Stage.1-⑨
怜奈を見送り、その姿が見えなくなると、高揚をより強く感じた。エネルギーが内側から全身へと絶えず送り出されているような気がする。
今にも空を飛べそうな居心地のよさ。自分の能力が限界まで拡張されているような感覚。目に映る全ての情報が正しく吸収され、振る舞い方に不安はなかった。
私が全ての中心だった。
はじめての興奮に戸惑いつつ、鎮め方がわからないまま、体から立ち上る蒸気のような何かを、しばらくは感じ取っていた。
時間が経つにつれて、夢心地のようなふわふわした感覚に取って代わられていった高揚は、徐々に収まっていった。
目を閉じ、胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸をすると、線香花火がぽとりと落ちるように、高揚感は消えて失せた。ゆっくりと目を開くと、私のせいで狂った世界が、正常に動いていることが見て取れた。少し残念な気もしたが、一先ずはこれでいい気がした。
店を出ようか、と思い始めたところで、ふと青崎の顔を思い出した。スマホケースの定期入れに入れてあった名刺を取り出す。
白地に黒い文字ばかりで、多少は色もあるが、デザインとしてはシンプルなものだ。社名、役職、直通の携帯電話番号、会社の電話番号。どれもが変哲もない字体で、遊びが無さすぎるぐらいだ。
淡白な名刺のなかで、唯一、色が変わっている箇所は、「すべてがテトラにある」という、スローガンのような言葉だけだ。
ずいぶんありふれたスローガンだ、と唾を吐き掛ける。「芸能関係の人材ならテトラプロダクションにお任せ!」と言っていることは同じだ。ひねりも何もあったものじゃない。私を手玉に取った青崎を擁し、切れ者らしい女社長が君臨する会社にしては、気が抜けている。そう思うと、テトラという言葉に何かしらの意味を見出したくなる。スマホで手早く調べると、ギリシア語で4という意味らしい。魚の名前でもあるらしいが、それを意図して芸能事務所の名前にしたとは考えにくい。そうすると、4に何かしらの意味があるのだろう。ホームページでも開いてみれば、何かしらの説明があるかもしれない、とホームページを開いてみるが、準備中だった。青崎に聞く機会があれば、聞いてみよう。
青崎の名刺で興味が湧いたのはそれぐらいだった。少し拍子抜けはしたものの、名刺などこんなものなのかもしれない。まずは、携帯電話の方にかけてみることにする。
テーブルにおいた名刺と、その横に並べたスマホを交互に見ながら、ボタンを押していく。呼び出し音が数回鳴り、留守番電話サービスに繋がった。続けて会社の電話番号にかける。呼び出し音は一回で、向こうの受話器がガチャガチャと音をたてた。
「お電話ありがとうございます。テトラプロダクションでございます」
溌剌とした声がスピーカーから勢い良く飛び出してきて、耳が驚く。
「青崎さんという方に名刺をいただいたんですけど」
少しスマホから耳を離してから、意図的に声を高くした。
「青崎でございますね。失礼ですが、お名前とご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
声のトーンが少し下がった。自分の声量に気づいたのかもしれない。
「あ、すみません。立花京と言います。以前に青崎さんからスカウトを受けました」
堂々とスカウトを受けた、と言うと、少しは心がざわめくのかと思ったが、案外、そうでもなかった。
お姉さんは「ああ」と納得した声を出した。
「立花さまですね。青崎に取り次ぎますので、少々お待ちくださいませ」
「あ、はい」
待ち合い音の気の抜けるメロディーが流れ出した。思ったよりもスムーズに青崎に辿り着けそうだったが、心の中では舌打ちをしていた。名前と用件を言い忘れたのはミスだった。社会経験のなさを印象付けてしまったようなものだ。青崎に突っ込まれる前に、一通り学んでおこう。
「お待たせいたしました」
唐突に溌剌な声が帰ってきた。「はいぃ」と少し頓狂な声を出してしまい、苦い顔をした。
「大変申し訳ございません。現在、青崎は外出しておりまして、17:00に帰社の予定になります。いかがいたしましょうか」
時計を見ると、16:50だ。予定通りであれば、あと10分もすると青崎は事務所に戻るらしい。ただ、あの曲者の青崎が、予定通りに動くとは思えなかった。
「えーっと、それじゃあ」
言伝てを頼むか、帰社時間にかけ直すか。それとも、折り返してもらった方が良いのだろうか。
自分の立ち位置が曖昧で、対応に困る。スカウトをしてもらったのか、スカウトを受けてやったのか。あまり下手に出るのは避けたいが、横柄だと思われても困る。
言い淀んでいると、察したお姉さんから助け船を出された。
「お急ぎでなければ、青崎が社に戻り次第、折り返しさせましょうか」
溌剌とした声から少し緊張感が抜けている。微笑ましい、とでも思われているのかもしれない。そうだとすると気に食わないが、せっかくの提案を無下にできるほど、余裕があるわけでもなかった。
「あ、はい。それでお願いします」
「かしこまりました。折り返しの際、不都合なお時間はございますか」
「そうですね━━18:00までだと難しいですか?」
「かしこまりました。18:00までにはお電話を差し上げるよう、その旨申し伝えておきます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。失礼します」
