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好奇心は王子を殺す  作者: 夏樹


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好奇心は王子を殺す

認知の歪んだ特大のナルシストクズ王子が勝手に自爆する話。

王子視点のため基本的に気持ち悪くて暗い話です(ざまあですがスッキリする保証はありません)


 ファラリス王国の美貌の王太子クリストフには、素晴らしい婚約者がいる。


 学園での成績は優秀、礼儀作法も完璧。十歳で婚約してから始まった王太子妃教育も順調で、王妃からの覚えもめでたい。

 派手な装いは好まず、控えめで優しく、いつだってクリストフを立ててくれる。実に誇らしい婚約者だ。

 ミルクティー色の艶やかな髪を丁寧に結い上げ、それが映える若草色の落ち着いたドレスを着た彼女は、今日もまたクリストフと交流するためにお茶会席についている。


(ああ、今日も可愛らしいな)


 エミーリエは若い令嬢にありがちな派手な装いはしない。最初に華やか過ぎる装いは王子妃にふさわしくないと注意してから、彼女はしっかりとそれを守っている。

 結い上げた髪には小ぶりの宝石を散りばめた上品な髪飾りがつけてあり、ドレスもレースが少なめで落ち着いた印象のものだ。

 王太子妃教育は順調らしく、エミーリエがカップを持つ仕草にも品がある。全てが王太子であるクリストフの妻となるにふさわしかった。

 なにより、大きな琥珀色の瞳で微笑みを浮かべる姿とても可愛らしく、クリストフを愛する幸せにあふれていた。


 初めて会った日に、クリストフはひと目で彼女に恋に落ちた。そして、エミーリエもまた、クリストフに恋したことが分かった。


 クリストフは王家の中でも国王と王妃の美しい部分だけを受け継いだかのようにとびきりの美貌をもって生まれていた。

 だからこそ、物心つく頃には己の美しさに見惚れる者や、欲深く手を伸ばす者が多いことも理解していたし、外見に負けないように内面も磨き成長するにつれ、それは仕方のないことなのだと悟るようになった。

 要するに、美しい光には美しい蝶だけでなく、大量の蛾も群がるということだ。


 しかし、エミーリエはクリストフの美貌だけでなく、その内面を見て素晴らしいと微笑んだ。さらには、クリストフの素晴らしさに縋るだけでなく、その隣に立っても見劣りしないように己を磨く謙虚さをもっており、それらはクリストフの胸を打った。


 まさに、美貌の王太子クリストフに相応しい婚約者だ。


(彼女と婚姻を結ぶ日が楽しみだ)


 しかし、王太子ともあろうものがだらしなく頬を緩めていてはいけない。

 クリストフは意識して顔を引き締め、表情が顔に出ないよう努めていた。


 無言の時間が二人の間に落ちる。


 目の前には、エミーリエがクリストフのために用意してくれたもてなしが広がっている。クリストフが実は甘い物好きだと知っているエミーリエは、お茶会ではいつもさりげなく新作の菓子を用意してくれているのだ。そんな気の利く様子も大変好ましい。


 しかし、婚約者といえど、王太子であるクリストフがただ一人を優遇することは王城内での軋轢を生む。

 人は嫉妬する生き物だ。

 クリストフが寵愛するあまり、エミーリエに他の令嬢たちの嫉妬や怒りが向いては可哀そうだった。


(そうなるくらいなら、私が悪役になろう)


