蛇神の祠
町を出ると途端にのどかな風景になった。
きっといつもはたくさんの人がいるのだろうと思われる渡し場の横を通り抜け、浜のほうに進む。
大河はとても広く、対岸が見えないほどだ。海を見たことがない者が見たらこれが海だと勘違いするかもしれない。傾いた日の光が波にあたってきらめき、とても美しい。水は栄養のある土を運んで茶色く濁っており、付近の田畑を肥やしている。ナナト大河が母なる大河と言われる所以だ。
川沿いには家が点々とある以外は豊かな自然が広がっている。河川敷は背の高い葦の他、細い木々が茂っていた。そこに入るのは骨が折れそうだ。
少し進むと、浜が見えてきた。
白い砂が広がる砂浜に木切れが点々と残されている。あれが船の残骸なのだろう。その周りには大きくえぐれた四角い跡が残っている。コンテナを引きずった名残かと思ったがそれだけではないようだ。
「近づいて確認したいな」
呟いて、浜に入っていく。足場の砂は柔らかすぎて歩きにくい。足を小さな手でつかまれるような感覚。この先に行くな行くなと言われているような気持になる。
進むと、蛇がちょこちょこと出てきては藪に逃げていった。たくさん住んでいると言うのは噂ではないようだ。
何気なく横を見ると、斜めになった白い四角いものがあった。
誰かが作ったものみたいだけど、あちこちひびだらけだ。両開きの扉の左側の蝶番だけがが新しいが、大きさが合っていないのか斜めになって歪んでいて、そのせいで傾いているように見える。
なんだろうと近づいてよく見たら、小さな祠だった。
そういえば壊れていたのを酒場のロザンナが直したって言ってたっけ。この蝶番はその時のものらしい。その部分だけピカピカと光る鉄で作られている。周りがところどころ削れていて、すごく苦労して直したんだなと思ったら、つい笑みがこぼれた。
膝をつき、祠に手をかける。
藪の奥から蛇が何匹か出てきたが、飛びかかってくるようなこともなかったので、そのまま祠を観察した。
傷んであちこちにひびが入っているが、基本は粘土で作られた焼き物のようだ。彩の国で同じような材質の皿を見たことがあった。粘土をこねて高温で焼くだけの簡単な作業だけど、卓越した技術がいるのだと、案内してくれた技術者が言ってたっけ。
木造だったら無理だったけど、土だったら、何とかできるかもしれない。
ロザンナが付けた蝶番は金属なので、申し訳ないけどいったん外す。
ひび割れたところには土を入れて修復、できるかな? ああ、うまく埋まった。よかった。
歪んだ形を丁寧に戻し、蝶番を歪まないようにねじ穴をあけたりふさいだりして調整してはめ込んで、扉をまっすぐに戻して、完成。
思ったより綺麗にできた。小さかったのがよかったんだな。
元あったところに戻し、両手を合わせて頭を下げた。神殿式ではなく彩の国式で礼をしたのは、祠が彩の国仕様だったから。多分合ってると思うし大丈夫だろう。
少し寄り道したので急いで浜に行こう。
そう思って立ち上がりかけたとき、祠を置いた場所の奥で小蛇が一匹、ひっくり返っているのを見つけた。
くすんだ灰色の小蛇はよく見ると、腹のあたりが大きく膨らんでいた。体に合わない大きさの獲物を飲み込んで苦しんでいるようだ。そういえばラメール国で子牛を飲み込んだ蛇が次の日に亡くなったと言う話を聞いた。大き過ぎた獲物は吐き出すことが多いらしいけど、この蛇は失敗したのかもしれない。
触ってみると、小さく動いた。よかった。まだ生きてる。
「ほら、しっかり」
体に手をかけて引き寄せると、小蛇は苦しげにシューシューと息を吐いた。獲物を吐いてしまえば楽になるかもと思ったけど、すでにその段階ではないのか。急がないと。
そっと手を置き、水を6、土を4で治療魔法を流す。蛇に使ったことがないけど効くかな?
