メリッサ皇妃殿下の追跡《エレン side》
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────時は少し遡り、ルパートと別れた直後のこと。
メリッサ皇妃殿下を追い掛けて森へ入った私は、案外あっさりターゲットを見つける。
というのも、相手が慣れない獣道で苦戦していたため。
思ったより、奥に進んでなかった。
「退路を塞ぐ形で、陣形を組める?」
三十メートルほど離れた場所に居るメリッサ皇妃殿下を見据え、私は騎士達に指示を出す。
すると、彼らは『はっ!』と一斉に返事して相手を包囲した。
これで、本当に逃げ場はない。
「あ、貴方達!騎士を蹴散らしなさい!」
メリッサ皇妃殿下は焦った様子で部下の一人を突き飛ばし、『何とかして!』と叫ぶ。
マーティンの足止めが効いていないことに、少なからず不安を覚えているようだ。
『ここまで取り乱すなんて、珍しい』と感じる中、あちらの部下達は急き立てられるように武器を構える。
「おや?やり合うのかい?君達じゃ、この包囲網を突破するのは無理だと思うけど」
こちらの戦力はしっかり訓練を受けた騎士、およそ三十人。
それに対して、あちらは暗殺者みたいな風貌の男性五人程度。
人数差を考えても、歯向かうのは無謀と言える。
「まあ、それでも頑張ると言うなら構わないよ。受けて立とう。でも、ここで剣を下ろしてくれるなら君達の命までは取らない」
言外に『メリッサ皇妃殿下を見捨てろ』と告げると、あちらの部下達は顔を見合わせた。
どうする?と問い掛け合うように。
「ちょっと、貴方達……!何をしているの!?早く騎士を殺しなさい!」
『私の言うことが、聞けないの!?』と憤り、メリッサ皇妃殿下は目を吊り上げる。
────と、ここで先程彼女に突き飛ばされた部下が武器を捨てた。
かと思えば、メリッサ皇妃殿下の腕を掴んでこちらに投げる。
差し上げます、とでも言うように。
「貴方の提案を受け入れます」
こちらの目をしっかり見て宣言し、彼は両手を上げた。
すると、他の者達も同じように降参の意思を露わにする。
「なっ……!?」
あっさり手のひらを返した部下達に震撼し、メリッサ皇妃殿下は絶句した。
その傍で、部下達は大人しく拘束を受ける。
「さて────これで味方は誰も居なくなりましたね、メリッサ皇妃殿下」
彼女の正面に立って、私はクスリと笑みを漏らした。
「まあ、当然の結果ですよね。貴方は誰も信じず、愛さず、尊重しなかったのだから。人の上に立つことしか覚えなかった末路が、これですよ」
言葉の端々に悪意を滲ませ、私は侮蔑の籠った目でメリッサ皇妃殿下を見下ろす。
と同時に、スッと表情を打ち消した。
「実に滑稽ですね」
吐き捨てるようにしてそう告げると、メリッサ皇妃殿下は反射的に顔を上げる。
真っ赤な瞳に、未だ嘗てないほど強い感情を宿しながら。
「私を……私を見下ろすんじゃないわよ!」
怒ったような……嘆くような声色で叫び、メリッサ皇妃殿下はこちらへ手を伸ばした。
その瞬間、騎士達が間に割って入り、彼女を取り押さえる。
だが、火事場の馬鹿力とでも言うべきかメリッサ皇妃殿下は騎士達を押しのけてこちらに向かってきた。
おっと、これでは生け捕りはちょっと難しいかな。
きちんと連れて帰って、罰を与えたかったんだけど……仕方ないね。
おもむろに剣を引き抜き、私はメリッサ皇妃殿下の胸に突き立てる。
途端に目を剥いて立ち尽くす彼女の前で、私は剣から手を離した。
すると、メリッサ皇妃殿下は事切れた人形のように倒れ込む。
「っ……ぐ……ぁ……」
致命傷を負っても尚こちらへ向かってこようとするメリッサ皇妃殿下は、必死に手足を動かした。
が、立ち上がることなんて出来る筈もなく……ただひたすら地を這う。
その何とも無様な姿に、私はつい笑みを漏らした。
「こ、の……笑うんじゃ……ない、わよ……!」
メリッサ皇妃殿下は半ば喘ぐようにして言葉を紡ぎ、歯を食いしばる。
と同時に、悔し涙を流した。
「あ、なた達は……いつも、そう……わた、しのことを……嘲笑って……馬鹿に、して……見下し、て……だから……誰にも見下、げることの出来ないような……存在に……なろう、と……思った、のに……」
────出来なかった。
とは言わずに、メリッサ皇妃殿下は顔を歪める。
多分、失敗を認めるのが嫌だったんだと思う。
何とも往生際の悪い彼女を前に、私は深い溜め息を零した。
「嘲笑って馬鹿にして見下す、ね……貴方の心の底にある本音は、それですか」
声色に落胆を滲ませ、私はおもむろに前髪を掻き上げる。
「ハッキリ言って────くだらないですね」
「!」
『なんですって!?』とでも言うようにこちらを睨みつけ、メリッサ皇妃殿下は歯軋りした。
怒りのあまり目を血走らせる彼女の前で、私は肩を竦める。
「だって、メリッサ皇妃殿下のことを嘲笑ったり、馬鹿にしたり、見下したりしていない人もちゃんと存在するのに……貴方はそれを見ようとしなかったじゃないですか」
『何故、否定的な人間にばかり目が行くのか』と呆れ、私はそっと目を伏せた。
脳裏に金髪翠眼の女性を思い浮かべながら。
「少なくとも────私の母は貴方のことを同じ妃として、対等に見ていましたよ」
─────という言葉を皮切りに、私は昔の……母が生きていた頃の記憶を呼び起こす。
最後にちょっと昔話でもしてあげよう、と思って。
「────母上、試験で満点を取りました」
そう言って、皇后イライザ・ハドリー・イセリアルの部屋に訪れたのはまだ少年と呼ぶべき年齢の私だった。
テスト用紙片手に母の元へ駆け寄る私は、当然の如く隣へ座る。
だって、ここは私の定位置だから。
「あら、凄いじゃない、エレン」
母は私の手にあるテスト用紙を覗き込み、僅かに頬を緩めた。
かと思えば、私の頭を優しく撫でる。
「この試験、とても難しいのによく頑張ったわね。エレンの努力が実を結んで、私も嬉しいわ」
まるで自分のことのように喜び、母はうんと目を細めた。
『お祝いしないとね』と声を弾ませる彼女を前に、私はニコニコと機嫌よく笑う。
母に褒められるのが、ただただ嬉しくて。
『頑張った甲斐があった』と思う中、ふと視界の端に見覚えのない箱を目にした。
棚の陰に隠れるような形で置いてあるソレに、私は視線を向ける。
と同時に、ハッと息を呑んだ。
「……死骸?」




