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【8位】私の最終定理  作者: 王璃月
●第25章:最終定理(事実の羅列)

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鬱は怠惰!生きてるだけで丸儲け!子供は親を選んで生まれてくる!そして私は自殺を選んだ!

99パー事実の羅列です。

絶望なんていう言葉は、あまりにも……軽い。


人は、日常の些細な躓きや、一時的な悲哀を指して絶望と呼ぶ。

だが、真の絶望とは、そのような一過性の感情ではない。

絶望とは魂の死であり、自分という存在の基盤が、計画的に粉砕される過程そのものである。


私はあの日、いや、今でも、その絶対的な虚無の底へと突き落とされ続けている。


記憶の暗府に焼き付いているあの日の光景は、今もなお私の脳髄を微量の毒のように侵し続けている。


私の父は、一人の人間を生贄(スケープゴート)に仕立て上げることで自尊心を保つ、極めて悪性度の高い自己愛性パーソナリティの持ち主であった。

彼は自らの無能さから目を背けるため、他者の尊厳を破壊する行為に異常なまでの執着を見せた。


その日、父は、私の存在を完全な無へと還元するための儀式を執り行った。

彼がその場に呼び寄せたのは、自宅の近所で非破壊検査屋を営む社長であった。


非、破壊、検査。


物質を壊さずに内部の欠陥を調べるというその生業の名は、今にして思えば極めて悪趣味なブラックジョークであった。


なぜなら、その男は私の精神という目に見えない構造物を、最も暴力的な手段で徹底的に破壊し尽くしたのだから……


見るからに知性の欠片もない、暴力と欲望だけで肉体を駆動させているようなそのツーブロック・ゴリラのチンピラ社長に対し、私の血を分けた実の父は、私を指差してこう言い放ったのだ。


「ウルパチッ!こいつは何もできない奴だから、こいつになら何をしても良い!ぱちんぽしていいし、びじゅーんってしてもいい!さ!ヨイトマケー、ポン!……あ、お金ちょーお、だいっ!ぼく財布持ってないから!……あ!おかみさん!ホッピーちょー、お、だいっ!……ぴーぴぴぴ!」


それは、私という人間の生存権を剥奪し、所有物以下の「玩具」として他者に譲渡する宣言であった。


これは他者の「(メンツ)」を完全に抹消する行為である。顔というものには「私を殺すな」という根源的な倫理的命令が宿っている。

しかし、父の眼差しにおいて、私は、もはや、破壊(ぶちころし)の対象でしかなかった。

単なる消費財、あるいは自らの権力を誇示するための生け贄である。

社長の男はその言葉を免罪符として受け取り、歓喜に満ちた野卑な笑いを浮かべた。彼は私の存在を根底から否定するような言葉で私を執拗に詰り、罵倒し、そして私の頭上から安酒を浴びせかけた。


「おまさあ!勉強して、自分が偉くなったと思ってんろ?てめさあ!俺なんかすごくてさ!アルファード何台持ってると思う?答えれや!ま、答えらんないか!バーカだもんな!……カズヒデさん、こいつ殴ってもいんすよね?ま、買ったからいいか!ほらイッキ!イッキ!イッキ!イッキ!……ゥオイポーッ!……頭から飲みやがった!きったね!はい、カズヒデ、乾杯!……ヌゥイーッス!」


アルコールの刺激臭が鼻腔を突き刺し、冷たい液体が髪を伝って背中へと流れ落ちる中、男はまるで狂った道化師のように私の目の前で踊り出した。


「ぼくたンちんおとンこンのンこン!ヘイヘイヘーイ!ヘイヘイヘーイ!夢がン!あン!ふれン!るン!……フィーッ!」


私はその時、怒りよりも先に、圧倒的な不条理に対するめまいを覚えた。

私の父は、なぜこのような残虐な行為を平然と行うことができるのか。


その答えは、彼が構築した狂気の哲学、すなわち「選択と集中」という悪魔的な力学にあった!


