暗転
可能性がないわけではなかった。
だが、アヤはまさかと思っていた。ここは未開の惑星で、そういうものが入り込むのは間違いなく違法行為なのだから。だから、それはありえないはずのものだった。
だが、それはそこに存在した。
『誰ですか、そこにいるのは』
日本語でなく連邦公用語で、アヤはセンサーに映らない『それ』に呼びかけた。
『おや、俺に気づいたのか。これでも最新のステルス技術なんだけどな。さすがは『ソクラスのソフィア』の護衛という事か』
闇の中で声が響いた。
町と月の光で少しだけ明るいとはいえ、ひとの顔などがはっきりわかるほどの明るさではない。アヤにはそれでも問題なかったが、誠一にはさすがに光量が足りない。
だが、その誠一にもシルエットだけはわかった。
「……しっぽ?」
その人物には尻尾があった。口の形も違う。誠一の知る人間の姿ではないようだ。
「あれがお話したアルダー族です。見ての通りの爬虫類型です」
「へぇ」
はじめて誠一がそれを見た印象は『ファンタジーっぽいけど格好はSF』だった。ソフィアたちと違い外見も完全な『宇宙人』である。誠一は暗さでよく見えないことをこぼしつつも、それをまじまじと見た。
なるほど、蜥蜴が服を着ている。
異様といえば異様な姿だが、よく似合っているようにも誠一には思えた。やはり地球の蜥蜴たちとは似ているようで細部は違うのだろう。文明に馴染んだ爬虫類型人類というわけだ。
『見たところ、アルダーといってもむしろルド様に近い、そう、トプシド系のようですね。この星にはアルカイン型しかいないのを御存じないのでしょうか?貴方は基本、この星に入ってはいけないはずですが?』
地球のような星の場合、ヒト以外の知的生命は入れない。逆に蜥蜴人類だけの星ならアヤたちが入れない事になっている。文明へのインパクトを考えた配慮だ。
まぁ厳密には、ドロイドであるアヤもここに居てはいけないのだが。
『ああ、そうなんだけどよ。こちとら後がないんだよな』
果たして、その蜥蜴は肩をすくめた。
『後?どういう事ですかそれは?』
アヤの言葉に、蜥蜴はあまり友好的とは思えない顔でにやにやと笑う。
『お姫さんはいねえんだな、まぁ仕方ねえ。俺は言われた仕事を果たすだけだ。そうすりゃ後は礼金と共におさらばって奴よ。悪く思わねえでくれよな』
そう言って懐から通信機をとりだした。
『仲間を呼ぶつもりですか』
アヤの目が細くなった。
『まぁな。だって俺は戦闘要員じゃねえもの。
だけど安心しな。あいつら、まさかドロイドがいるなんて予想もしてねえからよ。そこの原住民の餓鬼つれて逃げるくらい造作もねえだろうぜ』
げらげらと笑う。アヤは呆れたように眉をしかめた。
『仲間を心配しないのですか?』
『あー、俺はどうやら担がれたらしいからな』
さも心外とばかりに蜥蜴人は肩をすくめた。
『俺はセクトーのスラムにいたんだ。荒事があるから参加しねえかって仲間といっしょに雇われたんだが……どうやらいっぱい食わされたらしいや』
『セクトーの方ですか、しかしどういうことです?まさか実際の仕事を知らずにこんな遠くまで?』
『面目ねえ、実はそのまさかなんだな』
蜥蜴人はためいきをついた。どこか憎めないありさまにアヤは苦笑した。
『まさかよりによって「ソクラスのソフィア」に手だししようなんてな。やけに払いがいいと思ったよ。ドジったぜ。
いや、ハダカ人類のねーちゃんなんか別にどうなってもいいけどよ、ルドの爺さん怒らせるのはさすがにまずいや。勘弁してくれってな。
でまぁ、とっとと契約ぶんの仕事だけすませてとんずらしようってわけさ。ごめんな?』
『ああ、いいですよ別に。そういう事ならば』
アヤは納得したらしい。
『黒幕が何者か知りませんか?貴方を雇った人はどういう?』
『うちの兄貴の知り合いとか言ってたな。悪いな、わからねえ事ばかりで』
『いえ、かまいませんよ』
どうやら事情などはまったく知らされていないらしい。深く聞いても何も出ないだろう。
「なぁ、こいつなんて言ってるんだ?」
「あ、ごめんなさい」
誠一は連邦公用語を知らない。ふたりの会話がわかるわけがなかった。
「彼はいわば見張りのようです。といっても下っ端もいいとこで詳しい事は何も知りません。今から仲間を呼ぶからおまえたちはとっとと逃げろ、そう言ってくれてます」
「仲間なのに?またそりゃ変わってるんだな?」
「そりぁな、いろいろあらあな」
「!」
なんと、誠一に返答したのは蜥蜴人の方だった。しかも日本語で。
アヤまでも驚いているところから、これは珍しい事なんだなと誠一は思った。
「なんか巻き込まれたみてえだな坊主、実はな、恥ずかしい話だが俺も同類らしいのさ。ま、俺の場合は自分から金もらって来ちまったんだけどよ?」
「そうなのか。……あんた日本語うまいな」
「ありがとよ。なに、地元じゃ語学学習機なんて見た事もなきゃ用もない代物だったからな。こりゃ珍しいってんで試しにとってみたんだが」
発声器官が違うせいか不明瞭だが、なかなか流暢だった。
「話戻すけどよ。
いちおう仕事でな、俺はこれから仲間を呼ばなきゃならねえ。生活かかってるんでな。こればっかりは譲ることができねえんだ。契約だ契約。坊主もこれくらいわかるだろ?