 クリストフは無言でお茶を一杯飲み干すと、すぐに席を立った。


「政務が立て込んでいる。今日はここまでだ」

「そうですか」


 クリストフの言葉に、全て承知していると言わんばかりの微笑みで返してくれるエミーリエは本当に良くできた婚約者だ。

 クリストフは頷くと、誇らしい気持ちで茶席を後にした。


◇◇◇


「兄上」


 執務室へ戻る途中、弟のアルベルトを見かけた。

 二つ下の弟は、クリストフと目が合うと、険しい顔をして近づいてきた。


「どちらへ行かれるのですか? 今はバートランド侯爵令嬢とのお茶会の時間では?」

「茶会は終わった。執務へ戻るところだ」

「終わった? まだ時間はあるはずでしょう?」

「執務が忙しいからな、終わりを少し早めたんだ」


 クリストフの言葉に、アルベルトの眉間に皺が寄った。


「またですか。兄上、そんなに忙しいのであれば、私が少しお仕事をいただきましょうか?」

「馬鹿を言うな。王太子の仕事を第二王子のお前に回せるものか。いいからお前は自分の勉強に専念しなさい」


 王太子たるクリストフの仕事は、ただの第二王子でしかないおアルベルトの仕事とは比べ物にならないほどの責任が伴うのだ。

 わかっていない弟を嗜めると、それでもアルベルトは食い下がるように言葉を口にする。


「ですが、バートランド嬢との時間がないのは問題ではありませんか。彼女は兄上の婚約者なのですよ。良くない噂だって聞き及んでいます」

「婚約者だからこそだ。彼女は王太子としての私の忙しさも理解してくれている。婚約者とのことに、部外者が口を挟むんじゃない」


 まだ子供のアルベルトには、婚約者とのあれこれはまだ分からないのかもしれない。納得のいっていない顔の弟を優しく諭して肩を叩く。


「兄上は、バートランド嬢と結婚する気があるのですか?」


 疑うような問いに、何を馬鹿なことをと苦笑する。


「変なことを聞くな。お前にも婚約者が出来たら、そのうち分かるさ」

「兄上!」


 これ以上その場に居ればさらに追及されそうな雰囲気に、クリストフはマントを翻すと執務室へ足を速めた。


(全く、アルベルトには困ったものだ。あのような城の廊下でする話ではないだろう。エミーリエの件も、未来の義姉が気になるのも分かるが、もっと男女の機微を理解せねば婚約者が出来たときに苦労するぞ)


 弟の将来を心配しつつ、クリストフは執務室へ戻った。


「殿下、アードルング公爵様より面会の申し出です。ご令嬢も一緒のようですが……」

「分かった、予定を調整してくれ。それと、そこにまとめてある書類は全てエミーリエのもとへ回してくれ」

「……よろしいのですか?」


 王太子という身には、日々あらゆる政務が集まってくる。突然の面会依頼という予定外が起きると途端にスケジュール調整が難しくなるほどだ。

 だが、クリストフには心強い婚約者がいてくれるおかげで滞りなく政務を進められていた。


「エミーリエなら信頼できるから問題ない。彼女には王太子の婚約者として王太子の代行を許可している」


 優秀なエミーリエは、クリストフからの信頼に応えようといつも頑張ってくれている。愛する婚約者の役にたてることが嬉しいのか、彼女がクリストフの期待を裏切ったことはない。


(しかし、アルベルトが噂などに振り回されるとはな。噂なんて、王宮どころか王都中で日々生まれては消えている。王族がそんなものに振り回されてどうするのか。あとで母上からも叱っていただかないと)


 無責任な噂に振り回されて右往左往するなど、将来国を統べる者にはふさわしくない。クリストフ自身、その美しさからあらゆる噂の的になってきたが、そのどれも歯牙にもかけたことがなかった。


(言いたいやつには言わせておけばいいものを)


 そこがアルベルトの小心なところなのだろう。

 クリストフのような美貌を持たずに生まれた平凡な弟は、他の貴族から己がどう見られているのかを常に気にしている。

 それを愚かだと思う反面、可哀そうだとも思う。


(アルベルトには、夜会でも学園でも堂々としているエミーリエの姿を手本にしてもらいたいものだ)


 エミーリエの外見もアルベルト同様に平凡なものだが、クリストフの隣に立つために努力し続けている。内面を磨き、所作を磨き、身に着ける物を選んで気品を保っている。

 微笑みを絶やさず、クリストフを失望させない。


(完璧な婚約者だ)


