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1.辺境伯



 私は顎からしたたりおちてくる汗を手の甲で拭った。羊革の手袋は不快さに耐えかねてとうに脱いでしまった。かまうまい、ここは都から遠く離れた森の中だ。私の無作法を咎める人間はおろか、人間自体、この二日というもの見ていない。



 山里の宿を出てよりすでに二昼夜。馬が一頭通れるほどしかない細い山道をあちらに折れ、こちらに曲がり、としているうちに己の通ってきた道は、少し進んで振り返るともう草木に埋もれるように見えなくなる。道なりに歩いていたはずなのに眼前にそびえたつ岩壁を見て引き返したこともあれば、道がいつのまにか途切れてしまったこともある。

 森林の中で地図はもとより訳に立たない。というよりも、このあたりには測量技師が立ち入ったことすらないのだろう。どの地図も、山の中に適当に城の絵が描かれ、シュテルンベルグ辺境伯領、と記されているのみだ。

 私には、山里の人間の「道があるから迷うことはない」という言葉一つが頼りだったが、その頼りの道も、シュテルンベルグ辺境伯領と山里をまっすぐ結ぶものではなく、粗朶や茸などを採る為にわけいるものや猟小屋に通じるものが入り乱れている。

 生まれたときから都暮らしで、森といえば王の狩場しかしらず、それも中に入ったことはない私が、二晩も森の中で野営するのは恐ろしい経験で、殆ど眠れていない。疲れも不安も限界に達しつつあり、不安定な山道に入ってから背に乗ることをやめ、手綱を引いて歩かせている愛馬イジーも私も不安を敏感に察して落ち着かない。


 シュテルンベルグ辺境伯の領土へ足を踏み入れるのを強硬に拒む山里の人々に道案内などとても頼めなかったが、やはり無理にでも連れてくればよかった。そうすればもう少し苦労の少ない道程を行くことができただろう。


 無理矢理に人に要求を飲ませることができる性格でもなく、また人を威圧する剣の腕や人心を懐柔する財貨も持たない、一介の収税官の我が身を恨みながら、私は再び滴ってきた汗を拭い、顔をあげた。

 見渡す限り木々の林立する森だ。遙か頭上に枝を広げ夏の盛りの青々とした葉を茂らせる幹の太さは私の腕を回しても半周すらできないだろう。そういう木々の合間に私の背丈や、それより少し高い若木が茂っている。

 上を見上げ天突く木々を眺めていた私はふと、森が明るくなっているらしことを感じた。昨日は茂る葉が日の光を遮り始終薄暗かった。おかげで汗もさほどかかずに済んだのだが、今日はずいぶんと暑い、と感じたのは日光が入り込んでいるせいだったらしい。

  

 森に人の手が入っているのだろうか。

 だとすればシュテルンベルグ辺境伯の領土は近いのかも知れない。


 そう思うとつかれきった体にも少し力が沸いてくるようで、私は、同じように疲れた様子の愛馬の轡をとって歩きだした。 




 それにしても、本当にあのシュテルンベルグ辺境伯の領土がこの先にあるのだろうか。


 

 シュテルンベルグ辺境伯の名はこの国に住む者ならば誰でもが知っている。


 遠い昔、この森を開き領土とした初代から代々狼殺し、の名を戴いてきた家だ。

 しかし百年と少し前に起きた戦乱で、海を越えてやって来て先王家を滅ぼし、新しくこの国を治めることになった王の名に狼とついたことから、王家をはばかって現在のシュテルンベルグに家名を変えた。

 

 シュテルンベルグ辺境伯、そして彼の領民はいかなる戦乱にも参加せず、主家が変わろうとも支配者に恭順を誓う。

 とはいえその主家の前にも代替わりの挨拶程度しか顔を見せず、殆ど自領から出ることのない領主の顔を一度も見たことがないという王もいる。しかもそういう振る舞いを許されてきた家だ。


 年ごとに献上される駿馬が優秀であること、納められる税金が多額であること。

 それだけならば金にものをいわせる卑怯者と謗られもしようが、シュテルンベルグ辺境伯の名は畏怖や憧れとともに語られる。


 まず、恐ろしい未開の地である山を拓いたこと。漂白してきた一族であるにも関わらず彼らは当時その山と接する土地を治めていた王に恭順を誓い、無用な争いを避けた。

 しかし横暴を許したわけではない。

 先王家の時代、当時は狼殺しの名を冠していた辺境伯の領土を奪おうとした近隣の貴族たちによる軍勢を、辺境伯はわずか十分の一にも満たない軍で敗退させた。のみならず首謀者を捕らえて王城まで出向き、「領地に入り込みし狼を討伐いたします」と、王の前で躊躇なく貴族六人の首をはねた。

