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第二十一話 探索の旅へ

 歴代太伯を輩出する名家の長男、レドム・ファイアフォージは戦支度を整えて、完全武装した状態で生家であるファイアフォージ家の前に現れた。

 巨大な両刃戦斧バトルアクスを携え長柄斧ポールアクスを背負い、腰に軽めの戦槌を二本提げていた。

 従者には盾を抱えた年老いた秘書がひとり、そして闇妖精族ヴァスカの少年がひとり。合わせて三名が堂々たる行進の末に目的地へ辿り着いた。


 野次馬の姿はなく、門扉は静まり返っていたが、近くに陣取っていた炎雷戦士団が静かに集まりだして隊列を組みレドムを待ち受けた。

 奥から険しい顔のハルボ・ファイアフォージが姿を現す。此方もしっかりと武装していて、頭が大きくなり入らなくなった兜を小脇に抱えていた。

「レドムよ、どういうつもりか知らんがその闇妖精族ヴァスカの小僧を引き渡せ。庇い立てすると同罪になるぞ」

「ハルボ叔父、少し話がある。手間は取らせない」

「話だと? 釈明か?」

 老いた秘書のモディルがハルボの元に歩み寄ろうと動き出した。モディルの足を引き摺って歩く姿に危険性は感じられないので戦士達は警戒を解いた。ハルボは中々到着しないモディルに苛つき、数名の戦士を伴って前進した。

 ようやく到着したモディルは、ハルボに寄り添うと何事か耳打ちを始める。話の内容は近くにいた戦士にも聞き取れなかった。

「なんだと?」

 軽く驚いたハルボは後ろを振り向いて炎雷戦士団に隊列を解くように指示を出した。

「指示あるまで全員この場で待機……!」

 戦士達が困惑した様子でゆっくりと警戒を解くと、レドム達は堂々とファイアフォージ家へ向けて歩を進めた。

「団長?」ひとりの戦士が捕縛用の鎖を構えたまま合図を待ったがハルボはただ首を振るだけで何の指示を出さなかった。団長は大きく動揺しているように見えたので戦士達の間にもその不安が伝播した。

「待機だ、聞こえなかったのか?」

「失礼しました……!」

 ハルボは小さく「くそっ!」と吐き出して玄関の扉を開けてレドム達を中に招き入れた。

 事情のわからない戦士達はお互い顔を見合わせて首を傾げる事しか出来なかった。

 

 ──────


 ロドム・ファイアフォージの寝室に関係者が集められ、他は人払いされた。食事の用意をしていた使用人達は仕事途中で外に追い出されてかなり不満げだったが戦士達から睨まれて愚痴るのをやめた。


 ロドムの傍らにメイニーとハルボが立ち、扉の前にレドム、グリンが立った。後から、モディルとドストムに連れられてメドニアとハンクが部屋に入ってきた。

「兄上……! グリンさんもご無事で!」

 レドムは一瞥して少し頭を下げただけでメドニアに言葉をかけたりはしなかった。

 ハンクとグリンは、互いの無事を確かめるようにニヤリと笑うと軽く手を合わせた。

 メイニーとハルボはメドニアを手招きするが、彼女は伏し目がちにそれを拒否して部屋の奥に進もうとしなかった。代わりにグリンの傍らに寄った。

 ドストムは不思議そうな顔で妹を見ながら両陣営の中間に居場所を見つけた。


「レドムよ──その格好はどういう意味だ。死装束ではないか──誰と戦うつもりだ?」

 重々しい雰囲気の中、最初に口を開いたのは当主のロドムだった。


「わたしは誰とも戦わない。ただ当家を取り巻く不正を取り除きにきた。この格好はわたしの覚悟を示すものだ」


 レドムは口を真一文字に結んでその鋭い目で父親を睨み付けた。


「ゴフン……ゴフ、お前の言う、不正とは?」

 ベッドの上で半身を起こした老妖精は痰が絡むのか少し喋り辛そうだった。

「あ、あの……兄貴? レドムは誤解している。いや、双方に誤解があったんじゃ──ちょっとわしから皆に説明させて──」


「黙らんか!」


 ロドムはハルボを一喝した。


 大喝は部屋中に響き、水差しの瓶が細かく震えた。ハルボはよろめき、メイニーとドストムは目を丸くして固まり、メドニアは自分が叱り付けられたかのように身を屈めて首を竦めた。

 今のハルボは老いて益々盛んな戦士団の長ではなく、厳格な兄の怒りを恐れる弟の表情をしていた。


「ハルボよ……今わたしは息子と話をしている。おまえの言い分は少し前に十分に聞いた。今度はレドムの番だ──我々は覚悟のほどを聞かなくてはならぬ」

 脂汗を流して顔色を青くするハルボをメイニーが気遣う。


 レドムは、グリンがネドビウムで入手した高額債務者の帳簿を父に手渡した。スクアールの借金をハルボが肩代わりした形になっている。

「これは?」

「スクアール叔父はハルボにこの件で頭が上がらなくなっていました──不思議なことに叔父はここ数年で大きく敗けています──どういう仕組みになっているか詳細はわかりませんが、わたしはこの賭博場で不正行為が行われていたと考えています」


「え? どうしてスクアールさんの借金をハルボさんが……」メイニーは隣にいたハルボに尋ねるがハルボは目を逸らした。


「──と、賭場では大なり小なりイカサマが横行するもんじゃ、大きく敗けることもある──」ハルボは大きな声で弁明する。

「黙るんだハルボ」

 言い訳を始めたハルボをロドムが睨み付けた。


「発言のお許しを──」ハンクが手を上げた。

 ロドムは静かにうなずいて、右の手のひらを上にして人間の発言を促した。

「スクアールさんの起こした不祥事については、不可解な点が数多くあり、そのいくつかにそこのハルボ団長が関与しています──わたしが引っ掛かる不可解な点はレブロスハンマーの件です──積み荷の内容を厳格に調査するあの関所、大勢いる炎雷戦士団の検閲を逃れて『神器』を外界に持ち出せるものですかね?」

