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第二十話 鍛冶家の後継者は──

 かつて人間族がまだ数えられるほどしか居なかった頃のこと──岩妖精族ドワーフ達はどの妖精族よりも親身になって人間族を世話した。


 山を開き、鉄を与え。

 竜の炎から守り、村を襲う獣人の牙を折った。

 害虫を焼き払い、蛇の毒を浄化した。


 この時の彼等は人間達のことをまさに自分達の「後継者」として大事に扱っていたのである。


 遠い昔の、希望だけが満ち溢れていた頃のお話──



 ─────


 岩妖精族の平均的な寿命は人間族の三倍から四倍ほどと言われている。彼等の身体は年齢を重ねるたびに大きく膨れ上がり骨は硬く頑丈さを増す。


 彼等の身体は老化による身体能力の低下を補うように頑健タフネスになっていくので、白髪で目のしょぼくれた老人だと思って舐めてかかった敵は激しく後悔する事になる。


 彼等は老いさらばえた姿を仲間に晒すのを好まない。特に戦士達は老齢期に入るとそれまでの寡黙で禁欲的な生き方から解放され「冒険」と「死に場所」、そして「宴会」を求めて『探索』に出るようになる。


 人間達の領域で、小人族ハーフリング達と一緒に愉快に宴会する陽気な岩妖精族ドワーフを目にする事があるが、ほとんどが『探索』に出た老人達であると思っていい。


 本当に死出の旅になってしまったり、立派な武勇伝を遺す者もいるが、大抵は納得する死に場所に出会えぬままこっそり帰郷したり、家族に連れ戻されたりするらしい──



 



 ────────



 レドム・ファイアフォージはサンドルク議会の上院議員名簿に名を連ねる一端の青年政治家である。

 生家を離れ経済的にもロドムの庇護から独立していた。


 岩妖精族ドワーフの社会においてその指導者には先ず屈強な戦士であることが求められる。多少の欠点は肉体的な強さによって補われる。

 つまり、世事に疎い妹でも賢明な兄を押し退けて、家を継げるのだ──




 上半身裸になったレドムは得物の斧を力強く振るっていた。

 鍛え上げられた身体に汗が滲む。

 両手で戦斧を頭上に構えた辺りで玄関先が騒がしくなる。


 ─────



「お前達は誰の許可を得てここにいる?」

 レドムの邸宅の奥まった場所に設けられた稽古場の中心部、その砂が敷き詰められたすり鉢状の舞台の上、ファイアフォージ家の長男が立っていた。

 彼の前には闇妖精族の少年と人間の男がいた。

「邪魔するつもりじゃなかった。どうぞ稽古を続けて」

 小鬼──グリンは愛想笑いを浮かべる。

「見せ物ではない。どうやって入った? 守衛がいただろう」

 大きな戦斧を砂場に下ろすとタオルで手を拭った。

「守衛にはこれとこれを見せた。ほら、押し入ったわけじゃないぞ」

 グリンは胸に着けた記章──白妖精族の銀細工と共に、ファイアフォージ家の印章が押された紙をレドムに見せた。

「なに、親父殿の代理だと?」

「なるほどこういう足場で鍛錬するのか」

 砂を敷き詰めた足場ならば重たい武器を振り下ろしたり、強く踏み込んだ場合に床が傷まない。

 足先を砂に取られたりして態勢が安定しない。

「摺り足がやりにくいな」

 グリンはレドムを無視するかのように鍛錬場を見物して楽しんでいた。レドムと同じように靴を脱ぎ、砂場に足を踏み入れる。

 レドムは素早い動きでグリンに近付き胸ぐらに手を伸ばす。無警戒だったグリンはあっさりと捕まり片手で軽々と持ち上げられた。

「うわっ」

「外交大使の証か何か知らんが、鍛冶を生業とする家に白妖精族エルフの銀を持ち込むなど──」

「うぐ……」レドムの太い拳が少年の喉を圧迫する。

 レドムは呼吸に四苦八苦するグリンを砂の摺り鉢の外に投げ飛ばした。ハンクが少年の身体を受け止める。


「こんなくだらない挑発をするために来たのか?」

 振る舞いはまるで激怒しているかのように激しいがレドムは平静を保っている。

「すみませんねレドムさん。まあ、このお調子者のことはちょっと忘れて──お話させてください。わたしはあなたに聞きたい事があります──それと、わたしの言葉はお父上からの言葉だと思っていただきたい」ハンクが真面目な調子で切り出す。

 レドムはグリンを無視してハンクと向き合う。

「人間──君は不誠実で軽薄そうな仮面の下に礼節と知性を隠しているようだ。話を聞こう」

 レドムは着衣の乱れを整え、姿勢を正した。先程とは真逆の紳士的に振る舞う。

「なるほど、非礼には非礼で返す──と」

「その通りだ」

 レドムはうなずいた。ハンクは柄になく緊張して咳払いをする。レドムの冷徹な凝視から受ける圧力は並々ならぬものがある。

「レドムさん、先ずは我々が中立的な立場であることをご理解いただきたい」

「ふむ、メドニアと雇用関係にあるようだが?」

「契約は満了しました。個人的な親交があると言っても、長い付き合いじゃありません。一ヶ月にも満たない」

 確かにそうだ、とレドムはうなずいた。

「それで君達は具体的に何についてわたしと話し合いたいのか?」


「後継者問題についてです」


 レドムはハハッ、と声に出して冷笑したが眼は笑っていなかった。

「なるほど今回の件でメドニアが優位に立ったと? 君達はさしずめ降伏勧告の使者ということか」レドムはその冷酷そうな瞳でハンクを睨みつける。


「降伏勧告とは? 何をおっしゃりたいのかわかりません」ハンクは圧に負けて目を逸らすような真似はしなかった。

 その態度を見たレドムは少し警戒を解いた様子だった。眼光による圧が

「ふうむ──人間よ、当家を取り巻く状況についてちゃんと理解しているか?」

「出来れば、その辺りも含めてじっくりとお伺いしたいところです」


 レドムは深く頷きハンク達の求めに応じた。

 そうして険悪さを増すファイアフォージ家の後継者争いについて語り始めた──

 



 ──レドムの母親アマン・カラスコムが早逝して数年の後、ロドム・ファイアフォージは若い後妻を娶った。


 新しい妻メイニーの生家ハクラ家はサンドルクではごく一般的な鉱山労働者の家系であったが、不幸な事故で父親と長男を同時に亡くした。

 生活に窮するようになったハクラ家をロドムが憐れんで、長女のメイニー・ハクラを家政婦代わりに雇用した事がきっかけだったという。


 前妻のアマン・カラスコムと比べて愛敬があり、料理の腕が良いメイニーは親戚一同からも快く迎え入れられた。

 一部、アマンの弟グクルーを始めとしたカラスコム家の面々は「後々災禍を招く」と、この婚姻に難色を示していたが、メイニーの事を気に入っていたハルボの強い後押しもあり、グクルー達の反対を押し切る形で婚姻が成立した。