 当時の王は内心はどうあれ、辺境伯の剛毅を激賞せざるをえず、未来永劫辺境伯の領地は不可侵であることを神と伯と人民に誓った。


 治める王家が変わってもシュテルンベルグ辺境伯のこの逸話は広く伝わり、未だに絵本やタペストリーの題材になり、シュテルンベルグ辺境伯の領地は永遠に不可侵、と謡われる。

 戦火と領主の横暴に怯える農民にとっては夢のような話だ。

 私の家は王都の商家だが、生活に追われることは農家も商家も変わりなく、まるで理想郷のように語られるシュテルンベルグ辺境伯領のことを私はずいぶん長いこと、おとぎ話の一つだと思っていた。学校で、領土が実際にあることを学んだが地図上に記された名前だけで、やはりその存在は漠としたままだった。

  

 しかし、民衆に理想郷のように語られる土地が己の国の中にあることが、支配者にとって面白いはずもない。まして伯領は、領土の広さや戸数すら分からないのに、広大な平地を持つ領主と変わらぬ額の税金を納めている。領地内に金脈でもあるのではないかという噂は昔から絶えることなくあり、浪費の著しい今王はそれが欲しいのだ。

  


 私は己に課された勤めの重さと理不尽さに重い息を吐き、荷を背負った馬と共に細い道を進んだ。





 昼を過ぎ、夕刻も間近になった頃、視界は急に開けた。斜面に沿うように緩い弧を描きながらずっと続く、なだらかな下り坂の果て、尾根に囲まれた谷底に、尾根を背にした大きな館の前面に伸びる道を囲むように百戸ほどの家が立ち並んでいる。

 小さな街だが、伯領の一つだろう。私は生き返ったような気持ちで残照の中、長い下り坂を進み、門の前にたどり着いたときには早くも日が落ちかけていた。


「王都よりシュテルンベルグ辺境伯にお目にかかるべく参りました、収税官のウルマンと申します」


 閉ざされ、かがり火を焚いた門の前で武装した門番に名乗り、王の徽章の入った身分証を渡す。これで悪くても今夜は門番小屋で眠れるだろう、とほっとしながら待っていると、私の身分証を持っていった門番が戻ってきて夜間出入り用の潜り戸を開けた。


「領主館にご案内します」

「いえ。もう遅いので今夜はどこか夜露をしのげる場所をお貸し頂ければ。領主には明日お目にかかります」

「申し訳ありませんが収税官殿。他所の方をお泊め出来るのは領主館しかございません。領主館には伝令を走らせましたので、支度もしておりましょう。都から来られた方にとっては領主館に泊まるなど考えられぬことかもしれませぬが、田舎では珍しくもないことです」

「そう、ですか」


 そう言われてしまえば私も納得するしかない。イジーを引きながらこの集落を出てどこまで歩かされるのかとうんざりしていると、家々の明りや酒場の賑やかな声がところどころで聞かれる大通りを突っ切った先、下級貴族が都に持つようなこじんまりとした館に門番は足を踏み入れ、玄関をノックした。

 まさかここが領主館だとでもいうのだろうか。唖然としている私の前でほどなく中から扉が開かれ、壮年と老年の堺にあるようながっしりとした体つきの男が現れる。


 門番と一言、二言交わして男は私に頭を下げた。


「当屋敷の執事でございます。ウルマン殿、馬はその者にお引渡しください。厩で世話をさせましょう。あなた様はどうぞこちらに、お部屋に案内いたします」

「あ、ああ。ありがとうございます」

 

 どうやら本当にここが領主館らしい。イジーの背に括りつけた荷物を解き、手綱を控えていた男に渡す。イジーは気がかりそうに少し私を見詰めていたが、おとなしく引かれていった。

 両手に荷物を持つと、すぐに執事と名乗った男が着替えなどの入った大きな袋を受け取り、先に立って歩き始めた。


「出来ましたら先にシュテルンベルグ辺境伯にご挨拶を…」

「主は食事中でございます。ウルマン殿のお部屋にも夕食を運ばせますので、まずはお食事をお済ませください」

 

 それが、ただ食事をしろ、というだけではなく埃だらけの上に昼間さんざん汗をかいてよれよれした服を着替え、身を清めろ、という意味だということは私にも分かった。私は大人しく案内された部屋で、手回しよく用意されていた湯で体をさっぱりと拭きあげ、髪にも湯を流し、櫛で整えた。

 寝室で着替えをしている間にテーブルに食事の支度が出来ており、一人きりの食卓に二人も給仕がついて聊か気詰まりを感じつつ、それでも空腹が勝って、山城らしい、鳥や木の実を使った料理を片端から腹に入れた。

