五話 華麗なる騎士リーンフェルト
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野盗討伐
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昼間──太陽が真上に昇り、容赦無く旅人達に照り付ける。
夜の眷属であるグリンは大人しくしている時間であるが「近道のため人の往来が減りやや危険度が増す」とハンクに聞かされたので、少年はいつでも活動できるように身構えていた。
ただ眠気には勝てずこっくり、こっくりと頭を揺らし始めた。制御できなくなってきている。
「あの、これ何とかなりませんか……」
そんな寝落ち寸前のグリンにアーシュラが話し掛ける、その足と首には鈴が着いていて、彼女が動く度に音が鳴る。
「あの、あたし猫とかヤギとかじゃないのでえ……」
「ん……ああ、その鈴のことか。馬車に積んだ荷物を持ち逃げされたら困るからな」と肩を回し、首を左右に揺らすグリン。
「そ、そんなことしませんよ!」
「鈴がついてりゃ野生のグリフォンに捕まって巣に放り込まれても探しにいけるだろ」とハンク。
「連れ去られる前提なんです?」
腹を空かせたグリフォンの家族が狩りの対象にあなたを選んだとしたら──ほぼ助からないと考えたほうが良い──それぐらいグリフォンは狩りが上手い。
「まあ、俺や相棒は自力で脱出できるかも知れんが、お嬢ちゃんじゃ無理かもな。まあ死んだふりでもしてやり過ごすのが一番だ」
「いやグリフォンとか、荒れ野にでも行かなきゃ出ないですよぉ」
「ははは、この辺でもな、出た例はあるらしいぞ。羊獣人族に次いでリス獣人族の被害が多いんだ。知ってるだろ?」
ハンクが笑いながら語りだす。
「ひええ……!?」
グリンはこういう他愛もない会話をしている空間に居心地の良さを感じた。鐘楼館で昼寝の最中に年少の緑組の子達がくだらない事で騒ぎ出したため耳栓をしてやり過ごした記憶がよみがえる。
うとうとし始めるグリン。
「ああ、相棒。いいから交代まで寝てろって」
「すまない──」
すぐに眠りに入ったグリンを見つめるアーシュラ。
「夜の眷属、って言うぐらいなのでお昼に寝るんですね」
「昼夜関係なく、寝たい時に小刻みに寝るんだと」
「へぇ〜」
闇妖精に限らず夜の眷属達の生態は明らかにされていない。これはグリンのように協力的な者が居なかったせいだ。
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華麗なる騎士リーンフェルト
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小さな街には不似合いな、背の高い麗人が供の者を連れて町長の屋敷でお茶を飲んでいる。その丹念に手入れされた艷やかな髪の毛は、ややしっとりとして真っ直ぐに流れている、陽光を反射して光り輝く淡いオレンジ色よりの赤毛。
ティーカップに注がれた紅茶には、少量の砂糖が入れられている。
「──私どもの兵士……王国軍の脱走兵が野盗の集団に合流して用心棒をしているらしい。そうおっしゃるわけですね」
男性達の中に混じっても目立つほど背が高いが、その声は美しく麗らかな女性のそれだった。
話題に上がった野盗の用心棒の情報だが、鎧兜の形状が似ていただけではなく、何やら階級で呼び合っていたとか言う噂が立ったために王国軍内部では問題が大きくなりつつあった。
誰かが責任を取るか、もしくは噂がこれ以上大きくならない内に排除する必要がある。
そのためにこの麗人は被害のあった街に少ない供を連れてやってきたのだった。
町長は部屋に充満する慣れない香水の匂いに苦慮しながら麗人をもてなしていた。
麗人が身にまとった香水、社交界では控えめで上品な部類なのだが香水を使う習慣のない田舎町では「異臭」に等しい。
反対に麗人の方は田舎特有の生活臭を「異臭」に感じて必要以上に香水を振りまく。
こうして貴族階級と一般人の相互理解は進まず、歩み寄りどころか、益々乖離していく一方だった。
「真偽のほどは定かでは無いですが──可能性が少しでもあるのなら、城の誰かが確かめねばなりません」
麗人の名はリーンフェルト、長身で凛としたうら若き女性。
美しい見た目に反して違和感があるのはその手のひらの大きさと指の大きさ──長く、太く、節が大きい。武具や馬の手綱を扱うのに適した大きさだ。よく見ると足先も大きい。しっかりと大地を踏みしめ、馬の腹を蹴る事に長けていそうである。
長身のノール人の血が入っているのかも知れないが、定かではない。
「ただ残念なことに私の裁量で動かせる兵は少ないのです。助成を頼みたいのですが、この辺りで頼れそうな強者など、どなたか心当たりはないですか?」
そんな心当たりがあるのなら、とっくに助けを求めている。
「我々の方では手を尽くしました。我が町の自警団も三度の戦いでほとんどの者が負傷ないしは疲労しておりまして──協力できてもお役に立つかはわかりません」町長は不満をぶつける先に困っているようだった。