 ドストムは「言われてみれば確かに」とハンクの言葉に納得した。

「竜の首の関所を管轄する彼等が、手引しない限りは、誰にも知られず持ち出すのは不可能に近い──そうでしょう団長さん?」

 ハンクは左手をハルボに向けた。

「に、人間風情が訳知り顔で……黙れ!」ハルボは今にも掴み掛かりそうな勢いでハンクを怒鳴りつける。


「いや人間、黙らなくて良い。一理ある──発言を続けなさい」

 ロドムから促され、ハンクは先刻メドニアに話した内容──カラスコム家を貶めるための手駒としてハルボがスクアールを利用したという自説を全員の前で披露した。

 おおよそ的を射ていたのだろう、ハルボは反論もできず黙って身体を震わせていた。

「俺からもいいか?」

 続けてグリンがメドニアと出会った時の状況を伝え、ハボニーを襲った事実はない、と身の潔白を宣言した。

「ハルボの言ってることは嘘っぱちだらけだ、こいつは、俺に罪を擦り付けてきやがった。雑な嘘は身を滅ぼすぞ?」

「小鬼、おまえの発言は許してないのだが? 許可する前に勝手に喋るな」

 ロドムは咳払いをする。

「馬鹿言えロドム。俺はおまえの代理人にして白妖精族の外交特使だぞ。自由に発言して良いに決まってる」


 ロドムはあまりの酷い屁理屈に、呆れを通り越して思わずハハッと声を出して失笑した。


「──小鬼にこうまで虚仮にされるとは──わたしも長くはないな……」

 なんとなく部屋の雰囲気が変わった。

 ロドム・ファイアフォージの怒りによって緊張していた空気が急転、弛緩していくのを感じる。

 部屋の主であるロドムの圧が急速に衰えていくのが肌感で理解できる。

「兄貴、なんでこいつらに自由に発言させるんだ? 負けを認めるのか?」ハルボは慌ててベッドに駆け寄り、跪いてロドムにすがりついた。

 ロドムは深く溜息を吐いてそれを無視した。

「ハルボよ……潮時だ。黙って彼等の話を聞こう」


「しかし……俺はただ、兄貴のため、ファイアフォージのために……! 兄貴はメドニアがお気に入りだったじゃないか! 後継ぎにしたい、と! 多少無理をしてでもメディーの後押しをしてくれ……そう頼んできたのは兄貴じゃないか! 俺のやり方がマズかったのは認めるよ、でもここで兄貴が折れたら俺はどうなる? 俺のやった事は無駄か?」


 告発めいた発言に一同はざわついた。

「父上?」一際大きな声を出して呼び掛けるメドニア。

 彼女は父の真意を表情から読み取ろうとするが、ロドムはメドニアに視線を向ける事さえしなかった。


「ロドム、あなたまさか──」メイニーは夫の肩を揺する。


 ハルボの告発はレドムの胸を深く抉った。

「わたしは邪魔者だったのですか──父上」

「──」ロドムは無言で息子の凝視を受け続けた。

 長男は、否定をしない父の姿を見て屈辱に身を震わせ拳を強く握り込んだ。

 長男としての自尊心、上院議員としての誇りが酷く傷付き、ひび割れていくのを感じる。

「あなた! 何とか言って──黙っていないでレドムさんに答えてあげてください!」メイニーが激しく肩を揺する。

 やがて、ロドムは重々しく口を開いた。

「──レドム。正直に言う。わたしはおまえの母であるアマンより深く、このメイニーを愛してしまった──それはおまえも薄々気付いていた事だろう。そして何より、メドニアは我が父の若き頃に良く似ているのだ──可能ならばメドニアにわたしの後を継いで欲しかったが──冷静に考えればレドム、おまえに一刻も早く家督を譲るべきだったのだ──だが、わたしはそうしなかった──先延ばしにして、対立を煽った」

 レドムは深く頭を垂れた。

 同席の者達に、苦悶に満ちた顔を見られないようにするため伏せたのだろうか、それとも絶望で放心したのか──ロドムは続けてレドムに語りかけた。


「レドムよおまえはわたしの後継に相応しい、いや勿体無いほどの人材だ。しかし──メドニアの素質は──わたしの後継ぎで終わるような……そんな凡庸な器ではない。世が世なら──戦乱の世ならば、岩妖精族ドワーフを率いる王に相応しい逸材だと思っている──」

 メイニーは夫の大きな肩を力一杯叩いて叱責した。

「あなたもうやめて! どうしてそんな酷い事が言えるの? レドムの気持ちを考えてみて。あなたの息子なのよ? 愛してないの?」


「愛している、もちろん愛しているとも──今回の件でそれがよくわかった──当主に相応しいのは我が長男、レドム。おまえしか居ないことがよくわかった。一族をまとめ上げ守れるのはおまえだけだレドム──現におまえは、わたしとハルボの邪な計略を、正々堂々受けて立ち、跳ね返した──わたしの負けだ」

 ロドムは深々と頭を垂れた。

「兄貴? 今更そんな! まだ負けてない」すがりつく弟にロドムは首を横に振った。

「もう終わりだ、我々が何かを決める時代はもう──とっくに終わっていた。レドム達の時代になっていたんだよハルボ。お互い、兜が入らなくなった時に引退しておくべきだった」

 ハルボは、ウッと一声呻くと、落胆したのか項垂れて片手片膝をついた。


「父上、それでは──レドム兄さんを後継者に指名する、という事でよろしいでしょうか」

 この場で最も冷静だったのは次男のドストムだった。

「メディーも、それで良いか?」

 ドストムはメドニアに問い掛けた。メドニアは大きくうなずいてそれに応えた。


 公文書の書式を取り出すとベッドの脇に屈み込んで父にペンを手渡した。

「おまえも、わたしのやった事を気に入らんだろうなドストムよ」

 筆を走らせながらロドムは次男に語りかけた。

「ええ、よくご存知で──今、わたしはとても怒っています。あなたは家族を崩壊させようとした」

 ドストムは決して表情を崩さず平静さを保っていた。しかし、父と視線を合わせようとはしなかった。

「わたしには過ぎた息子だ」

「その言葉、伝える相手を間違えていますよ」

「精神が一番強いのはドストム、おまえかも知れんな──これからもレドムを支えてやってくれ」

「あなたに言われるまでもありません。わたしは最初からレドム兄さんの味方でした」


 レドムがファイアフォージ家の当主となる事が公的な文書として明記された。

「あとは兄さん、あなたがこれを受諾するかどうか。拒絶する事もできる」

 弟からの言葉にレドムは顔を上げた。


 誇り高き岩妖精族ドワーフの男子として耐え難いほどの屈辱、そして息子として愛されなかった事の身をよじるほどの悲しみ──レドムの胸中は嵐のように荒れ狂っているに違いない。