 メイニーの子、ドストムは戦士として凡庸だったのと、性格的にも煮え切らない優柔不断なところがあったので後継者としてレドムと比較しようとする者は居なかった。

 しかしながら。

 妹のメドニアの戦士としての成長は凄まじく、腕力、持久力において同世代の男性戦士達を遥かに凌駕する存在となった。

 ロドムの父親は岩妖精族ドワーフでも指折りの戦士であり、王に代わって軍を率いて邪竜を討伐した英雄と言われている。

 メドニアはどうやらこの祖父の血を誰よりも色濃く継いでいるらしく、掛かり稽古の際に年齢の離れた長男レドムをも打ち負かす程だった。


 ロドムの患っている内臓の病が思わしくない事がわかると、ハルボを中心にメドニアをファイアフォージ家の次期当主に推す気運が高まっていった。

 グクルー・カラスコムが懸念していた通りに、レドムとメドニアの関係は冷え、カラスコム家と他の親戚達との仲は険悪になっていった。


 天賦の才をもつメドニアを後継者にしよう、とハルボを始めとした様々な岩妖精達が病床のロドムの元を訪れメドニアを推した。

 しかし、肝心のメドニア本人があまり乗り気では無かった。母に似て内向的で周囲に流され易い性格であり、学問においては劣等生である事が広く知れ渡ると、メドニアの評価は落ち、やはり知勇兼備のレドムを後継者に据えるべきという意見が盛り返した──



 そこに降ってわいたのが家宝のレブロスハンマーの窃盗騒動だ。


 犯人はカラスコム家と縁深いウレロ家のスクアール。ウレロ家は親戚一同から絶縁、当然ながらカラスコムの立場も悪くなった──


「メドニアによって、わたしの親戚スクアールが成敗された──カラスコム家の引き起こした不始末をハクラ家の娘が解決した──わかりやすい業績だ。今回の功を手土産にハルボ叔父はメドニアの家督相続を強く推薦するだろうな──妹が家督を継げば、わたしとカラスコム家は益々居場所が無くなる──カラスコムを排除したい卑怯な連中の描いた絵図通りになったと言うわけだ──」


 片手で戦斧を軽く持ち上げ真下の砂に片刃を突き立てる。斧は砂の中に深々と潜り込んだ──メドニアよりも背は低いが単純な腕力ならば妹を上回っているようにも見える。レドムは沈黙するハンク達に変わって会話を続けた。

「──だが、わたしもそう簡単には諦めない。卑怯な罠の被害者であるスクアールの名誉回復のためにわたしは、戦士の掟に従い、実力で当主の座を奪い取るつもりだ。同じ相手に二度は負けない──帰ったらメドニアにそう伝えておけ」


「待ってください──あなたは何か誤解していませんか? 卑怯な罠とはなんですか? 我々には事態がまったくつかめていません」

 ハンクは少し声を大きくして「卑怯な罠」の部分を強調した。

 少しレドムの顔色が変わった。険しさがやや和らいだ。

「うん? 何も聞いてないのか」

「それはそうですよ、我々は部外者ですから」

 ふうむ、まあ確かに──とレドムはしばらく目を瞑った。

「──わたしの叔父にあたるスクアールは確かにだらしがない一面があった。賭けカードにのめり込んでわざわざ外界に降りて高額な賭場に出入りしているという噂も聞いた。しかし、彼はギャンブルにいつも負けていたわけではない。彼はサンドルクではなかなかの勝負師だった。外界の慣れない賭場だとしても、破産するほど負けるとは思えない。加えて……神器を盗めば死罪になることがわからぬほど馬鹿ではない。彼はメドニア達に濡れ衣を着せられ──外界で殺され口を封じられたのだ」


 レドムは忌々しげに語り、水差しから水分を補給した。標高の関係からか外気は少し肌寒く感じるが、レドムの上半身からは湯気が立ち上がっていた。


「雄弁に語られましたが……今回の件は敵が仕組んだ罠で、スクアールさんはその被害者だと?」

「そのとおりだ」

 レドムは力強く答えた。

「何か証拠を提示できますか? 証人でも良いです」

「…………」

 沈黙──証拠が出せない以上、残念ながら今語った筋書ストーリーはレドムの推測に過ぎない。

「証明できないのですか」

「証明は無理だ──考えてもみろ、スクアールは弁明する事も許されず殺された。唯一の証人は口封じされたのだ」

 レドムは続けた。

「レブロスハンマーはサンドルクに無くてはならぬ宝だが、明確に値段が付けられるものではない、換金するにしてももっと外界で換金しやすいものを選ぶはずだ。不自然過ぎる、何かはかりごとがあったに違いない」

「ふむ……一理ありますね」

 ハンクは考え込む。

「これが陰謀でなかったら、叔父は何かの呪いをかけられ正気を失っていたに違いない」


 グリンとハンクは顔を見合わせる。

 レドムとメドニア、双方の認識に大きな隔たりがあるらしい。スクアールという人物を知らないので何とも言えないがレドムの話を聞くと自分には甘いが根っからの悪人では無さそうだ。

 ハンクは少しばつが悪くなり誤魔化すように軽く咳払いする。


「な、なあ長男」グリンが口を開いた「おまえ、メドニア達に毒を盛ろうとしたか?」


「ちょっと待て? 毒だと?」


 レドムは眉根を寄せる。

「メドニアの従者のなんだっけハボ? ってヤツがが急な病に倒れて、スクアールの探索が打ち切られそうになったんだよ」とグリン。


「寝込んでるハボニーとミルダラの事か? あのふたりが帰ってきたのは何かの突発事故アクシデントではなくわたしが仕組んだ──とでも?」


「そうなんです、わたし達はあなたがたカラスコム派閥の妨害工作だと思っています──」


「待て待て言い掛かりにしても酷過ぎる……そもそも外界とは吸血貴族のような夜の眷属が跋扈しているような危険なところ。未知の毒物が発見されても不思議ではないだろう? わたしが毒を仕込んだ証拠は? その毒の入手経路は? 白妖精族エルフの呪いである可能性は? 吸血貴族の邪法に類似のものがある可能性は?」


「う、ううむ。確かにこちらも証明はできません」

 畳み掛けられてハンクはたじろぐ。

 レドムの声の調子は怒りではなく『無知なる者への呆れ』だった。ゆっくりと、ただただ淡々と指摘を重ね続ける──その顔はまるでハンク達の思慮の浅さを憐れむよう。


「──人間よ、我々の間には埋めなければならない認識の齟齬があるようだ。わたしは君達から見てどういう人物に見える? 妹に負けた事を根に持つ家畜の豚以下の存在か、それとも毒を使い謀略を巡らす悪辣な策謀家に見えるのか? 率直な意見を聞かせてくれ」