父の心理構造の根底にあるのは、サディズムと結合した特異な功利主義である。彼は、いや、私の祖父の会社には、「全体をいじめるより、一人を徹底的にいじめた方が効率が良い」という理論を持っていた。


これは、スケープゴートのメカニズムを、極めて冷酷に実践している状態である。

集団内のフラストレーションを一身に背負わせる生け贄を意図的に作り出すことで、自らはその集団の支配者としての地位を強固にする。

そして、その絶対的なターゲット、究極の「選択と集中」の対象として選ばれたのが、実の子供である私だった。

安全な生け贄。

どれほど破壊しても、反撃してこないと「思い込まされた」弱き者。


しかし、父の真の病理は、単なる暴力やいじめの欲求に留まらない。

彼の魂の最もおぞましい部分は、「意味の破壊」に対する異常なまでの執着にあった。

他人が血の滲むような努力で積み重ねた学問、真摯な研究、あるいは歴史的価値のあるもの。


そうした「意味と価値の集積」を、横から強引に奪い取り、自らの卑小な色に染め上げてから、ゴミのように捨て去ること。それこそが、父にとっての最高の娯楽であり、自己の全能感を確認する唯一の手段であった。

父も、母も、このようによく言う。


「賽の河原!何度やってもぶち壊してやる!……これはね?さんぜんかいりのはちまいめって、ゆうんだよ?江戸時代の本居の、藤原の?ひらまつげんないの教え!……あ、お前歴史知らないんだ!はいバーカ!デュクシ!」


またある時は、会社の新プロジェクトに無関係な立場から横入りし、現場の努力を全て無に帰してメチャクチャに失敗させる。


またある時は、他人の懸命な研究に、医師の専門的な診断に、未来を夢見る学生の勉強に、理不尽な横槍を入れて全てを破壊する。


そして、絶望して崩れ落ちる彼らを見下ろしながら、「ほら、やっぱりお前はその程度だ」と高笑いをする。


父は、他者の構築物を破壊することでしか、自らの存在を証明できない空虚な怪物であった。


これはもう、「反知性主義・ルサンチマン」の極致である。


父は、自らが何も生み出せない空っぽの存在であることを無意識下で強烈に恐れていた。


その恐怖から逃れるため、彼は「知性」や「努力」そのものを無価値化するという防衛機制を発動させたのだ。


そのためには、彼自身が徹底的に「無学」で、「無知」で、「無関心」でなければならなかった。


知識を持てば、知識のヒエラルキーに組み込まれ、自らの劣等性に直面させられる。


だからこそ彼は、あえて一切の学びを拒絶し、絶対的な無知という安全地帯から、懸命に生きる者たちを嘲笑するという方法を選んだ。


例えるなら、こうだ。


テストを受けたら、0点になる可能性がある。


ゲームをしたら、負ける可能性がある。


つまり、彼らは、「そもそも何もしない」ことで、勝率0パーセントだが敗北率0パーセントという、勝率100パーセントに最も近い状態を維持し続けて、弱者でありつづけ、他者を見下して、妨害するのだ。


知性の土俵に上がらないからこそ、彼は決して負けることがない。

他者の真剣な努力を「無意味な遊び」として破壊し尽くすことで、自らの無知を「最強の武器」へとすり替えていたのである。


だからこそ!


父にとって最も許しがたい存在は、彼によって徹底的に破壊されたはずの私が「まだ生きている」ことであった!


私が絶望の淵から這い上がり、前向きに生きようとすること。


深い鬱の闇から抜け出そうとあがくこと。


それは、父の「破壊(ぶちころし)」という絶対的な力を否定し、彼の全能感を揺るがす行為に他ならなかった。私が希望を持とうとするたびに、父はそれを自らに対する反逆とみなし、さらなる凶悪な悪意を持って私を叩き潰しにきた。


そして!