 ドストムはレドムの傍らに寄り添うとその肩に手を添えた。

「兄さん──いや、レドム・ファイアフォージ! 胸を張ってお受けなさい。あなたにはその器がある」

 ドストムは屈辱と悲しみで震える異母兄の支えとなりその背中を押した。


 レドムは深くうなずき公文書を頭上に頂いた。

「親父殿──ご指名ありがたく──ここにわたし、レドム・ファイアフォージは当家の主の責務を父であるロドム・ファイアフォージから継承する──」


 絞り出すような声でレドムは宣言すると、ハルボの方へと歩き出した。ハルボは顔面を蒼白にして立ち上がり部屋の隅まで慌てて後退した。レドムは叔父の代わりに父の傍らにひざまずくとその手を握った。


「息子として愛されなかった事、生涯お恨み申し上げますぞ」

「言葉もない──恨んでくれ」

「わたしは愛していた」ロドムは吐き捨てるように告げた。

 短い抱擁を交わすとレドムは立ち上がった。ロドムは小さく「すまない」と呟いたがレドムは聞き流した。


 グリンはメドニアに向かって言った。


「メドニア、ロドムは言ってたんだ──戦士としての才に恵まれたお前に後を継いで欲しかったけど、それはお前自身をきっと不幸にする、って──だからおまえが、お前自身がハッキリと宣言してくれるのを待っていた」

 

 メドニアは父の愛と、その期待に応えられなかった自分の不甲斐なさに感情が爆発してぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣き始めた。


 ドストムはただ無言でメドニアの手を引き、レドムの傍らに連れてくると自らが間に入る形でふたりを抱き寄せ、兄妹三人での抱擁を成立させた。

 メドニアに釣られるように、レドムの目からも涙が溢れた。

「メドニア、すまなかったな」

 父への怒りと愛されなかった悲しみ、自らの不甲斐なさへの怒り、妹への嫉妬と冷たくしてきた事への罪悪感。

 複雑な想いが入り混じった感情の排出先としてレドムは涙を流した。

 その兄妹の輪にメイニーが加わった。彼女はレドムを後ろから抱きしめた。

「お袋殿……?」

「レドムさん、わたし達のせいで苦しい思いをさせたわね、ごめんなさい」


 その様子を確認したロドムは放心している弟に対して、力無く弱弱しい声を出した。

「わたしの優柔不断が、皆を不幸にして──スクアールを死なせてしまった──ハルボ、おまえに罪を犯させてしまったのはわたしの責任だ。家によく尽くしてくれたな、弱い兄を許してくれ」

「兄貴は悪くない、俺が失敗しただけだ……どうして、こうなった……どうして」

 ハルボはすっかり老け込んだように憔悴していた。


 過ちを悔やみ啜り泣く声と、悲しみを癒やす慈愛の抱擁──そのふたつがこの寝室を支配していた。

  

 家族ではないグリンとハンクも、ある種の達成感に包まれていた。

 特にグリンはすっかり緊張が解れて通常営業に戻ったらしい。ロドムの部屋にある大きな時計を見て、フゥーと退屈そうに息を吐いた。

「しかし、かれこれ一時間だぞ。皆よく腹が減らないな」グリンはロドムのベッドの脇に置いてある果物が気になっているようだった。

「え?」

 ちょっともらい泣き気味になっていたハンクは、デリカシーの無い発言をするグリンを皮肉った。

「この場に居合わせてそういう感想出るやつって実在したのか。驚いた」

「そろそろ外で待ってるお手伝いさん呼びに行ってもいいだろ? メシ作ってもらおうぜ」

 グリンは干しブドウの砂糖漬けを取り出して口に放り込む。

「さすが相棒いつもクールだな、尊敬する」

「尊敬? よしてくれ、照れるじゃないか」


 グリンはメイニーにそれとなく食事の催促をした。メイニーの方も食事時をとっくに過ぎているのを気にしていたらしく、快諾して寝室を出ていった。

「なんかまあ落ち着くとこに落ち着いたな。レドムが継ぐのが一番だ。ハルボに証拠を突き付けてこてんぱんにやっつけてやるつもりだったけど──」

 グリンは一件落着した事に満足して大きく背伸びをした。ハンクも、うんうん、と微笑みながらグリンの意見に同意した。

「すれ違いから起きた不幸な事件って感じだったな。終わってみれば、なんとか丸く収まりそうで安心したぜ」ハンク。


 部外者三人の内、レドムの秘書のモディルだけが渋い顔をしていた。

「いや、おふた方──丸く収まるとおっしゃいましたが──よくお考えください、スクアールさんは死んでしまいましたし、グクルーさんも冤罪で逮捕されたままなんですよ? こうも事を大きくしてしまっては、家庭内の些事として有耶無耶にすることは出来ませんよ?」

 ハンクとグリンは冷水を浴びせかけられたかのように驚いて老秘書のモディルを見た。

「いやその……」

「ハルボさんはいくつも法を犯していますよね、この真実が広まればファイアフォージの名声に消せない傷を残すことは確実。これは権威失墜のきっかけとして十分過ぎる醜聞ですね。デナリオン陛下からの不興を買って、レドム様は太伯の地位を得られないかも知れません。十分に起こり得る事態です」

 モディルは淡々と語る。

「え、そうなの……?」ハンクは唸った。

「身内同士のいざこざとは言え、公的な立場にある方々が不正や犯罪に手を染めていたというのは非常にまずいです」モディルは厳しい表情でファイアフォージ家の面々を見つめた。