 久しぶりにまともな料理を腹に収め、屋根のあるところにいる安心感でどっと眠気が押し寄せてくる。


 けれど、迎えにきた執事にやはり挨拶は明日に、などと言える訳もなく、私は眠気を覚まそうと努力しながら薄暗い廊下を歩き、棟の反対側にあたる端の部屋に案内された。主が館の端の部屋を使うなど聞いたことがない、と内心首をひねる私の前で執事は静かに扉を叩き、中から低いいらえを聞いて扉を開けた。



「ウルマン殿、ようこそ我が領地へ」


 蝋燭の数本乗った燭台を二つ、三つ使っているのだろう。明るい部屋の中で椅子に腰掛けていた人物が立ち上がってそう言った。私は扉の前で領主や貴族に対する礼を取り頭を深く下げながら私は、四十も半ばのはずのシュテルンベルグ辺境伯が意外なほど若く見えるのに驚いていた。

 蝋燭の明りのせいもあるだろうが、見た目なら三十代になったばかりの私と大差ないように思う。

 促されて頭を上げて改めて見ても、皺の少ない顔や濃い麦わら色の髪を持つ辺境伯は聞いている年とは思えないほど若々しい。 


 向かい合い、少しずらされた椅子に腰掛けるように勧められ、二人の間に置かれた丸い小卓の上にぶどう酒の入ったぼってりしたガラスの水差しとゴブレットが置かれ、辺境伯はそれになみなみとぶどう酒を注いで私に渡した。


「ろくな道もない山中、さぞお疲れになったことだろう」

「とんでもございません。子供の頃から聞かされていた辺境伯領に足を踏み入れることが出来るなど、まだ信じられぬ心地です」

「都で我が領のことがどう語られているかは知らぬが、ごらんの通りの小さな所だ。領民は千に満たず、この街のほかには僅かな畑しかない。我が領の馬の質が良いのは、平地で馬を育てられずに山で育てるからだ。山を駆けて馬の足が強くなる。民らは皆、毎日夜明けより日暮れまで働き、ろくな贅沢も娯楽も知らぬ。この山中まで旅芸人など滅多に来ぬから、客人はいつでも歓迎されるが……」


 辺境伯はそこで言葉を切った。無論、都から派遣される収税官がただ人に歓迎されるだけの無害な旅人であるはずもない。

 私はそのことを心から残念に思った。


「……まあ良い。仕事の話は昼間にすることにしよう。ウルマン殿は当地にご興味がおありとのことだったが、ならばこの地に伝わる伝説などはご存知かな? それこそ我が領の子供たちは皆親や年かさの者から聞かされる話だ」

「いえ。私や都に暮らすものたちにとってはここは妖精の国と変わりありません。どうかその伝説を話していただけますか? 良い土産になります」

「妖精の国か。そのような美しい国であれば我ら憂いもなくいられたであろうにな。……そう、話をしよう。まず、この地を拓いたのは我が祖先、エドゥアルト・ネイェドリー。彼がどこから来たのかは私も知らない。或いは海の向こうから来たのかもしれないな。どんな理由があったのか故郷を捨てた彼らは永住できる土地を探していた。そしてこの地を見つけた。しかしネイェドリー達がこの場所にたどり着いた時、この場所は野生の土地ではなかった。すでに先住者が居たのだ」

「ネイェドリー様は、この地を拓いたからこそ狼殺しの名を戴いたのではなかったのですか。私はそう聞いておりました」

「この森に狼はいない。……それより、疲れきっているようだな。顔色が悪い。この話の続きは明日にしよう」

「は、いえ。けれど、まだ冒頭しかお話いただけておりません」

「森で眠るのは馴れていても気の張るものだ。君の用事も明日一日で済むものではあるまい。今宵はゆっくり休むといい、ウルマン殿」

 


 

 そう言われて、強いて続きをねだれる相手でははない。私はまだ伝説ともいえない部分だけで話を終わらせられ、しぶしぶ席を立った。挨拶をして辺境伯の部屋を辞し、与えられた部屋に戻る。歩いていると体が自分のものではないかのように重く感じられた。廊下の端までが酷く遠い。強いて足を動かしながら、辺境伯は私に課せられた命令を知っているのだろうかとふと思った。そうでなければ、一日で終わらないなどとなぜ言えるのか。

 それとも、収税官が出向くような用事だけに、つまらぬ交渉ごとでも長引くと思っているのか。

 

 ようやっと部屋にたどり着き、寝巻きに着替えて寝台に寝ると、まるで溶けるように体が眠りに沈んでいく。

 


 眠りの中、この森にはいないはずの狼の声を聞いた気がした。

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