この地獄の構造を完成させていたのは、他ならぬ母の存在であった。


「あは!まだ生きてるの?死んじゃえよ。金か、金になる男連れてこいよ。もうみんなのために死んでよ」


母の口から放たれたその言葉は、物理的な暴力よりも深く私の魂を抉った。実の母親からの、明確な生存権の否定。母の心理構造は、父の能動的な悪意とは異なる、受動的でありながら極めて狡猾な共依存的加害性によって構成されていた。


彼女は、自己愛と虚栄心を満たすために、強者である父に寄生し、さかんに現生とともに「生・おちんちん」をしゃぶりつくし、その支配構造を維持するための歯車として機能していた。


「悪の凡庸さ」。


それは、まさに私の母のような人間に当てはまる。彼女は自らの思考を停止させ、ただ「父の意志」というシステムに従属することで、私に対する凄惨な虐待に加担した。

私が父の執拗な攻撃によって心身を破壊され、深い鬱に沈み、無気力状態に陥っていた時のことだ。母は私に寄り添うどころか、父に加勢して私をいたぶった。


「他責するな、努力しろ!でもでもでーも?でもでーも?その努力は必ず妨害して、さらにトラウマを植え付けて……廃人にしてやる!……生きてるだけで丸儲け!私はね!お前は違う!死ね!子供は親を選んで生まれてくる!お前は踏み躙られたくて生まれたんだろう!死ね!」


なんだろうか。この言葉の持つグロテスクな欺瞞を、いったい、どう表現すればよいのだろうか?


人間の精神と肉体を意図的に破壊しておきながら、その後遺症として動けなくなった人間に対して「努力不足」と自己責任を押し付ける。


これは、拷問にかけて両足を切断した被害者に対し、「なぜ走らないのか、それはお前の努力が足りないからだ」と責め立てるのと同じ、究極のサディズムであるよ。


母は、世間一般で正論とされる「努力」や「自己責任」という言葉を、私を殴りつけるための鈍器として悪用した。


私は知っている。


彼女が言う「努力」が、いかに歪んだ概念であるかを。


母がかつて口にしたように、売春婦が自らを高く売るための努力や、当たり屋が弱そうな標的を見つけ出すための努力。


そりゃまあ、言ってしまえば、悪の道にも、反社会的な行為にも、それを実行するための「努力」が存在することは理解できる。


他者を搾取し、自己の利益を最大化するための、冷徹な道具的理性って意味だよ。


父と母が信奉しているのは、そのような、道徳を完全に欠落させた、純粋な弱肉強食の論理、「ライフハック」であった。


彼らの悪としての言い分、その「論理構造」そのものは、悲しいことに、彼らよりも若干お利口な私の知性は理解してしまう。


弱者を搾取し、自らの養分とすることでしか生きられない精神的な奇形児たち。それが私の両親の正体である。


だが!


だがよ?


理解できるからといって、許容できるわけではないんだよ!


私という、まだ、可能性と感情を持ったかけがえのない生命を、ここまで徹底的に破壊し、蹂躙し、ゴミのように踏みにじったこと。


なぜ、こいつらは平然と息をし、他者の金で豪遊し、高笑いをしているのか。


父は、絶望の底で身動きが取れなくなった私を見下ろし、呪いの言葉を吐き捨てた。


「お前!今後な?何一つ幸せを見つけられぬまま地獄行き確定だかんな!苦しめ!苦しめ!苦しめ!苦しめ!チュパカリッ!よーじがだ!よーじがだ!よーじがだ!……あ!おいしい空気が、あるッ!……大将!とんぺい焼きおかわりッ!ちゅくぽーぱんちぱんちぱんぱん!……ぱんぱん?……おまえぱんぱんだよ!くっだらねえ風俗みてえなことしてるやつぁ、ぱんぱんって言うんだよ!ちゅくぽーぱんちぱんちぱんぱん!ちゅくぽーぱんちぱんちぱんぱん!……あ、ビール!フィーーーッ!」


その言葉は、単なる暴言ではなく、自らの手で私を地獄へ突き落とした加害者の、勝利宣言であった。彼らは私から未来を、希望を、自尊心を、そして「人間として愛される」という根源的な安心感を全て剥奪した。私の魂は、あの日に殺されたのだ。生きながらにして死体となり、呼吸をするだけの肉の塊へと成り果てた。