「いやその~すみません、なんていうかあなたの人相だけで判断してしまった事をここにお詫びします」

 ハンクは言葉に詰まった。

 どうもレドムという人物は、良くも悪くも嘘を吐けるような器用さや狡猾さを持ち合わせていないらしい。

「あの……怒らないで聞いてくださいね? 正直なところ、メドニアさんの探索が失敗して得をするのは貴方達カラスコム家の派閥ですよね? だから私達はあなたが妨害工作をしたのだ、と思って──いました」言いにくそうに顔を歪めるハンク。



「ふうむ、確かに筋は通るな。だが! 妨害工作をするならメドニアに直接危害を加える方がより確実ではないか? 何故遠回りをする?」

 レドムは真顔で返答する。


「ああまあ、そうですね……」

 段々とハンクの歯切れが悪くなる。

「人間がこんなに非論理的な種族だとは思わなかった──相手を疑うのならもう少し下調べをして、しっかりとした裏付けをするべきだ。さもないと悪鬼に騙され滅びの道を歩むぞ」

 レドムはかなり真剣にハンクの身を案じるような調子で説教を始めた。

 その堂々とした態度にハンクは完全に白旗をあげた。

「いやその、すみませんでした。よく調べずに疑って」

「いやいいんだ仕方ない」

 ハンクは混乱していた。確かに昨晩は悪意のある目でメドニアを見ていたのだ──異種族の感情を読む難しさからくる誤認なのだろうか。


「──昨晩、感情にまかせて大人げない態度をしていたのは私達だ。異種族の表情を精確に読むのは難しい──君の誤解を責めるつもりはない。確かに昨晩、叔父を殺した事を誇らしげに語るメドニアに、わたしとドストムは強い憎しみを抱いていた。叔父は、わたしやドストムが幼き頃の石材加工の教師だった事もあるのでな──」


 メドニアと敵対する相手の本丸に意気揚々と乗り込んでは来たものの、肩透かしを食らってすっかり勢いを削がれた格好になった。


「すみません、ちょっとふたりで話を……」

 ハンクとグリンは少し離れてレドムの人物像について意見を交わした。

「おいハンク、ちょっとなんか様子が変だぞ」

「ああ……」

「泥水かぶっただけで泣き言を言うメドニアとはあんまり似てない──なんか威厳があってかっこいい男だ」

「いやそういう話じゃなくて……ファイアフォージから不当に追い出されようとしているのは、こっちの長男の方なんじゃないのか?」

「確かにな。ちょっと眼付きが鋭いだけで──少なくとも、毒を盛るとか妹イジメとかの『せせこましい真似』を好むヤツでは無さそうだ」

「同感だ──なんというか岩妖精族の表情は読み難い、特に男は──うん、ちょっと認識を改めよう」

「わかった」


 ハンク達は出来る限り先入観を無くしてもう一度レドム側の事情を聞く事にした。

「すみませんでした。話の続きを……レドムさん、もう少しあなたの立場や考えについてお聞かせ願えますか?」


「ああいいとも。余談になるかも知れないだが──わたしはいま、サンドルクの都市運営に携わっているのだが思いの外それが面白くてね、実は太伯の役職より参事さんじの役に興味がある」

参事さんじ?」

 太伯は国王に次ぐ権利者で三役のひとつであり百年祭の祭事を取り仕切る祭祀役の名誉職でもある。

 一方の参事は三役の下位ではあるが実際に議会を取り仕切る役人の長であり、経済や産業を回す実務のスペシャリストである。

「ここだけの話にしてもらいたいが、わたしは現在の参事であるギャスリイ翁よりも効率良く資源採掘を進める自信がある。第三坑道の勾配差は是正する必要は無いんだ──図に描いて説明するとだな──」

 鼻息を荒くして興奮気味によくわからない話を語り始めるレドム。

「ええと……」

「ああすまない。外界の君達には何の関係もない話だな、忘れてくれ。要するに──別にわたしは是が非でもファイアフォージの家督を継ぎたい、と思っているわけではないのだということを分かって欲しい──ちょうなんという立場上、親父殿の前では口が裂けても言えないがな」

「えっ?」

 ハンクとグリンは驚いて顔を見合わせた。

「──メドニアが指名されれば、わたしは潔く身を引く。そうすれば参事の役を目指すための専門的な上級学問に励む事が出来る──それにな、太伯と参事の役を同時期に賜れば、ファイアフォージ家は私達の代でサンドルクの歴史上比類無き誉れを得るだろう」


「しかし、その話を信用しろと言われても……」ハンクは頭を掻いた。

「信じてもらわなくて結構。まあ戯言はさておき、メドニアに太伯の任は務まらないかもな。アレは他人を信用し過ぎる。善良さは時に災いを呼ぶ──」


 レドムは戦斧を引き上げると砂を払い、武具置き場に立て掛け、革のベルトで固定した。そしてその脇にあるベンチに腰掛けてハンクにも大きな切り株で出来た木製の椅子を勧めた。

