第12章、嵐の日の来客➀
アリシアーレンの家を出て、近所で一人暮らしを始めたギア。
ギアが毎日アリシアーレンの家に通うため、家が別という以外、特に変化はなく、二人の関係性に何かしらの変化を期待していたギアは、拍子抜けしていた。
とは言え、“自分の家”というものを持ったことは、ギアの心境に多少なりとも変化をもたらした。
(ほとんどイーラがいるとはいえ、家で一人過ごすというのは、こんなに静かなものなんだな。)
ギアは、お喋りは嫌いではないが自分から話題を提供することを得意とするわけでもなく、元から自分のことは自分で何でもする。イーラのように自分から積極的に会話をするわけでも、アリシアーレンのように他者に世話を焼いてもらうわけでもないと、コミュニケーションを取る機会は多くない。コミュニケーションが少ないということは、自分のことに集中する時間が多いということであり、その時間は自然と静かになる。
イーラは、お喋りする時間が減って退屈な時もあるのか、アリシアーレンの家に泊まることもあった。そんな時、ギアは家で完全に一人になり、あれこれ物思いにふけることになった。「自分は今まで“独り”になったことはなかったんだな」とか、「アリシアが自分を一人の男として見てくれるには、どれくらいの時間がかかるだろうか」とか、「一人前の魔法使いになったら、どう生活していくか」とかである。
さて、一方、アリシアーレンとはというと。
(また夜が寂しくなるわね…。)
ほとんど全く変わりがなかった。というのも、アリシアーレンはすでに何人もの弟子を取り、巣立ちを見送ってきた経験があるため、一人の静けさというのには慣れていた。
親心として一人暮らしを始める弟子に対する心配や不安は多少あれど、優秀なギアのことだ。何も問題は起こらないだろう。
…などとアリシアーレンは考えているが、魔法使いの弟子というのはギアが初めてであるため、今まで育ててきた弟子たちより心配が強く、近所に用意していた家に住まわせた、というのが正しい。
さて、こんな変わったのか変わらなかったのかよく分からない二人だったが。
ギアがアリシアーレンと別居して三週間目に入ろうかというところで、一騒動は起こった。
ある午前のこと。ギアは、アリシアーレンの家で二人と一匹で食べた朝食の片付けを終えたところだった。
ギアの一日は、まずアリシアーレンの家に行って朝食を作るところから始まる。準備を終えるとイーラにアリシアーレンを起こしてもらい、共に朝食を取る。その後、食べた物の片付け、掃除、洗濯などの家事を一通り終わらせ、アリシアーレンによる魔法の授業を受ける。腹が空く中、昼食の準備をして食事を取り、アリシアーレンの仕事の補佐をした後、休憩の時間を取る。授業や仕事の補佐がなければ、自習という名の自由時間を満喫する。夕食の準備をして、アリシアーレンとイーラと他愛もない話をしながら食事を楽しみ、片付けをした後に、アリシアーレンに「おやすみなさい」を言って家に帰る。…それが、ここ最近のルーティーンだ。
アリシアーレンが、掃除を始めるか嵐の備えを先にするか迷っているギアに声をかけた。
「ギア、今日は授業はお休みにしましょう。嵐が本気になる前に、外のものを避難させなきゃならないし、あなたもイーラも家に帰らなきゃ。」
「分かりました。」
その日は朝から風が強く、雲行きが怪しかった。
昨夜から多少強めの風が吹いてはいたが、今朝になって嵐が来ることを察する天気になった。
「そろそと雨が降り出すわ。」
「ええ。雨が降り出す前に、まずは外のものを片付けましょう。」
二人は合羽に袖を通し、外へと出る。冷たく湿った風に吹きつけられながら、家の周りの外に置いているものを次々と手際よく片していく。運べる軽いものは倉庫や家の中に入れ、大きくて重いものは魔法で安全な場所へ移動させ、動かすことのできないものに関しては、布やロープ、石などを使って保護し、固定した。壊れたら困るものに関しては、一応、保護魔法をかけておく。
作業の中盤、イーラが慌てた様子で家から飛び出した。彼女専用の合羽に身を包み、一匹で森の中へと入ろうとしている。
「おい、イーラ!危ないから家にいろって―――」
ギアが声を張り上げ注意しようとすると、イーラもまた声を張り上げた。
「あたしのリボン、森の中に置いてきっぱなしなのよ!今のうちに取りに行かないと、絶対に飛ばされちゃう!」
昨日、一匹で森に入った際、ある木にリボンを引っかけてしまったイーラ。無理に引っ張れば破れてしまうと、一旦 諦めて家に帰ってきたと、帰宅して即、二人に報告した。その際、もう暗くて危ないから明日 回収しに行こうと話していたことを、二人は思い出した。
「お前一匹で行ったら、リボンより先にお前が飛ばされるぞ!リボンなら新しくやるから、今回は諦めて―――」
「いやよ!お気に入りなんだから!それに、今ならたぶんまだ大丈夫よ!」
ギアの引き留めに応じず、何が何でも取りに行こうとしているイーラを見て、アリシアーレンは口を挟んだ。
「待ちなさい、イーラ!私が一緒に行ってあげるから。」
そう言うとアリシアーレンは、家の中に一度入り、箒を手に戻ってきた。
「ギア、こっちは私に任せて。外の片付けはほとんど終わったし、あなたは先に家の中に入って、食事の用意をしておいてちょうだい。」
「すみません、先生。お気を付けて。」
リボンを回収しに行っている間に風や雨が強まっても、自分よりアリシアーレンの方が魔法で上手く対処できる。そう確信を持って送り出すギア。
「ええ。温かいお茶の用意をお願いね!」
そしてアリシアーレンはイーラを胸に抱いて箒にまたがり、小雨の中、飛び立った。
数十分後。そろそろ帰って来ても良さげな時間。アリシアーレンとイーラはまだ帰って来てなかった。
霧のような小さな小さな粒だった雨は、もうすっかり音を立てて降り出していた。きっとあと一・二時間もすれば、大きな雨粒が強く屋根や壁を打ち付ける轟音を聞くことになるだろう。思っていたよりも天候が悪化するのが早い。
(遅いな…。何かあったんだろうか。)
もう少し時間が経ったら探しに行こう。そう考え、食事の準備をしつつ、窓から外を眺めていたギアは、どんよりとした暗い空に浮かぶ小さな影がこちらに近付いて来るのを発見した。ああ、アリシアーレンとイーラが帰ってきた。そうほっとしたのも束の間。
(…ん?)
よく見ると、それはアリシアーレンより大きな影のようだ。だが、真っ直ぐアリシアーレンの家に向かって飛んでいる。
不審に思ったギアは、鍋の火を止めて、玄関へと向かった。




