくない。連れて帰れ」


 ガーン、と音がしそうなほど悲痛な顔をしている巨漢の手から逃れたナナト様が顔を上げて叫んだ。


『わたくしはそこまでのことをしたおぼえはありませぬ!』


 反抗する少女の物言いに、ドライアド様とともにいる泣き女の目が細くなった。


『ただ人間を一人、我が物にしようとしただけではありませんか!』

「ほう?」

「我が物に、ねえ」

『ええ! だって、あの者の血はとてもおいしいのですよ! たかが人間ではありませんか。死なない程度に飼って、いつでもおいしく飲みたいと思うことのどこがいけないのですか!?』

「……」

『もしもドライアド様方がお望みでしたら、皆さまで共有して分け合えばよいのです。このような素晴らしい血を独り占めにすることのほうが愚行。そうは思いませぬか?』


 ……、何を言っているんだ、あの女は?


 目が据わるのと同時に、背後の蛇たちが身を固くしたのがわかる。


『それに、この渡し場はわたくしのものです。蛇たちがわたくしにすべてを捧げるのは当然ではないですか? それなのに禊の折に生き血をそそぐなど、わたくしが血を求めてしまったのはあ奴らのせいですから、職務を怠ったそこの2匹は厳罰に処するべきです。わたくしは悪くありません』


 大河の表面がピキピキと凍り始める。緑の気配も濃くなりすぎて苦しくなってきた。森の香気は体に良いが過ぎれば毒になると聞いたことがある。そっとベルの鼻と口に服の袖を当てた俺を見て、ドライアド様は小さく頷いた。


「海の龍神、オレの言いたいことはわかるな?」

「……、はい」

「この渡し場にヌシの娘は不要だ。蛇たちはベルの友、オレが守る」

「そ、それは……」

「嫌ならナナト大河すべての渡し場にいる娘も連れ帰れ。この程度の小川、オレ一人で十分だ。害がないから置いてやっているだけ。ヌシは大河の恵みが欲しいのだろう?」

「…………、はい」

「もう言うことはない、去ね」


 ドライアド様の冷たい視線にさすがの龍神も反論できないようだ。


「しかしドライアド様、なぜあのような人間をそこまで」


 苦し紛れに龍神が呟いたとき、ベルが小さく身じろぎして目を覚ました。







読んでいただいてありがとうございます。


やっと大河編に終わりが見えてきた!

終わったら閑話でゆるい話書くんだ……、と今から思っております。


その前にコピーミスとかダメダメでした。すみません。埋まりたい……。

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[良い点] コピーミスがあったそうですが見に来るのが遅くなって見れなかったです。速い修正とてもすごいと思います! 少しミスを見たいという気持ちもありましたが、それよりも内容が素晴らしかったです! 激お…
[一言] チッ!コピーミス見れなかったぜ!(笑) 龍神よりもドライアドの方が上だったんだねww またベル君はドライアド様からお説教だな~ ホント懲りないんだからww
[良い点] ドライアド様かっこよくて流石です! ようやくハラハラせずに読めて嬉しいです [気になる点] 「ベル、お前、人だけじゃなくて精霊まで誑し込むのかよ……」あたりまで文章が重複しています
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