第19話 愛しの暴食
────『暴食』の悪魔、白鯨のエイグは常に飢えで苦しんでいる。もう過ぎ去ってしまった生者としての時は戻ってくることはない。昔、大西洋を中心に船を襲ってからは恐れられる伝説となり、死して尚その白鯨は他の生物を食らっていったのだ……
その鯨は生まれついた時に母を無くした。母鯨は出産と共に力尽いてしまい、最期に愛する我が子が生まれたと自覚した時にはもうその魂は体を離れ、子を置き去りにしてしまった。
鯨の群れの中では唯一の親無し、何より鯨の社会は白い鯨を認めなかった。アルビノという体の染色体異常が原因で、全身が真っ白の生物の事を指す。
そんな厳しい自然社会にその鯨は適応することができず次第に仲間からも見捨てられた。
だが、奴にはこの世でたった1つの快楽があった。孤独も悲しみも忘れ、ただただ夢中になることができるものが。
それは──食である。
小さなえびや子魚などの少し刺激的な味から始まった。彼はマッコウクジラ、肉食で小魚からダイオウイカまでも喰らう。普通なら本能が優先的に動くがゆえに食事をとる。しかしその鯨は違った。──食欲を満たすという"快楽”を得るために捕食したのだ。
口の中で踊るように泳ぎ回る魚達、自分よりもはるかに大きく時には互いに争い合うダイオウイカ、またある時は自分を捕食しようとするシャチの群れをもその鯨は喰らった。
どれも食感や味はバラバラ、普通ならそんなことは動物が気にするわけがない。しかしその鯨は……味覚が発達していた。自然界において当時の世界では最も食に関して人の次に発達した生物だったのだろう。
孤独な環境は鯨に知を与え、欲を与え、快楽を与えた。全ては偶然か必然かは分からない。だがそれが海の中において異質な存在であったのは確かなことだ。
その牙で魚やイカの体を噛みちぎり、海水に溶けてくる血の味を感じながら肉を咀嚼して、1つ1つの味や感触をいやらしいほど堪能して楽しみ、食をすることが生きる喜びだと他の生物の中で最も感じた一生を過ごした。
時に船や人も襲って喰らったその鯨をある者は倒そうと奮起し、またある者は小説などの文献に書き記した。
鯨が己の死を知った瞬間に思ったことは単純明快だった。
『まだ食べたい』
そんな人間味すら溢れるような純粋な思想。生存や子孫繁栄の本能にのみ生きている生物達とは一線を画した瞬間が最期にも訪れた。
死後、地獄の魔王や閻魔大王からその名と権限を与えられた白鯨──エイグは、悪霊や魔獣という未知なる餌の味を知ることとなった。
その存在達は、今までにないもので溢れていた。
大地や空を生きた者達はもちろん、霊力の多さがバラバラで常に味が予測できない妖怪、短い年月で発達し個体により様々な"美味”がある悪霊。新鮮でどれも食べ尽くそうにも食べきれないほど多くある美味は、エイグにとって楽園に他ならなかった。
──エイグには与えられた権限も、委員会や悪霊と戦う者達の運命もどうでも良かった。
己の腹を満たすこと、ただそれだけができれば十分なのだ。
他に起こることなんて、全てどうでもいいのである。
彼が今まで1度も自分の腹を、そして愛を満たせた者は誰もいない───
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その暴食の権化が、優人の真上の空に浮かんでいた。その白鯨は『食べて良い』という合図をひたすら待っていた。
「これが私の大罪、『暴食』の悪魔のエイグだよ。今まで優人に見せたことなかったじゃん?お披露目ー。その間私は優人にご褒美タ〜イム!」
そう言って香菜はベンチで寝そべる優人の頭を自分の膝に乗せ、優人の顔を狐の妖怪の方向に向けさせた。
「私の能力『ソウルイーター』はね、ある程度霊力ある悪霊だと、触れるか敵から多少霊力盗らないと発動しないんだよねぇ……これなら私の霊力全体の2割を削れば発動するから」