「良い機会だ。人間、そこに座るといい。今まで面と向かって他人に言い出せなかったわたしの本心、君達の口から親父殿に伝えてもらうとしよう──」


「えっと、俺はどこに座ればいい? 椅子は?」

 レドムは無言でゴツゴツした薪の束を指差した。嫌味のつもりだったがグリンは喜んでそれに腰掛けた。

「物好きな小鬼だ」

 一瞬だけだったが、レドムは初めて表情を崩した。



 ──────



 グリン達はレドムとの話し合いを終え玄関先で待つメドニアの元に戻ってきた。小一時間ほど経っていたがメドニアにとってはその何倍もの長い時間に感じられた。

「あの長かったですが──揉めたりはしてないですよね……?」

「逆だ逆──糾弾しに行ったつもりが、和解しちゃったぞ? いや~、おまえの兄貴は……ほんと立派な岩妖精ドワーフだな」とグリン。

「ああ、なかなかの人物だったな」ハンク。

「え? 話が読めませんが……丸く収まりそうなんですか?」

「ああ、メドニアさんが家督を継いでも構わない、と言われてましたよ──色々と誤解があったようです」

「ど、どういう風に誤解があったんでしょうか?」

「お兄さんは、あなたが後継者になったらスクアールと縁が深いカラスコム家が他の親戚一同から酷い扱いを受ける事になると思っていたのです」

「そ、そんな! どちらかというと私と母の居場所が……」

 メドニアは慌てて反論する。

「まあそんな調子で、お互いが被害妄想していたのさ」とグリン。

「──カラスコム派閥があなたの従者のミルダラさんがハボニーさんに毒を盛って探索を妨害しようとした、ってのはどうも俺の早合点だったようです──申し訳ありません」

 メドニアはこの言葉を聞いて心底安堵したようにため息を吐いた。

「そ、そうですよ、毒を盛るなんてそんな事、戦士のやる事ではありません! あの、その他には何かおっしゃってましたか?」

「ああ……おまえみたいな勉強嫌いには太伯の重役はとても務まらないだろう~……的な事は言ってたな」グリンは腕組みしながら伝えた。

 メドニアはうつむいた。

「そ、それは私自身がよく理解しています」

「でもレドムはそんなにお前のことを嫌いじゃないぞ」

「ほんとですか!?」

 ややうつむき加減だったメドニアは跳ね起きるように上体を起こして喜んだ。

「ああ、もしおまえが家督を継いで太伯になってくれたらあいつは別のやりたい仕事が出来る、と言っていた」

 メドニアは困惑した。

「どういう意味なので?」

「お兄さんは参事の仕事に興味があるそうです」

「参事……! 確かに兄上は頭も良いので数字を扱う仕事に向いてるかも。でもそんなことを考えてたなんて」

「誰にも言ったことは無いんだそうだ」

「お兄さんは、もし自分が家督を継いでもお母様──つまりメイニーさんを邪険に扱う気は無いそうです。たとえ義理でも母親を助けない息子はいない、と。強い当主になってカラスコム家にもしっかり言い聞かせるそうですよ」

 メドニアは感激のあまり身体を震わせた。

「良かった! ああ、なんてことなんでしょう。あの、わたし今まで兄上を冷たくて女性に厳しい人だと──早速これまでの数々の非礼をお詫びしなければ!」

「待て待て」

 喜び勇んでレドムの家に入ろうとするメドニアをグリンが引き留めた。

「え? 何で止めるんですか?」

 グリンは少し引きずられたが何とかメドニアを立ち止まらせた。

「落ち着け落ち着け──レドムはこうも言っていた。『誰が当主になるにせよ、俺とお前はいずれ戦士としてどちらが上なのか、序列をはっきりさせねばならない。納得の行く決着が着くまで馴れ合いをする気は無い』──と」

「!? なんでそうなるんですかっ!」

「俺にキレるなよ」

「あ、その……わたしは別に当主になる気なんて最初からないんです。兄上やグクルーさん達が、お母様と仲良くしてくれるのな何でも良いんです。戦士としての優劣なんてくだらない!」

「まあな。後継者争いとは関係無いっぽいな。割と根に持ってそうだぞ。まあそりゃ女に負けたら悔しいよな。男の誇り、自尊心プライドの問題だ」グリンはうんうん、と首を縦に振る。

「わたしが稽古で勝ったのが原因なんですか……? 勝ったの一回だけですよ? 勉学でも礼法でも石工でも兄上の方が優れているのに……」

 メドニアは眉をひそめた。 

「んー、そういう態度が問題なんだぞ」

「男は繊細な生き物なんですよ」ハンクが苦笑いしながら付け足す。

「ほらおまえは家督継ぐ気無いんだろ?」

「はい」

「じゃあ帰ってロドムにそうハッキリ宣言するといい」

「はい、わかりました!」

 メドニアは今にも小躍りしそうなぐらいに上機嫌になっていた。

「なんだよ、勉強しなくて良いから喜んでるのか?」

「そんな事無いですよ?」

「なんか怪しいな」

 グリンが底意地の悪そうな眼でメドニアの顔を覗き込んでくるので、メドニアは必死で顔を背け続ける。

「な、な、長らくぎくしゃくしてた家族関係が元通りになりそうだから、それで嬉しいんですよ」

「ふーん、まあそういう事にしておこう」

「……あの~、なんかグリンさんって、わたしに対して妙に厳しくないですか?」

「それはおまえが図体の割に情けないからだ。俺が岩妖精族ドワーフに対して抱いていた幻想をどんどん打ち砕きやがって……まったく」

「勝手に期待して、勝手にガッカリしないでくださいよ~……わたしはそんなに立派な戦士じゃありません。それよりも早く父上にこの件をお伝えしたいのです、私の家に戻りましょう!」



───────



 メドニアを先頭に一行はサンドルクの街を歩く。

 元々物静かな街並みではあるが今の様子は特に静かだった。

 ハンクとグリンは住人達から注目されていた。あまり良くは見られていないらしい。

「……」

「なんか妙だな」

「物珍しいだけ、では無さそうだぞ」とハンク。

「大丈夫でしょうか……」

 その異様な空気をメドニアも感じ取ったのか少し不安気に振り返ってくる。


 ファイアフォージ家の近くまでやってきた時、異変が目に飛び込んでくる。

 武装した岩妖精族ドワーフの戦士達がたむろしてメドニア達を待ち構えていた。

「あれ? ハボニー、ハボニーが居ますよ!」

 毒を盛られて寝込んでいたはずの従者、女戦士のハボニーがハルボに支えられて立っていた。その姿を見たメドニアは嬉しくなってハンク達にハボニーの事を伝えた。

 不意に戦士の一人が叫んだ。

「メドニアさん、早く闇妖精族ヴァスカから離れて!」

「え?」

 盾を掲げた炎雷戦士団の戦士達が一行を取り囲む。

「おい何だ何だ?」

 ハンクとグリンが困惑しているとハルボ・ファイアフォージがいかめしい表情で近付いてくる。盾を掻き分けてハンク達を一睨みするとメドニアに手招きする。

「この賊が。世間知らずのメドニアを誑かしてまんまとサンドルクに入り込みおって──最初から怪しいとは思っていたが……」

「ハルボおじさま!? 何なんですかこれは?」

「ハボニー、そこの小僧で間違いないのだな」

 ハボニーはふるふると唇を震わせていた。

「おい! ハボニー、はっきりと言わんか!」

 ハルボは震える若い女戦士を怒鳴りつけた。彼女の肩が激しく跳ね上がる。

「……は、はい。そこの闇妖精ヴァスカがわたしを短剣で斬りつけて──その時に毒を──」

 震える手で弱々しくグリンを指差す。

「おまえなんぞ知らん」グリンはムッとしてハボニーと呼ばれた妖精を見る。顔色はすこぶる悪く衰弱しているようだが、小刻みに震えていて体調以上に何か精神的な抑圧を受け緊張しているようにも見えた──

「え?」

 この発言に一番驚いたのはメドニアである。

「ハボニー?」

 呼び掛けるが彼女はメドニアと目を合わせようとしない。

 三人は驚きのあまり身を固くした──今まさに、彼等は罠に嵌められようとしているのだ。

 ハルボはハンクに向かって軽く頭を下げた。

「ありがとう人間族の友よ、カラスコムの悪しき計画について忠告していただいて本当に助かった──そして残念なお知らせだ。あんたの連れはサンドルクに破滅をもたらすためにやってきた外界からの災厄じゃ。尋問して計画を洗いざらい吐かせる」

