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喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
一章 石田みどり
3/40

石田みどり③

 衣類、寝具、洗面用具、教科書、アコースティックギター、仏具、エトセトラ。

 引っ越しはあっけなく終わった。自転車を車に乗せるのに少々手間取ったくらいだ。

 残った家具は、まだしばらく社宅に置いてもらえることになった。

「いつでも来てちょっとづつ整理したらいい」

 そう言うと所長さんは私に封筒を差し出した。

 中身をあらためると学生にはびっくりするような大金が入っていた。

「いただけません」

 慌てる私に所長さんは

「大人になったら返しに来なさい」

 とぶっきらぼうに言った。

 どれほど迷惑をかけて、どれほどの庇護を受けて、私は生きるのだろう、と思った。しかしそれを口にしたら、また子供のくせにとたしなめられるのだろう。

 することもなく畳に大の字になりながら、小さなちゃぶ台が欲しいな、などと考えているとスマホにLINEの通知が来た。

『片付けが済んだら店まで下りておいで』

 輝美さんからだった。

 暗い階段を降りると、ダイニングでは一孝が受験生でもないのに参考書を開いていた。

「さきほどはありがとうございました」

 布団を運ぶのを手伝ってもらったので、私は彼に礼を言った。

 一孝は振り返ると紳士的に微笑み「気にしないで」と言うと、すぐにまた参考書へ目を落とした。

 日曜の夕方に勤勉だなあと、私は感心半分あきれ半分でそそくさと一階へ降りた。

 店に入るのは初めてだった。

 ザ・喫茶店といった店内は、閉店間際とあってガランとしていた。

 エプロンをつけたいぶきが、カウンター席で退屈そうに足をぱたぱたとさせているのが愛らしかった。

「ほら、ここ座って」

 輝美さんが私をカウンター席へ促した。いぶきの隣だ。そこには淹れたてのコーヒーとイチゴのショートケーキがあった。

「引っ越し祝い。本当はそばにすべきなんだけど私アレルギーなんだ」

「あれかゆいよね」といぶきが遠くを見たまま言った。「私はエビが駄目」

「まあ召し上がれ」

 私もそばよりはケーキのほうが嬉しい。父が甘いものが苦手だったので、ケーキといえば誕生日とクリスマスにしかお目にかかれなかった。

「コーヒー、私が淹れたんだよ」

 ケーキにフォークを突き刺していると、いぶきが言った。

 それは是非ともいただかねば。私はすぐさまカップを口に運んだ。苦くて暖かいそれは体にしんと吸い込まれた。

「おいしい」

 心の底からそう思った。

「いつもここでバイトしてるの?」

 私はいぶきにたずねた。

 彼女は首を横に振った。

「まだ中学生だから、お手伝い」

「そう、偉いね」私は輝美さんを見た。「私もここで働くんですか?」

 彼女は少し困った顔をした。

「あなたがそうしたいなら、それもいいよ」彼女は我が子を諭すように「なんでも急いで決めようとしないで」

 私は「ごめんなさい」と言った。

「いぶきはいつからここにいるの?」

 私は思い切って、彼女の名前を呼んだ。ここの住人たちはみな、それぞれを下の名前で呼ぶ。

「小5」

 と彼女。

「古株だね」

「うん、春美ちゃんが来るまで一人」

 それ以上は踏み込めなかった。私は再びカップに口をつけた。ここにいるのは私を含め特別な事情のある子供だ。世間話の延長で踏み込んでいいことじゃない。

「もう店閉めるけど、夕飯何がいい?」

 洗い物をしながら、何気ない感じで輝美さんは言った。

 私は驚いた。

 いままで夕食はほとんど自分で作っていたので、すごく新鮮な質問だった。私はいつも自分で決めていた。学校の帰りにスーパーに寄って、台所に立って、父の帰りを待っていて。それが日常だった。

「私に作らせてください」

 思うより先に口に出していた。きっとまたやさしくたしなめられるだろう。それでもと私は言った。

「それが私の普通なんです。自然なことなんです。だから大丈夫です、やらせてくださいお願いします!」

 いぶきがそっと私の袖をつまんだ。

 しばらくして輝美さんが口を開いた。

「6人分だぞ」

 

 それから毎日、私は、台所に立った。

 長年培われた私の家庭料理は、特殊な環境で育った同胞たちには好評だった。

 彼らはときおり、私の包丁さばきを、餌を待つ小鳥のように眺めた。

 誰かが私の料理を待っている。私は大皿いっぱいに、チンジャオロースを叩きつけるように流し込む。

 これでいい。賑やかな食卓に、汚れた皿が増えだすとき、私は一人そう思う。

 これでいい。これでなら、やっていける。

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