「ええ? 爺さん厳しいな」

「客観的な事実を申し上げているだけです」モディル。

「──こういう和解した姿を見せられると、誰も悪者にしたくないんだよなぁ」とハンク。

「そうだなぁ、なんか方法があるんじゃないか?」

 グリンが時計を眺めようと視線を反らした際、ハンクとモディル、ふたりの視線が何故か自分に注がれていた。

「ん? なんだふたりして?」

「いや、別に……」

 ハンクがグリンを指差して何事かモディルに耳打ちする。モディルはなるほど、とうなずいてからハンクと握手を交わした。

「おいコソコソ何を話してる?」

 グリンはなんとなく嫌な予感がしていた。


──────


人間と妖精


──────


 ハルボの犯したであろう罪は隠蔽され、大体の揉め事は闇妖精族ヴァスカが招いた災いという事で処理された。グリンはグクルーと入れ替わりに牢へ放り込まれ、簡易裁判を受けさせられた。


 結果──白妖精族エルフの外交特使『青のグリニエル』の名を騙る『成り済ましの偽者』の犯行だと発表され、サンドルクに侵入した不届き者の闇妖精ヴァスカは竜の舌から逆さ吊りにして放置する刑罰『吊るし刑』が即日執行された。


 ハルボは公的には何も犯罪を犯していない事になっていたが、独房での禁固刑を自ら志願した。

 その意思を汲んだレドムは、戦士団には病気療養と偽って世間の目から彼を隠した。

 ハルボは自慢の髭を剃り落とし、古く使われなくなった家畜小屋を牢獄代わりにしばらくの間、自主的な謹慎生活に入るらしい。


 団長不在の間、炎雷戦士団は代わりを見つけるかハルボが復帰するまで臨時でレドムとドストムのふたりで団長代理を務める事になった──レドムは太伯の責務を代行するため、上院議員の職を辞した。

 ドストムはその空いた議席を狙って選挙に出るつもりらしい。




 ハンクはレドムと交渉をして、ファイアフォージ家が所有する果樹園の一部を譲り受け、祠を建設する権利を勝ち取った。最も困難だと思われるサンドルクでの拠点作りに成功した事で、ハンクのライフワークである地図埋めは達成したも同然の状態になった。


 加えて、ハンクはレドムの伝手でサンドルク最高学府の長である『サマン技師』との会見を望んだ──レドムは人間族が賢人サマンの名を知っていた事に驚きはしたが、これを快諾した。


───────


 ハンクは大学院に招待された。

 サマンは眼鏡を掛けた小柄な妖精で水色の身体にフィットした服を着ていた。学者の正装という事だが、無駄な装飾を排した機能的ながら殺風景な服装にも感じられた。伝統を感じさせる細やかな装飾で彩られた岩妖精族ドワーフ達の服装とは真逆に見える、そして何より年寄りなのに髭を生やしていない──そのせいでハンクの目には学院の研究者達が他の岩妖精族ドワーフとは別の種族のように見えた。


 早速、研究者が集う学院内部を案内されたのだが、その研究棟の建築物そのものが、あまりにも先進的でハンク達人間族の文明レベルでは察しもつかないほどの技術が盛り込まれていた。

 少量の水と空気圧の変化だけで数十トンの大岩を持ち上げる装置や、頭で考えた通りに動く機械仕掛けの馬、大量の汚水を瞬時に濾過する装置など、最早魔術の領域であった。

「魔法……いや神の奇跡にしか見えませんが……」

「奇跡ではありません。理解出来ないものを奇跡と呼び、深く考える努力を放棄するのは生物として自殺するのに等しい。研究者われわれが最も恐れている事です──」

 サマン技師が言うには、この技術も元は精霊術の一種らしい。精霊の動きが鉱物に与える影響を岩妖精族でもわかるように解読して『学問』として積み上げてきた成果なのだと言う。



 ハンクは脂汗をかいた。理解しようと考える度に、情報量の多さに頭痛が止まらなくなった。

 新技術を楽しむ余裕すら失くすほど明確な『差』を突き付けられ、人間族の技術が如何に初歩的な段階であるかを思い知ったからだ。好奇心よりも恐怖と焦りが勝っていた。

「考え方が──思考レベルが違い過ぎます。これが妖精族の叡智……」

「あなたがたもすぐに到達出来ますよ。我々よりも早くね──嘆く事はありません」

 岩妖精族ドワーフが人間族に技術を継承するのを拒んだ理由がよくわかった──この技術は何の試行錯誤もないままに易々と与えられるべきではない──試行錯誤の末に段階を踏んで習得していくべきものだ、と。


 なにより現在の思想や価値観が全て否定されかねない危険性をはらんでいる。学識ある知識層は理解できるが、おそらく大衆はその危険性を理解できず安易な堕落の道へ殺到してしまうだろう。


 安易に奇跡を受け入れ、その利便性のみを享受する──そこに再現性はなく、改良する気概は失われる──それは進化の終焉、種族の老衰に等しい。


 進化を止めた種族は、永遠にも似た停滞の末に緩やかな滅亡を迎えるだろう。


 積み上げた経験のない者に新しいものは生み出せない──それどころか、熟知しているばずの技術に起きた小さなイレギュラーすら補正する事が出来ない。


「仕組みが理解できていない技術を持つ者は、必ずその寿命を縮めます。例外なく」

 そう語るサマンの言葉は重く、研究施設を案内してもらう間、ハンクはため息を吐くことしか出来なかった。


──────


 ラウンジで水を飲みながら休憩を取るふたり。

「休憩が終わったらもう少し面白い物をお見せしましょう──」

「いえ! もう十分、十分です──これ以上新しい情報を入れたらわたしの精神が保たない……今でも気が狂う寸前なので」

 ハンクは思わず身震いした。

「ははは、ハンクさん。あなたが聡明な方でとても嬉しい。我々の杞憂を正しく理解してくれる人間族は今まで居ませんでした。新しい技術とは、正しく恐れる者にこそ与られるべき物。あなたのような人間が増えれば、いずれ訪れるであろう幾多の危機も、人間族は自力で乗り越えていけるでしょう」

「褒められているんですかねえ?」

「最大の賛辞を送っているつもりです。わからない物をわからない、と断じるには高度な知性が必要なのですから──わたしもつい、知ったかぶりや思い込みで行動しては、その度に失敗して後悔しています」