 クリストフは一年後の婚姻が楽しみだった。


◇◇◇


 ある夜、気が付くと、クリストフは不思議な場所にいた。


「ここは……」


 自室のバルコニーに似ているが、空は薄い紫色で満天の星空が広がっていた。

 地上は分厚い雲に覆われていて、城の庭も街も見えない。


「おや、ようこそ夢幻の庭へ」


 聞きなれない女の声に、クリストフはハッと振り返った。

 そこには、いつの間にか一人の女性が立っていた。


 透き通るようなきらめくヴェールを被っているが、波立つ艶やかな黒髪が腰まで広がり、体に沿うように纏った漆黒のドレスがまるで喪服のようだ。


「そなたは誰だ?」


 就寝前だったからか、帯剣していないことに焦りつつ周囲を警戒する。


「そんなに警戒しないでおくれ。王太子クリストフだね」

「どうやってここに入った」

「入ったも何も、ここは私の領域。入ってきたのはお前さんの方さ」


 女は警戒するクリストフにするりと近寄ると、当たり前のようにつま先を蹴って上に飛んだ。女の体は重さを感じさせないかのように、ふわりと宙に浮く。


「まさか、そなたは魔女か」


 クリストフの言葉に、女は楽し気に笑った。


 魔女サラールサ。

 

 それは建国後、いつからか王国に住み着いたと言われている魔女の名前だ。

 出身地不明、年齢不詳。いつの間にか王城を住みかとして居座った魔女は以来、王国の歴史に時折その名を残している。


(魔女は人知を超える力を持っていて、気まぐれに人間の前に現れては願いを叶えてくれるという。しかし、必ずしも善意からではない)


 魔女はその力の強大さから多くの人々に願われる立場だが、その誰しもを助けるわけではない。ふらりと人前にあらわれては、困っている人だけでなく、特別困っていない人へ授けものをしたりもする。その基準は魔女にしか分からない。


(とある学者は、魔女は人間の反応を見て楽しんでいると解釈している者もいたな)


 それほどに、魔女は人には理解しがたい生き物なのだ。


「魔女サラールサが、私に何の用だ」

「おや、私の名前も知っているとは、勉強熱心な子だね。優秀な子は好きだよ」

「私が優秀なのは当然のことだ。それで?」

「警戒しているね。正しい子だ。なに、この庭に入れたということは、おまえさんには願いがあるんだ。それを叶えて上げようと思ってね」

「なんだと?」


 魔女の言葉に、クリストフは怪訝な顔をした。


「お前さんの願いさ。叶えてあげるよ。ほおら」


 そういって、魔女は一つの小瓶を取り出した。緑色の液体が入った、片手で握りこめてしまうほど小さな小瓶だ。


「この私に魔女に願うような願いなどない。勝手に決めつけないでもらおうか」

「そうかい? 婚約者のことで少し悩んでいるんだろう」


 魔女の言葉に、クリストフは思わず目を見張った。


「よくできた可愛い婚約者だね。謙虚で、いつもお前さんを立てて微笑んでいる。でも、ちょっと用心深いね、お前さんの前でも微笑みが絶えない。いつも同じ顔だ。前みたいに可愛らしく愛を乞うて欲しいねえ」


 心の内を言い当てられて、クリストフは息を呑んだ。

 エミーリエが完璧な婚約者であることは本当だ。それを好ましく思っていることも。

 

 しかし、あまりに完璧すぎるというもの、時に退屈さを感じさせる。

 いつも微笑みを絶やさないエミーリエに、クリストフはほんの僅かの不満を抱いていた。


(婚約したばかりのころは、まだ至らない点が多く、喜怒哀楽していたからな)


 婚約当初は、出来ないことの多さに泣きそうになったり、落ち込んで傷ついた顔をしてうつむいたりもしていた。クリストフが注意すると一瞬泣きそうになりながらも、すぐに悪いところを直してきて、褒めたら嬉しそうな顔をしたものだ。

 

