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キョウ  作者: 三山零
Stage.1
12/12

Stage.1-⑩




 後日、両親を伴い、事務所へと足を運んだ。娘の急激な自己主張に両親の不安が晴れるわけもなく、結局、青崎から直接、説明を受けることになったのだ。

 仕方がないこととはいえ、気は重かった。お堅い父と、いかにも如何わしい青崎の、折り合いが良いとは到底思えなかった。青崎の有能さは随所に垣間見えたものの、主たる印象は、あの人を食ったような態度だ。良くない事態になることは目に見えている。

 事務所にさえ入ってしまえば、父と青崎がどうなろうが知ったことではない。そのため、事務所に入るまでは、私が仲介して事なきを得る予定だった。しかし、ここ数日、必死の説得を試みたものの、結果は芳しくなく、しぶしぶ青崎の名刺に頼ることになった。父がお堅い性格であることや、極度の論理的思考であることは、事前に青崎には言い含めたが、それでも、父が名刺の電話番号に電話をしているときは、気が気ではなかった。なんとかして電話の声を拾えないかと耳をそばだてたが、漏れる言葉では、内容を予測するのも難しかった。結局、10分ほどのやりとりで、今回の面談がセッティングされ、父の機嫌が悪くなることはなかった。

 

 事務所までは、渋谷駅から徒歩で20分ほどかかる、とのことだったので、駅からはタクシーを使った。助手席に父が、後部座席には私と母が座った。父が助手席に座るのが妙ではあったが、母との微妙な距離感でさえ居心地悪く感じたので、不器用な気遣いは適切だったと密かに思った。

 父は、運転手に行き先を告げると、その後は何も話さなかった。フロントガラスの向こうを睨んだきり、口を開こうともしなかった。母は、沈痛な車内を慮って、私に話しかけてきたものの、会話が弾んだとは口が裂けても言えず、タクシーの運転手には申し訳ないことをした。

  静かなタクシーは、程なくして大通りから離れ、狭い路地に入っていった。芸能事務所テトラプロダクションは、市街地から少し離れたビルのワンフロアを借りており、少なくとも華々しさはなかった。近代的というわけではないが、古くも汚くもない。その程度の印象しか抱かない、何の変哲もないビルだった。


「行こうか」


 タクシーの支払いを済ませた父が促し、ビルの中に入る。外観とは違い、内装は、案外、綺麗だった。白いタイルで埋め尽くされ、照り返しが辛そうではあったが、照明が柔らかいものだったため、むしろ清潔感を感じさせる。エレベーターも新しいものになっていることはすぐにわかった。エレベーター内の案内には、4階がテトラプロダクションのものになっていた。エレベーターの扉が開くと、そこにはいつになく凛々しい顔をした青崎と、綺麗なお姉さんが背筋を伸ばして立っていた。


「いらっしゃいませ」


 綺麗に同じ角度、同じ速度でお辞儀をした二人の調和に美しさを感じる。会釈程度で頭を上げた青崎の表情には自信があふれていた。


「立花様でございますね?」


 父に向かってハキハキと話しかける姿は、今までの青崎のイメージとはかけ離れていた。父は、その様子にたじろぐことなく、静かに「はい」と頷く。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 青崎が先導し始め、それに続く。青崎の背後であることをいいことに、進む廊下を観察する。両脇に足の部分だけが曇りを除去された曇りガラスで覆われた会議室がいくつもあった。ドアの傍には、タブレットが設置されて、会議室の状態が管理されているようだ。通り過ぎた会議室の一つには、「使用中」の文字がタブレットの画面に映し出されていた。一番奥の部屋に通された私たちは、先にドアを開けて立っていた青崎の側を通り過ぎて、部屋の中へ入る。部屋には、8人がけのテーブルが壁につけて置かれており、壁には40インチはありそうなモニターが掛けられていた。青崎の側を通り過ぎる時に、少し睨んでやったが、青崎の表情が崩れることはなかった。気にもとめずに「どうぞお座りください」と恭しく促すところも、いちいち癪にさわる。父は真っ先に一番奥に座り、私が真ん中、その隣に母が、まるで私を守るかのようにして座った。

 青崎は、父の向かいの席に移動したものの、立ったままで、座ろうとしない。一瞬、父が眉をひそめたようにも見えたが、私も疑問に思った。今回、「お客様」はあくまで、私のはずだ。建前だとしても、私の前の席にいるべきなのではないだろうか。そういえば、入る時に貼り付けた笑顔のまま、優雅な所作で部屋へと促したお姉さんの姿が見えない。


「失礼します」


 凛とした声が、ドア付近で発せられたかと思うと、声の主が、颯爽と現れて立ち止まった。そして、注目を確認した上で、小さく会釈程度に頭を下げた。

 威圧している訳ではないはずなのに、彼女の登場に少し気圧されている自分がいた。凛として、そして、威風堂々としているその姿に、思わず、私たち家族は腰を浮かせようとしていた。


「どうぞ、お座りのままで」


 ぴしゃりと制され、及び腰のような体勢でどうすべきかわからなくなってしまう。結局、父は立ち上がり、私も母もそれに倣う形になった。特にそれに言及することはなく、社長の郭は、私の目の前の席に立った。小脇に抱えていたタブレットを「失礼します」とテーブルの上に置き、背筋を伸ばした。彼女の佇まいは、息を呑むような迫力があった。

