154. 論争
ラグトールはバラクソルに対し、わずかに頭を下げて礼を示すと、冷静ながら도どこか冷徹な声音で言葉を続けた。
「現在、北側の城壁は崩落しておりますが、その残骸と地形のせいで騎兵隊が全速力で突進するには未だ障害が多すぎます」
彼は一度呼吸を整え、確信に満ちた目で一座を見渡した。
「敵はその隙に防衛線を再整備した可能性が高い。したがって、私の提案は主力を西側の城壁へと移動させ、攻城兵器を動員した全面攻勢を再開することです。渓谷西側の森を抜ければ、アチェラ西壁へと続く街道に出られます」
ラグトールは指で地図を指し示し、楔を打ち込むように深くうなずいた。
「同時に、カルボランに東南の城門を叩くよう指示すべきです」
バラクソルは目を閉じ、眉間にしわを寄せて聞き入っていたが、どこか冷笑混じりの口調で応えた。
「カルボラン伯爵か。あの男、一歩も動かぬ構えだったが……我らの意図通りに動いてくれるかな? 正直、援軍さえなければ我らの戦力だけで十分だったのだが、今は状況が少々複雑になってしまったからな」
「左様にございます。ゆえに、何としても彼を引きずり出さねばなりません。弱みを握って揺さぶるか、あるいは強硬手段に訴えてでも」
ラグトールは拳を軽く握りしめ、決然とした声で付け加えた。
「直接攻撃に加わらずとも、アチェラを狙う素振りを見せて機動させるだけで、敵の兵力は分散せざるを得なくなります」
ラグトールは各部隊長の顔を一度見回すと、薄く笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「その隙を突き、我らが西壁を完全に陥落させるのです」
ラグトールの説明が終わるやいなや、ドラベルが席から跳ね起き、声を荒らげた。
「待て! なぜ既に風穴を開けた北側を放棄するというのだ、ラグトール殿!」
ドラベルは興奮した様子で腕を振り回し、食ってかかった。
「崩れた北壁から侵入した後、貴殿の部隊が路地を維持してくれさえすれば、俺の執行部隊があっという間に前線を蹂躙できる!」
彼の胸は、激昂した感情で荒く上下していた。
「西壁を攻め直して時間を浪費するより、こちらの方が遥かに効率的ではないか! あれほどの苦労をして崩した北の防壁をそのまま放っておくなど、正気の沙汰とは思えん!」
バラクソルは対立する二人を交互に見やり、その重苦しい視線が幕舎内の圧迫感を増幅させた。底知れぬ威圧感が、バラクソル以外の全員の呼吸を止めるかのようだった。灯火が揺れて壁面に奇怪な影を落とし、室内はより一層陰惨な空気に包まれる。
ラグトールとドラベルの視線が空中でぶつかり、鋭い火花が散るかのようだった。二人の高ぶった声が、作戦会議室の冷え切った空気を満たしていく。
ラグトールは西壁を正面から狙う戦略こそが肝要であり、機をうかがい傍観を決め込むカルボラン伯爵を必ず引き込むべきだと説いた。彼はドラベルの提案を一蹴し、鋭い論理で反撃に出る。これに対しドラベルは、カルボラン伯爵の抱き込みなど不必要なリスクに過ぎないと断じ、既に開かれた北壁からの再突入を強く主張して譲らなかった。
「貴殿の部隊が北の要所を抑えている間に、俺の部下どもが奴らの首を撥ねるのは造作もないことだ!」
ドラベルは机をドンと叩き、露骨な怒りをあらわにした。
「無駄な迂回路を選ぶ理由がどこにある? 北壁を抜くためにどれほどの血が流れたか、まさか忘れたわけではあるまいな! おまけに、あのカルボランがアチェラの連中に加担しないという保証もなかろうが」
ドラベルの怒声が雷鳴のように幕舎内に響き渡った。ラグトールは眉をひそめ、その言葉を鋭く遮った。
「崩れた北の防衛線を再び突破するには、時間も兵力も倍以上消耗することになる! いくら貴殿の部隊が得意とする突破戦とはいえ、敵が北に火力を集中させれば、こちらの被害は甚大だ」
彼の声にも、隠しきれない苛立ちが混じっていた。
「今頃、あちらも防衛線を新設しているはずだ。私なら間違いなくそうするからな!」
ラグトールは腕を組み、心底呆れたようにドラベルを見据えて言葉を継いだ。
「無策に北へ突っ込めば、我らの兵は弓兵の格好の餌食になるだけだ。西と東南を同時に圧迫して守備を分散させる。その方が遥かに安全で効果的な方法だと言っているんだ!」
