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喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
五章 地田春美
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エピローグとプロローグ 河野輝美③

 10月。全員でみどりの学園祭に行った。五人乗りのミニバンは悲鳴を上げていたが、全員でひとつのイベントに参加することなど、夏に歩いて花火を見に行った程度だったのでいい機会だった。

 みどりは軽音部に所属していた。父親が事故死する前からだ。みどりはあまり私たちの前で演奏したがらなかったが、休日の午後、ふとアコギの音色が聞こえてくることがある。亡き父の影響か、彼女が弾く曲はいつも古く、私には聴きなじみの多いものが多かった。

 体育館のステージで、みどりは二曲演奏した。うち一曲はフロントマンを担当し、ステージの中央でギターを弾きながら歌っていた。演奏の良し悪しなどわからないが、全身を振動させ、光を放つように叫ぶみどりは美しかった。

 みのりが私の耳元で

「今度みんなでカラオケに行こう」

 と言った。

 私にはなかった発想だった。確かにカラオケなら近くにあるし、絶好のレクリエーションだ。

 みのりの提案はいつも我が家を明るくし、良い結果をもたらす。

 みのりと一孝はまだ来て間もないが、我が家の精神的支柱だった。みのりの明るさには私自身もおおいに助けられたし、一孝がダイニングで黙々と勉強している姿を見ると、私はなんだかほっとした気持ちになる。

 施設出身で物心つく前から親を知らない二人は、ここでの生活をちっとも不幸だなんて考えちゃいない。むしろ幸運の賜物だと考えている。我が家ももはや小規模施設と呼んで差し支えのないところまで来ているが、それ以上の大勢の子供に埋もれ、わがままも言えず育った二人は、時々気の毒に思えるほど精神的に自立している。

 みどりの梅雨の雨のような止まない悲しみも、春美の起こす一過性の嵐も、いぶきの不器用な人恋しさも、二人は乾いた布巾で拭きとるようにやさしく吸い込む。丸めた新聞紙。ぷちぷちの梱包材。そういったもの。

 施設から話を受けたとき、私はみのりだけを預かる気でいた。いぶきの件もあるので若い男を住まわせることに不安があったからだ。だがみのりは一孝と一緒でなければ行かないと条件を出した。はじめは二人がデキているんじゃないかと疑いもしたが、共同生活をするようになってすぐ誤解と気付いた。この二人は、二人で一人なのだ。互いに互いの一番大切な感情を預け合っている。二卵性の双子という表現が近い。二人がどのようにしてそこまで寄り添うようになったのかはわからないが、その表現が一番しっくりくる。でも私が「おいそこの姉弟」とまとめて呼ぶと、二人は決まって「姉弟じゃない。たまたま近くにいただけ」と否定する。二人にしか言い表せない関係があるのだ。

 ステージが終わると、みどりはギターを脱ぎ捨て私たちの元に駆け降りてきた。汗だくで、ゼエゼエ息を切らしながら、私たちに向かって

「本当に観に来なくていいのに」

 と言った。

 私はこのときはじめてみどりに里親らしいことが出来たのではないかと、センチメンタルな気分になった。うっかりしたら泣いてしまいそうだった。親が子供の運動会に高いカメラ片手にやってくる理由がわかった気がした。みのりが私を押しのけて

「みどりちゃん今度カラオケ行こ! カラオケ!」

 とみどりに抱き着いた。

 うまくいかなかった夜。私は軽音部が動画サイトに上げたこのステージをよく観る。傷なんてちっとも癒えちゃいない小さな子供が全身全霊で歌う姿は、私に初心を思い起こさせる。大抵のことをちっぽけだと思わせてくれる。

 いぶきを預かる前、私は酒の席で児童相談所の元同僚に、里親になることへの不安を吐露した。児童相談所から逃げ出した、何の変哲もない家庭で育った私に、本当に傷ついた子供の世話などできるだろうか。

 元同僚は言った。

「逃げ出したなんて言わないで。輝美ちゃんには相談所より、里親の方が合ってたのよ。それによく言うでしょ。世の中の親だって、はじめから親なわけじゃない。親になってはじめて親になるのよ。それと一緒よ。旦那さんもいるし、なにかあったら私たちにも相談して、そのために私たちがいるんでしょ?」


 年末、旦那が久しぶりに我が家に帰ってきた。ゴールデンウィークも盆の休みも帰れなかったので、約一年ぶりになる。ビデオ通話などはしていたが、みのり、一孝、みどりとは直接会うのははじめてだった。私はみどりが亡き父を思い出して泣かないか、それが少し心配だった。

 陽が傾くころ、旦那は喫茶店の入り口から帰ってきた。まだ客が数名いるのに大きな声で「ただいま!」というので、私の第一声は「うるさい」になってしまった。

 店には手伝いのいぶきもいた。

 いぶきは薄く微笑んで

「草太さん、おかえり」

 と言った。

「おお、いぶき、また美人になったね」

 そう言って旦那はその大きな手の平で、いぶきの頭をやさしくなでた。いぶきも大人しくなでられていた。

 旦那はカウンターに座った。

「上に上がる前にコーヒー淹れてよ。新幹線で少し飲んだから酔い覚ましに」

「お酒飲んだの?」

 私はしぶしぶ旦那の好きな豆を取り出しながらたずねた。

「緊張してるんだよ。三人もはじめて会う子がいるんだもの」

「散々ビデオ通話したでしょ」

「直接会うのとは違うよ」

「みんな楽しみにしてたよ」

 そう言っていぶきは旦那の隣に座った。

「草太さん、あとで私のコーヒーも飲んで。最近凝ってるの」

「ああ、SNSで見たよ。コーヒーサイフォンなんて本格的だね」

「うふふ、そうでしょ」

 旦那は私の淹れたコーヒーをちびちび飲みながら、店が閉まるまでカウンターに居座った。とっとと上に行けと言っても、一人で三人と会うのが嫌らしい。変なところで気が小さいのだ。旦那は自分は座ったまま、店の後片付けをする私たちを、しみじみと眺めていた。

 旦那の不安をよそに、三人とはすぐ打ち解けたようだった。みどりはこの日のために豪勢な食事を振舞ったし、一孝は女所帯の愚痴を吐き出していたし、みのりはどうゆうわけか肩車をしてもらっていた。私が手助けをする必要もなく、旦那は彼らに馴染み、むしろ私一人蚊帳の外だった。

 春美が帰ってきたのは、日の跨ぐ直前の夜中だった。春美のものと思われる階段を登る足音が聞こえた。そのままこっちに来たかと思ったら、ドアの下からススっと一枚の紙きれが滑り込んできた。

『書類ありがとうございます。大切にします。』

 とだけ書かれた紙を残して、部屋から遠ざかる足音が聞こえた。

 結局、旦那と春美が再会したのは、次の日の朝だった。珍しく早く起きてきた春美は、食卓の旦那に「へーい、草太さん、お久しぶり!」といつもの調子で肩をバンバン叩いた。

「おお、春美ちゃん一年ぶり。何か賞を獲ったんだって? おめでとう」

 旦那はまるで何度もシミュレーションしたかのように言った。

「そう! 写真見る? 多分意味わかんないけど」

 そう言って春美はスマホの画面を旦那に見せた。

「ほんとだ。わけわかんないや」

 旦那は笑った。

 私は台所で目玉焼きを焼きながら、不器用な二人のお芝居のようなやり取りを眺めていた。


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