 しかし、最近では指摘することもなく、褒めることもない。常にクリストフの心に寄り添う彼女の顔は微笑みを浮かべている。


(婚約者としては満点だから、注意するほどものではないが……)


 泣きそうになりがならも耐える顔を見ると、それだけでエミーリエの心が自分にあると実感できて、クリストフは満足だった。普段人前で寵愛できない分、あの表情がクリストフの寂しさを埋めてくれていたのだ。


 お茶会でも、以前は手作りのお菓子を作ってくれていたが、最近はそれもない。茶会の席では手をつけられないが、その後側近に回収させて食べていたのに、そんな楽しみもなくなってしまった。


「そう、だな。確かに最近の彼女は謙虚で用心深過ぎるところがある。だが、用心深さは彼女の身を守るためにも必要なことだ。それをなくせとは言えない」

「ああ、もちろんだとも。素敵な婚約者を危険にはさらせないね。だから、危険じゃない方法でお前さんの願いをかなえてあげよう」

「なんだと?」


 魔女の巧みな言葉に、よからぬことを考えていないだろうなと警戒する。


「彼女に何かするのは私が許さないぞ」

「ああ、その子には何もしないよ。この薬を飲むのはお前さんさ」


 そういって、魔女は小瓶を差し出した。


「私が?」

「これはね、相手の心が読めるようになる薬さ」


 魔女の言葉に、クリストフは目を見開いた。


「心を読めるだって?」

「そう。婚約者が何を考えているか、どれだけお前さんを思っているか、愛しているかが分かるよ」


 ごくりと、クリストフの喉がなった。


「普段、言葉にしないように我慢しているんだろうね。澄ました顔で微笑みを浮かべるばかりで、辛いだろう。そんな子は、心の中でたくさん呟いているものさ。誰にも聞こえない、自分だけの領域だからね」


 クリストフは想像した。

 エミーリエが、あの穏やかな微笑みの下で、どれだけ自分への愛を叫んでいるのか。


 今だって、その表情にはクリストフへの愛があふれているのに、誰にも見えない心の内では、どれほどの愛を秘めているだろう。

 それはどれだけ甘美な言葉だろう。


 知りたい。クリストフの中で、好奇心が首をもたげた。


(黙って聞くのは失礼だからな、彼女にも伝えよう。きっとエミーリエは恥ずかしがるかもしれないな。心の内を私だけに暴かれて、恥ずかしがりながらも愛をささやく彼女を見られる)


 それは、ある意味背徳的でもあった。

 お茶会の席、向かいの席にはエミーリエが座り、彼女の心から愛の言葉を聞く。そして不意に、こっそりと心が読めることを暴露する。途端に淑女の仮面が外れて真っ赤になる彼女。周囲はどうしたのかと戸惑うだろう。それを慌てて誤魔化す彼女を揶揄うのもいい。


 多少怒られるかもしれないが、優しい彼女のことだ、しょうがないですね、と微笑みかけてくれる姿が目に浮かぶ。


 それからは、無言の茶会でも愛をささやいてもらえる。文字通り、心が通じ合った関係になるのだ。


「使用方法は? 副作用はあるのか?」


 一通り幸せな光景を想像したクリストフは、魔女に問いかけた。


「婚約者の体の一部、髪の毛でも爪でもいい、それを薬に入れてから飲みな。副作用はないが、一度飲んだら生涯そのままさ」

「生涯か……」

「だが、範囲がある。話が出来る距離くらいまで近づかないと心の声は聞こえないよ。遠くに居たら無理だ。あとは感情の高ぶりだね。落ち着いていたら比較的静かになるはずさ。あと、心と言葉が一致していたら心の声は聞こえない二重になってしまうからね」

「そうか、それなら大丈夫そうだな」


 さすがに四六時中愛を叫ばれては困るが、距離や感情が関係するなら対処のしようがある。疲れたら離れればいいのだし、エミーリエが平静を保てば静かに過ごせるだろう。


「相互作用はないからね。片道一方通行だよ」

「ああ、もちろんだ」


 もしクリストフの心がエミーリエに読めてしまえば大変だ。王太子であるクリストフは国の重要情報をいくつも抱えているのだから。それは例えエミーリエでも明かせないものだ。