ドラベルも退かず、再び卓を叩きつけて反撃した。
「安全? 効果? 笑わせるな! 貴様のそのまだるっこい計画を待っている間に、兵たちがさらに死にゆくことになるんだぞ!」
激昂したドラベルの顔が赤く火照る。
「カルボランの奴の顔色を窺っているうちに、機会そのものが消えてしまう。北を直撃して一気にケリをつけるのが正解なんだよ、この臆病風に吹かれた腰抜けが!」
怒りを抑えきれないドラベルが、自身の胸を激しく叩きながら叫んだ。
「俺の部下たちが先陣を切る。貴様はその御立派な後方から指をくわえて見ていろ!」
二人の舌戦が激しさを増し、大幕舎の中は騒然とした空気に包まれた。バラクソルは依然として沈黙を守り、その光景を凝視していたが、その険しい表情は決断の瞬間が間近であることを示唆していた 。
「西の城壁を抜くのに、また幾星霜費やすつもりだ? おまけにカルボランの奴が敵の援軍に回ったらどうするつもりなんだ!」
ドラベルの声に嘲笑が混じる。
「貴様の脳みそは、まさかインテルヌムにでも置いてきたのか?」
ついに堪忍袋の緒が切れたラグトールも、席から跳ね起きた。彼はドラベルを射抜くような視線で睨みつけ、声を荒らげた。
「カルボラン伯爵は既に背を向けた男だ。それは明白な事実だろう! そもそも腹黒く、忠誠心など微塵も持ち合わせていない男だということは、我々も既に確認済みではないか!」
彼の瞳には、苛立ちと確信が入り混じり揺らめいていた。
「その上、今や敵の援軍まで合流した状況で、あの狭い峡谷を進軍するなど自殺行為に等しい!」
理性を失いかけたラグトールの声が、次第に荒々しくなっていく。
「貴様こそ、便所に捨ててきた頭でも拾ってこい! まあ、拾ってきたところで大して役には立たないだろうがな!」
言い争いが極限に達すると、会議室にいた他の者たちの視線が一斉にバラクソルへと注がれた。騒がしい空気の中でも、バラクソルは巨大な山脈のように微動だにせず、腕を組んで座っていた 。
「……そこまでだ」
バラクソルの低い声が響いた。静かな声音であったが、彼が口を開いた瞬間に、今にも殴りかからん勢いだったラグトールとドラベルは同時に息を呑んだ 。
「ラグトール」
バラクソルがラグトールを正面から見据え、ゆっくりと言葉を発した 。
「貴公の主張を整理しよう。敵が北門を中心に守備を再整備したはずゆえ、陽動によって虚を突く。それが貴公の戦略の要旨か?」
「はい、その通りにございます、団長閣下」
ラグトールはバラクソルの目を真っ直ぐに見つめ返して答えた。灯火の下で、彼の瞳が鋭く光る。彼はゆっくりと呼吸を整えた後、胸を張って説明を付け加えた。
「敵の戦力を分散させれば、我らの損害を大幅に抑えられます。北門が突破されているとはいえ、奴らがそこを固めているのは自明のこと。偵察兵が戻ればより確実となりますが、援軍が現れた以上、今のアチェラは決して侮れる相手ではありません」
ラグトールの眼光に確信が宿る。バラクソルが再び問いかけた。
「貴公の言う通り敵が愚かでないならば、西壁の防備も万全ではないのか?」
「左様にございます。ですが、攻城兵器を適切に活用すれば、西の城壁も確実に崩せます。敵の射程外から石を投じれば、奴らに成す術はありません。奴らが西に主力を集中させている間に陽動を仕掛ければ、陣形は乱れ、こちらの損失も最小限に留めることができましょう」
バラクソルはわずかに顔を上げた。口元に微かな皺が寄り、口角が斜めに上がる。彼はすぐさまドラベルへと視線を転じた。
「ドラベル。ラグトールの意見には、相応の説得力がある。貴公がこの提案に反対する理由を述べよ。貴公の考えも、詳しく聞かせてもらおうか」
ドラベルが即座に立ち上がった。その瞳には、燃え上がるような決意が宿っていた。
「バラクソル様、今再び西へと部隊を移動させて攻撃を再開すれば、北壁で既に費やした時間をまたも浪費することになります 。攻城兵器で石を浴びせ、梯子をかけ、数多の兵が命を懸けねばなりません。その過程で戦闘が長期化するのは火を見るより明らかです 」
ドラベルの声には焦燥が滲んでいた。バラクソルは首をわずかに傾け、目を閉じて彼の言葉に耳を傾けた。
