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第七七話 修復と旅立ち

戦いが終わった瞬間――太陽の間の床が不吉な音を立てた。


「……地鳴り?」

カイルが振り返ると、壁の一部が粉々に砕け落ち、黒ずみの浸食で歪んだ大聖堂の柱が、ゆっくりと傾き始めていた。天井には蜘蛛の巣のようなひびが走り、そこから石の破片がぱらぱらと降ってくる。


「崩れるぞ!」

フェリクス王子が叫ぶと同時に、神殿の奥で轟音が上がり、崩落が連鎖していく。黒の主が消滅した今、大聖堂を支えていた禁呪や呪術の骨組みが、全て瓦解し始めていたのだ。


ジウイは、まだその場に立ち尽くしていた。全身から力が抜け、浄化の光を発した左目を手で押さえながら、ミルフィの手をぎゅっと握っている。

「ジウイ、行こう!」


カイルが駆け寄り、彼女の肩を抱き起こしたそのとき、背後から鋭い声が飛んできた。

「王子!こちらへ!」

崩壊する礼拝堂の闇の中、懐かしい声が響いた。

「父さん……!」


そこに現れたのは、重装の軍装に身を包んだ一団。その先頭に立つ壮年の兵士は父その人であった。


「第3潜入班、合流完了! こちらに脱出路を確保した!」

ジウイの父が鋭く号令を飛ばす。


兵たちは迷いなく動き、崩落しつつある礼拝堂の裏手にある古い地下通路へと一行を誘導する。そのルートはかつての修道士たちの避難経路で、黒ずみに侵される前に調査していた数少ない安全なルートの一つだった。

「急いで! 通路が持つのは長くない!」


崩壊が加速する。大理石のアーチが潰れ、神像が砕け、歴史ある壁画が塵となって空に舞った。あの荘厳で美しかった大聖堂が、音もなく死んでいく。

その最中、ジウイは一つの存在に視線を向けていた。


「……リューン……」

太陽の間の中央、既に崩れ始めた石畳の上に横たわる、動かないリューンの身体。光の欠片が、彼の衣を静かに照らしていた。

フェリクス王子が、その視線の先を見て言葉を詰まらせる。


「……私が、救えなかった……」


ジウイはゆっくりと首を横に振った。

「リューンは、わたしに希望を託してくれたの……今でも、わたしの中にいる」

カイルが彼女の肩に手を添え、小さく頷く。


「別れはすぐに済ませるんだ!もう時間がない!」

父の怒鳴り声が、ジウイ達を現実を引き戻す。


王子が剣を胸にあて、リューンに一礼した。

「……必ず、君の死は無駄にはしない」

そして一行は、リューンをその場に残したまま、崩落する大聖堂を後にした。


数時間後、一行は王城の地下門にたどり着いた。迎えに出た兵士たちが驚愕の声をあげ、傷を負った兵と民間人を支えるようにして迎え入れる。ミルフィもしっかりと意識を取り戻し、ジウイの腕に抱かれながらかすかに笑った。


城門が閉じ、仲間たちが無事であることを確認したフェリクス王子は、その場で立ち尽くし、そして呟いた。

「終わった……本当に、終わったんだな……」


王城の中庭に集まった者たちの中で、誰もがリューンの不在に黙していた。だが、悲しみに暮れる暇はなかった。

王都の空に、あの不気味な黒ずみの雲が――跡形もなく消えていたのだ。


魔法障壁の術者たちが報告に駆けつけ、街の各地に張られていた結界の異常もすべて消え去ったと伝える。

「……本当に、終わったのか?」

「黒ずみが、消えた?」


しかし、民衆はその原因を知らなかった。王国の上層部はすぐに方針を決めた。


「大聖堂に封印されていた古の呪いが何らかの要因で解けかけ、それをフェリクス王子が再封印した」

「大司教たちは、封印のために命を落とした」

そう伝えることが、国を混乱から守るためには最善だと判断された。


真実は語られなかった。


だがそれでよかったのかもしれない、とジウイは思った。誰もが黒の恐怖に晒される必要はなかったのだ。

「リューン……わたしたち、やりきったよ」

そうつぶやいたジウイの手のひらには、まだ温かさが残っていた。


数日が経った。


王都は嵐の後のような静けさに包まれていた。

大聖堂の跡地では、崩壊した石材を撤去する作業が、昼夜を問わず進められている。瓦礫の山の中からはまだ、かつての装飾の一部が見つかることもあり、それらを残して修復するか、新たに築き直すかで議論が続いていた。


