2-16 重力を逃れて列に並ぶ
奴隷二人に挟まれての目覚めは実に素晴らしいが、朝から盛るわけにはいかないとなると、それだけ強靭な忍耐が必要となる諸刃の剣であった。
流石に本格的に冒険者活動を開始する日から、遅れる無様を晒すわけにはいかない。気合を入れ、恐るべき柔らかさを伴う巨大質量の引力を振り払うと、ベッドからの脱出に成功。
成し遂げた自分を褒めたい気分になったが、直後に巨大質量も起きてきて大変揺れるので、更なる忍耐が必要になったのは余談である。
そのまま支度を始めたいが、服を着る前に試したいことがあった。
「メルーミィ、ちょっと俺に清拭魔法を使ってみてくれるか。」
清拭魔法とは、文字通り身を清めるための魔法だ。体表面の不純物を濡れ布巾で拭う程度の効果しかないが、実際に身体を拭くよりは手軽に済む。
忙しい研究員は清拭と消臭の魔法を使い、風呂に入る時間を惜しんで研究に打ち込む者も珍しくないらしい。
しかし当のメルーミィは気が進まないようだ。
「それは……マスターのお身体を傷つけてしまうかもしれませんが……。」
使用の際は裸になって直立しなければならず、制御を誤ると肌を傷つけるという欠点を有する魔法である。
以前ネルフィアが言っていた、「身体が削れる」というのは流石に噂の独り歩きらしいが。
「まあ、いざとなれば治せるから大丈夫。物は試しだ、やってみてくれ。」
「かしこまりました、動かないようお願いします……<クリーン>。」
メルーミィが主人の身体を観察した後、『緊張』しながら手をかざし魔法を唱える。既に乾いた寝汗及び寝る前の運動での汗が、微妙なくすぐったさを伴いながら清められていくのが分かった。身体に痛みもない。
「よし、よくやった。確かに時間がない時には便利そうだな、ありがとう。」
「はい、恐れ入ります。」
ちゃんとできたので抜かりなく褒めておく。
この魔法、可能なら普通に入浴した方が清潔なのも確かなので、野営時ならともかく、街にいる間は入浴を優先するのがいいだろうか。
それに風呂上がりの冷えた飲み物までを含めた一連の入浴行為は、ネルフィアが好むところである。娯楽乏しいこの世界では、入浴も数少ない楽しみのひとつなのだ。汗を流してる間、他の入浴客とも会話を楽しんだりしているようだし、最近は新人の奴隷という固定の話し相手もできた。
好感度を上げるため、何かと新人ばかりを構うのが多いことは、ネルフィアも『理解』してくれているが、それはそれとして、彼女にもこういうちょっとしたことで報いていきたい。
あとは特定行為の後始末に使えそうな気もするが、裸はともかく、終わった後でわざわざ直立するとなると、余韻が台無しになりそうだ。意外に使い所の限られる魔法であった。
清拭魔法は割と高度なので、ネルフィアに伝えるのは難しそうだということを確認し、冒険者ギルドへと出勤。中には既にそれなりの列ができていた。
髭の受付嬢に挨拶しつつ念の為、あれが依頼を受ける者たちの列なのかを確認する。
「んだ、今日の依頼はもうすぐ出っから、おめえだづも並んで待つだよ。」
以前、王国の冒険者ギルドで朝に依頼が貼り出される場面を見た覚えがあるが、依頼ボード前は非常に混雑し、半ば奪い合いの様相を呈していたことが思い出された。
冒険者となった今、また満員電車めいた混雑に突っ込むことになるのかと思うと、正直憂鬱ではあったが、そんなことにはならずに済みそうだ。
荒くれが多い冒険者たちが斯様に行儀良くしているのは、現役時代に赤髭をたなびかせて魔物を高速で屠る様子から、「赤い流星」の二つ名で呼ばれた元特級冒険者が、受付から睨みを利かせているためだろう。
通常の鉱人族の三倍どころではない速度の攻撃を防ぐ手段はないので、睨まれないよう列に並ぶ。