「薬は一つしかないから気をつけな」

「ああ、感謝する。サラールサ殿」


 魔女の手から小瓶を受け取る。クリストフが感謝を伝えると、もうそこに魔女はいなかった。

 

 そこは自室のバルコニーに戻っており、空は半月が昇る夜空で下には街の明かりがちらほら見える。

 クリストフの手の小瓶だけが、魔女の存在を証明していた。


◇◇◇


(実に不思議な体験だったな)


 手のひらの小瓶を見ながら、昨夜のことを振り返る。


 魔女は気まぐれに人前に現れて願いを叶えると聞いていたが、実際に魔女に願いを叶えてもらったという人間には会ったことがなかった。父に聞いても曖昧に濁されるだけで、てっきりおとぎ話のような存在かとも思っていたのだ。だが、歴史書に残る数々の逸話が、魔女の存在を物語にはしなかった。


(つまり、私もまたその歴史を刻む人間として選ばれたのだな)


 そう考えるとますます高揚する。


 薬に入れる体の一部を手に入れるのは簡単だった。

 今日も王太子妃教育のために城にやってきたエミーリエの髪を撫でるふりをして一本抜きとったのだ。

 手入れをされたミルクティー色の髪を一本、小瓶の中に入れると、まるで砂糖のようにあっという間に溶けてしまった。


 少し躊躇ったが、一息に小瓶の中身を飲み干した。ほんのり甘い液体に何が起こるかと緊張したが、鼓動が速くなるとか、体温が上がるだとかいった体調の変化は起こらなかった。


(少し拍子抜けだな。まあ、エミーリエに会わないと分からないか)


 明日がまたお茶会となっている。

 クリストフは期待に胸を躍らせながら明日を待った。


 翌日、期待に胸を躍らせながらクリストフはいつもの時間に茶会の場へ向かった。

 いつも茶会には少し遅れていくようにしているため、エミーリエが先にいることがほとんどだ。

 庭園に着くと、やはりエミーリエが立って待っていた。


「殿下、お待ちしておりました」

「ああ」


 二人とも席に着く。言葉と心が一緒なのか、今のところ心の声が聞こえない。

 使用人たちがお茶を用意してくれるのを待って、やがて彼らが下がった。


(そろそろか)


 期待しながらクリストフは待ったが、茶会には互いに静かに紅茶を飲む音だけが聞こえた。


(魔女に揶揄われたのか?)


 がっかりとしたその時だった。


『はあ、最悪。黙りこくって不機嫌まき散らすだけならさっさと終わりにしてくれないかしら。顔を突き合わせるだけで美味しいはずの紅茶が不味くなるわ。気持ち悪い。存在自体が嫌い過ぎて鳥肌が立ちそうだわ』

「え?」


 目の前の婚約者から聞こえてきた声に、クリストフは耳を疑った。


「殿下、いかがしましたか?」

「い、いや……」


 目の前には、不思議そうな顔の婚約者。


(き、気のせいか?)