 しばらく和やかに世間話を続けていたが、ハンクは急に顔色を変えて、意を決したように座り直した。

「サマン先生、相談があるのですが──」

「なんでしょう改まって」

「実は──」

 ハンクは今、人間の領域の近くで蠢いているある大きな『変動』の兆候について、自分の見解をサマンに伝えた。

「是非とも先生の意見をお聞かせください。先程お話した、わたしが杞憂している事態に、人間はどう対処すれば良いでしょうか」


「……ソロス王かフィンランディア様からの命令で、岩妖精族ドワーフの意見を聞きに来たのですか? それならば、わたしは口を閉ざさねばならない」


「いえ、これは私が勝手にやっている事です。大勢が知ると必ず『妨害』が入ります。だからわたしは敢えて独りで動いています──」

「でも、わたしに相談してしまいましたよ?」

「外界と交流を制限しているサンドルクの賢者ならばその心配は無いかと」

「これまでに話したのはわたしが初めて?」

「いえ、ひとり。志を同じくする仲間に『祝福されしエレノア』というヤツがいまして。ヤツはこの計画を知っています」

「お噂はかねがね。高位精霊の生まれ変わりだそうですね」

「ちょっと話が逸れましたが──変動の件、どうでしょうか。我々人間はこれを乗り切る事ができますか」


「──ふうむ、もしその杞憂する事象が本当に起こってしまったら、人間族にそれを止める術は無いでしょう。白妖精族エルフを頼りなさい、快く力を貸してくれるかどうかわかりませんが──」

「そうですか──人間だけでは無理ですか」

「残念ながら」


「もうひとつ、教えてください。仮に今から説明する事が実現できたのなら──人間族はこの試練を乗り越えられるでしょうか」

「ほう、解決策を既に用意しておられると?」


 ハンクは例の地図を取り出した。

 拠点に赤で印を付けた地図だ。

 彼は水の入ったグラスを押しのけて、テーブルいっぱいに地図を広げて見せ、その意図をサマンに説明した。


 説明を聞き終わったサマンは目を輝かせてハンクを褒め称えた。

「素晴らしい、人間族単独──いや、あなた個人の発案でこの考えに至り、そして実行したのですか!? 人間族の進化速度は我々の倍、いや……少なく見積もっても三倍はあるようです」


「──しかしサマン先生は驚きもされないのですね──この地に大変な事が起こるかも知れないんですよ? サンドルクも無関係ではいられない」


「──変革期に差し掛かった事は誰にでもわかっていること。驚きはしません。星の動きを見ている鳥達の方が我々よりも早く異変を察知していますよ」

 サマンはその穏やかな笑みを絶やさない。

「ええ? それでは、涼やかの森もこの事を予見しているのでしょうか」

「もちろんです、星の動きの変化、大自然の司であるフィンランディア様が知らぬはずはありません。あなたの連れている妖精の少年がここに流れてきたのも、その変化のもたらした『結果』です。あなたの読みどおり、大きな変革は既に始まっています。こうなってしまえばもはや隠しようもない」


「そこまで理解されているのに、妖精族は見て見ぬ振りを決め込むのですか? 私にはあなたの助言が……いえ、人間族には岩妖精族ドワーフの叡智が必要です」

 ハンクは興奮して立ち上がると、サマンに詰め寄り懇願した。

「助言の必要はありません。既にあなたという個人が、異変に備えて動き出していらっしゃいます──そのまま積み上げていってください」

「サマン先生、あなたは何処か他人事のように語っていらっしゃいますが、この変動はサンドルクにも多大な悪影響を及ぼすでしょう、そうなった場合でも、サンドルクは外界不干渉の姿勢を貫くのですか?」

 ハンクは責めるような口調になった。サマンの笑みに対して少し苛立ちを感じていた。果たして彼は真剣に聞いてくれているのだろうか、ハンクは不安になっていた。

「それはサンドルクの主、デナリオン陛下がお決めになることです。わたしは一介の研究者に過ぎません」

「では──デナリオン陛下にわたしの話を伝えていただけないでしょうか。人間族からの支援要請として──」

 サマンは黙って考え込むと首を横に振った。

「おやおや、あなたは先程と矛盾した事を仰っていますね? 大勢が関わると『妨害』が発生するのでは? 陛下のお耳に入れる、という事はあなたの計画がサンドルクで共有されるということです。ここだけの話にしておきなさい」

「うっ……」

 サマンのように優れた思想の持ち主もいれば、スクアールやハルボのように外界の悪党と結託して道を踏み外す者もいる。

 立派な人物と思われていたロドム・ファイアフォージですら過ちを犯していた。

 サンドルクにも悪意が入り込む隙は十分にある、という事だ──ハンクは言葉につまり下を向いた。

 その気落ちしてうつむく男の肩に、サマンはその皺だらけの大きな手を置いた。

「聡明なるひとよ──検討し、葛藤し、結果を受け容れなさい──そして、結果よりも、その葛藤こそが大切であると知りなさい。何度もお伝えしてきましたよね? 間違っていたのなら修正すれば良い。常に悩み、最善の方法を模索し続けなさい、世に答えは無限にあり、人間にも『無限』の時が与えられています」

「進む方向性は間違ってはいない、という事でしょうか。それだけ教えていただけませんか」

 ハンクは床に両膝をついて頭を深く下げる──サマンはハンクを立たせて椅子に座らせた。

「不安なのですね。じゃあひとつだけ道標みちしるべを──わたしはあなたの計画を『素晴らしい』と評しました。それが全てです。これ以上申し上げることはございません」

「ありがとうございます!」

 ハンクはサマンと固く握手を交わした。



──────



 竜の首、炎雷戦士団が詰めている関所の先、ファイアフォージ家の三兄妹が集まっていた。


 レドムは三役、太伯の証である赤い豪奢なマントを羽織っていた。

「よくお似合いで」

 メドニアの世辞にレドムは不満げに答えた。

「こやつが着て来い着て来い、とうるさかったから仕方なく──まだまだ親父殿の代理に過ぎない臨時の身分、恐れ多い」

 レドムはドストムを肘で小突いた。

「でもメディーに見せておかないと……」とドストムは反論した。


 一方のメドニアはやたらと大荷物を抱えていた。長旅の装いである。

「本当に行くのか──」レドムは険しい顔をした。

「死ななくても良いスクアールさんを殺してしまった報いはどこかで受けねばなりません──」

「ハルボ叔父がやり過ぎただけでメディーに非は無いと思うんだがなぁ。しかし、自主謹慎だなんていつでも止めに出来るだろ──メディーの覚悟とは雲泥の差がある、本来ならあっちが『死出の旅』に出るべきなんだ」

