彼女と班決め
真っ暗というほどではないけれど、あたしの帰り道は先ほどの飲み屋街と違って明るいわけではない。
「……」
「……」
その道を2人っきりであたしと天海は歩いている。駅からここまでずーと無言だ。
話題など無いので、こうなるのは初めから分かり切っていたことだ。
「……もういいよ。あたしの家ここだから」
この10分息苦しくてしかたなかった。やっとたどりついた我が家の明かりが、荒れた心を癒してくれている、気がする。
「……ここまで送ってくれて、ありがと」
一応お礼は言っておかねば。一応ね、一応。
「じゃあな」
天海からはそれだけだった。背を向けて駅へと戻って行く彼に何か言ってやろうかと思ったが、何も思い浮かばない。普通の女子なら素敵男子に送ってもらえるときめくイベントだが、まああたしと天海じゃこんなもんだ。
「始まるわけなんいだよね、何も…………陽菜だったらどうなってたかな」
ぽつりと呟いてしまった言葉が意外と寂しそうな響きを持っていて、あたしはぎょっとしてしまった。不本意だけれど、ほんとーにありえないことだけど、陽菜と天海が仲良く帰る所を思い浮かべてしまったのだ。
「ないないないない!! ありえない! あー陽菜に会いたいな!! ポテトサラダ食べたいポテトサラダ! ただいまー!!!」
「おかえり、うるさい」
リビングで出迎えてくれた母親に怒られ、あたしはしゅんとしたまま部屋に向かうとそのまま着替えを手にさっさと風呂に入ることにした。
風呂から出て自分の部屋に帰ってきたあたしは、パソコンの電源を付けるといつものように無料通話ができる画面までやってきていた。ポテトサラダをつまんだり明日の準備をしたりしていたので、もう23時を回っている。
「お、まだやってるのか」
オンライン状態のアイコンをチェックすると、神宮寺会長・影虎・レグルス・nonokoの4人が会話しているようだ。女子会か。
『こんばんは。あたしも入れてください』
神宮寺会長へメッセージを打ち込むと、すぐに返事が来た。
『ごきげんよう、シュガーさん。ちょうどいいところに来ましたわね』
ちょうどいいところ、というのに嫌な予感がしたがとにかくあたしは女子会に加えてもらえることになった。
「あ、シュガーだー。打ち上げだったんでしょ、楽しかった?」
一番に話しかけてきたのは、あたしと同じ歳のレグルスだ。
「うん楽しかったよ。姫がね、私服がすっごく可愛くてご飯食べてるところもほんとにやば」
「あー、うん。もうわっかた。ありがとう」
聞いてきたのはお前だろうがレグルス。遮るとはどういうことだ!
「お元気そうでなによりですわ」
「まあそんな話を聞かされるんじゃないかと思ってたよ」
神宮寺会長と影虎からはため息とともにそんな言葉がかけられた。子供をたしなめる母親の雰囲気を年上組からはたまに感じる。あたしより1年とか2年早く生まれただけなのに、どうしてこんな余裕たっぷりに見えるのだろう。あ、影虎さんは何歳か知らないけど。
「それで、今日は女子だけなんだね?」
残りの年上組、そして男子である、ねこ侍とPPが欠席の理由が気になる。
「ねこ侍さんは参加していたのですが、勉強があるからと途中で離脱してしまいましたわ。
PPさんは今週も課題があるから欠席だそうです」
「あ、そうなの。女子会だね」
「いやぁー可愛い女の子ばっかりでおじさんうれしいな。へっへっへ」
「影虎姉さんも女子でしょうが」
影虎に一番にツッコんだのはレグルスだった。この2人は仲が良く、放置しておくと非常にくだらないやりとりをずーっとしている。特にレグルスの方が『影虎姉さん!』と年上の彼女のことを慕っているようだ。
そういえば、もう1人いるはずなのに、さっきから彼女は一言も発しない。
「の……nonoko?」
最年少の情報愛好倶楽部メンバーで、あたしの一つ下のnonokoである。
前回の会議は彼氏とのデートとやらで欠席していたが、今回はきちんとオンラインになっている。それなのに彼女の存在がびっくりするほど薄かった。
「ど、どうして喋んないの?」
「し、……しゅがーさぁん」