 今まで誰からも言われたことがないような暴言が聞こえた気がしたのだが。


『何がい、いや……よ。外面しか能のないコミュ障野郎が気持ち悪い。さっさと紅茶飲んで消えてよね』

「エミーリエ……」

「はい?」

『嫌だ、馴れ馴れしく名前を呼ばれたわ。鳥肌立っちゃった。ずっとおい、やお前、としか呼ばれないからてっきり人の名前を覚えられないポンコツな頭なのかと思ってたのに』


 言葉から滲む嫌悪感が、直接クリストフの胸を抉った。


「ふ、不敬だぞ!」

「殿下?」


 耐えられず、クリストフは反射で声をあげた。

 目の前の婚約者を信じられない思いで見つめるが、本人は困惑顔で見上げてくる。周囲からも戸惑いの空気が感じられた。


『え、突然なに? 声を荒げて気持ち悪過ぎるんだけど、ヤバイ頭が更にイかれちゃった?』

「エミーリエ!」

「なんでしょう、殿下。それほど大きな声で呼ばずとも聞こえています」

「お前、よくも王太子である私にこれほどの暴言を吐けるものだな!」

「……なにを言っているのですか?」

『こっわ、頭おかしいんじゃないの』

「エミーリエ!」


 あんまりな言葉に、クリストフの頭にも血が上る。これほど愚弄されたのは生まれて初めてだ。


 しかし、エミーリエだけでなく、周囲の者も異様な者を見る目を向けてくる。

 そこでようやく、クリストフは自分が大きな失態を犯していることに気が付いた。

 今までの暴言は全て、エミーリエの心の声なのだ。その声はクリストフにしか聞こえない。


 周囲の者には、エミーリエ本人にすら、クリストフが突然声を荒げて怒り出したように見えただろう。


「殿下、お疲れなのですね。今日のお茶会はここまでといたしましょう。残りの時間はお部屋でお休みください」

『これ以上馬鹿に付き合ってられないわ。子守りはさっさと引き上げて図書館に行った方が建設的ね』

「やめろと言っているだろう! 王太子を愚弄するのもいい加減にしろ!」

「誰か、殿下がお休みよ。お連れして」

「誰か、この無礼者を捕らえろ!」


 その後はお茶会どころではなくなった。

 護衛たちはクリストフの命令でエミーリエを引き留めはしたものの、拘束することはなかった。挙句、両陛下の耳に入り、クリストフだけがお叱りを受けることになった。


「なぜエミーリエを罰しないのですか。彼女は確かに私を愚弄したのです」

「心の中で、だろう?」

「そうです! ですが、確かに聞こえました。私は魔女の魔法薬を飲んだんのです。これが証拠になるでしょう!」


 こめかみを抑える父に問われ、クリストフはサラールサからもらった小瓶を差し出した。中身は空だが、魔女の小瓶は分かりやすく魔女の印が刻まれている。


 魔女の魔法薬の効果は王家でも言い伝えられている。現物さえ見せれば、クリストフはエミーリエの不敬を信じてもらえると思っていた。


 しかし、返ってきたのは呆れと失望の視線だった。


「お前は、それをバートランド嬢に内密で使ったのだろう」

「彼女に飲ませたわけではありません。私が飲んだのです!」

「彼女の体の一部を使ってか」

「ご存じだったのですか」


 国王の言葉にクリストフは驚いた。


「過去、同じ魔法薬を与えられた王族の記述がある。心を読みたい相手の体の一部を使うのだろう。お前は、彼女に黙って体の一部を取り、魔法薬を完成させて使用した。それがどういうことかわかるか?」

「私は、彼女とより深く繋がりたいと思っただけです! それをこのような形で裏切られて、傷つけられたのは私の方だ!」

「馬鹿者が!」


 訴えるクリストフに、国王から激しい叱責が飛んだ。


「勝手に他者の心の内を覗くことが、許されるわけあるまい! どれだけ親しい間柄であっても、その心に勝手に踏み入る権利などない! お前はバートランド嬢に心が読まれてもよいと考えるか?」

