ナナト大河の新たな主
フワフワして気持ちがいい。さっきまでしんどかった体が嘘みたいに軽いし、心も楽になった。
あー、死んだかな?
まあ仕方ないか、俺にしては相当頑張ったんだからこれ以上文句は言わせないぞ!
というわけで、あとは任せた。
とか思ってたら、耳元で小さく鈴の音がする。
つい最近聞いた音だ。確かかわいい妖精たちと共にあった。あのかわいい子たちは元気かなあ。
ふふ、と思わず笑ったら、耳元でたくさんの声がした。
「べりゅー」
「おきてー」
「きたのー」
「まってるのー」
来た?
待ってる?
あ、ひょっとして?
「会いに来てくれたのかい?」
にこりと笑うと、きゃーっと歓声が上がり、小さなたくさんの手に引っ張られた。
どうやらまだ死ねないみたいだ。
「起こしに来てくれてありがとう」
手を伸ばしたら、目が覚めた。
目を開けると登りかけた太陽が大河の波をキラキラと輝かせているのが見えた。今日もいい天気だなと思ってたら、急に冷たい風が吹いてきて身が竦む。
うわあ、さむっ! 鳥肌立ったー。
フルフル震えたらリックが姿勢を変えて俺を足の間に入れ、どこから拾ってきたのかわからない毛布を掛けた後、背後からぎゅっと抱え込んだ。
あったかいけど、俺、リックの子どもみたいだよね……。
ため息をついて顔をあげたら、異様な光景が目に飛び込んできた。
「ワレと男を共有しようなど、尻の青い小娘の分際でいい度胸だ」
「オレの可愛い子をあのような人間などと言ったのはこの口か?」
大河の流れの上に這いつくばっている黒髪の女の子の頭にボロボロの服の女性が足を乗せている。
その横には緑色の美女がいて、自分の三倍以上ある大きな男の胸ぐらをつかんで持ち上げている。
あんまりな光景にぽかんと口を開けたら、後ろでリックが「いいぞ、もっとやれ」と呟いた。
いやいやいや、ダメだろう!
「おお、やっと気づいたか、ベル」
こちらを向いた緑の美女、ドライアド様が両手を離して文字通り飛んできた。ドボーン!と大きな音がして、派手な水しぶきが上がる。
ドライアド様はとても美しい笑顔で俺の前に膝をつき、顎をくいっと持ち上げて目を覗き込んだ。
「やっとオレ色の目になった」
嬉しそうに呟く。魔道具で神樹の加護の象徴である王家の緑色を隠していたのが気に入らなかったらしい。諸事情あるのを察して我慢してくれてたんだなと心が温まる。
「まったく。あてにしてるとか頼らせてもらうとか、嬉しい言葉を言ってたからずっと待っていたのにやっぱり呼ばぬとか、どれだけオレを焦らせば気が済むのだ」
「……、すみません」
「気になって来てみれば毎回死にかけているんで生きた気がしない。ヌシが死んだらアナに嫌われるではないか。まあ、今回は躾けのなってない愚かな娘のせいだから許してやるがな。次は本当にないぞ」
顎の手が頬を包み、耳から上に上がって頭をポンと叩く。
ふわりと緑の匂いがして、体が楽になった。背中の古傷は少し引きつれて痛むが、脇腹のえぐれたところもなくなっているし、魔力も回復しきってる。気を失ってる間に治療してくれたのかな。
ニコニコと微笑むドライアド様の放つ清々しい森の香りに癒される。
だけど、今はそれはおいといて。
「いったい何がどうしてこうなっているのか、説明していただけますか?」
大河の真ん中でゴホゴホと咳込んでいる青い巨漢に目を向ける。びっくりするくらい大きい。連絡が来て最初に会った時の月白さんと同じくらい大きいんじゃないか?
ここに来て初対面の人だ。ドライアド様と同じ精霊なんだろうか? 筋骨逞しい立派な男性なのに、涙目でしょんぼりしているのが気になる。
「二日ぶりだな、ベルグリフ」
ボロボロの服の女性、泣き女が女の子の頭を踏み台にして飛んできた。薄く氷が張っていたようで、女の子の顔が川面にめり込んでいる。ものすごく暴れてるけど、大丈夫かな……?