「そういう事ならば街の皆様に無理をさせるわけには行きませんね。わかりました、近隣の集落や旅の者達から腕自慢を募るとしましょうか」
麗人は町長に五日以内の治安の回復を約束すると邸宅を出た。
「夜には戻ります、私の宿泊する部屋をご用意いただきたく──」
麗人の爵位は女騎士。
年老いた伯爵の末娘で、弓の名手に師事して武芸を磨き女だてらに爵位を得た。
弓矢持ち、防具持ち、太刀持ち、馬引き、の四人を従えており、直属の兵は十名。
総勢十五名──町長は不安で胃が痛くなった。
香水臭く外見に気を配る若い女騎士、四名の荷物持ち、十名の兵士と頼りない。
野盗は少なく見積もっても四十名ほど、もっと多いかも知れない。これに十名程度の元・王国兵士を加えると五十名を超す結構な所帯となる。
「貴族が来る、と聞いていたから百名からの部隊を期待したのに……たった十名の兵士とは……返り討ちが関の山か」
窓を開け香水の匂いを追い出しながら町長はつぶやき、それに秘書が答える。
「勝算があるから来たのだと思いたいですが」
「確かに背は高いが、線は細い。剣を持つより香水をつけてドレスを着て舞踏会に出る方が似合っているよ、あの人は」
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厄介事に好かれる性質
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街に入ると街の柱のあちこちに目立つ立て札が掛かっていた。
王国の役人が重要な告知のために使う物である。
そこには貼り紙がしてあり『求む、腕に自信のある強者、近隣の地形に詳しい案内人。拘束時間、一日、ないしは二日間。成功報酬──強者、金貨五百枚。案内人──金貨二百枚』という魅力的な内容がインクで力強く書き込まれていた。
アーシュラがそれを目聡く発見してハンクの横で軽く飛び跳ねた。
「すごいです〜! 一日案内するだけで二百枚ですよ! それに腕に自信ありなら五百枚! 何するんですかね?」
「うーん」
ハンクは、何か良からぬ気配を感じていた。
「まあ、十中八九、命を捨てる──なんていうか、命の値段だな……」
「ひゃっ──!」
夕暮れにはまだ早い時間、一番賑わってそうな食堂に入る。
王国軍の礼服に羽根帽子という出で立ちの男性が一段高い場所に立って色々と説明を行っている。
ハンクに続いてグリンがあくびを噛み殺しながら食堂に入ってくると数名が、ギョッとしてグリンの肌の色を物珍しげに覗き込む。
グリンは油断して、フードを目深に被って肌の色を隠すのを忘れていた。
「──おいそこの」
王国兵はすぐにグリンの存在に気付いてやや高圧的に呼び掛けてくる。
「獣人族と一緒にいるおまえ、何か怪しいな……いま、我々を見て顔を隠したな?」
食堂がざわつき、雰囲気が少し変わる。
ここで逃げたり誤魔化したりする方が余計に事態をややこしくする。
「ハンク? どうしたら良い?」グリンは相棒に尋ねる。
「よくわからんが大人しくしておこう──あ、お役人様、俺はこいつの連れなんですが……ちょ〜っと別室で詳しくお話させてもらっても良いですかね?」
「……」
王国兵は顔を見合わせて二言三言交わす、ひとりが「あれはまさか闇妖精なのか?」という声が聞こえた。当たり前だがあまり歓迎されていないらしい。
「おまえの素性が、新たな混乱をこの地に起こすものかどうか、軽々に判断するべきではない。リーンフェルト様に直接目通しをしてもらい正邪を見極めてもらおう」
日が暮れるのを待ち、兵士たちはグリンの両手に軽い拘束を施して自らの主である女騎士の待つ町長の邸宅へと連行した。
部屋に待っていたのは椅子に腰掛けた美しい女性だった。
違和感を覚えるのはその背丈、グリンはなんとなく妖精族とは異質の神性を感じた。
「私はターナー家の末娘、リーンフェルト・ターナー。王国の騎士です。この街の治安回復のためにやってきました──失礼ですがあなた方は?」
女性は椅子に座ったまま手でハンク達に挨拶を促した。
「俺〜、わたしはハンクと申します。運び屋や用心棒の真似事をやって生計を立てているケチな男でございます。多少、弓矢と剣が扱えます」
こくり、とリーンフェルトは頷き、グリンの方を注意深く見る。
「俺は、青のグリニエル。見ての通りの闇妖精だ。訳あって人間の領域で生活している──」
「妖精族──よく年齢がわからないのですが。あなたは一族の中では若い? 子供なのですか?」
「そうだな」
「なぜこちらのハンクさんと──人間と旅をしているのですか──」
「俺は王国の臣民ではないから、おまえの質問に答える義務はない。ただ、俺は人間社会に危害を加えるために来たのではない、それだけは誓える」
「……あなた達の敬う『祖霊』にも、嘘はない、と誓えますか?」
「もちろんだ、祖霊の名誉にかけて」
グリンは力強く答える
「騎士殿、このグリンというやつは人間族の文化に理解があり、わたしともうまくやれています。生意気ですが根は良いやつなんです」ハンクが援護する。
「ちょっと怖いですけど」と、アーシュラ。
そのようですね、とリーンフェルトは口元に手をやって唸った。
