安眠
寝室のベッドの上であぐらをかき、1階から持ち込んだトレイの上にのったさっき自分が焼いて、セビィが口にしなかったハムエッグを美味しそうに食べては、そのトレイにのったレモネードの2本の内の開いた1本の残りを(セビィが唯一口にした)一気に飲み干し、声を出してため息をついた。するとその勢いから大きなゲップが出て、その音が寝室のそとにまで響く..
そんな自分の音に少しおどけて、セシリアは、
「クックックックッ..」
と含み笑いをして、その皿の上にのった残りのハムエッグを平らげた。
──
セシリアは、あの客との約束まで少し眠ろうとしたが、とてもゆっくり眠る余裕は無かった。
こころが騒いでいるのだ。
早く来て!
ニズルに..
あの野蛮なアルダ・ラズムの兵隊どもに、この下手な変装をした計画がバレル前に..
この町の男どもに気づかれる前に..
私の手を握って..
──
2本目のレモネードを開けてちびちび飲みながら窓の外にあるベランダを見た。
3階の寝室の窓のそとにあるベランダと脱衣室側にあるバルコニーを挟み、ちょうど2階にあるベランダの屋根が広がっている。
その屋根を伝ってフィルは、バルコニー側に架けた長いハシゴを使い登り、そこからこのベランダにやって来たのであろうとセシリアは考えていた。
バルコニーの出入り口は脱衣室にあるが、その内扉の前に使っていない道具の入った箱を置いている為に、出入り口は使えない。
その為に、外にあるバルコニーに出るには、やや不恰好ではあるがその脱衣室の窓から出入りするようにしている。
セシリアは、逃げるにはそこしかないことは分かっていた。
昨日の夜のフィルを思い出すと、それしか考えられなかった。
(...じゃあ、あの内扉の前に置いてある荷物を..退けといた方がいいな?)
そう思ったセシリアは、直ぐに脱衣室の方へ向かい、その内扉の前に置いている一番上の箱に手を掛けたときニズルの顔が頭をよぎった。
(..いや!...やめとこう....
下手な行動をしてバレたりしたら..この計画は全て...
おじゃんだ..)
──
15時半を過ぎ、セシリアは、さっき食べ終えた皿等をのっけたトレイを持って1階へと降りて行った。
自然と目の先がニズルを追い、ニズルを捉えると、その目を自然に装わせようとこころが落ち着かせようとする..。
それが返って不自然さを呼んでいる。
セシリアは、客のテーブル席にもたれ掛かるじっとしてるニズルに目を向けて確認する。
その目を今度、カウンターにある厨房に向けて、その傍らに片手で抱えたトレイを置き、そこから食べかすの付いた皿を流し台にへと運び、蛇口をひねり水を掛けると、食器用洗剤をうんと掛けたスポンジをその水で濡らした。
──
さっと洗える皿をわざと念入りに洗い、ニズルの様子をうかがていたセシリアは、そのニズルがうたた寝していることに気がつき、洗い終えた皿を置いて3階に戻ろうとしたときニズルの声が背中に聞こえた。
ニズル「..あん..おい...お前まだ寝てねぇのか?
とっとと寝とけって...何度言わすんだい?
全く..しゃあねえ女だ..」
セシリア「ああ?!
わか..分かってるよ...」
ニズル「...もう直ぐお前が望んだ男と寝るんだろう?
確り寝て準備しとけ..」
セシリア「...ああ」
セシリアにとってなんでもない会話がこのときは、いつニズルに首根っこを掴まれるのかという恐怖があった。
それがさっきまでの
"あの気分"を奪って行ってしまったのだ。
──
18時半を過ぎるころには酒場ボルカに数人の客が集まっていた。
出された肉のツマミにラム酒をうまそうに飲み、また肉を口に運ぶ、いつもの常連..
そんなまだ穏やかな酒場にあの客が入って来た。
ニズル「..ああ...お客さん..えれぇ早いな?」
客「..すまない」
ニズル「ああ..構わんよ...なんか飲むかい?
