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青春リンチ  作者: えくぼ えみ
一章 『クラスメイト』
2/21

episode - 2 『十六女 杏子(シシメ キョウコ)』

 



「ムダな出費をしたなー……」


 たまにしか使っていなかった会員証カードは、期限切れだった。

 おかげで、元々の貸し出し料金三二〇円。プラス、カードの更新料金、五〇〇円だ。


 軽く溜息をついて、片手に持った小さな貸し出し用の青いカバン。


 その中に入っているアクリルケースを、ちらり、と見下げて、


「観たかったものが観れるんだし、まあいいか」


 手元の財布事情は、厳しくなったが。と内心付け加え、とりあえず楽しんで観ようということに思考を切り替えた。


 更新手続きを踏んでいたためか、すっかり日は沈んでいる。真っ暗ということではないが、空は灰がかった青さを帯びて薄暗い。


 早めに帰ったよさそうだ。


 ここは、閑静な住宅街とは無縁な騒がしいところ。繁華街とまではいかないが、ファッション街であり、ここから少し離れたところにはホストクラブ、キャバクラなどの風俗店が立ち並んでいる。そのため、この時間帯になれば、ちらほらと呼び込みのためのキャッチが出没する。それ以外にも、ここにたむろする連中も多くいる。よって、この時間帯に好き好んで寄りつく学生は少ない。


 時間は、午後七時前。早足で帰っても、一時間近くはかかりそうだ。


 その前に、ここから離れなければいけないような気がする。


 大きな犯罪に巻き込まれる可能性は低い、と言いたいところだが。最も、それはあの胸糞悪い『リンチ事件』が起きていなかった以前の話だ。

 クラスメイトに聞けば、どうもリンチ事件の通り魔を捕らえて報復しようとしてる者もいるらしい。そのため、ここ一帯のギャングや不良もピリピリしているとのことだ。しかも、怪しいやつは片っ端から無差別に暴行を加えてくる。その怪しさ基準も、偏見ともいえるくらいの決めつけだ。


 巻き込まれる保障は、どこにもない。そう思うと、足取りも、むだに速くもなるものだ。


 通り過ぎる強面な男らに視線を向けられる度、言い知れぬ圧を感じる。だが、あえて目を合わせることはしなかった。


 悠然と、帰路につく。そう、毅然としていればいいんだ。


 多少不審がっているような話し声も聞こえた。

 しかし。


 それは僕以外の誰かだ、と千尋はあくまで自分ではないことを信じて、至って自然と振舞う。


 やがて、ファッション街からは離れることが出来た。しかしまだ誰かに不審がられているのでは、という疑心も少なからずある。

 ここまで逃げて来て絡まれてはいけないと思い、人目のつかない場所へと向かった。


「ようやく、落ち着けそうだな……」


 千尋は、マンションが立ち並ぶ住宅街までやって来て、軽トラック一台くらいの小道を歩いていた。


 レンタルDVD店から来た道を戻れば、大体四、五〇分で家に着いていたはずなのに、いつの間にか一時間数分の遠回りな帰り道だ。


 途中、どこかの家で夕飯の支度をしているのか、お腹がついつい鳴りそうないい匂いが食欲を刺激する。


「腹減った」


 夜といえど、むし暑さはあるし、歩き回ったせいで体力はかなり消耗していた。


 すると、ピコン、と軽い電子音が千尋の制服ズボンのポケットから鳴った。


 少し早い足取りを緩やかにして、そこからスマートフォンを取り出せば、


『今日は帰り遅いの?晩ご飯は出来てるから冷めない内に帰ってきなさいね』


 というメッセージが通知されていた。その上に『母さん』と送り主の名前が。


 ナイスタミング、と千尋はこの時ふと思ってしまった。

 この心身消耗している中で、親の言葉ほど身にしみることはない。今日はいつも以上に腹を空かせている。


 即座にロック画面を開いて、返信した。『了解』と、その二文字を嬉しそうにニヤついて送った。


 そして、画面から水平に視線を戻そうとした瞬間、

 すぐ目の前には、『青いポロシャツ素材の壁』が迫っていた。


「え?」


 ドンッ、と直後に押されたような衝撃が体に当たり、


「いって…!」


 千尋は、後ろへと盛大に倒れる。

 幸いなことに、横から体が倒れたので腕で受身を取れたため、顔面がアスファルトにぶつけることはなかった。


 しかし、かなり衝撃が強かったので、前腕は広範囲にすり傷が出来た。


(な、なんだ…?酔っ払いか?)