「そこの獣人族のお嬢さん、お名前は」
「あ、はいアーシュラです」
「アーシュラさん、獣人族のあなたからみて、彼は夜の眷属の利益のために動いているような素振りがありますか? 人間族や昼の眷属の生活を脅かしてはいませんか」
魔女から仕事を受けていたアーシュラは気まずさでいたたまれなくなる。案の定、ハンクとグリンの底意地の悪い冷たい視線がリス娘に注がれる。
「あうう……そのー、このグリンさんはどっちかと言うと夜の眷属から狙われてるほうなんじゃないか──と。実際に魔女の──」
「おい! 余計な事を言うな獣人族!」
「ひゃっ、ごめんなさい!?」
グリンは魔女のことを話題に出し始めたアーシュラを一喝する。
そのやり取りを見たリーンフェルトはグリンの目を見て判断することにした。この少年は、平然と嘘をつくほど社会に揉まれていない気がする。
「──私個人は信用しても良いと感じているのですが──王国の騎士という立場上、闇妖精であるあなたをこのまま見過ごすわけには行きません」
「力尽くで従わせる気か?」
「そうですね、あなたが王国のために働くのなら信用して差し上げても良いかと。グリニエルさん、あなたは人間社会の安全に貢献する気はありますか?」
「おまえの言葉は回りくどい……どうしろと?」
「この街は近隣に住み着いた盗賊団のために孤立し、物資や人の出入りがままならない状態にあります──私どもの協力者として、共に秩序を乱す賊と戦えますか?」
「ほー、良いだろう。そういうのは得意だ」とグリン。
「騎士殿、それはあの立て札にあった腕自慢の仕事、という事でよろしいですか。報酬が金五百枚の」ハンクが茶々をいれてくる。
「はい、協力者には金貨五百枚」
「俺──じゃなくてわたしも参加してよいですか」
「ええ、願ったりです、お見受けするに、ハンクさんあなた──私の勘違いでなければ『相当に』お強い方だと……」
意味ありげに目を細めるリーンフェルト。
「ああ、それは勘違いですね」
「そうでしょうか……?」
ハンクはあらぬ方向を向いて居心地悪そうにした。
「さて、そんな事はないと思いますが──敵に寝返ったり、逃亡したり。此方に不利益な行動を取らないよう保証人を立ててもらいます」
「保証人か……あっ」
チラ、とグリンはアーシュラの方を見てポン!と手を叩いた。ハンクもピシャリ、と膝を打ちつつアーシュラを見た。
「えっ」
「……では、そこのアーシュラさんにはグリンさん、ハンクさんが逃げずに協力する保証として、この町長さんのお宅に軟禁させていただきます、良いですね?」
「保証人て単なる人質じゃないですかっ!」とアーシュラ。
「一石二鳥だな」
グリンは半笑いで答えた。
「軟禁って!?」
納得がいかないアーシュラを放置して三人は打ち合わせを進めていく。
翌朝、朝早くから野盗の根城とおぼしき場所に襲撃をかける事になった。
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野盗の根城へ
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王国兵十名、戦闘力があるのか無いのかよくわからないリーンフェルトの従者達四名、自警団八名、そしてハンクとグリン、リーンフェルトの三名──総勢二十五名が野盗討伐のために盗賊団の拠点にやってきた。
小高い丘の中腹にある洞穴を自警団の若者が指差した。
「あそこで間違いありません」
隠しおおせないほどの無数の足跡、馬の蹄鉄の跡、荷車の轍
「ありがとうございます」リーンフェルトは馬から降り馬引きに預けると、弓矢持ちから弓を受け取る。矢筒を抱えたまま、弓矢の従者はリーンフェルトの脇に控えた。
丘は林の中にあり、隠れる場所が沢山ある。
「いますね」
リーンフェルトは林の中に人の気配を感じた。
どうやら既に此方を迎撃する準備を整えているらしい。
「こりゃあ、囲まれてますね」ハンクが苦笑いしながら言う。
「……寡兵の宿命ですね」
いつ弓矢による遠距離戦が始まるか、場は緊張に包まれた。状況は圧倒的に野盗側有利──
「街の方々は無理なさらず、身を守ること、逃げることに専念してください。ハンクさん、グリンさん、おふたりは弓矢のほう、どうですか? お得意ですか?」
「はあ、それなりに。人に教えられる程度には嗜んでおりますね。ぶっちゃけ得意な方です」
「人間族に負ける気は無い」
「良かったです、私も弓矢ぐらいしか人に誇れる特技がございません──ならば、始めても良さそうですね」
一歩、二歩と前に出る女騎士。弓矢を構え、大きな声で名乗りを上げた。
「私は、リーンフェルト・ターナー。王国騎士です。かつて王国の兵士だった方々に告げます。あなた方が投稿するならすぐに命は取りません。言い分を述べる機会を与えます──盗賊に与するのをやめ、おとなしく投降しなさい」
リーンフェルトをせせら笑う声が林のあちこちから聞こえてくる。
「風下か──最悪の位置取りですね」
彼女は独り言を挟んで更に呼び掛け続けた。
「臣民の安眠を脅かす野盗共、無駄な悪足掻きを止めて武装解除しなさい。私がここに来たからにはもう逃げられません」