..それとも、さっそく3階に上がるかい?」
客「ああ..3階に...」
ニズル「じゃあ...参りますか?」
そう言ってニズルは階段の方へ向かって行き、客に扮したセバスティアンがそのあとに続くと、他の客から愚痴が溢れた。
「けっ..つまらねえな!
色男なら他を探せ!」
──
ニズル「さあ、お客さん..ノックしてから入って?」
客「..あっ..入っていいのか?」
ニズル「そんな遠慮なんかなさらんでええ..入って入って..もう準備して待ってますぜ? あの女?
..えー、19時50分くらいに下に降りて来てもらえればいいですぜ? それ以上は勘弁して下され..なにせ予約でいっぱいなんでね..
では..ごゆっくり?」
そう言って下に降りて行くニズルの姿が1階に消えるのを確り確認したあと、
セバスティアンは、そのセシリアのいる寝室をノックした。
「..開いてるよ」
そのセバスティアンのノックに間を置いてから気の抜けた声が中から聞こえ、ドアノブをゆっくりひねって開けると、そこにはベッドの上で壁にもたれ掛かる不安に押し潰された顔のセシリアが開いた窓の外を虚ろな目で見ていた。
──
セビィ「セシリア..」
セシリア「..無理だよ」
セビィ「お願いだ..こっち向いてくれ?」
セシリア「..無理だよ...やっぱり無理なんだよ..私には」
セビィ「..なにが無理なんだい?」
セシリア「あたしは..私は娼婦なんだよ!」
そのセシリアの叫び声にセバスティアンは、
ビクッ!として寝室のドアの方に戻ってからゆっくりとドアノブを回して開け、その辺りを確認してから1階を覗き見た。
ニズルが客に何かを言いながら動いているのが一瞬だけ見えるとセバスティアンは、直ぐに寝室の中に戻ってセシリアに声を掛けた。
セビィ「セシリア..時間がない? さあ早く..」
セシリア「いやだ..怖いよ」
セビィ「セシリア..こっち向いてくれ?」
セシリア「早く脱がせて...好きにしろよ」
セビィ「俺の目を見るんだ?」
セシリア「お前の目?...色男..お前...
ほんと..いい男だね?」
セビィ「..セシリア」
セシリア「なんだよ? お前も結局は、
他の男どもと一緒なんだろ?
....なに笑ってんだよ?」
セビィ「..セシリア?
..俺は、
君がこの町にやって来たときからずっと知ってるんだ?」
セシリア「...はぁん?」
このときセビィの目がセシリアの目と一点のズレもなく合わさると、
セビィは、声を出さずにその目の先に何かを唱えた。
(それは光の魔法であった)
不安に押し潰されて虚ろな目だったセシリアが急に何かが宿ったように目の前にいるセバスティアンを見た。
(まるで彷徨っていた闇の中で光を見つけたようにセバスティアンを..)
セビィ「なあセシリア?」
セシリア「..なんだい?」
セビィ「バルコニーには何処にある?」
セシリア「..バルコニーならシャワー室の脱衣室の外に..でも内扉の前に荷物を置いてるからあそこからは出られないんだ?
退けようと思ったけど..もし余計なことしてバレたらさ...」
セビィ「他に出れるところは?」
セシリア「窓だよ? 脱衣室の窓から出れるよ?」
セビィ「..じゃあ、セシリア?.....