 ドストムは苦々しく呟いた。元々彼はハルボとは気が合わないらしい。

「──ハルボおじさまは他家の方々からも慕われています。恥をかかせ、処罰をすればレドム兄様やカラスコム家の方々に対する反発が強くなるでしょう。それに、ハルボおじさまの事、わたしは憎めないんです──あの人がいたからわたしは今まで挫けずに生きて来られたんです──どうしても嫌いになれない」

「おまえは優しいな、メドニア」

「は、はい、その……」

「ん?」

「あ、いえ。ありがとうございます」

 レドムとメドニアのやり取りはまだ少しぎこちない。

「あの闇妖精族ヴァスカが身代わりになってくれたんだ。おまえまで苦行をこなす必要はないだろ」


 『勇者』の称号を得たメドニアは更なる探索に志願した──『竜殺し』である。

 邪竜に類するもの、または匹敵する怪物を仕留め、その勇気と力量を示すという、王位への挑戦や大将軍への就任に必須の試練であった。

 

「いえ、わたしが優柔不断でなかったら──こんな風に家族がいがみ合うことはなかったし、スクアールさんも死なずに済んだ。わたしという存在が、父上やおじさまを──ファイアフォージをおかしくしてしまった。そう思ったんです。自分で何も決められない未熟者のわたしはサンドルクにいてはならない妖精なのです──」


「おまえは自分自身を災いの種だと思っているのか? 悲しい事を言わないでくれ、お袋殿が悲しむぞ」

「そうだぞ、母上のためにも考え直さないか? 今からでも遅くはない──竜殺しの誓いなどと馬鹿げているよ。あんなものはまともな探索じゃない、寿命の近い年寄りが人生の最期を飾るための『死出の旅』なんだ。実際、デナリオン陛下も『竜』は殺していない──そもそも簡単に見つかるもんじゃないしな」

「ドストム兄さま……成功しないと決めつけないで。 誓いを果たす事が出来たらわたしは英雄なのよ? 成功することを願っていて」

「そうなると、益々おまえとの差が開く一方だなメドニアよ」

「いえ、そんな──」

「──竜を倒すまでもない、おまえこそが真の勇者だ」

 メドニアは兄からこんな温かい言葉を賜る日が来るとは想像もしていなかった。感動に打ち震えて目頭が熱くなるのを感じた。

「──グクルーは今回の冤罪の件で、機嫌がすこぶる悪くてな。性懲りもなくお袋殿をねちねちいじめたりするだろうが……そこはわたしとドストムのふたりでしっかりと釘を刺しておくさ」

「そこだけは少し心配なんですよね」メドニアの顔が曇る。

「おまえはグクルーにいい印象を持ってないだろうが、そんなに悪い男ではないのだ。ただちょっと思い込みが激しくて神経質で嫉妬深くて説教が好きなだけだ。ああ見えて深酒すると陽気になって裸踊りをするぐらい愉快な叔父貴さ」

「ええ?」

 メドニアはグクルーとだけは仲良くなれそうにない、と感じた。

「──ファイアフォージはこれから俺が取り仕切る、親父殿よりも冷徹で厳格な当主となり、サンドルクに更なる栄華をもたらすことをここに誓おう」

「兄上ならば成し遂げられると信じています。そうだ、参事との兼任も兄上ならきっとやれます!」

「ハハハ、こいつめ! ああもちろんだとも。長男たる者、目標は高く持たねばな」

「期待しています」

 レドムとメドニアは強く抱き合う。

「さあ、改めて覚悟を聞かせてくれメドニアよ。探索が長引けば親父殿の死に立ち会えないだけではない──ハルボ叔父やお袋殿とも今生の別れとなる可能性も有り得る──おまえは本当にそれでも後悔しないのだな?」

 レドムは妹の肩に手を置き決意の程を確かめた。メドニアは力強く肯いた。

「はい……!」

「うるさい邪魔者ハルボが消えてせっかく兄妹が和解できたのに──もうお別れか」ドストムは口を尖らせた。

「節目節目に文を書きます。返事は期待しませんが、何かお言葉をいただければ勇気が湧く事でしょう。サンドルクの地より見守っていただければ幸いです」

「覚悟のほどよくわかった心強き者よ。おまえが妹であることをわたしは誇りに思う」

「とんでもありません兄上、こちらこそ」

「レドムと呼んでくれメドニア、わたしに余計な敬意を払うな──我等三人は偉大なる父ロドム・ファイアフォージの子だ。その絆は誰にも断ち切れない」


「ありがとう、あにうえ……いえ、レドム」

「よし。ドストム、来い」

 レドムは弟妹を抱き寄せ力強く抱擁した。


「では、そろそろか──おまえの新しい旅の仲間が待っているぞ」

 レドムはチラリ、と遠くで待つ古い馬車を見た。御者席には遅めの朝食を摂るハンクの姿があった。


「それでは──父上と母上を頼みます。あと、おじさまの事も気にかけて上げてください」

「ああもちろんだ」

「いや、ハルボ叔父は……この際もう独房から出て来なくてもいいかな、って……騒がしいし」

「ドストム兄さん!?」

「わかったわかった、メディーの頼みなら面倒見るよ……」


「では行け、勇者よ!」

 レドムはメドニアの両肩を掴んでくるりと反転させた。

 振り返らずに歩を進めるメドニアの頼もしい背中を兄達は見送った。


「竜殺しの誓いを、成し遂げるまで──!」

 不意にレドムが叫んだ。

「決してサンドルクの門をくぐること無し──!」

 メドニアは振り返り、鉄鞭ロッドを高く掲げそれに応えた。

「竜殺しに挑む勇者よ! その誇り高き名を今一度聞かせてくれ!」

 ドストムが腹の底から声を絞り出した。

「我が名はメドニア! 誇り高き、ファイアフォージの娘!」

 メドニアは幅広剣ブロードソードで鉄鞭を叩き合わせ、ガンガンと景気良く打ち鳴らした。

「ファイアフォージ! 我等が誇り!」

 ドストムの嗚咽混じりの叫び声につられて、メドニアの目からも堰を切ったように涙が溢れ出た。


 炎雷戦士団なのだろうか、非番のはずの若者達が櫓の上から現れた。レドムが、公務に差し支えがあるという理由で、派手な見送りを禁止したため、非番の者だけ自発的にメドニアを送り出そうと集まってきていた。