返事代わりに口笛が鳴り、全方位から、樹上から激しい矢の雨が降り注ぐ。王国兵と従者たちは大きな板、矢盾を立てかけ、小剣を支え棒代わりにして矢の初撃をしのいだ。リーンフェルト、ハンク、グリンの三者は反射的に矢を射て反撃した。三本の矢は樹上に潜んでいた盗賊に全弾命中する。
矢を差し出す従者のサポートがあるとは言えリーンフェルトの連射速度は凄まじく、盗賊達の二射目が始まるまでに三連射を終えた。
あっという間に、七名が絶命した野盗側は矢の撃ち合いを止めた。
弓から剣に持ち替えた野盗達が物陰から一斉に飛び出しリーンフェルト目掛けて殺到する。
リーンフェルトは左手に持った弓を肩の位置まで上げ右手で妙な、まじないのような動作をした後で矢をつがえ弦を引き絞った。
矢が犠牲者の胸に突き刺さると、耳をつんざくような破裂音と衝撃波が犠牲者を中心にして巻き起こる。まるで稲光のような火花が周囲に飛び散り、他の盗賊達を襲う。
「魔術だ!」敵の統率者が注意喚起をするが、だからと言って対抗手段があるわけでもない。
魔力を帯びた特殊な弓矢を使っているのではない、女騎士リーンフェルトが矢に魔力を付与して射撃しているのである。
「連鎖雷撃」の魔術が込められた一撃。
一本の矢で十数人が稲光の嵐に巻き込まれ、肌を焦がされ戦闘不能状態に陥った。焼けただれた皮膚、髪の毛が焦げる醜悪な臭いに怯んだリーンフェルトは思わず右腕で口元を隠した。
矢尻が命中した場所で、攻撃魔法が発動するため付与する魔力の消費が極端に少ない──投射に使う魔力や自動命中のために消費する魔力が不要となるからだ。
リーンフェルトの師匠である「魔法騎士ノルトハウゼン」が考案した戦闘術でリーンフェルトはその実践者だ。
二本目の矢を手にしたのを見た野盗達は恐れのあまり隊列を崩し、我先に撤退を始めた。
女騎士は無言で統率者に狙いを定めると、右手の人差し指で印を切り「鷹目」の魔術を仕込を矢に仕込む。
統率者は魔法使い相手の鉄則を守り、近距離での精神集中を妨害しようと高速で懐に飛び込んでくる。
彼女は構わず弦を引き弓をしならせ、渾身の一撃を放つ。統率者は矢が放たれる瞬間に合わせて大きく右に屈み込んで矢の直撃を交わした。
誰もが「外した」と思った次の瞬間、「鷹目」の魔術が込められた矢は物理法則を無視したような動きをした。その場で方向転換すると統率者の顔面に命中、左眼から侵入した矢尻が斜めに脳を穿いて右後頭部へと抜けた。
目にも止まらぬ速さでリーンフェルトは金属鎧の爪先で、既に絶命しているであろう統率者の顎を蹴り上げ弾き飛ばした。矢が当たらずとも、この顎を砕き喉を突き破る鋭い槍のような蹴りの一撃で統率者は絶命していただろう。
その間に魔法矢の射手は「茨の森」の魔術を発動させ、矢に付与した。統率者を蹴り上げた足を下ろしたと同時に、盗賊達の逃げ道に放たれた三本目の矢が、指定地点を中心に半径三十メートルほどの極太の茨の植え込みを出現させた。茨は、大人の腰を越えるほどの高さがあるため、半数以上がこの魔術によって捉えられた。
足を取られ倒れ込むと細かいトゲが全身に食い込み苦痛を与える。
足止めを食らった野盗達にリーンフェルトは四本目の矢を矢持ちの手から取った。
彼女の選択は「篝火」の魔術。「茨の森」との組み合わせで高位呪文の「炎障壁」の劣化版のような効果を生み出す。
犠牲者を絡み取った茨は篝火の火と混ざり合い、その火の勢いを何倍にも増幅した。
これは戦闘、というよりは「駆除」に近かった。野盗達とリーンフェルトの間には絶望的な実力差があったのだ。
しかし、リーンフェルトは急に咳き込むと、弓矢持ちから次の矢ではなくハンカチーフを受け取った。
「ゴホッ、ゴホッ──」
自らが作り出した肉の焼ける死臭に耐え切れず顔を背け、あろう事か弓まで従者に預けてしまう。
グリンとハンクは呆気に取られてその奇妙な光景を眺めた。
「──なんて酷い臭いなんでしょう! とても耐えられません」
リーンフェルト本人は至って真剣なのだが周囲から見ると全く持って度し難い行動だった。戦場で臭いを気にして追撃の手を緩めるなどあり得ない。
右手の指先で印を切って茨の森を解除すると、荒れ狂っていた炎の渦が一気に沈静化した。無数の焼死体が残され、微かな黒煙を上げてくすぶっている。
「ハンク様、グリン様──どうぞ先に──けほ……お進みください。私、少し呼吸を整えてから参りますゆえ……ごほん!」
女騎士は煙から逃げるように目をしばたいてゴホゴホ、と咳き込んでいた。
ふたりは言われた通りに前に出て、洞窟内に侵入した。
薄暗い中を進むためグリンが先行する。
暗がりの中に身を潜めた時、闇妖精はその本領を発揮する。
「なあハンク、ものすごい秘術を見たな」
グリンは驚愕の表情で、完成されたリーンフェルトの戦闘術を賞賛した。
「俺も驚いた──だが、弓矢の腕前より臭いに怯んで俺達を先に行かせた事の方が驚きだったね。自分で焼き殺しておいてそれはないな」
「貴族とはそういうものだ」とグリン。
「まあ、わかる。しかし死臭にむせたから、と弓矢を手放してハンカチを受け取るってのは──」