そんな俺の心配は全く気にならない様子でやってきた泣き女は、ドライアド様を押しのけて目の前に座ると、後ろのリックごと腕を回してぎゅっと抱き着いた。
「ワレのことも呼んでくれてかまわなんだのに。ちゃんとつなぎを作っておいたろう?」
「え、ええ?」
「ワレの涙を口にしたろう? あれはつなぎであるとともに、回復魔法の効き目を一定時間底上げする。ベルグリフが自分を治療するのにいいと思って飲ませたのに、聞けば他人にばかり術を使っていたらしいな。愛い男だ」
ああ、それでいつもより治療術がすごかったのか。ドライアド様が手を貸してくれたとはいえ、いつもよりたくさん癒し水が作れてちょっと不思議だったんだ。泣き女はもともと雪の精霊だそうだから、水属性が底上げされたのだろう。
「ありがとうございます。おかげで大事な友達や若い冒険者たちを助けられました」
心から頭を下げる。フードの下にある口元がほころんだ。初対面の時のとっつきにくさが嘘のように消えて、あどけない童女のように雰囲気を出している。
だけど、今はそれもおいといて。
「いったい何がどうしてこうなっているのか、説明していただけますか?」
再び同じセリフを口にすると、ドライアド様と泣き女はにやありと美しくも含みの多い笑みを見せた。
どぼーん!
同時に、氷に埋まってもがいていた女の子が水に落ちた。ぶくぶくと水面が泡立ち、青い巨漢に引っ張り上げられている。巨漢が動くたびに大河の端から端まで届くくらいの水しぶきがあがり、溢れんばかりに揺れた。
咳込みながら水からあがった女の子の顔はどこかで見た感じがする。
ええと、ええと……。
ええと……。
え、えええ!?
「な、ナナト様、ですか?」
恐る恐る口に出す。
ビクンと身を竦め、そっとこちらを見上げた顔は、さっきよりかなりあっさりしたものの、確かにナナト様だった。
何が何だかわからない。驚きで馬鹿みたいに口を開けていると、背後で紫黒が大きくシャッと息を鳴らした。
結局、紫黒がすべて説明してくれた。さすが蛇たちの長を務めるだけのことはある。月白さんに褒められてくねくねしてるけど気にしない。
ふてくされた顔のナナト様は今は半分蛇ではなく、学院生くらいの年の少女になっている。
「だってわたくし、蛇が苦手なんだもの」
ナナト様はびっくりするようなことを言った。
「にょろにょろしてるし何考えてるのかわからないし、なによりぬるぬるだし。わたくしはモフモフが好きなの。姉様方のオオカミやウサギ、妹の猫がいつもうらやましかったわ」
なんと言うか、今更というか。
もうどうでもいいと思ったのか、口調もだいぶ砕けたものに変わっていた。
「7番目の場所に配置されて、どんな眷属かワクワクしてたら蛇じゃあやる気が出ないわよ。正直、こんなわたくしに仕えてくれるのが申し訳ない。何度も場所替えをお願いしたのに、父上は全く聞いてくれないし」
背後で固まっている紫黒たちが気の毒になってそっと手を置く。確かに毛は生えてないけど、それなりに気持ちよい手触りだし、何より綺麗だと思うんだけどなあ。
「わたくしだって努力はしたわ。蛇たちを受け入れたいと思った。でもね、たくさんにょろにょろしてるの見ると背中がぞぞーってするんだもの。慕ってくれたって困るんだもの」
「我儘じゃの」
「わかってるけど、眷属が蛇だからって自分も蛇になるのよ? もうこんな体が嫌で、海に帰ったら戻りたくないって思いながら毎回禊をしてた。そんな鬱のときに血が来て、口に入ったそれを感じてたら、何もかも壊せばいいじゃないって気持ちが生まれて、育ってしまって仕方なかった……」