 盾と手斧を打ち鳴らし、彼等は竜殺しに挑むメドニアの勇気を称えた──これからの長い一生をサンドルクの中で安寧に終える彼等にとって、名誉のために快適な故郷を捨て危険に身を晒す決断をしたメドニアの後ろ姿は、直視出来ない程まばゆいものだった。



──────


 ハンクとメドニアを乗せた馬車は長い長い竜の首を下り、ようやく外界との境界線である大門、竜の舌に到着した。

 ハンクは遥か上方、竜の上顎を見上げた。


 そこには、縄で縛られミノムシのように吊るされた何かが見えた。

 そう、二日前から竜の舌に逆さ吊りにされている闇妖精族ヴァスカの姿がそこにあったのだ。


 メドニアは本当に吊るされているのを見て驚いた。

「うわあ、グリンさん? まさか本当に吊るし刑を……だ、大丈夫、なんですよね? 無事なんでしょ?」

「大丈夫大丈夫、相棒はそんなにヤワじゃないから」

 竜の舌の周辺は物静かだった。搬入日ではないため人気ひとけは無い。ほぼ無人と言っても良い。遠巻きにテントが二つ三つ見える程度だ。

「あの、何処から下ろすんですか?」

「え? 下ろす? 落とすんだよ」

 ハンクは弓を引き、じっくりと狙いを定めると、逆さ吊りになっている罪人に向かって矢を放った。三十センチほど横を掠めていく。

「ああくそ、外した」

「ええっ? な、何をしてるんですか!」

 悪ふざけをしているのだろう、と御者席の横で眺めていたメドニアは、ハンクが本当に矢を放ったことに仰天した。

「ちょっ──ハンクさん? あれ、グリンさんですよね?」

「大丈夫大丈夫、吊るしている縄をこいつで切るだけだから」

「はあ? 当たったらどうするんですか?」

「まあまあ任せてくださいよ、弓には自信があるんでね」

 二射目は上がり過ぎ、三射目は縄に命中するが、削れただけのようで切れはしなかった。

「惜しい! よっしゃもう一発──!」

「え? 切ったらダメなんじゃ? 縛られてる状態じゃ受け身も何も取れないじゃないですか? 頭から落ちるのでは?」

 メドニアは今更ながら事の重大さに気付いて馬車から飛び降りて落下地点まで一目散に駆け出した。走りながら器用に毛布を広げる。

 ハンクの四射目は見事に縄を切り、吊るされた罪人は落下していく。

「うそ? 間に合え!」


 メドニアは落下地点に懸命に飛び込んで、落ちて来た罪人を見事にキャッチした。

「ぐ、グリンさんっ!?」

 受け止めた物体は縄でぐるぐる巻きにされていて、随分と小柄だった。いくらグリンが小柄とはいえ、これは人の大きさではない。

「なにこれ……」


 厚手の包み紙に包まれた肉塊──

 

