3章38「片想いがさめたあとのこの気持ち亅
馬のいななきが聞こえてきた。エリが目をやると、木立の影から、黒い馬の背に乗った人物の姿が見え隠れした。
アリアが、
「カイル様だわ……。どうして今ごろ……亅
と、困ったように言った。
「執事に取次も頼まず、じかに庭に来るのですか亅
「そういう方なのよ。そして、わたしの部屋の窓に声をかけるのがカイル様のやり方……。シモンに嫌われているのがわかっているし、そういう型破りなのが、カッコいいと考えているのね、きっと亅
アリアは嫌そうな顔をした。
「わたし、どうして、あの方のそういうところが素敵だなんて思っていたのかしら……。わざとらしくて、嫌な感じなのに、どうかしていたわ亅
エリはアリアの言葉を聞いてホッとしたが、まだ油断は禁物だと、気を引き締めた。そうは言っていても、話しているうちに、親密さがよみがえってしまうこともあり得る。
「アリア様、気を付けてください。カイル様はプライドを傷つけられたと思うと、粘着してくるかもしれません……。あまり、あからさまに失礼にならないようにしましょう」
アリアはため息をついた。
「今日は見つかってしまったから仕方がないわね。次からは居留守を使うわ」
カイルは離れたところに馬をつなぐと、ゆっくりとアリアとエリのい
るあずま屋に向かって歩いてきた。
「久しぶりだね、アリア」
呼び捨てにするので、エリは驚いた。カイルは、にやっと不敵に笑って見せたが、アリアは固い表情をしていた。
カイルは黒い髪に、濃い眉の下の鋭く青い目、細く整った鼻の美青年だった。
(想像以上のイケメンだった……)
と、エリは思った。
「最近、手紙をくれないよね。忙しいの?亅
「ええ……亅
と、アリアは言葉を濁した。
「なんだか、冷たいね……。どうしたの亅
立ったままカイルはジロジロとアリアを眺めおろした。
「すっかり社交界の花になった、と聞いたけど、なるほどね。ちょっと見ない間にずいぶん美しくなってしまったんだな。もう、格下の子爵家のものは目に入らないんだろうね亅
アリアはちょっと目を上げて、
「そんなことはありませんわ……亅
と、小さい声で答えた。
「君に忘れられた哀れな僕だが、ずっと旅のあいだじゅう、君のことを考えていたんだよ。ほら、これがその証拠さ亅
カイルはズボンのポケットに手を入れて、なにかを握りこんだこぶしをアリアの前に突き出した。
アリアは子犬を抱いたまま、身を引いた。
カイルはこぶしを裏返すと、ゆっくりと開いた。手の中からは白い、丸い石が現れた。
アリアはなにも言わずに見つめていたが、やがて目をそらした。カイルはほら、というように、笑顔で手をさらに伸ばしたが、アリアが反応しないのを見ると、咳ばらいをした。
「これは、旅先の川原で、めぐりあった小石さ……。僕はこれをみながら、上流から流れてきたこの石の運命や、何万年もの時の流れを想った……。
これはいわば、僕のその瞬間の記念のようなものだ。君なら、この深い意味を理解してくれるだろう。僕や君のような、感受性を持つ人たちは、特別……、そう特別な理解力があるからね」
アリアはちらりとエリに視線をおくった。その目つきは、
(ほら、こういう人なのよ。バカみたいでしょう……)
と言っていた。
(よくわかりました。本当にそういう方なんですね……)
という意味で、エリはかすかにうなずいて見せた。
カイルは、決めてやったぞ、というかのように、二カッっと笑った。
「ほら、これを君のために持ってきたんだ。受け取ってくれたまえ」
アリアは夏らしい、透かし模様の扇で口元を隠して、横を向いた。
「どうぞ、おしまいになって……」
気のない声が扇からもれた。
「見せていただいてありがとう。お持ち帰りくださいな」
「どうしたんだ、これは君のために、ワザワザ選んで拾ってきたっていうのに……!」
淑女なので「イラネー!」とは言えないが、察しろ、とエリは思った。
アリアは目を伏せて、ため息を扇子の陰で小さくついた。
「カイル様の、記念のお品なのですから、どうぞ、ご自身でお持ちになって」