2週間ぶりの彼女の声は相変わらず愛らしく、しかし涙声だった。
「あああ、恥ずかしい恥ずかしすぎますぅ……」
ヘッドセットの耳元から聞こえる声が一時的に大きくなり、最後は聞き取れないほど小さくなった。どうした、何事だ。
「ちょうどいいところに、と言ったでしょう。先ほどまで、nonokoさんの恋愛話をみんなで聞いていたのですわ」
「そうそう。で、デートの内容を話してもらってたんだけど、nonokoが恥ずかしがっちゃってさ。あんまり教えてくれないの」
「だいぶ教えましたよぅ!! て、手を繋いで……そ、それから、き…キ……ぅのところまで詳しく話しちゃったじゃないですか! うああああん!」
なるほど。年上組に根掘り葉掘り聞かれちゃったわけだ。そりゃ思い出したら恥ずかしくなって黙ってしまいたくもなるだろう。nonokoって純粋だから。
「……レグルスさーん、どうして助けてあげなかったのさ」
「いや、リア充爆発しろって思ってたし。私も興味あったからさ」
つまりnonokoには味方がいなかったわけだ。可哀そうに。
「まあいっか。はいはい、この話はおしまい。別の話題にしよう」
その影虎の一言で、会議はいつもの情報交換会になった。神宮寺会長からは男を手玉に取る悪い女たちの話が大量に出てきた。神宮寺家(仮)の力は本当にやばい。
「嫉妬深い方たちもいらっしゃるから、気を付けた方がいいですわ」
たぶんこれは陽菜を護るあたしに向けての発言だ。あたしは神宮寺会長が挙げた名前を必死にメモしていた。
「そういえば」
レグルスが何かを思い出したらしい。
「ねぇ会長。シュガーにあの話しないの?」
「ああ、そうですわね」
あの話? パソコンの前であたしはシャーペンを握ったまま首を傾げる。
「シュガーさん、夏休みはお暇ですか?」
「うーん。まあ『あまみ』に行く以外は暇だと思うけど……」
「そうですか。では、アルバイトしませんか?」
「バイト?」
「ええ。nonokoさんには断られ、レグルスさんには受けるかどうか考えると言われてしまったので……影虎さんは無理ですし」
「内容は?」
「そうですわね。かっこよく言うと『潜入捜査』、そうでもない言い方だと『わたくしのお手伝い』ですわね」
「その説明では全く分からないんだけど」
「また日が近づいてきたら詳しくお話しますわ。とりあえず、『お姫様』に関係しますわよ」
「やります」
間髪容れずあたしはそう答えていた。神宮寺会長からの依頼なんて怪しすぎるけど、陽菜に関わっているならどうだっていい。そんなところで嘘をつくような人ではない。
「あら、助かりますわ。シュガーさんならそう言って下さると思っていました。……それとこのアルバイトのお話は男性メンバーには秘密でお願いいたします」
「あ、はーい」
その後、影虎さんの好きなアニメの話になって、nonokoの学校での情報がいくつか出てきて、今回の会議はお開きになった。もう深夜1時を超えてしまっている。あたしが来た時には終わりかけだと思っていた会議だが、女子だけの空間は大いに盛り上がりこんな時間になってしまった。
通話が終了して、神宮寺会長のバラアイコンや影虎、nonokoのアイコンが光るのをやめオフラインとなっていく中、ぴょこんと音がしてチャット画面に文字が打ち込まれる。
『まだ起きてる?』
レグルスだ。彼女は空の写真をアイコンにしていて、その下にあたしへ向けて一言そう書かれていた。
『起きてるよ。どした?』
『いいものあげる』
その文字の下に画像が張り付けられていた。何だこれはと思いながらとりあえずダウンロードしてみる。デスクトップに落としたファイルをダブルクリックすると駅前らしき写真だった。真ん中に写る2人が並んで背中を向けている。数秒見つめて、あたしは勢いよくキーボードを叩いた。
『レグルス!!!』
『タイトルは(イケメンと秘密の帰り道)とかどう?』
『いや、まてこら!! 何でこんなの持ってるの!!!』
レグルスから送られてきたのは、あたしと天海が駅から一緒に帰っている写真だった。おい、いつからあたしのストーカーになったんだ。あと、あたしもしかして今から脅されるの?