香菜はパチンと指を鳴らして合図するとエイグは咆哮した。
空気が震えるほどの鳴き声で狐を威嚇している。そもそももう既にその体の大きさが規格外なのだ。大罪の悪魔になったせいなのか、普通の鯨に比べて遥かに大きい。狐は逃げることも攻撃することもできずにエイグの前で固まっている。
「……イート」
その声を聞いた瞬間、白鯨はその巨大な眼をギョルンと見開く。水面の葉のように宙をプカプカと浮いていたエイグは様相を変える。歯を剥き出しにし瞳孔を開門して、口からヨダレのように冷たい霊気を吐いた。
────そしてエイグ消えた。
何が起こったのかは優人はおろか狐も分からなかった。だが数秒後の視覚情報で彼らはようやく理解した。
──狐の肩が抉られたように食いちぎられていたのだ。
香菜が攻撃した時のように、肉眼で捉えられないような速度で霊力で構成された狐の肉を喰らっていた。エイグは狐の背後に浮いていて、その凶刃な歯で肉を貪っている。
『キュヤアァァ!!』
狐は遅れてやって来る痛みのあまり、先ほどまでの静寂が嘘のように叫び、苦しみ悶え、のたうち回った。
だが白鯨に慈悲はない。もう狐はエイグにとっての"捕食対象”として認識されてしまったのだ。天災を防ぐことのようにそれは免れることのできない事実だ。
──エイグは己の巨体を狐にぶつけ、その尾ひれを容赦なく狐に打ちつける。
牙で狐の足を1つもぎり取り、悲鳴の中でエイグは歓喜している。
白鯨の目はこの星空を写したように目を輝かせ、恍惚としたような様子でゆっくりと狐の体の一部を咀嚼する。生物の血の味わいこそないが、霊力でしか得られないこの美味がある。だがそれはエイグにしか分からない……
このまま食わせるのもいいが、あえて香菜は最後に自分の見せ場を作る。自分の悪魔であるエイグが霊力を捕食という形で供給したため、暴食の能力が解禁された。
「おぉ、やっぱすぐ食べちゃうね。じゃ……ドォーン!!」
香菜が手を振ると狐の霊力は調和が乱れ、細かくバラバラに活動を始めてしだいに暴走してくる。体の中を高速で龍が這うように霊力が『ソウルイーター』によって侵食されていく。
『キュイィアバァァアッ──』
狐の体は最期、強烈な光を放ちながら爆ぜる。花火のように爆発で霊力が広がると香菜は 一度その霊力を収縮させ、狐の体を構成していた霊力をエイグの食べやすいサイズの球体に変換させた。
エイグはそれを見ると、犬のように飛びついて丸呑みにした。
霊力を味わい飲み込んだ時のエイグの顔は心無しか笑って見える。
「ふぅ、お疲れエイグ! お休み……」
エイグは白い煙のようになって、香菜の体に吸収される。
エイグを戻して香菜が優人の方を見ると、狐を捕食していた時のエイグのように目を輝かせていた。
「──どうだった? 私の悪魔」
「ものすごくカッコ良かった! いつか僕も、あんな悪魔を使えるようになって香菜ちゃんを守りたいなぁ」
「っ~!!あっ……やられた」
お決まりのピュア惚気で、香菜はノックアウトされた。ピュアで真っ直ぐな優人の言葉は香菜には何ものより変え難い。
「ふんふんふ〜ん」
悪霊を倒した上、新たに技術が進化した優人はこの日はとても良い気分であった。
「あぁ、優人の肩……優人の髪…………」
優人のピュア攻撃でフラフラになった香菜を支えながら2人仲良く家に帰った。ちなみに2人はお隣さん同士だ。
──翌日登校した時、零人が帰ってきた。
「おいッス優崎ー、帰ったぞ」
「零人君! 見て見て〜」
優人はあの刀を精製して零人に見せる。その刀の完成度の高さに零人は驚愕し、優人を褒めた。
「うぉ!?こいつはすげぇ……お前成長したなぁ!」
「えへへ〜」
零人に褒められて、無邪気にはしゃいだ優人だった。