「なんだって?」

「グクルー・カラスコムも既に身柄を確保してあるぞ──観念するんだな小僧」

「頭おかしくなったのか」

 ハルボと目が合ったグリンは肩をすくめるとロドム・ファイアフォージの委任状を掲げた。

「おいこれを見ろ──俺は」

 無警戒に近づくグリンから、ハルボは委任状を奪い取った。

白妖精族エルフの外交特使だと? 白妖精やせっぽちどもめ、遂にサンドルクにまでちょっかいを出してきたか」

 ハルボは上質紙をくしゃくしゃに丸めると後方に放り捨てた。

「おい何をする?」

「魔術で我らをたばかろうとしても無駄だぞ」

 ハルボはグリンを捕まえようと手を伸ばすが、グリンは身を屈めると、その大きな両腕からするりと逃れた。メドニアがグリンとハルボの間に割って入る。

「おじさまやめて! こんなの何かの間違いです、どうか落ち着いてください! ハボニーとグリンさんは会った事も無いし、切り傷なんて無かった!」

「正気に戻るのはおまえの方じゃメドニア! こいつはおまえの敵じゃ! こっちに来なさい」 

 武装したハルボに強く腕を引かれるが、メドニアは力強く自らの腕を引っこ抜いた。巨漢のハルボも力負けして二歩ほど前に引っ張られた。

「ぬお……メディ! 大人しく言う事を聞かんか!」

「聞けません! グリンさんは悪い妖精じゃない!」

「そうだぞ、俺は強い毒があまり好きじゃない。毒ってのは管理が大変で想定外の効果をもたらす。出来れば使いたくない」

「おまえの事情など知るか。ええいもう! らちがあかん。おいお前達、小僧に鎖を掛けろ」

 捕縛用なのだろうか、重たそうな金属製の鎖を持った戦士達が近付いてくる。

「ハルボさん話を聞いてください。順を追って説明します。実は先程、レドムさんのお宅で──」

 ハンクはあくまで冷静に手前の戦士に近付き鎖に手をかけた──のだが、にっこり笑い掛けたところいきなり鼻っ柱に拳の一撃をお見舞いされた。金属製の篭手を着用したパンチは軽く当たったとしても相当な衝撃を受ける。

「うごっ!?」

「下がれ人間、邪魔すると貴様も仲間とみなすぞ」

「いきなり殴るか普通……」ハンクは出血をした鼻を抑えて小声でつぶやく。


「……やめなさいっ!」


 怒号にも似た大きな声を出したのはメドニアだった。大きく腕を振り回して戦士達を威嚇する。

 あまりの迫力にハルボ以外のほぼ全員が仰け反り、メドニアから半歩後退する。

「メディ、何をやっとる。邪魔をするな」

 姪っ子を押さえ込もうと手を伸ばしてくるハルボ。

「いやです!」

 メドニアは、ハルボの手を再び払い除けた。

 盾を構えた戦士達が足早にハルボを庇うように前に出た。鎖を持った戦士達はいつの間にか数を増やしていた。グリンとの距離を測っているらしい。

「グリンさん、一旦逃げて……! おじさまの誤解は私が解いておきます!」

「逃げるのはいいけど、何処に?」

 細い繊維が結び付けられ網状になった鎖がグリンに投げ掛けられた。グリンは身を屈めて器用に抜け出したが、代わりにハンクが搦め取られる。

「なぁんでだよ!?」あっという間に引き倒されるハンク。

 武器を引き抜きグリンとの距離を詰める戦士達。

 ろくな武装をしていないグリンは舌打ちをする。

 そもそも闇妖精族ヴァスカには岩妖精族ドワーフを打ち倒すほどの腕力は無い、五芒星手裏剣シューティングスターで急所を狙う事は出来るが、殺すつもりが無いのなら事態を悪化させるだけだ。


 突如メドニアは「ヤッ!」と声を上げて鎧を着用した戦士のひとりの背中に手を回して腰帯を掴むとまるで土嚢を投げるように放り投げた。

 そのままもうひとりの腕を掴んで盾にしながら突進した。

 屈強な戦士達が作った壁が、メドニアの突撃で崩壊する。その怪力に驚嘆するあまり、戦士達は一歩も動けなかった。平服で武装していないメドニアに炎雷戦士団の戦士達が気圧されてしまっている。

「グリンさん! 取り敢えず今日は何処か人目の無いところに隠れていて!」

「わかった! ハンクの事も任せたぞ!」

 言うが早いか、闇妖精族ヴァスカの少年はすぐに駆け出した。戦士達が気付いた時には少年は包囲の輪から脱してその脚の動きを加速させた。

 戦士達は手斧を投げ付けるが、後ろに目が付いているかのようにグリンはそれらを躱した。

「そんなもの投げるな! 相棒を殺す気かよ!」

 捕縛されたハンクが喚き散らすが誰も相手にしていない。

 メドニアは自分が引き倒した戦士から戦槌バトルハンマーを奪い二刀流で炎雷戦士団の前に立ちはだかる。戦士のひとりがグリンを狙おうと石弓クロスボウを準備するがメドニアは精確に石弓を打ち地面に叩き落とした。石弓の木製部品は砕け金属製の金具もへし折れた。石弓を砕かれた戦士は、この一撃が自らの兜の上に振り下ろされたら、と思うと生きた心地がしなかった。

 盾を掲げた三人の戦士がメドニアの動きを制限しようと勢い良く突っ込むがメドニアは器用に戦槌を振り回して連撃を加えた。盾の上からの打撃は異常に重く、腕を痺れさせた。戦士達に怯えは無かったが、単純に腕力でメドニアに圧倒されてしまい亀のように盾の陰に隠れることしか出来なかった。

 猛烈な勢いで押されたひとりが尻餅をついて倒れ込む。残りふたりは倒されないように前方に重心を移すがその瞬間、戦槌を手放した長身のメドニアに上から兜を掴まれ、顔面を地面に叩きつけられた。

 ハルボからの指示で若手を押し退け年長の戦士達が前に出た。彼等は無駄のない動きで鎖付きの分銅を投じる。メドニアは器用に身体を捻ってそれらを避けるが死角から放たれた別の鎖に腕を絡め取られた。

「うっ……!」

 メドニアはすぐに両手で鎖を掴むと戦士を引き摺り倒した。

 しかし、さすがはサンドルクの門を守護する精鋭戦士団、隙のできたメドニアにあっと言う間に重たい鎖を巻き付ける事に成功した。

 メドニアは動きを封じられ不様に尻餅を着いた。それでも諦める事なく身をよじり拘束を解こうと藻掻く仕草に安堵を覚えたが、次の瞬間メドニアは鎖の拘束から器用に片腕を引き抜いた──戦士達に緊張が走る──メドニアと手合わせをしたことが無い者が多かったらしく炎雷戦士団の新入り達は怪物を見るような怯えた瞳で彼女を見た。