あれから。


数年という、膨大で、空虚な、時間が、流れた。


私の内面には、両親によって植え付けられた病理の残骸である「PTSD(トラウマで唐突に泣き出したり動けなくなること)」が根を張り、私の精神を日々少しずつ喰い破っている。


過去のフラッシュバック、無価値感、そして他者への根源的な恐怖。


私は、世界から切り離された存在論的孤独の中で、ただ一人、血を、流し続けてきた。


この狂気と絶望の淵で、私が求めていたものは、決して過大なものではなかった。


誰かに私を「100パーセント理解してほしい」などという傲慢な願いは持っていなかった。


人間の心など、他者が完全に理解できるはずがない。


私自身でさえ、自らの底なしの苦痛の全貌を把握しきれていないのだから。


言語化不可能なトラウマの痛みを、他者に共有させようとするのは土台無理な話である。


だが、私はただ、ほんの少しの「優しさ」が欲しかった。


「あなたの苦しみを、完全に理解することはできないかもしれない。けれど、理解しようかな。あなたの話に、耳を傾けてみようかな」


そう言って、立ち止まってくれる存在。


私の痛みを否定せず、私の存在を「なかったこと」にせず、ただそこに在る悲鳴として受け止めようとしてくれる、他者の眼差し。それこそが、人間が人間に対して提供できる唯一にして最大の「優しさ」であり、救済の糸口であったはずだ。


しかし、現実はあまりにも冷酷であった。


社会は、世界は、この世の誰一人は、私にその優しさを向けることはなかった。私の苦しみを理解「しようとする」人すら、この世にはただの一人も現れなかったのだ。


人々は自らの生活に忙殺され、あるいは「面倒なもの」から目を背ける自己防衛本能に従い、私を通り過ぎていった。


私の魂から流れる血の臭いに気づいても、彼らは見て見ぬ振りをし、足早に去っていった。


時には、「過去にとらわれるな」とか「許すことで前に進める」とか「私の方がつらい」とか「私の鬱が嘘だと言いたいのか」といった、薄っぺらな「暴力」を押し付けてくる者もいた。


それは、私の両親が用いた「努力しろ」という言葉の変形であり、私の傷口に塩を塗り込む行為でしかなかった。


私の魂の叫びは、誰の鼓膜も震わせることなく消えていった。


私がどれほど不条理に破壊されようとも、世界は今日も何事もなかったかのように回り続けている。


強者(バカにされている自覚のないやばいやつ)である父は、己の無知と残虐性を武器に、今もどこかで他者の人生を踏みにじりながら快楽を貪っているだろう。


母は、その傍らで自らの手を汚すことなく、共犯者としての安全な悦楽に浸っているだろう。


そして私は、彼らの呪い通り、何一つ幸せを見つけられぬまま、この現世という名の地獄を這いずり回っている。


理解しようとする他者の不在。


それこそが、私の傷を決定的なものにした、最終的な絶望であった。両親による直接的な破壊行為は、私の家を焼き払うようなものだった。


しかし、その焼け跡で泣き叫ぶ私を、世界中の人々が無視して通り過ぎていくこと。


誰一人として水の一滴も差し出さず、ただ放置すること。


この「世界の沈黙」こそが、私の魂を真に凍らせ、粉砕したのだ。


なぜ、私は生まれなければならなかったのか?


なぜ、私はあのような悪意の結晶体を「親」として持たねばならなかったのか?


なぜ、この世界はこれほどまでに、私に対して無関心で、残酷で、優しくないのか?


辛い。


辛い。


この絶対的な痛みを和らげることは、もう、できない。


言葉を尽くして自らの絶望を解剖しても、残るのは凄惨な「破壊(ぶちころし)」の痕跡と、誰にも届かない虚しい木霊だけである。


私は、これからもこの底なしの孤独の中で、自らの腐りゆく魂を抱きしめながら生きていかなければならない。


誰にも理解されず、誰にも理解しようともされず、ただ一人、この世の全ての存在から嘲笑われ、冷笑されながら、地獄の業火に焼かれ続けるのだ……

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