「失礼いたします」
スマホを耳から離し、通話終了のボタンを押す。通話時間は5分にも満たなかったが、お姉さんの対応が堅苦しく、肩がこった気分だ。家に帰って湯船に浸かりたい。荷物を持って立ち上がり、伝票を会計に持っていく。支払いを済ませていると、スマホが鳴った。タイミングの悪い着信にイラつきながら、電子マネーで手早く支払いを済まる。店を出て、道の脇に寄り、スマホの画面を見ると、なんとなく見覚えのある電話番号だった。すぐに、先ほど自分で打った電話番号だと気がつき、電話に出る。
「もしもし」
「やあ、もうご両親を説得できたんだね」
この男は、推測に関しては驚くべき才能があるようだ。見抜かれている動揺を隠すために声を低くした。
「どちらさまですか? 電話番号を間違っていませんか? 確認した方がいいと思います」
「おや、これは失礼しました。株式会社テトラプロダクションの青崎と申します。こちら、先日、私がスカウトさせていただいた立花京さんのお電話でお間違いありませんか?」
瞬時にビジネス用の口調に切り替わる。含み笑いが気に食わなかったが、平静を保った。
「ああ、青崎さんですか。名乗る常識もない、悪趣味な詐欺業者かと思いました」
「これは厳しいお言葉だ」
青崎は、なおも可笑しそうに言う。ただの上機嫌、というわけではないことぐらいはわかった。
「何がそんなに可笑しいんです?」
「いやあ、自分のことを棚に上げて、済ました顔をしているのを想像すると、可愛く思えてね」
「はあ?」
「さっき、事務所に電話してきただろう?」
一瞬の間のあと、青崎の言わんとしていることを理解し、携帯に噛みつきそうになる。
電話口の向こうから、「ごめんなさーい」と困ったお姉さんの声が、小さく聞こえた。かっと顔が熱くなる。
「ほんの10分前に帰ってきたところで、ちょうど、そばにいたんだ。君の対応も見たくてね。聞き耳を立てていたってわけさ。悪かったね」
悪びれる様子もなく言う青崎に、恥ずかしさと怒りを同時に感じながら、強く唇を噛む。その様子も見透かされているかもしれないが、表面上だけでも取り繕わなければ、プライドが許さなかった。
「悪趣味なのは、服装だけではなかったんですね。女子高生を虐めて楽しいですか?」
「悪かったって。でも、君はテトラプロダクションの門を叩きに電話をしてきたわけだろう?」
「それは、私の心を盗み聞きした、とでも言うんですか?」
「どうなんだい?」
怒りに任せて「違います」と言って電話を切ることは簡単だった。しかし、それほど安いプライドではなかった。
「そうです」
「それなら、話にならないな」
青崎は、さらりと言ったが、落胆と侮りの色は濃かった。
「言っただろう? この業界に入るなら、女子高生という肩書きを捨てろ、と。今まで高校生だったからビジネスマナーを知らない、なんて言い訳は通用しない」
5分後に、研修を終えたばかりの新人OLの役が来たらどうする、と具体的な例を出す。強ち、あり得ないことでもないのだろう。そして、そんな理不尽なチャンスも拾っていかなければならないのだ、と暗に示していた。
「君は、これから自分を売っていかなきゃならないんだ。自分を売るには、自分を知らなければならない。自分を知った上で、自分を飾らなくてはならない。そして、相手に、ハリボテを見破られてはならない。今、君は社会人としてお客様に電話をしたことがない、ビジネスマナーも知らない人間だということが僕らにばれたんだ。もし、僕らがクライアントだとしたら、向こう半年は確実にその役のオファーはないだろうね」
スマホを握りしめる手に力が入る。
「電話なんてマネージャーがやってくれる、と思って油断していたかい? たまたま、うちの受付が電話を受けた時に僕が近くにいたけど、もしも君から電話がきたら、内容を報告するように伝えていた。君がどういう電話をしてくるか、知るためにね」
「・・・はい」
絞り出すように返事をすると、青崎の小さく息を継ぐ音が聞こえた。
「君は、今まで自分が見られているという自意識を持っていたかもしれないが、それは、多くが羨望の眼差しだっただろう。だけど、僕たち業界人は、君をそんな風には見ない。僕たちが、君を見る理由は、もっと下品なものだ」
値踏み。
そう言われた瞬間、胃が燃えるように熱くなった。
「いつでも、どこでも、君は見られている。それを忘れてはいけない」
青崎は言い切ると、無言を貫いた。私からの返事がこない限り、テコでも動かない、というあのやり口だ。
顔を上げると、往来を歩く人たちが横目でこちらを見ていく。しかし、ちらり、と見ていくだけで何もない。「今の子、凄く可愛かったね」と言う声もあるが、それだけでしかない。
今までは、それで優越感に浸ることが出来た。しかし、それが、自分に値踏みをするだけの価値すらない、と物語っていることに気がついていなかった。もしかすると、心の中では気がついていたからこそ、焦っていたのかもしれない。
「それで、君は、我がテトラプロダクションに入る意思はあるのかな?」
私の内省に気がついたのか、青崎は自ら沈黙を破った。
「はい、私が芸能界を━━」
━━ひっくり返します。
また、あの万能感が顔を覗かせる。そこに不安が忍び込む余地はなかった。根拠のない自信だと笑われようと、近い未来、私がこの世間を手中に収めていると、確信していた。
青崎は、私の言葉に、満足げに「いいだろう」と言った。