軍隊の指揮官としては情けない、そして度し難い。グリンにもハンクの言いたい事がわかった。どちらかと言うとリーンフェルトの立ち居振る舞いはどこか「夜の眷属」に近い。そのうっすらと垣間見える「行き過ぎた貴族的価値観」に、狂気を感じる。
残酷無比な吸血鬼の貴族が敵を追撃中に泥はねを嫌って水溜りの前で渡るか渡らないか真剣に悩んだり、闇妖精の貴族が戦況有利にもかかわらず撤退してまで日課のお茶の時間を守ったり──半ば笑い話として伝わっているが現実に似たような場面に遭遇すると笑えない、恐ろしさの方が勝る。
おそらく敵対する者がどんな惨たらしい殺し方をしても彼ら貴族は良心の呵責を感じることが無い。殺戮をしてもなんの動揺もなく、戦場においても身なりを気にする、というような平時と変わらず支配者層の価値観を優先する。
「まあ悪気は無いんだろうが──」と、ハンク。
一方のグリンは初めて目にする魔法騎士の戦闘術に惹かれた。このリーンフェルトの魔法矢の連続投射を習得すれば、魔女にも対抗出来るのでは、と思わせるだけの凄みがある。
人間族でありながら白妖精族の魔法騎士を凌ぐ戦闘力を持ち、敵を容赦無く屠る冷徹さは闇妖精族に勝るだろう。
ハンクの目の前で、先行するグリンが突如ピタッと動きを止めた。かと思うと、グリンは壁を蹴って前方に跳んだ。
グリンの得物である三日月刀がわずかな光源を反射して閃くと何者かが倒れる音がした。
流石の早業である。
「お見事」
「容易いな……この調子で俺達が解決してしまって良いのか?」
片手に灯りを持った二人組の盗賊を出会い頭に倒したグリンは、三日月刀に血糊がついてないか確認する。
「いや──曲がりくねった洞窟内じゃ弓矢は不便だし、罠があったら解除して露払いしておけ、という意味だろうな。出しゃばらず、無理せず、始末はあの戦女神に任せよう」
「なるほど確かに──」
暗闇が濃くなる。
グリンはレンズを上げた。本来の暗視の力を取り戻す。重たい枷が外れた解放感。グリンは武者震いで肩を震わせた。
大きめの岩を怪しげなところに投げ、わざと罠を発動させたり、仕込み矢の仕掛けを解除したり──グリンにとっては子供だましレベルの単純な罠で、あれよあれよと言う間に看破していく。
グリンからの的確な指示のもとハンクは罠の撤去を進めた。このまま順調に最後まで進むかと、どこか油断が見え始めた次の瞬間──
洞穴の横の壁が砕け、破片が轟音と共に飛び散った。崩れ落ちる岩に紛れて複数の槍がハンク目掛けて突き出された。
ハンクは素早く地面に這いつくばり、これをかわしたが、寝転んだ状態で屈強な戦士と向き合う最悪な態勢に追い込まれた。
「うおっ……!」
元王国軍の兵士と思われる賊が三人、岩盤の薄くなった隙間に潜み待ち伏せていたのだ。横合いからの奇襲は成功しハンクが不意を打たれた。先行していたグリンはハンクを助けようと振り向きざまにシューティングスターを投擲する。
同時に、予想外の方向──洞穴の奥側からグリン目掛けて矢が飛んできた。柄が短い弩の矢が五本ほど。
一本の矢がグリンの左腕を掠める。
「うっ……!」
毒は塗られてないらしいが痛みで意識が削がれシューティングスターの狙いが甘くなる。手裏剣は金属製の兜に防がれてしまう。
ただ、暗闇でのグリンの動きは奇襲をかけた敵の戦士達をも上回った──
三日月刀を構え、奥側を無視してハンクの傍らに飛び込むと、戦士の持つ盾の内側に入り込み、下から胸甲の隙間に三日月刀を刺し入れた。
腹部を深く刺された戦士はメイスを振るいグリンに反撃するが痛みに耐え切れず前のめりに倒れた。
これで二対ニ──
戦士達は盾を構え、その脇から槍を突き出してくる。攻めあぐね、防戦一方になるグリン達。
奥側から弩の矢が飛んで来てハンクの背負鞄に突き刺さる。槍を突き出してくる戦士達の盾にも矢が突き刺さるが構わず挟み撃ちをやってくる。
「まずい──」
ハンクの顔から余裕が消えた。
「目を閉じて伏せろ!」
グリンが咄嗟に這いつくばるのと同時にハンクは壁に火薬玉を投げ付けて破裂させた。薄暗い洞穴内に一瞬閃光が走り、けたたましい破裂音が反響する。
戦士が怯んだ隙にハンクは槍の柄を下に降ろさせ全体重をかけて踏みつけた。槍は折れなかったが戦士は槍を取り落とす。
グリンは這いつくばったまま盾の下を掻い潜り、もう片方の戦士の膝裏に数回、三日月刀を突き立てた。立てなくなり倒れ込む戦士の首を後ろから掻き斬る。
ハンクと戦士が揉み合っているのでグリンはそちらに加勢しようと向き直る。
その直後、洞穴の入り口側から矢が飛んで来て戦士の首に突き刺さった。
「大丈夫ですか?」
女性の落ち着いた声、リーンフェルトである。
「もう少し早けりゃこんなに苦労しなかったのにな……」
グリンは疲れたような顔で小さくつぶやくが、ハンクはその声をかき消すような明るい大声を出した。
「騎士殿、助かりました!」
「それは良かったです」
ハンクは断続的に飛んでくる矢を防ぐため、盾を二つ抱えながら前進、グリンはその後に続く。
異変に気付いたグリンがハンクの背中をに叩き呼び掛ける。
「変な物音がする──上に……」