王都の市民たちは、あの夜に何があったのか正確には知らなかった。だが、空が明るくなった朝、街の空気が明確に変わっていた。

黒ずみの影が消え、胸を圧迫していた見えない重しがなくなったようだった。多くの者が自然と空を仰ぎ、深く息を吸った。


「なんだか、空が前より青く見えるな……」

そう呟く老職人に、隣で息子が頷く。

「うん、なんだか……全部、軽くなった気がする」


フェリクス王子はその様子を城のバルコニーから見下ろしていた。

傍らにはジウイが立ち、崩壊した大聖堂の方向をじっと見つめている。


「君がいなければ、すべては闇に呑まれていた」

王子が静かに口を開いた。

「だからこそ、今は君に静かな場所で休んでほしい。街を離れ、静地で――穏やかな暮らしを」


ジウイは微笑みを浮かべ、首を横に振った。

「ありがとう。でも、私は……旅に出たいんです」

フェリクスは目を細める。


「旅?」

「まだ知らない世界を、自分の目で見たいんです。風の音、森の匂い、街のざわめき、遠い国の色……描きたいものがたくさんある。私は、創造の力を使って世界を救ったかもしれない。でも……それだけじゃないんです」


彼女は少しだけ空を仰いだ。

「私は……描きたい。いろんな世界を」

そのまっすぐな言葉に、フェリクスは黙って頷いた。


「でも……もし、創造の力がまた暴走したら。私自身が、自分を抑えられなくなったら。そんな未来が……怖いんです」

ジウイは懐から一冊の小さなスケッチブックを取り出し、そのページに指先を滑らせた。

目を閉じ、深く息を吸い込む。


「だから、私は自分の力を封印します。これからの旅は、創造の力がなくても続けられる。もとのギフトだけで、十分だから」


彼女の身体からふわりと柔らかな光が立ち昇る。

描かれたのは、創造の力そのものを封じるための《封印》。

それは紙ではなく、彼女自身の心の中に描かれた構造だった。


「ただの封印じゃないの。私が心の中で描いた、鍵と錠と……封印の魔法陣」


その言葉と同時に、三つの創造物が浮かび上がった。


ひとつは、錠前を模した銀色の結晶体。

ひとつは、それにぴったり合う古風な鍵。

そしてもうひとつは、地面にゆっくりと描かれる封印陣の紋様。


「これをあなたに、そしてカイルとミルフィにも渡したい。三人の手が揃って、それに加えて――わたし自身が、もう一度創造の力を使うって決意しないと、この封印は解けない」


フェリクスは、彼女の手から鍵を受け取った。

その掌の中で、鍵が小さく震えていた。


「君は……本当に、強いな」

「ううん。怖がりだから、準備しておきたいだけ」


カイルとミルフィにも、それぞれ錠と陣が託された。



ジウイは三人の顔を順に見渡し、少し照れくさそうに笑った。

「旅の途中で、またスケッチブックいっぱいに描いて、ここにも遊びに来るから」

「君の描いた世界が、いつか見たいので楽しみにしておこう」

フェリクスがそう告げると、ジウイは力強く頷いた。


「じゃあ、その時まで……」

そう言って、彼女は新しいスケッチブックを背負い、小さな鞄を手に持って振り返った。

門の外には、朝の光が射していた。


まだ見ぬ世界、まだ描かれていない色。

ジウイの旅が、再び始まろうとしていた。


読んでいただきありがとうございます。

ブックマーク・評価・感想いただけますと大変励みになります。


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本日の夕方の更新で、一旦完結となります。

最後までお付き合いください。

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