心配しながら少しずつ少しずつ流していたら、蛇の腹が小さくなってきた。消化を助けているらしい。魔法で全部消化したら逆に良くないかもと思い、頃合いを見て止めたら、小蛇は急に体をばたつかせて藪へ飛び込んでいった。
元気になってよかった。
また道草を食ってしまったなあ。
そう思いながら砂浜を歩いていたら、紐みたいなものが飛んできた。
一瞬、ロープの罠かと思ったが、護身用の護符が反応しないので違うようだ。振り払おうとすると、紐はそのまま腕に絡まり、肩を登って、首を一周した。悪意がないものに反応しないよう作られているけど、紐が締まれば息苦しい。
触ると、冷たくてつるりとした不思議な感触があった。
引っ張ったら取れるかな、とつかんでみたら、きゅっと腕が締まる。
「不思議な紐だな」
『呑気な人間だな』
呟いたら同時に頭に声が響いた。
誰かいるのかな、と見渡しても人影はない。
気のせいか、とそのまま歩いていたら、首周りがギュッと締まった。
『ええい、止まれ。少しは驚かんか!常識のない人間め』
蛇がシューシューと息を吐くと頭に声が響く。
立ち止まり、辺りを見回したが、やっぱり誰もいなかった。動いているのはたまに藪に逃げ込む小蛇と、首と腕に絡まっている長い蛇くらい。
『ここだここだ』
肩に伸びた紐が風もないのにパタパタと背を叩いた。どうやら声は首元から聞こえているようだ。
紐を手で触ったら、何かが挟んできた。噛みつかれたようだが痛くない。
よく見ると、それは紐ではなく、綺麗な漆黒の蛇だった。
鼻先がとがった珍しい形の蛇で、多分俺と同じくらい長い。太さは腕の半分くらいかな。日の光を反射している部分は虹色に光っているようにも見えてとても美しい。
その蛇が手の甲に噛みついている。ものすごい牙が見えたのに痛くないのは牙が刺さらないように加減してくれているのだろう。こちらを害する意図がないから護符が反応しなかったんだな。
「ひょっとして、この声はキミだった?」
『ひょっとしなくてもワシだ!普通は気づくだろ!?』
「うーん……」
気づくかなあ……? というか、蛇が頭の中に話しかけてくるなんて聞いたことないよ。
首を傾けて考えていたら、さらに巻き付かれた。息苦しいけど殺されるほどではない。
そういえば母が苦手だったから蛇は近くで見たことがない。王都では蛇はあまり見かけないし、魔物化した蛇を退治したことはあるけど、支援魔法を使うだけで直接対峙してないから、素材としてしか触ったことがないんだよな。
というわけで、ちょっと失礼して……。
「へー、蛇って、こんな肌触りなんだ。気持ちいいなあ」
ぺたぺたぺたぺた……。
なんだろう、このもっちり感。冷たすぎず熱くなく、しっとりした手触りが心地よい。うろこのでこぼこした感じもなんだかいい。柔らかい毛のモフモフ感もいいけどこっちもいいな。ふふふふ……。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた……。
『ち、ちょっっ!やめんか!』
おっと、うっとりしてついつい夢中になってしまった。
蛇は手から逃げるように俺の顔を二周して登り、体の半分を首に残したまま頭の上に顎を載せた。細身だけど、ずっしり重たい。鼻の上から右目が蛇でふさがれてよく見えないのは困ったけど、とりあえず動けたのでそのまま浜に向かう。
『だから、待てと言うのに!』
蛇が顔の巻きを強めた。きゅっと絞められて視界が歪む。
顔にうろこの跡ができそうだ。寝起きについたシーツの跡みたいにすぐ消えてくれるといいんだけど。
などと思っていたら、鼻の上にぎゅっと力を込められた。
『なんというか、寝起きのなにかとか、腹立つようなことを考えられていた気がした』
「ごめん」
そんなことがあり、蛇の話を聞くことになった。
ちなみに、顔のうろこ跡は蛇が下りてくれたらあっさり消えた。ドヤ顔の蛇についモヤっとし、容赦なく触りまくった俺は普通の人だと思う。
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