「まさか! 私の頭の中にはいくつもの国家機密があるのですよ。読まれて良いわけないでしょう」

「都合のいい言い訳だな。では、それがなかったらいいと考えるか?」

「私は王太子です。やがて国の頂点に立ち、国の行く末を左右する人間として誰にも心を読ませるわけにはいきません」


 クリストフの主張に、国王は呆れたように首を振った。


「よくもまあ、それだけ自分に都合よく言い訳が思いつくものだ」

「父上?」

「もうよい」


 それは、理解されたというよりも諦められたというような響きで、クリストフの心臓は嫌な音を立てた。


「どちらにせよ。お前たちの婚約はもう容易に解消することは出来ない段階にある。そして今後、お前にはバートランド嬢の心の声に関して罰することを禁ずる」

「父上!?」


 クリストフは信じられない思いで父である国王を見上げた。


「バートランド嬢には申し訳ないことになった。彼女が望むなら、お前と出来るだけ距離をとることを許そう」

「お待ちください! 何故そんなことになるんですか」

「分からぬなら、分かるまで考えろ。お前と話すことなどもうない」


 クリストフの言葉を遮り、王は退出した。

 あまりの理不尽な沙汰に、クリストフは茫然と立ち尽くした。


 それからは苦痛の日々だった。


 王はどれだけクリストフが訴えても、エミーリエを心の声を理由に罰することを許さなかった。そして、それを契約書にしてまで残したことで、エミーリエは驚くほどに増長したのだ。


『あら、話の通じないナルシスト野郎に会っちゃったわ。今日は運がないわね』

『おお怖い顔。勝手に人の心を覗いておいて怒るだなんて、自己中心的過ぎて驚きよね』

『一方的に婚約者に指名しておいて、愛し合ってるとか思い込んでるの気持ち悪いし、そのくせ寵愛したら嫉妬されるからって無視してくるなんて意味不明なんだもの。それでいて善人ですって顔で笑ってるところがもうおぞましいわ』

『自分は優秀ですって顔してるくせに面倒な仕事を押し付けてくるし、第二王子の爪の垢を煎じて飲んで欲しいわ』


「エミーリエ」


 次々と愚弄され、怒りに震えるクリストフが低い声で名を呼んでも、エミーリエは表面上は微笑んでいた。

 それが、今までと何一つ変わらない笑みであることに、クリストフはぞっとした。


 あれほどまでにクリストフへの愛が溢れていると思っていた笑みを、彼女は内心で罵倒しながらでも顔に浮かべることが出来るのだ。


「お前は、それほどまでに私を愚弄したいのか」


 彼女の姑息なところは、クリストフがどれほど問いかけても、絶対に言葉で答えを返さないところだった。ただ、困ったような顔で小首を傾げるのだ。


 それだけで、何も知らない周囲から見れば、勝手に怒っている王太子に困りながらも付き合ってあげている心優しい婚約者に見える。


 クリストフはいっそのこと、この事実を大声で喧伝してやりたくなった。

 だが、優秀な頭脳に残った理性が、そんなことをすれば王家の顔にどれだけの泥を塗るのか教えてくる。


 口を閉ざすしかないクリストフに対して、エミーリエは微笑みながら心の中でクリストフを罵倒し続けた。


「もう、やめてくれ」

「あら殿下、体調がよろしくないのではありませんか?」

「……ああ、そうだな」

「では本日はここまでといたしましょう」


 ひと月もたつ頃には、クリストフはすっかり憔悴してしまった。

 エミーリエと王宮で近づくたびに容赦ない罵倒を浴びることになる。それは、美貌の王太子であるクリストフが生まれてから一度も味わったことがない苦痛だった。

 

 やめてくれと言っても、それはエミーリエの心ひとつで決まること。


 そして、その苦痛をクリストフ以外の誰も理解できないことが、クリストフを孤独へと追い詰めた。

 さすがに見かねた王妃がエミーリエを嗜めたものの、心は誰にも縛ることが出来ないのだと言われれば、どうにもならない。


 対処方法として、クリストフはエミーリエと物理的に距離を取るようになった。

 近づかなければ、彼女の心の声が聞こえないからだ。


 しかし、婚約者である以上、一切近づかないわけにはいかない。

 エミーリエも行動を制限されているわけではないため、王宮に彼女が来た日は下手に出歩けなくなった。うっかり彼女に近づいた日には、また心の中で嫌悪され、罵られる。


「なぜなんだ」

「どういたしました?」

「なぜ、君はそこまで私を嫌うんだ。酷いことばかり言う」


 ある日、クリストフはずっと不思議だったことを聞いた。

 あれほどまでに愛し合っていたはずの婚約者にどうしてここまで罵られなければならないのかずっと疑問だった。


『嫌いになる要素しかないのだけれど、そもそも、愛されているとか勝手に勘違いして自分の理想ばかり押し付けてくるナルシスト野郎を好きになる人なんていないでしょ』

「え……」

『私、貴方を愛したことなんてないし、自分が全て正しいですって己の考えばかりを押し付けて相手の意見を殺していくモンスターには、早く死んでくれって毎日思ってたから。自業自得でしょ』