だけど、騙されっぱなしってのは俺も性にあわねえんだよ。だからこのお嬢ちゃんにタレこんでやったってわけさ。わかったかい?」
「なるほど。ありがとな」
「!」
今度は蜥蜴人が驚いた。もっとも、蜥蜴の驚愕なんて見た事のない誠一にはわからないようだが。
『なぁ、この坊主えらいお人好しだなおい?』
『私も同感です。ソフィア様もそう思われたようです』
そっかそっか、と蜥蜴は納得したように頷いた。
「なぁ坊主。よく聞けよ」
「坊主坊主ってな。俺には野沢誠一って名前があるんだが」
「じゃあセイイチ」
蜥蜴人は一歩すすみ、誠一の肩を掴んだ。
「……」
全身に鱗のあるグロテスクな男だった。だがそれ以外は不思議なほどに誠一たちにも似ている。少し鼻が高く瞳の形が違う以外はたいして違いもないように見えた。
そしてなにより、その瞳には理性の輝きがあった。
「宇宙は広い。きっとおめえはこれからいろんな目にあうだろうよ。特に田舎育ちのおめえだ。時には絶望するような事も何度かあるに違いない。
だけどよ、これだけは忘れるな。宇宙にはいろんな常識があるしろくでもない奴もごまんといるが、人情を忘れない奴を悪く思う奴はいねえって事をな。
おめえ、会ったばっかりの姫さんやこのお嬢ちゃんがいやに親切にしてくれると思ってるだろ?」
「ああ」
否定しても仕方ない。誠一は素直に答えた。
「それはな、おめえがおめえであるからこそ皆は優しいのさ。
青臭いことばかり言うと思うかもしれねえがな、宇宙ってのは優しいばかりじゃない。むしろ優しくない。ひでえ目にもさんざんあうはずだ。
けどな、損な役回りばかりのお人好しはそれ以上に大事にもされるもんだ。おめえがどっちの道を選ぶかは知らねえけどよ、それだけは忘れてくれるな。いいな?」
「ああ」
誠一が頷いたのに満足したのか、蜥蜴人は手を離した。
「じゃあ行け。通りまではゆっくり行け。そして出たら振り返るな。いいな?」
「わかってます」
アヤが頷いた。そこで誠一をがっちりシールドし、同時に全速力で逃げるということだ。
最後に誠一は男に尋ねた。
「なああんた、名前聞いていいか」
「名前?」
蜥蜴は今度こそげらげら笑った。
「よせやい、次にあったら敵同士かもしれねえんだぞ。忘れろ忘れろ」
それは敵とは思えない、むきだしの好意と笑顔に満ち溢れていた。
ふたたび表通りに戻った。
「あちらも動き出しましたね。さっきの通りまで引返しましょう」
「もう連絡したのかな?あいつ」
「まだです」
アヤは誠一の言葉を否定した。
「この動きは、彼とわたしたちの遭遇そのものに気づいたからでしょう。まもなく通信が行われるはずですが、彼はぎりぎりまで仕事をさぼって時間を稼いでくれるつもりなんだと思います」
「いい奴なんだな」
ぼそり、と誠一はつぶやいた。
「あれでも現地じゃ相当のワルのはずですよ。誠一さんのお人好し加減に毒気を抜かれたのでしょうねきっと。馬鹿とも言いますが」
「へえ。ま、確かにどっかのヤーさんみたいな雰囲気はあったかな」
「ふふ」
そんな会話をしていたせいだろうか。
アヤは気づくべきだった。何も知らされずこんな場所にいた異邦人や、まわりの慌ただしい動きの示す他の意味に。いつのまにかすっかり油断してしまっていたのだ。
そしてそれが、運命の輪を大きく回すことになってしまった。
「さて、ここらでちょっとソフィア様に連絡しておきましょうか」
「もういいのか?」
「包囲網が広がっていくようなんです。何か起きるのかもしれません。早めに引き上げた方がよさそうです」
「そっか。じゅあ頼む」
「はい」
そんな会話を交わしつつアヤは空を見上げて。
「あら?」
「どうしたんだ?」
「いえ、ソクラス……母船の名前ですけど、こちらに向けて降下を開始しているような」
「へ?なんだそれ?」
「わかりません、何かしら。これは……!?」
異常事態の意味に遅まきながらアヤが気付き、ハッとしたまさにその瞬間、
世界は、プラズマの輝きに包まれた。