 

「やめやめ、やめんかい! もう小鬼はとっくに逃げとるわい」

 ハルボは苦虫を噛み潰したような渋面を作るとドカドカと地団駄を踏んだ。

「メディ! 邪魔をしてどういうつもりだ!」

 メドニアはグリンの姿が見えなくなったのを確認すると深呼吸して目を瞑った。

「もう抵抗しません。鎖を解いてください」

 安堵の溜息をもらす戦士達とは対象的にメドニアの息は切れていない。衣服のダメージや汚れを気にかける余裕すらある。

「邪魔した罰じゃしばらくそのままの格好でいてもらうぞ」

「……」メドニアは不服そうに頬をふくらませてハルボに抗議の視線を送るがハルボは無視してハンクに絡まった網をほどく。


「問答無用でこの扱いはひでえ! 相棒が何をしたって言うんだ? 先ずはこっちの言い分も聞けよ!」

 ハンクは不格好な姿のままハルボに突っ掛かるが、ハルボは人間族の抗議など気にも止めていなかった。

「静かに、お客人。外界の法律はあんたを守ってくれん。そして薄汚い闇妖精族ヴァスカの権利なんぞここでは家畜程度のもんだ。白妖精族エルフと仲良し、っていうなら尚更心象は悪い。今あんたらがいるのはワシら岩妖精族ドワーフの領域なんじゃ。言う通りにせんとあの小鬼だけじゃなくあんたも酷い目に遭う。無事に外界へ帰りたいなら大人しくしておく事だ」

 このハルボの態度に怒ったハンクは感情のままに罵声を浴びせた。

「他種族を家畜呼ばわり? 戦士団の団長がこの程度とはね! 岩妖精族ドワーフの文化ってのは人間族より洗練され、その精神は遥かに誇り高い、ってのはとんでもない誇張だぜ」

「ハッハッハ! 妖精も色々居るんじゃよ、若いの! 公明正大な議員先生や頭脳明晰な技師先生達とは違って、ワシは特に育ちが悪いんでな──腕っぷしひとつでも成り上がれるのが岩妖精族ドワーフの良いところじゃ」

 ハンクは歯噛みするがこの場はいくら騒いでも状況は変えられそうに無い。彼には少年を追う戦士達の後ろ姿を見送る事しか出来なかった。


──────


賭場の帳簿


──────



 鍛錬を終えたレドムは庭先で秘書が淹れた茶を飲み、くつろいでいた。

 塀の辺りから何かの気配を察したレドムは手斧を手に取ると短く野太い首を傾げ塀の近くに寄った。

「長男……長男……」

 微かに何か聞こえて来る。

「なんだ? そこに誰か居るのか?」

「メドニアの兄貴……ちょっと、静かにしてゆっくりこっちに……」

 レドムが裏口の戸を開けるとそこにはつい先程まで話をしていた闇妖精の少年が居た。

「なんだおまえは」

「他に逃げる場所が思いつかなくて──それより、ちょっと大変な事になってるぞ」

「ふん、ここのところずっと大変だったから驚く気も失せてるよ──それで? 何がどうしたんだ」

「驚くなよ、いつの間にか『俺』がメドニア達に毒を盛った事になっていて──あんたの親戚のハルボに捕まえられそうになった! そしてカラスコムが悪い事になっててグクルーってやつが既に捕まってるらしいぞ……!」

 レドムは少し顔色を変えただけで冷静な態度を崩さなかった。

「まあ、あいつらがやりそうな事だ」

「グクルーが捕まったのに驚かないのか」

「スクアールが消えた時から予見出来た事態だ──それでメドニアはどうした?」

「ああ、メドニアは怒って戦士をぶっ飛ばして俺を逃してくれたよ」

「そうか……つくづく世渡りの下手な不肖の妹だ。どちら側にもなれず右往左往──」

 レドムは呆れ顔になる。

「これはもうロドムに仲裁をしてもらわなきゃ収まらないぞ。長男、一緒に行ってくれないか?」

「馬鹿かおまえは。身の潔白を証明してからでなければ無駄足になるだけだ。捕まってしまった後では反撃の準備など進められない」

「いや、そうは言うけど──俺には何もかもがいきなりの事で考えが追いつかないんだよ──俺一人なら逃げてもいいけどハンクを置いて行けない」

 むすくれるグリンを見てレドムはやれやれ、とつぶやくと腕組みをして何事か思案を始めた。

 ややあって、秘書が早足でレドムの元にやってきた。グリンは物陰に潜り込むがレドムは敢えて秘書にグリンの存在を告げた。秘書の持ってきた報告書には、グクルー・カラスコムに国家反逆罪の嫌疑がかけられ逮捕状が発行される、という内容が記されていた。

「私の逮捕状も準備中だろうな」

 レドムは溜息を吐いてグリンを見た。

「おまえの事も書いてあるぞ、サンドルクで破壊工作をするためにメドニアと接触した、と」

「でたらめだ!」

「そうだ冤罪だな。時に小鬼、おまえは魔術が使えるか?」

「ああ……教官から並以下、とハッキリ言われた」

 レドムは渋い顔をするとひと声唸って溜息をついた。

「身を隠したり、盗んだり……盗賊の技は?」

「まあ俺は斥候スカウトだからな。情報収集は本職だが。それがどうかしたか」

「その本職の腕前に期待して──ひとつ頼まれてくれるか」

「頼みとは?」

「ネドビウムへ行ってもらいたい」

「……ネトビューム?」

「遊技場──賭場の名前だよ」

「え? 何で?」

 グリンは首を傾げて鼻の頭を摘んだ。


──────


 きらびやかな装飾で飾り付けられた平屋建て建造物が見える。夜になり照明が点灯するとさぞかし賑やかになる事だろうが日が高い内は周囲の洗練された建物との調和を乱す醜悪な異物に過ぎなかった。

 社交の場ではあるが良識ある紳士が頻繁に訪れるようには見えない。

 元々サンドルクは静かな街だがこの遊技場のある区画はやはり裏通りに位置していて、昼間は人が寄り付かないようだ。一際閑散としていて入口の周りも人はまばら、守衛もひとりしか居なかった。