『友達がね、送ってきてくれたの。『あまみの男前発見!』って。友達はシュガーのことは知らないけど、私は隣が誰かわかっちゃったからさ』
『レグルスさま、どうかのこの写真の消去を』
『うん。適当に理由言ってお願いしとく』
『ありがたき幸せ』
どうしてあたしばっかりレグルスに見られてしまうのだろう。こっちは彼女の顔や名前も知らないのに不公平だ。
『じゃあおやすみ』
その文字を読んで、「え」と思わず口にしてしまった。レグルスは「その代わりに~」と、とんでもないお願いをこっちにふっかけてくると考えていたからだ。
『それだけ?』
自分からいくのもどうかと思うが、気が付けば聞いてしまっていた。
『うん。もう眠いから寝るけど、また天海くんの話よろしく。あんたが2人っきりで帰ってどんな感じだったかとか詳しくね』
そうきたか。けど、レグルスが期待するようなものなんて話せないよ。だってあたしたちずっと無言だったし。
『詳しくって言われても面白い話なんてない』
『はいはい。じゃあまたね』
そこでレグルスのアイコンは光るのをやめてしまった。オフライン状態の彼女に文字を打ってもしょうがないので、あたしもチャット画面を消してパソコンの電源を切る。
「はぁー疲れた」
ベッドに横になったあたしはあっという間に眠ってしまった。
「……またなの佐藤さん」
「すみません」
打ち上げの翌日、あたしは月曜日に英語の宿題を提出しなければならないことをすっかり忘れていた。
英語教師の田植みち子(名前は最近覚えた)は眼鏡をきらりと光らせている。
「……次はホームルームでしょう。夏合宿の話し合いをするでしょうから戻りなさい」
「……はい」
みんなから回収したノートは無事に田植先生に渡せたので、あたしは職員室から退室した。日直だなんてめんどくさい役割が当たってしまったせいで宿題を持っていくことになり、あたしが宿題をやってきてないことがバレてしまった。ほんともうね、昨日から頭を抱えたくなることばかりだ。天海に家まで送られるしレグルスに写真送られるし。何十回ため息をついても足りないぐらいだ。
この辺りでどかんとでっかい幸福でも降って来ないと、やってられない
「陽菜!! あたしを癒して!!」
手を広げて教室に入って行ったあたしを待っていたのは、陽菜の席で退屈そうに座る峰織枝だった。
「織枝のばかやろー!!」
その場に崩れ落ちながら頭を抱えるあたしにクラスメイト達の視線が自然と集まる。やばい、はしゃぎすぎた。表情を消して何事もなかったかのように織枝の前に座ると、とりあえず胸元からサインペンを取り出し、彼女の手に『ばかやろー』と書いてみた。
「ちょっと!」
さすがに怒ったらしい織枝はあたしからサインペンを奪うと、あたしの手に文字を書き込む。
「……『陽菜狂いの変態女』……まぁ間違ってないかな」
あたしも織枝の身体に書いてしまったので黙って受け入れたが、あたしが書いた文字よりひどくないか、これ。というか『変態』の『態』の字がサインペンでも潰れてしまわないぐらいの大きさなのでなかなか目立つメモになってしまった。
「2人とも仲良しさんだね」
いつのまにか戻ってきていた陽菜にニコニコされてしまったが、残念ながらそんなことはないんだよ。君の言葉は全て肯定してあげたいけど、そうじゃないこともあるんだよ陽菜。
「ほら先生きたし、ホームルーム始まるよ? 森口くんも座りたそうだし」
