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36. 元カレも来た②


「違っ、俺は……っお前の方が大事だったって気付いて、だから戻って来たんだ!」


 ……水をあげにきたんじゃなくて、踏み(にじ)りにでも来たのだろうか……


「勝手な事を……言わないで……」


 大事だったのは、きっと私では無いのだろう。

 先日会った愛莉さんを思い出す。少し我儘で、自分本位な女の子。


 智樹は愛莉さんと私を天秤に掛けて、自分にとって居心地の良い存在が、私だったと言っているのでは無いだろうか。


 ──智樹の為に我慢していた私。


 それが智樹にとって大事な存在なら、もうそんな都合の良い女はいないのだ。


「私はもう、あなたの事を好きじゃ無いから、無理よ」

 ぐっと睨みつけるように眼差しを強め、口にする。拒絶の意を示すように。

 けれど智樹は怯まない。どこか懸命な様子で尚も話し続けてくる。


「怒っているのか? 悪かったよ、お前が優しいから甘えてさ。けどもう他所は見ない。俺にはお前だけだ。辛い思いをさせて悪かった」


 ゆっくりと伸ばされた手を見ては、首を横に振る。

 説得力も皆無なようだ。

「無理よ、もうあなた、余所見してるじゃない」


 けれど私の言っている意味が分からないと言う風に智樹は首を傾げる。

「愛莉さんから、目を背けてる……余所見でしょう?」

「だからそれは別れたって……」

「付き合って二か月位しか経ってないのに? そんなに簡単に大事な人を手放す人なんて、信じられる筈が無いでしょう?」

「違っ、あいつとはもう二年付き合って……あっ」


 思わず口を滑らせた智樹の科白に一瞬空白が頭を占める。

「……二股を掛けてたって事か? 最低だな」


 石化する私を庇うように、河村君の腕がしっかりと私を抱きしめた。


(うん、私、二股の事、知っていた……)


 でもこうして当人を目の前に改めて話をすれば、なんて不愉快な気分になるのだろうか……けど。


「本当、だったの?」

 聞いたのは愛莉さんから不意打ちで、だった。だけど、本来なら智樹の口から聞くべき事だったのだ。


 そう思い、出来るだけ気丈に口にする。

 智樹は一瞬バツが悪そうな顔をしたけれど、一息つき、どこか開き直ったように歪めた顔を向けてきた。


「お前だって気付かなかったじゃないか。

 俺に大して興味を持って無かったんだろ。それでもお互いのプライバシーを尊重した付き合いが出来たんだから、俺たちは上手くやっていけるよ。

 ──なあ、俺は、お前との時間が無くなって、辛くて仕方がないんだ」

「……」


 開きかけた口を閉じて、唇を噛んだ。

 智樹が私を見て必死に求めているのは、私じゃない。自分を大事にしてくれていた、あの時の私の彼への節度。


 好きなのに踏み込めない私の気持ちを鑑みる事は無いけれど、自分を尊重していた私を評価(・・)している。そんな風に聞こえるのは、私にもう彼への想いが無いからか。


 きっともうずっと、無かった……

 すり減ってすり減って、彼への私の気持ちは……いつの間にか諦めの方が優先されていたのだから……


「ごめんない……」

 これしか言えない。

 だってもう無理なのだ。

 もう私に彼への気持ちは、無くなってしまった。


 けれど私の思いと同じように目の前の智樹が溶けて無くなる訳では、当たり前だけれど無いようで……


 ギリリと釣り上がった眦が、彼の欲しがった、「智樹を尊重する私」で無い事への憤りを見せているようだった。

「勝手な事を言うな!」


 叫ぶ智樹が伸ばす手を河村君が弾いてくれた。

「いい加減にしろ! どう見ても勝手を言ってるのはお前だろう!」

「お前……邪魔するなよ!」

 けれど、掴みかる勢いの智樹がはっと身じろいだのは、視界の端に見えた警察官の制服。


 近所の人が不審に思い呼んだのだろう。

 いい加減、道の真ん中で騒ぎすぎだのかもしれない。


 それを見て部が悪いと判断したようで、智樹は急いでその場を立ち去った。


 その背を半ば呆然と見送っているとその警察官が寄ってきて声を掛ける。


「大丈夫ですか?」

 口を開きかけたものの、何て答えたら良いのか分からずに固まっていると、河村君がポンポンと背中を叩いて、代わりに返事をしてくれた。

「大丈夫です」


 その声にホッとして気が抜けて……

 私は少し、泣いてしまった。


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