この白いハンカチをバルコニーの下にある路地裏の方に投げるんだ? いいね?」
セシリア「わ..分かった!」
セビィ「さあ、急ぐんだ..」
セシリア「..セビィは?」
セビィ「俺は...上で見張ってる..」
セシリア「..ちゃんとついて来てよ?」
セビィ「..分かってる」
セシリアは、セビィに言われた通りに脱衣室に向かい、そこにある開けておいた窓から体を投げ出し、外に出ると慎重に辺りを見渡してから、バルコニーの下にある路地裏の方に白いハンカチを力を振り絞って投げた。
そのハンカチがゆっくりと揺れながら落ちて行くと、バルコニーから消え、
少し間が開くと路地裏の方から長いハシゴが伸びてきて、セシリアから少し離れた位置に架けられた。
急ぎ足で掛け上がって来る音がするとそのハシゴの下からフィルが姿を現れた。
セシリア「..フィル」
フィル「さあ! セシリア、急いで!」
セシリア「うん! 下の方は?!」
フィル「大丈夫! ワイワイやってるよ?」
そう言葉を掛けるとフィルは直ぐに下へと降りて路地裏に着くと、周りを確認してからセシリアに頷いた。
セシリアは、気持ち落ち着かせる為に深呼吸してからハシゴを掴み下にへと降り始めた。
踏み子を確り1つずつ慎重に...
下を見るとフィルが何やら頭上に両手を掲げて構えている、まるでセシリアに向けて何かを放つ構えで..
セシリアが路地裏の地面を踏むと、身を構えた。
そんなセシリアにフィルは、体を覆う布を被せてあげた。
上からセビィが降りて来ると、そのセビィが下で待っている2人に先に行くように促し、フィルは布で顔を隠すセシリアの手を引いて路地裏の先にある干物屋を目指した。
─
酒場ボルカから少し離れた場所にその干物屋はあった。
夜を迎えても客足がなく不満そうにしている店主が店の中にある椅子に座って何やらぶつぶつ言っている。
フィルは、物陰に隠れるようにして辺りを見ていた。
その後ろでセシリアは、顔をうつ向かせてフィルの合図を待っていた。
フィル「セシリア..いい? あの干物屋の横の...あの柱を見て?」
そう言ってフィルの指さす方向の柱に、馬車が括られていた。
セシリア「...あれは、ロウェ..」
フィル「うん...あの馬車の後ろのドアを僕が開けるから、セシリアは僕が合図したらその車に乗ってドアを閉めて..いい?」
セシリア「うん...分かっ...た」
その返事を聞いたフィルは、辺りを見渡してから馬車の方へ歩み寄った。
干物屋の店主から見えないように馬車に近づきもう1度、周囲を見てから車のドアを静かに開けて、セシリアに見える位置にまで移動し、辺りを円を描くように広く見渡すとフィルは、セシリアに向かって頷いた。
セシリアは、その合図を受け取ると走り出しそうになる気持ちを押さえながらゆっくり前に進み、フィルがさっきやった干物屋の店主から見えないように歩を進め、馬車の後ろに立つと、周囲を確認しその車の中に足を付け、中に入り、そのドアの内側に付いた両方の取手を確り掴みゆっくりと手前に引いた。
─
干物屋の店主と楽しそうに話すフィルの声が聞こえる。
その声を馬車に乗ったセシリアは、身を潜めながら聞いていた。
時間が4分ほど過ぎ、
フィルの声が消えると馬車に近寄って来る気配をセシリアは感じ、干物屋の店主を相手する声がフィルからセビィに代わると車のドアが開いてフィルが入って来た。
そのドアが閉めるとフィルは、
フィル「セシリア? あと少しだよ...」
セシリア「フィル....わたしは..わたしは...怖かったんだ、わたしは...」
フィル「うん...もう大丈夫..僕とセビィがついてる..」
セシリア「...あいつらが私を追って来ないか心配なんだ..」
フィル「アルダ・ラズムの奴らだね?...あいつらなら、今ごろアルルダードに向かってるよ? 昨日も言っていただろ?
イルモニカ政府の傭兵の仕事があるって..あのズバルも...それからセシリアの胸ぐらを掴んだあいつも...みんなイルモニカ政府の傭兵に駆り出されてるよ?」
セシリア「本当に?」
フィル「うん! 本当だよ?...アルダ・ラズムの城に残ってるのは、城を守ってる門番くらいだよ?」
そう言ってくれたフィルにセシリアは寄り添い、フィルの左肩に顔をうずめた。
─
「もういいのかい?」
その干物屋の店主の声にセバスティアンは、
セビィ「ああ! 本当に助かった..感謝する」
店主「なに..そこの柱に括って置いた馬車を見張っていただけですぜ?」
セビィ「それでも助かった..ありがとう」
店主「いやいや気にするな? あんたらみたいに気前のいい客ならいつだって歓迎だぜ?