「え、どうなってる?」
遠くの反響音を聞いたグリンは、この洞穴内の構造を音の伝わり方で類推した。
「おそらく上に抜ける、別な道──丘の上辺りに出るような脱出口があるな──ここを捨てて逃げるつもりなんじゃないか。このまま追い掛けるのはまずい。盗賊達の脱出が完了すると火攻めか水攻めにあうぞ」
「なんだって?」
ハンクは立ち止まる。グリンは後方にいたリーンフェルトの傍らに駆け寄った。
「賊はこの拠点を捨てて逃げ出すつもりだ。丘の上かのどこかに裏口があるんじゃないかと思う。俺達もひとまずここから出た方がいい」
「わかりました──ところで、その脱出口が何処か精確にわかる方法は無いかしら」
「おまえの魔法矢で色のついた煙を大量に出せるか? 出口の扉を開けたのならなら煙は上に昇る。色の付いた煙が上がった場所が脱出口だ」
もちろん煙は横にも凄い速さで拡がるがグリンは敢えてそれを言わなかった。
「賢い妖精族の子よ、感謝します」
リーンフェルトは部下達に急いで丘の上に登って赤色の煙が上がる場所を特定し出て来た賊を討て、と命令する。
「ハンク、盾を捨てて戻れ!」
「おいおい何をするんだ?」
ハンクは前から弩の矢、後ろからリーンフェルトの光る矢に挟まれた。
「マジで勘弁してくれ!」
魔法矢が立て続けに二本、洞穴の奥に飛んでいく。
赤色の煙が大量発生して洞窟内に充満する。
「これでいいのですね、妖精族の子」
落ち着いて奥の様子を確認するリーンフェルト。
「そうだ、おまえも走った方が良いぞ女騎士」
「え?」
薄い赤色の煙がサーッ、とリーンフェルトの目の前に広がる。奥から濃い赤色が渦巻き状になって向かってくるのがわかる。
「ちょっと──!」
素早い動作でフードをすっぽりと被り、美しい髪を煙から守ると、慌ただしく洞窟を後にする。
グリンを先頭にハンクは丘の上に登る。リーンフェルトも負けじと颯爽と馬にまたがり、丘の上の林に駆け出した。
先行していた王国兵が手を振る先、遠くに赤いものが見える。岩場の隙間からうっすらと赤い煙が排出されている。
「おお、あれこそ」
リーンフェルトは馬に乗ったまま矢をつがえる。
十名ほどの賊が赤い煙にまかれながら岩場の陰から現れ、各々が馬に騎乗した。みると鞍に大荷物を積んでいる、貯えた富を持って散り散りに逃げるつもりらしい。
「逃がしてなるものですか」
そこからはリーンフェルトの独壇場だった。
「鷹目」の魔法矢は次々に賊に命中し、落馬する者、馬上で絶命する者、様々だった。
「矢が足りません! 誰か矢を持て!」
従者の持ってきた上等な矢が尽きた、弓矢持ちの従者はハンクの背負っている矢筒を指差した。
手近な矢はそこにしかない。
「え、俺?」
「早く! ひとりも討ち漏らしてはなりません!」
ハンクは駆け回る馬の周囲でおっかなびっくり自分の矢筒から女騎士に矢を差し出し続けた。
「全員倒れたようです!」
王国兵が叫んだ、味方に歓声が上がる。
三十発ほど連続で魔法矢を射続けたリーンフェルトはさすがにゼエゼエと息を切らして馬上で肩を大きく揺らしていた。髪の毛は汗で乱れ、頬は興奮で上気している。
「まだ息のある賊が居ます、捕らえなさい、煙が落ち着いたら洞窟の中を捜索しますよ」
「はあ、いやあ、お見事です騎士殿」
ハンクは汗を拭いつつ女騎士の横でその戦果を確認した。女騎士も固い表情を崩して笑い、ハンクの労をねぎらう。
「私達だけでは逃げられていたかも知れません。礼金を弾まねばなりませんね」
夕刻近く、街にリーンフェルト達が戻ってきた。
賊の生き残り、投降した者が二十数名、ぞろぞろと縄で繋がれて連行されてきており、洞穴内に監禁されていた人間の娘もいたらしく、こちらは三名ほどが保護されたようだ。
住人のほとんどがこの行列を眺めて成り行きを見守った。
「ここに捕らえた者以外の賊はすべて王国軍が討ち果たしました。騎士リーンフェルトの名において、ひとまずの安寧を約束し、盗賊達の貯えていた富の一部を見舞金としてこの街に寄付します」
どよめきは次第に歓声となってリーンフェルト達を包む。
ようやく町長が飛び出してきてリーンフェルトの前でかしこまる。
「なんともはや……さすがは騎士様……しかしその」
町長は渋い顔をする。
「なにか?」
戦勝気分を台無しにするような町長の仏頂面にリーンフェルトは気分を害した。
「この街にはこんなに多くの罪人をつなぐ牢屋がありません、何も全員捕縛せずとも……」
「あ、それは確かに……」
牢屋に入れておけないなら、四六時中監視する必要がある。この人数が結託して逃走をはかる事を考えるとなかなか骨が折れる。
逃がす訳にも、投降した者を殺す訳にもいかず──リーンフェルトは自らの行ないがもたらした結果について、少し思うところがあった。
正義を行うと、かえって周囲に不利益を招くことがある──王宮で彼女がよく直面する矛盾だ。今回も同じような矛盾にぶつかった。
「……数名が散り散りに逃げるのは黙認しても良かったのでしょうか」
その女騎士のつぶやきに従者たちは答えが出せなかったが、ハンクが悩める騎士に声をかけた。