「死……」


 死を望まれるほどに嫌われていたという事実に、その日、人に嫌われるということが、どれほど辛いことなのか、クリストフは初めて味わった。


『こんなに嫌いで気持ち悪いのに、それでも結婚しなきゃいけないってのが、ほんとクソよね』


 ある日、不意に近づいてしまったせいで聞こえた声に、クリストフは硬直した。

 そうだ、結婚だ。

 一年後にはエミーリエが学園を卒業するため、その後クリストフと結婚するのだ。


(結婚、するのか? こんな状況で? もし結婚してしまえば、エミーリエが王宮に住むことになる)


 今でさえ通いでやってくるエミーリエを避けるように暮らしているのに、結婚してしまったら、彼女は同じ王太子宮に住むことになる。それ以前に、寝室は同じになるのだ。


(い、いやだ! 無理だそんなのは、耐えられない!)


 そうなれば、四六時中罵倒されるのが目に見えている。

 己を心底嫌悪していることが分かる妻と一緒の寝台で寝ることなど、心休まるはずがない。しかし、結婚したばかりの新婚で寝室を分ければすぐに噂がたつし、後継ぎが生まれない。


「も、もう無理だ!」


 クリストフは王宮の隅でうずくまった。

 最悪の未来を想像して、今すぐ逃げ出したくてたまらなくなった。

 こんな婚約は今すぐにでも解消したい。


 しかし、エミーリエを擁護した王がそれを許してくれるとは思えなかった。

 瑕疵もなく、ここまで王太子妃教育を受けて育ったエミーリエを王家が手放すはずがなく、今更彼女以上の婚約者はいなかったからだ。


「な、なんでこんなことに……」


 ほんの数か月前までは、エミーリエはクリストフの自慢で完璧な婚約者だったのに。彼女と結婚して、これから己の治世に向けて輝かしい未来が待っていると疑っていなかったのに。どうしてこうなってしまったのか。


『ああ、本当に、あのクズが魔女の口車に乗ってくれてよかった』


 心底嬉しそうな声が聞こえて、クリストフは固まった。


『心の中を読まれるなんて最悪と思っていたけれど、この長年降り積もって凝り固まって煮詰まった怨嗟を直接ぶつけられるのだから、悪くないわ』


 ああ、とクリストフは理解した。


 自分がいったいどこで間違ったのかが分かったのだ。


 あの夜、突然現れた夢のような魔女の誘惑の手を取ったことが、クリストフの間違いだった。あの薬を飲みさえしなければ、エミーリエの完璧な微笑みの下に隠れたこのおどろおどろしいまでの嫌悪を知らずにいられただろう。


 エミーリエが心の奥底に封じていたものを暴いたのはクリストフ自身だった。


 心を解き放たれたエミーリエはもう我慢はしないだろう。

 クリストフにしか聞こえないというお墨付きもあるのだ、彼女は今まで封じていた分、煮詰まりどす黒くなった心を容赦なくクリストフにぶつけてくる。


「無理だ。私にはもう無理だ」


 この先の未来が想像できたクリストフは、ぶつぶつとつぶやくように立ち上がるとふらりと歩き出した。


『私の気が済むまで、いいえ、死ぬまであのクズのことはサンドバックにしてやるわ』


 耳をふさいでも聞こえてくる恐ろしい声に、クリストフは逃げるように姿を消した。


後日、婚約者視点を更新予定です。

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