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第15話 星図の深淵、重なる双星の秘密



1. 準備のあわい、深まる信頼


 三沢との『流美星出るみせで』での夜から数日。


 地下ホールでの「クラブ・ナイト」計画は、驚くべき速さで具体化していった。


 燈子は大学の講義が終わるや否や、はやる鼓動を抑えきれずに翠松町へ駆けつけ、エプロンを締める前に地下へと降りる日々が続いた。


「店長、モナカたちが当日のセットリストを送ってきました! 前半はソウルフルに、後半は一気にハイテンションで攻めるそうです」


「いい構成だね。じゃあ、僕はライティングのプログラムをそれに合わせて組み直しておこう」


 昼間は『箸と匙』の新人給仕として直希の厳しい視線に背筋を伸ばし、夜は地下で理人と肩を並べて機材のチェックに没頭する。燈子にとって、この二重生活は不思議なほど心地よかった。


 魔法という、人知れぬ宿命さだめを隠して生きる孤独な自分にとって、理人と二人きりで巨大な「秘密の基地」を組み上げていく時間は、どんな薬よりも深く彼女の心を支えていた。



洋紅色の残照が届かない闇の底で、重厚な機材を繋ぐケーブルを這わせるたび、確かな絆が編まれていく。


 理人は、そんな彼女の献身的な働きを、何も言わず穏やかな眼差しで見守っていた。


ただ、彼女が自分を信頼し、この場所に居場所を見つけてくれていることが、彼には何よりも尊く、慈しむべきものに思えた。






2. 運命の深夜、静寂の深淵



 事故が起きたのは、イベントを三日後に控えた深夜のことだった。


 地上では酒井が明日の仕入れのために眠り、デビーの店も深い静寂に包まれている。


地下ホールのスピーカーからは、テスト用の微かなアンビエント・ミュージックが、寄せては返す波のように流れていた。


「店長、上手のギャラリーにある照明、少し軸がズレている気がします」


「本当だね。今のうちに調整してしまおう」


 理人は高さ四メートルを超えるキャットウォーク(回廊)へと登っていった。


ここは、理人が音響を極めるために自ら設計した聖域だ。


 燈子は下から、鉄の回廊に佇む理人の背中を見上げていた。


その時、ふっと心臓の奥が氷水を流し込まれたような冷たく鋭い予感に脈打つのを感じた。


 理人が、一番大きな特製スピーカーの影に手を伸ばしたその時だった。


 重厚な鉄のボルトが、永い張力に耐えかねて限界を迎えた。


「――っ!」


 鈍く、狂おしい金属の断裂音が、ホール全体に響き渡った。


スピーカーの固定金具が激しく弾け、逃げ場のない理人の身体が、巨大な鉄の塊と共に、無情にも宙に投げ出された。






3. 暗転、そして秘密の交差


「理人さん!」


 燈子の叫びが、ホールの静寂を無惨に切り裂いた。


 理人の身体が逆さまに落下していく。床は冷たく、硬いコンクリート。


そのまま墜落すれば、命の保証はない。


 考える時間はなかった。


正体を隠すという誓いも、日常を守るための慎重さも、一瞬で吹き飛んだ。


燈子は右手を突き出し、その掌に全身の魔力を、魂ごと凝縮させた。



(――げ!!)



 燈子の叫びと共に、空間そのものが粘り気を持つ透明なクッションへと変貌した。


激突の直前、理人の身体はまるで目に見えない巨人の手に抱きかかえられたように、床スレスレでフワリと、嘘のように静止した。


重力に抗い、理人を無傷で着地させたのだ。



「……はぁ、はぁ……」



 燈子は肩で激しく息をつき、恐怖で膝が震えるのを止められなかった。




やってしまった。




店長の前で、魔法を、それもこれほど決定的な力を使ってしまった。



 しかし、安堵する間もなかった。



理人を救った反動で、キャットウォークから完全に外れた数百キロのスピーカーが、今度は不規則に回転しながら、真下に立ち尽くす燈子を直撃しようと落下してきたのだ。




「きゃ――っ!」




 あまりの重量感に、二度目の魔法を編む猶予は、燈子にはもう残されていなかった。




彼女は反射的に腕で頭を庇い、迫る衝撃を覚悟して目を強くつぶった。






 ……だが、肉体を押し潰すはずの轟音は来なかった。代わりに訪れたのは、耳が痛くなるほどの、この世のものとは思えない凄まじい「静寂」。




 恐る恐る燈子が目を開けると、そこには絶望を拒絶する奇跡が、虚空に浮いていた。



 燈子の額の、わずか数センチ上。数百キロの巨大なスピーカーが、まるで時間が完全に停止したかのように空中で固定されていた。



「えっ……? わたし、何もしてないのに……」




 燈子は視線を、ゆっくりと床に落とした。




そこには、着地した姿勢のまま、一歩も動かずにこちらを見上げている理人がいた。



 彼は指一本動かしていない。超能力の発動に、彼にはいかなる身体動作も、詠唱も必要なかった。




 ただ、その瞳だけが。




 いつもの穏やかな琥珀色を完全に捨て、鋭く、凍てつくような銀色の光を放っていた。




その光の視線が、落下物の慣性そのものを、空間ごと釘付けにしていたのだ。




 理人の銀色の瞳が、燈子の恐怖で揺れる瞳を貫く。



二人の持つ、異なる根源から溢れ出した「秘密」が、地下ホールの闇の中で衝突し、眩いばかりの共鳴を上げた。



 理人は静かに右の手のひらを下に向ける仕草だけで、浮いていたスピーカーを音もなく脇の床へ着地させた。



そして、瞳の銀色をゆっくりと収めながら、燈子を見つめた。



その顔には、隠しきれない安堵と、それ以上の深い納得が滲んでいた。




「大丈夫かい?」



 理人の低い声が、静まり返ったホールに波紋のように広がった。




 彼は心は読めない。



けれど、彼はなんとなく分かっていたのだ。



彼女の周りだけが、いつも優しく凪いでいる理由を。



今日この瞬間、確信へと変わったその真実を。




そして――。


――後に、判明することになる。


あの日、天井からスピーカーが脱落した事故は、誰かの過失によるものではなかった。


重いスピーカーを長年支え続けていた固定ボルト。その金属の芯の奥深くに、外観からは決して判別できないほど微細な金属疲労が蓄積していたのだ。


それは、どれほど綿密な定期点検を重ねても発見が極めて困難とされる、ごく稀な破断に過ぎない。


だが、その目に見えないほど小さな亀裂は――


二人が胸の奥に隠し持っていた秘密を、逃げ場のない白日の下へと引きずり出した。


理人の銀の瞳。


燈子の魔法。


それまで別々の軌道を巡っていた二つの秘密は、この夜、ついに互いの存在を知ることとなる。


その隠し事が重なり合ったこの場所から、翠松町の夜は、もはや誰にも止められない深淵へと漕ぎ出していく。


 





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