肩を落として告白したナナト様からは先ほどまでの神々しい気が全く感じられなかった。ドライアド様と泣き女に相当絞られたようだ。リックに聞いたら「知らないほうがいい」と言われた。珍しくリックが震えてたのでトラウマになってるに違いない。世の中には知らないほうがいいこともあるよね。
「知らなかった……」
青い巨漢が涙目になって両手をついている。大海の龍王だと聞いてものすごく驚いたが、目の前にいるのは青いだけの普通のおじさんだ。
ちなみにドライアド様を含む方々は俺に合わせて人間サイズになってくれている。話がしやすくて助かる。
「あなたたちには悪かったと思ってるし、慕ってくれてありがとうって気持ちもある。でも生理的に蛇を受け付けないの。どこかに嫌悪感があるの。それがずっと辛かった」
紫黒と月白さんは何も言わないが、かなりの衝撃を受けているのは感じられる。
「だから、あなたが憎いわ、人の王子」
突然矛先がこっちに来た。
「俺?」
「ええ。ちょっと来ただけでドライアド様だけでなく泣き女様にも愛されてる。わたくしの蛇たちがあっさりと心を許した。魔物になった奴らの心にすら入り込み、たくさんの人を従える力がある。私がこんなにいろいろ我慢してるのに、すいすいと流れるように上手に生きてるなんて、ずるいじゃない」
ものすごい誤解をされているようだ。
困ったな。どうやったらそんな風に解釈できたのかは知らないが、泣きそうな女の子を放置できるほど肝は太くない。
俺は軽くリックの腕をたたいて回した手をほどいてもらい、立ち上がってナナト様の前に行くと、膝をついて視線を合わせた。
「生理的に受け付けない生き物っていますよね。私もいます」
「……」
「王宮にいる貴族たちです。一生かかっても消えない傷をこの身に残すほど私を散々嬲ったくせに、兄が即位したら手のひらを返しました。一見、私を慕っているようにも見えますが、腹の中では悪態をついてますよ」
「え?」
嘘? って目をしているナナト様。それを見てこの方は家族や眷属に愛されて育っているなあと羨ましく思った。まあそれも他人の芝生なんだろうけど。
「私の知り合いで蛇が苦手で冒険者をやめた女性がいます。私は紫黒たち蛇に好意を持っていますが、好みは様々ですし、蛇が嫌いだからと罵られるいわれはないと思いますよ」
「そ、うなんだ」
「それにナナト様は慕ってくれた蛇たちを邪険にしてないではありませんか。苦手でも嫌わず、受け入れる努力をしてきたのは、蛇たちを見たらわかります。貴女のために壊れた祠を一生懸命に守る蛇たちを見て、ナナト様を守りたいという気持ちを感じたから、私は紫黒に手を貸そうと思いました。貴女は蛇は嫌いかもしれませんが、彼らの気持ちはとても好きなのだと思います。それってなかなかできることじゃない」
「……」
「少なくとも私にはできません。まあもっとも、私の陣地である王宮には味方のふりをした敵が多いので同じようなものではないんですけどね」
あー、帰りたくないなあ……。
いろいろ思い出したら胃が痛くなってきた。冒険者でいるほうがよほど気楽なので早くそっち側の生活をメインにしたいものだ。とはいえ兄上もそろそろお子ができるだろう。そうなったら今以上に公務が滞りそうだし、王弟派とか言う俺と全く親しくない貴族たちが出しゃばってかき混ぜるような気がする。地盤を安定させるまでと思うと、しばらくかかりそうなので仕方ないが正直辛い。
「実は、俺も蛇はそんなに得意じゃない」
ぼそっと背後から声がした。
「まあそれを面と向かっては言わないがな」
リックの苦笑とぐえっといううめき声が聞こえる。たぶん紫黒をからかって巻き付かれたのだろう。仲のいいことで。
よくわからない、という顔をしたナナト様に、リックが言った。
「俺に乳を評された時に嫌そうな顔したろ? そういうこった」
何を言ったんだ、リック!?