いつでも馬車の面倒も見るぜ...
いやしかし大した馬だ..こんな馬はこの近くじゃ余り見かけねぇぜ?...アルダ・ラズムの兵士でもない限りはなぁ...」
セビィ「そうか? 分かったありがとう..
では失礼する!」
店主「おう! また来てくれや?」
その店主の声に頷くと、セバスティアンは、またがる馬のロウェルに声を掛け、首筋を軽く叩くとそのロウェルは、前足を大きく上げてから地面を叩き、勢いよく走り始めた。
──
しばらく揺れる馬車の中で黙っていたセシリアは、
フィルの肩に顔をうずめたまま口を開いた
セシリア「...失敗したら殺されるって考えたら..私の中でまた何かが壊れたんだ..」
フィル「...」
セシリア「もしニズルにバレたら..きっとあのアルダの奴らに知らせて私をむちゃくちゃにしに来るって考えたら...もう眠ることなんて出来なかった..」
フィル「...その最悪のことも僕たちは、想定していたよ..
もしニズルに僕らがセシリアを逃がそうとしていることがバレたらどうするかも...」
セシリア「...バレたら..私を見捨てたかい?」
フィル「見捨てる?! そんなことするもんか!
セシリアを見捨てるくらいなら僕は魔法を使うよ!」
セシリア「フィル..お前..魔法使えんのか?」
フィル「まあね? 脅しくらいの魔法なら...
ほら! 僕にだって使えるよ?」
(そう言ってフィルは、広げた右手の上に炎を浮かべる)
セシリア「へぇー! 凄いな?! フィル?」
フィル「えへん!」
セシリア「はは..でも魔法監視官に見つかったら捕まるぞ?」
フィル「捕まる? 構うもんか! 悪い奴らをびっくりさせるくらいなら魔法監視官だって許してくれるよ?」
セシリア「..そうか? じゃあフィルは、その魔法を使って悪い奴らをやっつけるんだな?」
フィル「やっつける? 違うよ! セシリア?
悪い奴らをやっつける為じゃなく、大事な人を守る為だよ?」
セシリア「..大事な人を守る?」
フィル「うん! 僕が主に習ってるのは、補助系の魔法だよ?
だから間違っても悪い奴らをやっつける為じゃないよ?
もう武器としての魔法の時代は終わってるからね?」
セシリア「..そうか...偉いなフィル?
..あっ! じゃあさっき私がハシゴを下りてるときにフィルが構えていたのは...」
フィル「そうだよ! もしセシリアが足を滑らせて落ちたら大変だからね?」
セシリア「はぁん? 私がそんなにドジに見えるのかい?」
フィル「へへ、万が一に備えてさ?」
セシリア「..そうだったんだ」
フィル「うん、それに僕だけじゃないよ? セビィだって魔法が使えるんだよ?」
セシリア「..あんたたち兄弟って凄いんだね?」
フィル「へへ、そうかな?」
セシリア「...じゃあ、あのとき...
セビィは、
私に魔法を...」
フィル「きっとそうさ? だからセシリア、
安心してお眠り?」
そう言ったフィルは、セシリアの両肩に優しく両方の手を置き、目を瞑って何かを唱えるとセシリアの体が一瞬だけ暖かい光に包まれた。
その光がセシリアのこころの奥にある、ありとあらゆる畏れがこびりついた不安を取り除くと
セシリアは、急に安堵に誘われるように眠気が訪れフィルに持たれかかるようにして倒れると、そのセシリアをフィルは優しく抱き抱え、傍らにそっと寝かした。
そして
その穏やかに目を瞑るセシリアに声をかけた、
「怖かったろ? でも、もう大丈夫だよ。
僕とセビィがついてる..
だから安心してお休み?
セシリア...」




