第四五話 次の一手
リューンは、尋問室から続く石畳の廊下を静かに歩いていた。
控えめな足音が、王城の厚い壁に反響する。
王子の執務室まで、あと数分。けれど、彼の思考はそこよりもずっと深い場所を巡っていた。
――尋問は、予定より早く終わった。
コーヴェルとスパイ、二人の証言は、大筋で一致していた。
細部に食い違いはあったが、それは記憶の誤差や立場の違いによるものだと判断できる範囲。
特に、大聖堂との接触頻度に関しては、両者の話が正確に噛み合っていた。
スパイは平均して“週に一度”、遅くとも“二週に一度”は、王都の外れにある聖人墓地の裏手から大聖堂に入っていた。
それが、彼の「任務」だった。
“情報を渡すだけでなく、存在を見せること”――それが、大聖堂側から求められていたのだ。
大聖堂にとって彼は、異変を察知するための“カナリア”として機能しているのだろう。
(……だから、泳がせ続けるのも一つの手だ)
リューンは、ふと歩調を緩める。窓から差し込む陽光が、服の留め具に反射した。
家族を盾にして脅すことは簡単だ。しかし、それだけでは“彼の心”を掴めはしない。
彼が絶対に裏切らないという確証が無ければ、むしろ逆効果にもなりかねない。
今、彼がやるべきは、信じさせることだった。“戻る場所”が、まだあると。
(もし彼をこちら側に引き込めれば……二重スパイとして使える)
敵の信頼を勝ち取っている、ということは、それだけで大きな武器になる。
だが当然、危険も大きい。ほんの少しのミスで、全てが水泡に帰す。
リューンは深く息を吐いた。
スパイの証言でもうひとつ判明したのは――大聖堂内の“勢力図”の変化だった。
(これで、大司教三名のうち、二名が敵と確定した)
スパイは、大司教の一人――オルヴァン・カイレと直接面会していた。
もう一人の名指しされた大司教も、過去の工作記録から間違いなく関与している。
(残る一人――ガリエル大司教が、軟禁状態か)
彼の名を聞いた瞬間、リューンの胸に、何かがきつく締めつけられるような感覚が走った。
かつて、共に学び、語らい、理想を共有した人物。
今や聖堂の中で、最も穏健な“王家との融和派”として知られていた。
(連絡が取れなくなっていた彼が、生きていた。そして……閉じ込められていた)
それは、想定外の収穫だった。
大聖堂内の状況が、こちらの予想以上に“内部で割れている”証拠でもある。
(ガリエル大司教の救出が叶えば、敵の一部は味方になり得る。だが、それは一歩間違えれば、味方の皮をかぶった敵になる)
だから、軽々には動けない。
リューンは、執務室の扉の前で足を止めた。
中からは人の気配がする。王子は、すでに待っているだろう。
扉に手をかける前に、ふと背後に目をやる。
静かな廊下には誰もいない。ただ、石の壁と、陽の傾きがあるだけ。
“絡まっている”――リューンは、心の中で呟いた。
今この時が、この絡まった思惑、策略を一気に手繰り寄せるタイミングなのか。
扉の向こうで待つ王子は、どのように判断するだろうか。
リューンは静かに扉を叩いた。
──絡まる思惑の、糸の先にあるものを、見極めるために。
リューンが執務室に入ると、すでに王子と数名の側近たちが集まっていた。
窓際に立つ王子は、振り返り、軽くうなずいた。
「来たか、リューン。どうだった?」
「証言は大筋で一致。細部の差異は想定内。脅されたから、という逃げ道は潰せたと思います」
「そうか……コーヴェルが落ちたのは大きいな」
王子はゆっくりと机に戻り、地図の広がった卓上を見やった。
聖人墓地、大聖堂、王城――それぞれに赤い印が記されている。
「スパイはどうするつもりだ?」
「まだ揺れてはいますが……こちらに引き込める可能性があります。
家族を安全に保護し、あわせて“帰れる場所”があると示せれば」
「飴と鞭、か」
側近のひとりが皮肉気に口を尖らせたが、王子は静かに首を振った。
「いいや。これは飴でつないでおいて、必要な時に“切る覚悟”の駒だ。そうでなければ使えん」
リューンは無言で頷いた。
「家族は既に保護の段階に入っています。外部からは、今まで通り生活しているように見えるでしょう。
本人への接触も段階的に――まずは“監視されている”と感じさせ、それから“守られている”と悟らせる」
「面倒な手順だが……やむを得まいな」
王子は顎に手を当てて考え込む。
その視線は、すでにこの先の数手先を見ているようだった。
「そして問題は、次の動きだな。あの鳥のアニマ――あれは予想以上に効果があった。
浮ついた反応をした連中が、いくつも見つかった。まだ追跡はしていないが、見込みはある」
「ええ。あの一瞬で見事に反応を引き出しました。だからこそ、もう一度仕掛ける価値はあると思います」
「次も同じ条件で飛ばす。時間、風の向き、天候、できる限り再現するんだ」
王子の指示に、側近たちが頷く。
「反応を示した者の中で、次も動きを見せた者がいれば、もはや“言い逃れ”はできない。
今回は、確実に捕らえる」
「……ただし」
リューンが、王子の視線に応じて言葉を継ぐ。
「それは、ジウイには知らせないようにしましょう。
元々あれは、彼女の発案です。自分のアニマが“誰かを捕らえるために使われる”と知れば――少なからず心を痛めるかもしれません」
「……ああ、そうだな」
王子はゆっくりと頷く。
「ジウイは、敵を憎んでいるわけではない。
だからこそ、あのアニマはあれほど穏やかで、誰にも気づかれずに真上を飛べたのだ。
捕縛や策の成否など、彼女の耳に入れる必要はない」
「“次は誰かが捕まるかもしれない”と知らされれば、無意識にアニマの軌道を調整するかもしれませんしね。
それでは、純粋な条件比較にもならない」
「ふむ……」
王子はしばし考え込み、やがて静かに告げた。
「ジウイには、再度の協力を頼む。だが、“作戦”とは言わない。ただの“観察飛行”だと伝える」
「承知しました」
「鳥のアニマを目にして、また浮つく者がいれば、それだけで“次の網”に引っかかる。
そして今度は、その場で追跡しても構わない。ジウイを王城に置いたままであれば、安全も確保できる」
王子の視線が、全員を見渡すように動く。
「次で確実に“聖堂の内情”を洗い出す。そして、ガリエル大司教の救出も視野に入れる。
今後の作戦を左右する鍵になるだろう」
リューンはわずかに口元を引き締めて言った。
「今、ガリエル大司教を救い出せれば、聖堂側の内部から崩しにかかれます。
ただ、敵も気づいているはずです。私たちがガリエルの存在に目をつけていることに」
「それでも、やらねばならぬ」
王子は短く言い切った。
「ジウイが手繰り寄せたこの機会、無駄にはできない。
今後の鍵を握るのは、あの子の力と、我々の手際の両方だ」
「……はい」
重い空気の中に、静かな覚悟が満ちていく。
王子は、巻物の記録を一瞥し、再度机上の地図に視線を落とした。
「準備に入れ。時は、そう長くはない」
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