「さらに、補給の問題も看過できません。フェラドンから物資が入ってはおりますが、時を失えば支障をきたします 。インテルヌムを発ってから既に数ヶ月が経ちました 。このような状況で補給が滞れば、兵の士気が下がるのは必至。戦力が優勢な今、力を集中させて迅速に片を付けるのが賢明です。既に開かれた北から突破すれば、瞬く間に敵を制圧できましょう」
会議室内の空気はさらに重く沈み込んだ。バラクソルの視線が二人の間を行き来すると、誰もが決定の瞬間が近づいたことを直感した。バラクソルは腕を組み、足を組んで座った姿勢のまま、再びラグトールを見た。
「ラグトール、ドラベルの言葉にも一理ある。貴公はどう考える」
ラグトールは唇を軽く噛み、ドラベルを射抜くように睨みつけた。その目に鋭さが走ったが、すぐに冷静さを取り戻して答えた。
「団長閣下、西壁の再攻略には日数を要しましょう。しかし、アチェラのコーディアールが持つ力は決して無限ではありません 。彼らの感情力が消耗した状態で西の防壁を叩けば、我らの攻城兵器の火力がより効果的に発揮されるはずです。北壁が崩れたこと自体が、彼らの限界を証明しております 」
「左様。感情力が十分であったなら、攻城兵器が北の防壁をそう容易く穿つことはできなかったはずだ」
「ゆえに、攻略が大きく遅れることはありますまい。また、カルボラン伯爵が動かぬのは、我らが疲弊する隙を狙う腹積もりかもしれません。奴らが密かに我らの背後を狙う恐れがあるからこそ、なおさらに彼を戦場へ引きずり出さねばならぬのです 。強制力を行使してでも。そうして後顧の憂いを除いてこそ、全戦況が安定するのです」
ラグトールは息を整え、締めくくった。
「この陽動は単なる兵力の分散ではありません。アチェラの注意を逸らすと同時に、カルボラン伯爵の動きを封じる最善の手段なのです」
バラクソルの眼光が一層深まった。重苦しい緊張感は依然として漂っていたが、今はその中に新たな戦略への糸口が微かに見え始めていた。ラグトールとドラベルの視線が再びぶつかり合ったが、今度は先ほどのような剥き出しの敵意は少し和らいだ様子だった。
ついに、バラクソルがゆっくりと顔を上げた。
「フェラズ、貴様に任せる任務がある。直ちにアチェラ側の偵察に着手せよ。ただし、交戦は一切禁ずる」
バラクソルは指で地図をトントンと叩きながら、指示を続けた。
「あの青い霧の正体を最大限に把握し、アチェラの正確な残存兵力規模を確認して報告せよ」
彼の瞳には冷酷な計算がよぎった。
「そしてカルボラン伯爵。あの男を直ちに動かせ。このまま言い訳を並べて逃げ腰でいるようならば、最終手段を用いても構わん」
フェラズの眉がわずかに跳ね上がった。彼女は腕組みを解き、口元に狡猾な笑みを浮かべた。
「承知いたしました、バラクソル様。アチェラ側には私の部下を放ち、隅々まで探らせましょう」
彼女の声からは、妙な興奮が感じられた。
「奴らの些細な秘密まで、ことごとく暴いてまいります」
フェラズは指先を軽く動かして笑って見せた。
「それからカルボラン伯爵は、私が直接片を付けに行ってまいりましょう。最終手段までお許しいただけるとは、今から腕が鳴りますね」
「だからといって、むやみに殺してはならん。カルボラン伯爵は腹黒い男だが、その領地で絶対的な影響力を持つ人物だ 。まだ利用価値は大きい」
フェラズは満足げに頷いた。
「もちろんです。あの伯爵の薄汚い腹の内、私が直接抉り出してみせましょう」
彼女の目に、遊び心混じりの残酷さが閃いた。
「私が出るからには、あのような老狐を屈服させるなど、朝飯前ですから」
「よかろう。カルボランは狐のように戦を傍観し、利のみを貪ろうとするだろう 。偵察の結果は遅滞なく報告せよ」
バラクソルは卓から腕を離し、締めくくった。
「あの青い霧の秘密と敵の規模、これらへの疑念が晴れぬ限り、無策に全軍を動かすことはできん」
フェラズが席を立つと、彼女の鎧が擦れて鋭い金属音を奏でた。彼女はバラクソルに礼を示すと、自信に満ちた足取りで幕舎を後にした。
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