だけどその例えはナナト様の中ですとんと落ちたらしい。ザーッと音がしそうなほど急に表情が抜けたかと思うと、隣でがっくりとしている父君と同じ姿勢で両手をつき、絶望した、と呟いた。
「思っていても口に出してはいけない言葉だったんですね……」
胸と一緒にされた蛇たちには気の毒だけど、ナナト様が深く反省してくれたのはよかったんだ、きっとそうだ。
何とも言えない気持ちで振り返ると、いい笑顔のリックが親指を立てて笑っていた。
その後、いろいろと話をした。
結果としてはナナト様が海の父君の元に戻り、土地を治めることについての心構えや、生きていく上で必要な礼儀作法などを再教育することに決まった。龍王様にはご兄弟がたくさんいて、その中でも特に厳しい年かさのものに預けられることになるそうだ。
ナナト様は涙目になっていたが、その辺は仕方ない。
ナナト様以外の姉妹の方々も、これを機に一度海に戻されることになった。
急なことなので心配したが、意外にもスムーズに事が進んだらしい。使者として各地に散った蛇たちが頑張ったこともあるが、一番はナナト大河の主の座を暫定的に泣き女が引き受けたことが大きい。
「別にどこに行く予定もなかったのでな。しばらくドライアドとともに過ごすも一興」
驚いていると、泣き女は楽しそうにふふふと笑う。それを見ていたら、泣き女がここに来た時点でこうなることは決まっていたんだなと思った。急に主がいなくなって寂しがる眷属たちもいるだろうが、大ごとにはならないだろう。
とはいえ相当の力技だ。ついじっとドライアド様を見つめてしまう。
視線を感じたのか、ドライアド様は居心地が悪そうに横を向いた。
「まああれだ、ナナトと泣き女で「な」の文字が重なるし、よいではないか」
これ以上ないくらい苦しい言い訳だなあ……。
でもまあ、これで渡し場が元通り活気を取り戻すなら良しとしよう。
ほっとしていると、ナナト様を子ども抱きにしていた龍王が俺に向かって深く頭を下げた。
「娘のせいでひどい目に合わせた。すまんかったな」
大海の龍王が俺などに!
俺は慌てて膝をつき、最敬礼をした。
聞いたところのよると、俺の血で禊が台無しになってしまったために、ここまでわざわざナナト様を迎えに来たそうだ。あの時もっと早くドライアド様を頼るなど、ちゃんと自衛できていれば足を運ばせることもなかっただろうにと心苦しく思う。
「いえ、私などなにもしておりません。すべてはここにいる方々の力です」
言いながら、青褐と話してた時もやったけど、ここ数日を振り返ってみる。
ええと、何してたかな、俺。
癒し水作ってぶっ倒れて、治療してぶっ倒れて、大蛇と戦ってぶっ倒れて、ナナト様に血を吸われてぶっ倒れて……。
あ、あれ?
さっきも思ったけど、俺、自分で何かしてるより、倒れて助けてもらってることのが多くないか? まさか倒れて助けられるのがデフォルトとか言わないよな?
そう考えると非常に申し訳ない。常に足手まといとか、どれだけ役に立たないんだ……。
「ほんと、俺ってなんもやってないな。なんか、偉そうなこと言ってしまい、すみません……」
謝罪し、ははは、と乾いた笑いをしつつ頭を掻いたら、周りの目が点になっていた。一瞬、世界中の音が止まった気がする。
「これはもう、なんと言うか、アレだな……」
「再教育はベルグリフにも必要じゃったかの」
「これがドライアド様の愛する子か。納得だ」
「気負っていたわたくしが間抜けに見えます」
「だから天然も過ぎると嫌味だと言ったろう」
「さすがは『王国が愛する男』でありんすね」
「だから、何を言ってるのかわからんと……」
なぜか同時に全員が似たようなことを言い、ため息を吐き出した。
本当のことを言って呆れられるのは納得いかないと叫びたいが、俺は空気を読める男なので今はやめておく。
読んでいただいてありがとうございます。
誤字脱字報告・感想などもいつもありがたいです。
昨日半分アップしたので、今回は次の日に更新できました!やる気スイッチ押してた自分!
次回で大河編は終わりになる予定です。
(実はこれで大河編が終わる予定だったのは内緒)