「……来たか。」
待っている間に列が伸び、街の何処かで鐘が鳴ると、係の人間がキャスター付きの依頼ボードを所定の位置────列の先頭付近まで押していく。
少し遠目ではあるが内容は読み取れる。見た感じ、受託条件に高ランクを要するものほど、上部に貼られているようだ。
そうして結構な長さとなった列が進み始めた。
冒険者ランクの許す限りの数を先着で受けられるようだが、先に並んでいる連中は一部隊につき、多くても二つまでしか依頼票を剥がさない。依頼未達成のペナルティは割と重いので、リスクは避けるようだ。同時に楽にこなせる依頼が、そう都合よく転がっていないのもあるのだろうが。
見た感じ、隊商の護衛や畑の警備依頼などが先に消えていく。場合によっては戦闘が起こらないこれらは、報酬の割には命の危険は少ないと思われているらしい。
他人の様子見も程々に、どの依頼を受けるかを考える。何にせよメインにしたいのは魔物狩りだ。強くなるために技術の向上は必要だとしても、成長によって得られるスペックゴリ押しをひっくり返すのは容易ではない。
例えば髭の受付嬢を相手にした場合、初撃を防げれば御の字で、後は動きを捉えることもできず、高速の連打で沈められる状況が容易に想像できる。技術が活きるのは、最低限相手と渡り合える基本スペックがあってこそなのだ。
当面の目標として、[雷撃]ぐらいは使えるようになっておきたいところである。あれが使えるようになるだけで、戦術の幅は大きく広がるはずだ。
よって今は狩りのついでにこなせるような依頼が望ましく、警備や護衛は候補から外れる。元より護衛は三級以上でないと受けられないが。
(となるとあの薬草のか、それか素材の奴だな。)
順番が近付いてきたので候補を絞り込む。特定の物を集めてくる、いわゆる採集依頼が狙い目だろう。先日教えてもらった周辺の魔物の分布を思い出しながら決定。
順番が回ってきた時、幸いにも候補のひとつは残っていたので、剥がして受付で受託処理をしてもらう。
受けたのは薬草の採取だ。
「この草は街から西の草地に生えてっから、気ぃつけてな。」
見本となる薬草のイラストを見せてもらいながら、採取場所のことを教えてもらえた。
冒険者生活が始まった感を味わいつつ、ギルドを出発する。
特に何事もなくやってきた草地は、カインの腰程度の高さまでの草が生い茂り、どうにも足元の視界が悪い場所だった。
髭の受付嬢の言う「気をつけろ」とは、このことだろう。確かに背の低い魔物が隠れるにはちょうどいい場所だ。
探心とネルフィアが揃っていれば、そう安々と奇襲されはしないと思うが、助言通り気をつけておく。油断大敵。
ひとまず草を掻き分け、目的の薬草を探す。いっそ斬り払いたくなるが、下手すると薬草ごと斬ってしまうので我慢した。
「この草だな。頼むぞ。」
「はい。」
一箇所から根こそぎにしないよう加減しつつ、奴隷二人に採取させる。主人の役目は周囲の警戒だ。
期限は明日までだが、この調子なら今日中に所定の量が集まるだろう。仕事が速くて悪いことはない。
この世界には[治癒]などといった技能はあるが、それでも全ての人間がその恩恵に預かれない以上、医学の発達の余地がある。
この薬草から作られる止血剤の軟膏は、一般冒険者の命をそれなりに救ってきたはずだ。王国を脱出する際、この手の薬剤を念の為少量買い揃えてはいたが、使う機会に恵まれなかった程度には、[治癒]は優秀であった。
「……客のようだな。」
勇者のありがたさを噛み締めていると、接近する反応を捉えたので、奴隷たちにも戦闘準備を促す。
出会ったことのない魔物と遭遇しようとしていた。
6/22 周辺の情報を既に得ていたことを忘れていたのでそれ周りを修正