 いくら警備が手薄とは言え、さすがに正面から侵入するのは無理だ。

 グリンは『娯楽の殿堂〜ネドビウム〜』と妖精文字で書かれた大看板を無視して裏口を探した。


 裏口の戸はかなり特殊な装置によって施錠されているようで鍵を差込む穴らしき物が存在しない。代わりに細かな歯車や金属の線で構成された小箱がくっついていた。もちろんグリンにとっても初めて見る装置だったが、彼はこの先進的な施錠システムを自分なりに分析した──これはどうやら疑似魔術的な装置であり、何らかの『鍵』が要ることまでは理解できた。


 グリンは器用に短剣の先で薄い金属の蓋を抉じ開けると中の配線をひとつ切断する。当然、解錠出来るわけもなく戸は堅く閉ざされたままだ。

 グリンは蓋を閉めて雨避けの庇の上に跳び乗り身を潜めた。


 しばらくすると裏口の戸が開いてひとりの若い岩妖精が現れた。彼は工具を取り出して保安装置を点検し始めた。何事か愚痴りながら断線を直すと周囲を何度も何度も見回して何者かの気配を探り始めた。

 何者かの痕跡を発見しようと粘っていたが、数分と経たぬ内に諦めて首から下げたメダルを装置に押し付けた。

 何度か試して正常に施錠システムが作動する事を確認すると、彼は建物内に戻ろうとくるりと踵を返した。グリンは音も立てずに庇から飛び降りると男の後ろに張り付いた。

 グリンは男と一緒に動く事であっさりとネドビウムの内部に侵入した。


 華やかな遊技場の奥、裏方の事務所側の殺風景な廊下だ。この建物の内は薄暗く、グリンにとって非常に都合の良い空間だった。

 グリンは物陰に溶け込み、まるで透明にでもなったかのようだった。最早それ自体が魔術にも思えるほど巧みに気配を消したのだ。


 グリンは行き交う従業員達の中に、長方形の硬貨が詰まった平たいケースを数枚、両手で大事そうに運ぶ男を発見した。

 その後を尾行するとやや大きな執務室に入っていった。部屋の中ではどうやら支配人らしき人物と先程裏口にやってきた若い男が何事か話をしていた。

 グリンは天井と棚の上にある隙間に潜り込んで彼等の動きを観察した。

 支配人らしき男は硬貨のケースを受け取ると一旦机の上に置いて机の引き出しからひとつのメダルを手に取るとそれで奥の部屋の扉の施錠を解除した。

 石と石が軽く擦れるようなゴリゴリという音と共に扉が開く。

 どうやら売上を金庫に保管するのだろう、グリンは注意深く一連の手順を観察した。

 辛抱強く待つと支配人達が執務室を出ていき照明の消された暗い部屋の中に、グリンだけが残った。


 グリンは手順通りに広い金庫室に忍び込む。

 金庫室の中に光源は無いため、ほとんど闇に近い状態だったがグリンにはむしろ好都合だった。

 硬貨のケースや質草代わりに預かっているような装飾品が所狭しと積み上げられていたがグリンの目当ては違った。

 丁寧に分類された帳面が詰め込まれた一角を発見したグリンはレドムから手渡された岩妖精族ドワーフ独自の崩し文字や略号の読み方の手引きが書かれたメモを片手に帳簿の中から目当ての文字列を探した。

 三十分ほど書類の山と格闘し続けたグリンは目当ての書類を探し当てた。

「──これだな」

 それは高額債務者への貸付と支払い状況を管理する帳簿だった。

 そこにスクアールの名前は度々登場するが、その横に頻繁に登場する名前がある──


『ハルボ・ファイアフォージ』


 帳簿に拠るとハルボがスクアールの借金を肩代わりする形で完済の印が押されていた。しかしながら具体的な金額は記されていない。他の債務者とは異なる特殊な処理が為されている事は明らかだ。

 そしてもうひとつ、同じ帳面上に興味深い名前が出てきた。


『マジャール商会』


 グリンは軽く膝を打った──マジャール商会とハルボに面識がある可能性が出てきた。

「具体的に説明するのは難しいけど、怪しいのは確かだ」


 グリンは帳簿の束と鍵代わりのメダルを懐にしまい込むと金庫室を施錠、さっさとネドビウムを抜け出す事にした。

 裏口から入るのと違い、店舗の入口へ逆方向に進むのは容易く、あっと言う間に外へ出た。

 自らの隠密技術がここサンドルクでも通用した事に機嫌を良くした少年は自然と感情が昂ぶり、喜びが込み上げて来るのを抑えられなかった。特殊な凹凸加工が施されたメダルを取り出して陽光に掲げて「やったぞ!」と潜入中の斥候にあるまじき自画自賛の声を出した。


 すると、すぐに金属鎧が擦れ合う独特の音がグリンの長い耳に届いた。おそらく数名の戦士達が早足で此方に近付いて来ている。

 静謐なサンドルクの街並みではグリンの高い声は呼び出しの手鐘ベルのようによく響く。大きな声では無かったが訓練された戦士達には十分過ぎる異変だ。

(そうだった、俺も追われているんだった──)

 肝を冷やしたグリンはスカーフで口元を覆うと人目につかないよう慎重にルートを選びながらレドムの邸宅へと戻った。



──────



 ハンクとメドニアは来客用の寝室に入れられ、自由な行動を制限された。

「閉じ込められちゃいましたね」

 ハンクはややふざけて軽い調子でメドニアに話し掛けるがメドニアは沈痛な表情のままだった。

「グリンさん……大丈夫でしょうか」

「相棒なら心配は要らないと思います。岩妖精ドワーフの皆さんの太くて短い足では逃げる相棒を捕まえるのは無理ですよ──あ、メドニアさんの脚は綺麗ですよ、アハハ」

「こんな時にふざけないで」

「あら、怒られちゃった……」

 メドニアは項垂れていた。抱えきれないほど多くの情報が彼女に精神的な苦痛と不安を与えているようだった。

「ああどうしてこんなことに……!」

 目には薄っすら涙が溜まっていた。

 ハンクよりひと回り大柄なメドニアでも気落ちしている時は小さく弱弱しく見える。ハンクはメドニアの真横に腰掛けると優しく頭を撫でた。

 メドニアは男性から触れられた事に驚いてその手をはねのけようとしたがハンクの態度に邪念が無いのを感じ取ると大人しく撫でられ続けた。

 やや幼い精神とは不釣り合いに大きく成長した肉体、こうやって頭を撫でられるのは本当に久しぶりの事でメドニアは幼い頃を思い出して次第に心地よくなっていった。

「悪いようにはなりませんよ。大河の流れというものは簡単に変えられる物ではありません」

「大河? 川ですか?」メドニアは内容が理解できずにハンクの言葉に首を傾げた。そもそもサンドルクには自然の川が無く、つい先日ようやく本物の川を見たばかりだった。

「大河の流れをあらぬ方向に捻じ曲げようとすると均衡バランスが乱れます。勝手な都合で大自然の流れを無理に変えようとすると手痛いしっぺ返しを受ける事になります──大丈夫、きっと本来の流れに戻りますよ」