あたしが狂ってしまうほどの存在である陽菜様のお言葉で、織枝と共にあたしは席へと戻っていった。輝く花々が咲き誇りその中央に陽菜という大輪の花が咲いているせいでちっとも雑草森口には気が付きませんでした。すみませんねー。そういえば陽菜の前の席が森口さんのお席でしたね、すみませんねー、あたしが座ってて。
「ひゃわわわわ……さわわ」
席に戻る前に織枝が気持ち悪い奇声を発していたが、たぶん『うわ、騒がしてごめんね森口くん』って言いたかったんだろうな。全く伝わらない上に、森口に変な印象与えちゃったかもしれないけどね。頑張ろう織枝。目指せ、森口のハートキャッチ。
「本日のホームルームは夏合宿についてだ。じゃあさっそくだが、班決めからしようか。3人から4人ぐらいで一つの班を作ってくれ。もちろん男女別な。じゃあ、はい、話し合い開始ー」
担任はこれで俺の仕事は終了だと言わんばかりに足を組んでリラックスモードだ。班決めのために教室は一気に騒がしくなる。まあ女子は派閥とかあるからその中でどう組み合わせるか大変だよね。
「まーゆちゃん! 私と同じ班になってもらってもいいですか?」
後ろに手を回し身体を傾けて尋ねるポーズ。ただそれだけで幸福があたしへ向かって全力で降り注いでいるのではと錯覚した。こんな角度の陽菜様は初めてだ。ただの下僕となってしまったあたしは、愚かなことに至高の存在へと自らの希望を述べてしまう。
「も、もう一回……言ってもらってもいいですか」
「ん? 私と同じ班になってもらってもいいですか?」
「……『まーゆちゃん』からもう一度お願いします」
「それぐらいにしときなよ、佐藤」
織枝の一言であたしはやっと我に返った。気が付けば床の上で正座して陽菜に頭を下げていた。これ土下座だ。そのあたしに視線を合わせるために陽菜までしゃがみこんでいる。
「とりあえずまゆちゃん座ろうか?」
困ったように言われてしまえば、黙って彼女に従う以外の選択肢など無かった。
「わたしと、日浅と佐藤の3人班でいいよね。先生に報告してくる」
尻尾みたいな一つ縛りの髪を揺らして、織枝はあたしの返事も聞かずに行ってしまう。ちょっと待て、誰もお前なんて誘ってないだろ。あたしと陽菜の2人っきり愛の巣班でいいじゃないか。いや、それだと3人以上じゃないから担任が班として認めてくれないのか。ちくしょう。
こうして、わりと早い段階で班員が決定した。他のクラスメイト達はまだ相談中であたしの土下座は目撃されずに済んだようだ。一番後ろの席というのもあまり目立たなかった要因だ。
「さささささ佐藤!!!」
びっくりする速さで戻ってきた織枝があたしの背中にしがみつく。なにゆえその位置なんでしょうか織枝さん。
「どうした小泣き爺。震えてるよ?」
「こ、小泣き爺違うし! えーとね、わたしたち2番目に決めるの早かったから、女子2班になったんだけど! なんとね森口くんも男子の2班でね! ということは色々と行動を共にむごもむもごもごもごもご」
他の女子の気配を恐れて、あたしは森口の名前が出たあたりで彼女の口を押えていた。ただでさえ津川とか他にも森口のことが好きな女子がいるのに、そんな話題を大きな声で発表してほしくない。後半は押さえすぎたせいで何言ってるかさっぱりわからんけど。
「ただ2班って名前が被っただけでしょ? どーせあんたが思ってるよなことなんて起こんないから。もう黙ってて」
「むもごもごもごもごもご」
「まゆちゃん、織枝ちゃんが苦しそうだよ!」
アホなことをやっているあたしたちは、夏合宿でどんな目に合うか残念ながら何も考えてはいなかった。そして地獄のテスト週間が先にやってくるということもすっかり忘れてしまっていた。