 お姉さんが静かにドアを閉め、ドアのそばに待機した。それを見計らって、青崎が口を開いた。


「本日は、ご足労いただきまして、誠にありがとうございます。私、営業部の青崎と申します。ご不明な点などございましたら、ご遠慮なくお聞きください。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 入り口で出迎えたような柔らかさを取り払い、優秀さを見せつけるような、テキパキとしたお辞儀だった。頭を上げると、胸ポケットから慣れた所作で名刺入れを取り出す。


「京さんにはすでにお渡ししておりますが、お父様にもお渡ししてもよろしいでしょうか。ご不要でしたら、煮るなり焼くなり、お好きにしてください」


 軽い冗談を挟んでから、「テーブル越しで失礼いたします」と父に名刺を差し出す。父も「これはご丁寧にどうも」と受け取る。青崎は、立ち上がって母にも渡そうとするが、母は「付き添いですので」とやんわり断った。それは、無用な名刺の配布を気遣ったようにも見えたが、警戒心を解いていない表れであるかのようにも見えた。父は、渡された名刺に書いてあるものを見て、少し逡巡してから、テーブルの上に直に置いた。


「株式会社テトラプロダクションの代表取締役を勤めています、郭と申します。本日は、よろしくお願いいたします」


 小さく会釈をしていた後、いつの間に持っていたのか、名刺を差し出してきた。

 すでに私に名刺を渡しているとはいえ、父に名刺を渡した青崎に対し、彼女は明確に私に名刺を差し出してきたのだ。心臓が早鐘のように鳴っている。狭まった視界の外では、父が私を見ていることだろう。どうすればいい。素直に受け取ってしまって良いのだろうか。受け取らないほうが失礼にあたるだろう。両手を前に出そうとしたその時、「テーブル越しでごめんなさいね」と郭社長は小さく笑みをこぼした。


「あ、いえ。全然・・・」


 口ごもりながら、名刺を受け取る。「どうぞ、お座りください」という青崎の声を合図にドアのそばに控えているお姉さん以外が、席に座る。私は、名刺を受け取った体制のまま腰を下ろし、その名刺を少しの間、ぼうっと眺めていた。

 青崎の名刺と特段変わりはない。役職名が違うだけで、豪華になっているという訳でもない。しかし、郭英美里という文字に吸い込まれそうになっていた。


「お飲物をご用意いたします。お茶とコーヒーがございますが、どちらにいたしますか?」


 青崎の声にハッとして、名刺をテーブルの上に慎重に置く。その名刺すらも、丁寧に扱わなければならないもののような気がしてならなかった。


「コーヒーをお願いします」


 コーヒーを愛する父はもちろん、コーヒーを要求し、母も同様にコーヒーを望んだ。流れるように私の順番になる。名刺に気を取られていたせいで、何も考えていなかった。正直、どちらでも構わない。しかし、ビジネスにおいて、ここで選択すべきは。


「私も、コーヒーで」


 お姉さんの眉が動いた気がしたが、すぐに微笑んで頷いた。郭社長、青崎もコーヒーを頼み、結局、全員がコーヒーを頼んだ。結果として、私の判断は間違いではなかったらしい。

 来客時に給仕する飲み物というと、お茶が多いそうだ。にもかかわらず、コーヒーという選択肢を用意しているということは、お茶に口をつけない人間が多い、ということだ。勝手な偏見だが、郭社長が、その程度のことに、いちいち気を砕いているとは思いにくい。つまり、コーヒーを飲む可能性が高く、私一人だけお茶を頼むと、準備の手間を省く気遣いを見せられる、ということだ。


「京さん、コーヒーがお好きなの?」


 突然、郭社長が話しかけてきて、面食らってしまう。ちょっとした雑談のつもりなのだろう。緊張をほぐそうとしてくれてるのだろうが、むしろ、肩に力が入ってしまう。


「好き、というほどでもないですが、コーヒーの気分だったので…」


「そう。お若いのに、苦味を美味しいと感じられる舌をお持ちなのね」


 褒められているのか、馬鹿にされているのか、掴みにくい言葉だったが、郭社長の微笑みにつられて、素直に受け取ってしまう。


「もしかして、お母様とお父様が、よくお飲みになられるのですか?」


「ええ、主人はよくコーヒーを。私は、どちらも飲みますが、この子と同じで、気分ですね」


 母が笑うと、郭社長も目を細める。


「私もよく飲みますが、コーヒーは悪魔の飲み物、とも言いますよね。コーヒーで眠気が覚めなくなったのも、もう人間を卒業したからかもしれません」


 青崎も調子よく冗談を飛ばすと、母は「まあ」と口に手を当てて小さく笑う。

 無為な雑談に苛立ちを隠せなかったが、ふと気がついた。母は、父ほどコーヒーを愛飲する、というわけではない。おそらく、本当に気分だったのだろう。たまたま、コーヒーを頼んだだけで、母がお茶を頼んでいれば、私が何を頼んでいようが、二種類の飲み物の準備を強いることになるので、どうこうというわけではなかったはずだ。そう思うと、のんきに笑っている母の笑い声が馬鹿馬鹿しく思え、少し肩の力が抜けた。




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