「何事にもバランスというものがありましてね。夜道を進む時、右から物音がするから、と右ばかりに注意を向けていると、左にある落とし穴に気付けない。こういう失敗は理想を追い求める若者にありがちです。先ずは理想を諦める勇気を持つ事です。その場その場での最善を追い求めず、一見正しくない選択をとる──それはとても勇気がいる決断です」
「……私はがむしゃらに突っ走る事しか出来ません。他人に合わせるのも下手で──難しいですね」
「人間は万能ではありません。完璧・最善・最大効率──その甘美なる言葉の響きに騙され、理想を追い求めるのをやめなさい。ひとりで抱えきれない悩みは一旦、神に委ねなさい──万能なる神が善悪均衡のとれた差配をしてくれます。その差配に納得が行かないのであれば志を同じくする友を探し、彼にも手伝ってもらいなさい──」
微笑みをたたえたハンクを、驚いて見返すリーンフェルト。
「あの──ハンクさん、やはりあなたは……」
「これは偉い坊さんの受け売りですよ」
─────
報酬
─────
この街の宿屋には、貴族など要人が宿泊する際に使用するような特別な部屋はない。よって町長の私的な邸宅がリーンフェルトに提供され、町長の娘が使う寝室でリーンフェルトは眠ることになった。
捕縛した盗賊達を入れておく牢がない件については、自警団の若者達と夜に強いグリンが夜通し監視する事になった。街の中に大勢の盗賊達を入れる事に不安を持つ住人は多かったがなんとか説得した形だ。
グリンとハンク、そして人質代わりに置き去りにされたアーシュラの三人が待っていると、湯浴みを終えたナイトガウン姿のリーンフェルトが現れた。
「もう少し良い宿があると思っていたのですが、この近辺は未だ開発が遅れているのですね」
彼女から見るとこれでもギリギリ不満が残る設備らしい。
「まあ、物見遊山で来たわけではないので、文句は言いませんが──」
なら、いちいち口に出さなければいいのに、とグリンはフンと鼻を鳴らす。
「ハンクさん、そして妖精族の子、あなた達のおかげで良い仕事ができました。脱走兵の噂の元を正した事で王国の名誉も守られたと思います。約束の謝礼に加えてこれを授けましょう」
金貨千枚に加えて戦利品の宝石をひとつ──
「いやあ、ありがたく頂戴いたします!」
ハンクは宝石の値踏みをする。金貨三百枚ほどの価値はありそうだがちゃんと鑑定してみないと何とも言えない。
「本来はもう少し報酬を出したいのですが、今回捕えた賊たちが逃げ出さないように人手を雇う事にしました。それで護送費用がかなりかさみそうなので……こういう細かいところまで考えがいたらないのは、本当に情けない話です。人の上に立つ資格がありません」
リーンフェルトは眉をひそめた。
「落ち込むのは勝手にしてくれ。それよりリーンフェルト、何か俺に話があるらしいな? 俺はこの後、盗賊共の監視をしなきゃならないんだ。手短に頼む」
敬語を使わないグリンにハラハラするハンクとアーシュラ。
「そうです、聞きたい事がいくつか。闇妖精とお話する機会なんて滅多にありませんからね」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「あなた、私が髪の毛に煙や臭いがつくのを気にしていること、知っていてわざと忠告をしませんでしたね?」
「ふん、命の奪い合いをする戦場で身だしなみを気にする、ってのが癪に障ったからな。少し、おどかしてやろうと思ったんだ──悪かったよ」
「やっぱり! そうじゃないかと思っていました」
「おいグリン、おまえ……! 正直に言うのやめとけ」
ハンクはグリンの代わりに頭を下げて謝罪するが、グリンは引かない。
「貴族といっても騎士の爵位は誰でも取れる。あと俺は闇妖精だ。人間の地位の高い低いは俺にはまったく関係ない」
「ふふふ、とても面白い子──ますます気に入りました。青のグリニエルさん、あなた、私の従者になる気はありませんか?」
「……ええ? 従者だって?」
グリンの瞳が大きく見開かれた。
「側近、秘書、執事、まあ肩書きは何でも構いません。私の傍らで、さきほどのような忠告をして欲しいのです」
「それは相棒みたいに対等な感じなのか?」
「まあ、それに近い存在になっていただければ嬉しいです」
リーンフェルトは若干照れたようで頬に朱がさした。
「ふう〜ん……」
気乗りしない退屈そうな感じだった少年の表情が俄然輝き出す。ちら、ちら、とリーンフェルトとハンクの顔を交互に見比べる。
「ええ? おい相棒──おまえちょっと待て?」俄に焦りだすハンク。
「あの魔法矢の秘術、その細腕で豪傑の如く素早く弓を引く技術──おまえから学ぶ事はとても多そうだ」
グリンは目を瞑り、うっとりとしてリーンフェルトの華麗なる弓捌きを思い起こしているようだった。
「そうですよ、私の元に来ていただければ何でも教えて差し上げます」
少年を見つめる麗人の瞳にただならぬ熱量を感じたハンクは危機感をおぼえた。
「えっ、騎士殿? このヤローは、とても生意気で扱いにくいヤツですよ。考え直した方が良いです」