 ハンクは気落ちしているメドニアを慰めるようにその肩をさすった。

 ハンクの物事を悟り切ったような柔和な笑顔を見ていると不思議と気持ちが和らいでいく。メドニアはハンクという人物に「軽薄な態度の抜け目ない男」という印象を抱いていたがその認識を少し改めた。

 メドニアはハンクに母性のような物を感じて寄りかかるように頭を寄せた。

「本当に、大丈夫ですか?」

「ええもちろん、お父上と兄上、そしてあなたが自らの心のままに真っ直ぐ進むことを選択をすればそれは強い流れとなって外野の差した竿を飲み込んで押し流すでしょう。だからメドニアさん、あなたも正しいと思う道を選び、その選択に自信を持ちなさい」

 普段よりゆっくりと、諭すように語るハンクの声は慈悲の雨のようにひび割れを起こし始めたメドニアの心に染み入った。

「はい……」

 火神フウゴ大地母神アジュールに祈りを捧げる時のように、メドニアは両拳を握り込んで頭を垂れた。

 しばらくしてメドニアが落ち着くと、ハンクは立ち上がって部屋の外の様子をうかがい始めた。

 背中を擦られて心地よくなっていたメドニアは我に返り、今更ながら異性に身体を触られていた事が気恥ずかしくなってソワソワし始めた。

「あの……励ましてくれたんですね、ありがとうございます。気休めでも元気が出ました」

「いえいえか弱い女性を慰めるのは、男なら当然の役目ですよ」

 少し下心のありそうな表情でウインクをするハンク。場を和ますジョークのつもりだったがメドニアはその仕草に嫌悪をおぼえた。

「あの、もう頭とか撫でないでくださいね、わたしは子供じゃありません」

「え? 淑女レディーとして扱ったつもりですけど」

「わたしは戦士です、戦士として扱ってください」

 メドニアはむすくれてハンクを軽く睨む。

「あ、はい……あの、もしかしてちょっと機嫌悪くなってます?」ハンクは恐る恐る聞いた。

「あんまり気軽に触らないでください」

「は、はい……すみません」

 ハンクは軽く髪をわしゃわしゃと乱した。

「しかし厳重だなあ」

 戸を少し開けて外を見ると炎雷戦士団が完全武装で部屋の脇に控えていた。

「ハンクさん、真面目な話してもいいですか──」

「わたしはいつも真面目ですよ」

「……そうは見えませんが」

 メドニアは軽く咳払いすると不満そうな表情でハンクを睨んだ。

「ううん……なんか距離が縮まったように見えて更に遠退いちゃったね……」ハンクは小声でつぶやいた。

「ハボニーは嘘をついてます。人を陥れる最悪な嘘です、どうしてあんな酷い事が出来るのか……」

「メドニアさん、ハルボおじさんの事は好きですか?」

「え?」

「今からちょっと耳が痛いことを言いますね──サンドルク唯一の出入り口『竜の首』の末端にある関所の警備は、炎雷戦士団の務めですよね?」

「ええ、大変誉れある役目です──」

「物資の受け渡しのために一日も休む事なく物品や人の出入りに目を光らせているのでしょう?」

「ええ、もちろん」

「その前提でお聞きしたいのですが、スクアールさんはどうやって神器『レブロスハンマー』を自由に持ち出せたんでしょうか?」

「え? それは……荷に紛れて出た、とおじさまから聞いていますが」

「いったい何の荷物なんでしょう? 特に外界に用事のない宝石職人のスクアールさんが荷物を抱えて外界に出て行くのを、誰も咎めなかったんですか?」

 メドニアも何かに気付いた様子だった。

「まさか、その……おじさまがわざと見逃したと?」

「スクアールさんにそうするよう指示した張本人かも知れません」

 メドニアはこれまでの叔父の言動を思い出した。

「今回の外界への『探索』ですが、叔父さんが色々とお膳立てしてくれたんじゃありませんか?」

 ハンクの問い掛けにゆっくりと肯くメドニア。傍目にも少し血の気が引いているのがわかる。

「──メドニアさんを次期当主にしたいハルボ叔父さんが、敵対するカラスコム家の名誉を徹底的に貶めるために裏で動いていた──そう考えると辻褄が合うんですよ、色々と」

「その、毒はどうなんですか? 探索が失敗したかも知れないのに……」

「もしかするとスクアールさんとは話がついていて、あなたの探索は頃合いを見て『不可抗力により中断』されるのが前提だったのかも知れません」

「え?」

「ハルボさんからしたらカラスコム家の評判が地に落ち、探索の役目をメドニアさんが賜るのが目的で、必ずしも結果を出さなくて良い、と考えていたのかも知れません。目的はカラスコム家を排除する事ですから──」

「何が何だか……理解が追い付かなくてすみません」

 このハンクの仮定はメドニアには理解できなかった。

「協力者のスクアール叔父さんがあなたに捕まると都合が悪い、ということです。頃合いを見て探索を失敗に導くよう、あなたのお供ふたりはハルボ団長から命令されていたんですよ──ま、想像ですがね」

「な、なんとなく辻褄は合いますが、あのハルボおじさまがまさかそんな姑息な手段を使うなんて、俄には信じられません」

 そう言いつつ、メドニアは先刻のハルボの言動を思い出した。グリンを罪人と決め付けたり、病み上がりのハボニーに強い口調で怒鳴りつけたり、どこか焦りのような物が叔父の身体から漏れ出していた。

「ハルボ叔父さんはあなたが当主になればもっとファイアフォージ家が栄える、と信じているのでしょう」

「そんな……わたしには当主の役目なんて無理ですよ」

「無理と言いつつ、明確に否定はしていなかったでしょう? もっと早くにお父上に宣言するべきだったのでは?」ハンクはやや厳しい口調になりメドニアを追い詰めた。

「でも、おじさまや親戚の人達が、その……」

「あなたがそうやって煮え切らないから、彼等は強硬手段に出たのかも知れませんね」

「──!」

 このハンクの指摘はメドニアの痛い所に深く刺さったようだった。彼女は俯くとしばらく無言で考え込んだ。自分の優柔不断な態度が周囲を巻き込んで争いや負の感情を産み出し続けているのではないか──メドニアも薄々勘付いていたがハルボ達の期待を裏切るのが怖くてなんとなくはぐらかしてきた。

「わたしはどうしたら良いのでしょう」

「先ずは今のわたしの推測が当たっているかどうかを、確かめるのが先決ですが──それはそれとして、十年か二十年先の未来を思い描いてください」

「未来を?」

「ええ、あなたが望む未来を想像して、それを実現にするためにはどうしたら良いのか──よく考えてみてください」


 メドニアはこくりと肯いた。


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