『サンド精肉/南通り店』の文字が入った包み紙には、丸焼き用に下処理され、良い香りのする薬草とタレに漬け込まれた子供のイノブタが入っていた。

「エッ……」

 呆然とするメドニアの背後でクックッと笑い声が聞こえてきた。

 竜の舌の柱の向こう側から闇妖精族ヴァスカの少年が顔だけ出してメドニアを指差していた。



───────


「なあ〜悪かった、って言ってるだろ? いい加減に機嫌治して一緒に食べようぜメドニア。ご馳走だぞ」


 ハンク達は竜の舌を出て半日ほど南へ進んだ草原でキャンプを張っていた。街道から少し離れた場所に野営に適した岩場を見つけたからだ。


 ハンクとグリンは馬車から降りてお土産にもらった黒ビールの小さな樽を開けて酒盛りを始めていたが、騙されて拗ねてしまったメドニアは馬車の中で不貞寝していた。

「なんて意地の悪い人達なんでしょう! 本当に心配したんですからね?」

「まあ、さすがの相棒もここまで小さくは無いな」

 ハンクは丸焼き中のイノブタを調理用の大きな二又フォークで軽く突付いた。

「俺達で食っちゃうぞ?」グリンはからかうような声を出した。

「要りません」

「そんな事言うなよ、これを味付けしたのはメイニーさんだぞ」

 メドニアがひょっこりと顔を出す。

「母上が?」

 拗ねていたはずのメドニアは何事も無かったかのように出てくるとその匂いを嗅いだ。

「あ、本当です──この香り」

「じゃあちょっといいとこを切り分けるか」

 ハンクは肋骨周りの脂が乗った部位を木皿に載せてメドニアに手渡した。

 噛み締めると甘辛い味付けのタレと脂が入り混じった肉汁が口の中にあふれる。香ばしく焼けた皮の歯応えと凝縮した旨味──

「ん〜……!」

 メドニアは目を瞑り至福の笑顔で豚肉を咀嚼しながら、北の夜空を見上げる。山肌の裏側に、ぽつりぽつりと柔らかな灯火が見え隠れする。

 あれこそメドニアの故郷、サンドルクの街灯の灯火だ。

「美味いなあ」グリンはにっこりとメドニアに笑いかける。

「ええ本当に! 母上の料理は世界一です!」

「食い納めだぞ、しっかり味わえよ」

 グリンの言葉に、一瞬胸が詰まった。

 メドニアは急に怖くなった。もう二度と味わえないかも知れない、そう思うと胸が締め付けられるように切ない。

「バカ、変なこと言うなよな──」ハンクが小声でグリンをたしなめる。


 食事が終わり、メドニアは馬車の中、ハンクは焚き火の傍で寝袋に入って眠り、グリンは焚き火の管理と見張り役をした。


 グリンが夜風に当たっていると馬車の中から押し殺したような啜り泣く声が聞こえてきた。

「女々しいやつめ、しょうがないなあ……」

 グリンは馬車の木戸の部分を軽く四回ノックした。

「メドニア、大丈夫か? 寝れないかも知れないが寝ておいた方がいいぞ」

 泣き声はややあって止まり、垂れ幕の隙間から泣き腫らして無惨な顔になったメドニアが現れた。

「心配かけてすみません……大丈夫です」

「まったく、おまえはさあ……もうから故郷に帰りたくて泣いてるのかよ。早過ぎだろ」

「もう二度と──会えないかも知れない、って思うと。胸が苦しくて──」

 メドニアは顔を崩して本格的に大泣きした。鼻水も出ていた。

「あ〜あ、こんなにして。男前が台無しだぞ」

「女です……」

「どっちでもいいや。ほら、拭け」

 グリンは鼻紙を手渡す。

「すみません本当に、わたし──もう挫けそうで──帰りたい……」

「長男達には黙っといてやるから、今の内にしっかり泣いとけ」

「はい」

 メドニアは泣こうとするが、いざ泣けと言われるとなかなか泣けない事に気が付いた。

「……うーん……」

「泣かないのか? 泣いていいんだぞ」

「あ、あはは──なんか話をしていたら落ち着いてきました」

 メドニアは申し訳無さそうにグリンの顔色をうかがった。

「あのなあ、おまえ。人に心配させといて……治りましたってのが早過ぎるんだよ」

「すみません本当に」

「まあいいけどさ──いちいち俺に謝らなくていいんだぞ。これからは旅の仲間なんだからお互い遠慮無しで行こうぜ」

「はい──あの、そういえばグリンさんも──故郷、帰れないんですよね……」

「まあな。俺の場合はちょっと特殊なんだけどさ」

「平気なんですか?」

「………………」

 グリンは何か答えようと言葉を選んでいる様子だったが結局、答えるのをやめたようだ。

 やや沈黙を挟んで、グリンは口を開いた。

闇妖精族ヴァスカは、両親とか兄弟とか……成人するまで会えないし、自分がどこの誰だかわからないんだ」

「え? なんか想像もつかないほど私達と違いますね」

「寂しくは無いんだよ。同じような年齢の子供をまとめて組分けして、鐘楼館で一緒に暮らす。いくつか組があって年下の連中はわんさか居てさ。そりゃあ賑やかにやってたよ。強いて言えば教官が親代わりだったのかな、って思ってる──ほとんど死んじまったけど」


 ──ヴァーレ大虐殺の夜。

 戦争に次ぐ惨劇として世間を騒がせた闇妖精社会における政変だ。しかし、外界と隔絶したサンドルクにいたメドニアには知る由もない。


 メドニアの背筋に、ゾワゾワと悪寒が走った。

「あ、あの……なんて言ったらいいのか」

「不幸自慢は好きじゃない。そんなに不幸だとは思って無いしな──元々親なんて知らないし、家族もいないから寂しくない──おまえみたいにピーピー泣かなくて済んだし、後継者争いで揉め事なんて起こらない。妖精王バラクベルはほんと頭が切れるすげーヤツだよ」

「あ、その節はご迷惑をおかけ致しまして……」

 メドニアはすっかり落ち着いてしまい、眠気も失せてしまったようだ。

「あ、ちょっと焚き火のとこまで行きます、湯を飲みたい……」

「そうか、俺が準備してやるよ、火の前で待ってな」

 グリンはにっこりと笑うとカップを取り出して豆茶の準備を始めた。

 微細に砕きすり潰した焼き豆の粉を湯で溶いてメドニアに手渡す。

 カップから立ち昇る湯気と芳ばしい香り、頬にあたるひんやりとした夜風──メドニアは野宿が嫌いだったが、今夜の静けさと夜風は少し気に入った。


「俺達、闇妖精族ヴァスカが親を恋しく思わないのはもうひとつ理由が、あって……」

 グリンはゆっくりと続けた。

「祖霊──俺達闇妖精族ヴァスカの御先祖様達が、いつも一緒に居てくれるんだ──祖霊はいつも正しい。俺達闇妖精族ヴァスカの味方だ」

「御先祖様ですか……精霊や神様みたいなものですかね」

「もっと身近なものだ。大事な時には必ず助言をくれる。この間、吸血貴族と戦った夜も祖霊は俺に特別な力をくれた──負ける気がしなかったよ」

「へえ〜……心強い存在なんですね、ちょっと羨ましい」

「そうだろ? ふふ」

 グリンは上機嫌で自らも豆茶を啜った。


 グリンは、ふと祖霊が味方してくれなかった戦いを思い出した、少し忘れ掛けていた記憶。


(血の気を抑え、相手を見極めよ)

(蛮勇、愚かなり)

(獣の所業と心得よ)


「………………」


 祖霊は何を伝えたかったのか、はっきりとはわからなかった。ただ、襲ってきた闇妖精族ヴァスカとの戦いを止められた。

 漆黒のギルという闇妖精の男──グリンは彼の持っていた剣を持ち歩いていた。自分でも何故だかわからないが手放し難い何かを感じていた。

 グリンは剣の柄に刻まれた紋様を指でなぞる。


 同族同士で争うことを祖霊は禁じているのだろうか──グリンは、再びギルや敵対的な同族が旅の仲間を襲ってきた時にどう対処すべきなのか、考えたが答えが出ない。

(他種族を助けるために同族と戦う事は、祖霊の意思に背く事になるのだろうか?)


「グリンさん、おかわりありますか?」

「ん? ああ、ちょっと待ってろ。濃い目がいいか」

「さっきと同じくらいで」

「よし」


 ふたりはふんわりとしたサンドルクの灯火を眺めながら眠くなるまで豆茶を啜った。



 狸寝入りしていたハンクは、少年の寝息が聞こえてきた辺りで仕方なく起き出した。

 いつの間にか焚き火の前で眠ってしまったグリンとメドニアに毛布をかけてやり、火や薬缶の始末をした。

「まったくこの、ダメ妖精どもめ……野宿の基本がなっちゃいない」

 ハンクは眠気を振り払い、居眠りしているグリンの代わりに見張り役を務めた。


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