「いえいえこの正直な物言いが小気味良いのです。私、闇妖精を誤解していましたわ。こんなに人間族に協力的で話しやすい存在だとは……まあ、確かに公の場でこの物言いはちょっと問題あるかも知れませんが、それも彼の魅力だと」
咳払いを挟んで、リーンフェルトは話を続けた。
「コホン……戦技は言うに及ばず知識と機転、探索者の技量について、真に非凡なる才能をお持ちです。私の従者に相応しい──いえ、もしかすると王宮への自由な出入りを許されるかも知れませんよ」
ほーう、と唸るグリン。褒め千切られて満更でもない表情になる。
「加えて、なんと言ってもその美しき容貌……! 身なりを整えれば美姫にも優りましょう」
「はあ? おまえも俺を女装させたいのか──人間は本当に狂ってるな」
一番褒めるべき特徴が見た目である事に関して、少年は著しく気分を害したようで表情を固くする。
「あらごめんなさい……でもあなたはそれほど魅力的ですよ?」
「まあいいさ、人間が妖精族を珍しがる気持ちはなんとなくわかる」
お互い満更でもない、という雰囲気が流れる。
おいおいおい、とハンクはいてもたってもいられず声を荒げた。
「ちょっと良いですか騎士殿、このグリンは俺の相棒でね。俺の許諾なく勧誘してもらっては困りますね」
「あらそうですか、先約がある、という事ですね──ではハンクさんあなたと交渉しましょう。金貨ニ万枚で彼を傍に置く権利を私に譲ってくれませんか?」
「きえええ! ニ万枚!」
アーシュラが騒ぐ、何ともスケールの大きな話だ。
「真面目な話ですが……闇妖精を傍らに置いておくなんて。騎士殿の立場が悪くなるかも知れませんよ」ハンクは焦りつつ早口でまくし立てる。
「元より、私は王宮内で浮いてまして──これ以上立場が悪くなりようがありません」
今回の野盗討伐もリーンフェルトの独断でやったことで王命では無かった。王宮内の誰もこの街の民の窮状や、王国軍の悪評に興味を示さなかったのである。この遠征で掛かった費用は最悪、ターナー家のリーンフェルトが自腹を切らねばならない。
「それに『友を増やせ』と仰ったのはあなたですよハンクさん」
「そりゃそうなんですが……」
青い顔をするハンク。
グリンは、フウと、大きなため息を吐いた。
「魔法矢の秘術は魅力的だが、おまえ以外の貴族とうまくやっていく自信が無い。残念だがリーンフェルト、この話はお断りさせていただく」
「まあ、魔術付与の極意をあなたが会得する間だけでも良いのですよ……」
「まあ、俺は魔術の素養がないらしいから習得には何年もかかるのかも……そうなると相棒にも迷惑がかかる。遠慮しておくよ」
「そうですか…………とても残念です。ふられてしまいましたね……」
リーンフェルトは世辞抜きにがっかりとしていた。
「相棒〜、おまえ、さっき付いていく相手を見た目で決めようとしてなかったか?」
非難するような目を向けてくるハンク。
「断ったからいいだろ」
「──グリン、何か困ったことがあったら私を頼ってくださいね」
「リーンフェルト、それじゃあ早速、頼みがひとつある」
「なにかしら?」
「今回の件は元より、あまり俺の事を貴族達の間で言い触らしたりしない、と約束してくれないか? 俺は目立ちたくないんだ」
リーンフェルトはキッパリと断った。
「とんでもありません! 普段領土をめぐっていがみ合う種族同士が共同で正義を成し遂げるなんて。こんな素敵な出会いをした奇跡をどうして黙っていられましょうか!」
パアッ、と太陽のように明るい表情を作る女騎士の笑顔が眩しい。飾り気のない剥き身の好意にグリンは気圧された。大きな温かい手がグリンの青白い手を覆う。矢を射て敵の命を奪ってきた戦の化身のごとき射手とはまるで別人のようである。
「うわっ」
麗人から香る芳しい匂いがふわりと少年を包み、手からは女性の体温と鼓動が伝わってくる。
「だ、だだ、黙っていてもらわねば困る!」
「──努力はしますが」
これは守る気がないのが透けて見えるな、とハンクとアーシュラは顔を見合わせて渋い顔をした。
翌朝、リーンフェルト達が無事出立するのを見送った後、ハンク達の一行は旅を再開した。
「やっと行ったか……じゃあ寝るぞ……なんていうか、あの女の相手は疲れるな」
別れ際まで散々、リーンフェルトからの質問攻めにあっていたグリンは気疲れしたのか、馬車の奥に引っ込む。
「ごゆっくり。身体を休めてくれ」
「なんか個性的な人でしたね、リーンフェルトさん」
「とんでもないお嬢さんだったが、まあ貴族にしては裏表の無い素直なやつだよ。素直過ぎて王宮の中では生き辛いだろうがな」
はぐれ者として人間族の社会に暮らしているグリンと、王宮内で浮いている自分の境遇とを重ね合わせてグリンに好意を感じたのだろう、とハンクは推測した。
「それはそうと……金貨二万枚は心が揺らいだんじゃないですかハンクさん?」
金貨二万枚はアーシュラからすれば一生働かなくても良くなる程の大金である。
ハハハ、とハンクは笑った。
「バカ言っちゃいけないぜ、俺と相棒なら金貨二千万枚以上稼いで見せる。提示額が安過ぎだ!」
目を閉じて横になったグリンにも聴かせるように大きな声を出すハンク。
アーシュラには、寝入っているグリンの口角が少し上がったように見えた。