 千尋は体を起こして、足元にのしかかるものにゆっくりと目を向けた。


 そこには、


「は…?」


 首を大きく仰け反らせて、鼻や口からおびただしい量の赤黒い血を流している男であった。


「うわあああああ!?」


 まるでおばけを見たような悲鳴をあげ、思わず、足でその男の肩を蹴っ飛ばし、後ろへと腰を抜かしたまま後ずさった。


 ドクドク、と心臓が破裂するような鼓動。

 ぶつかってきたのは、男の背中。男は何かに突き飛ばされ、それの巻き添えになったのが千尋のようだ。


 はっ、はっ、と呼吸が荒くなる。なんなんだ、この飲み込めない状況は。


 なぜ、男は顔面からこんなに血を流しているんだ?

 いや、その前にさっき蹴っ飛ばした時に反応がなかった。


「死んで…る…?」


 そう思うと、なぜか言い知れない恐怖が、千尋の心を覆い尽くす。


 助けなければならない、という気持ちは、どうやら唐突なこの状況では発揮できないらしい。


 とにかくも、生死だけをいち早く知りたかった。とっさに血塗れた男の元に四つんばいで近寄った。


 まるでケッチャプをかけられたかのような顔の口元に、耳を近づける。


 恐る恐る耳を澄ませると、


「死んでないわよ」


 ふと頭上から、凛とした女の声が聞こえた。

 ばっ、と慌てて見上げれば、そこにいたのは。


 真っ黒なフルフェイスのヘルメットに、季節感のない黒いパンツや編み上げのブーツ。極めつけに、この蒸し暑さの中でフードのついた黒いスプリングコートを羽織っていた。


 その右手には、赤黒いドロドロした液体がべとっと音を立ててアスファルトに滴っている銀色の金属バットがしっかりと握り締めた『人』が立っていた。


「あ……あァ……」


 開いた口が、閉じない。同時に体は言うことを聞かず、何もしていないのに全身から酷い冷や汗が出てくる。


 森川千尋には、目の前で自らを見下ろすそいつの正体が、なぜか分かってしまった。


 そいつの頭上で走る電車。その高架下に横たわっている数人の男や、千尋の隣で血を顔面から垂れ流している男と、同じように分からなかった方が、むしろ良かったのかもしれない。


 こいつが、

 連続リンチ事件の『通り魔』だということに――。






 ※※※




 人気のない場所を選んだはずだったのに―。


 普段の格好ではあまりにも人目を引きつけられなくて、フルフェイスのヘルメットを被り、わざわざたんすの奥にしまった冬服を引っ張り出した。その甲斐あって、今日は早く『バカ』が引っかかってくれたというのに。


 ツイてない。


 まさか、目撃者に出くわすとは。思わず、溜息を吐いてしまう。


「ひっ!」


 金属バットをただ肩に乗っけただけだと言うのに、殴られるとでも思ったのだろうか。


 目の前の目撃者は、とても情けない声をあげる。トントン、と肩たたきのように金属バットを動かせば、更に怯えた表情を見せた。


 口封じも兼ねて気晴らしに殴ってやろうか。が、少し思いとどまる。


 そうね、殴るよりも効果的な口封じの方法があったわ。と通り魔は思いついた。


 カラン、と金属バットを無造作にアスファルトに放り捨てた。依然と顔は強張っているが、『武器もどき』を放棄すると目撃者は驚きを隠せないのか目を丸くしてそれを一瞥したあと、こちらへとまた視線を戻す。


 おもむろにヘルメットのバックルを指で押して弾き出し、ヘルメットをゆっくりと持ち上げる。


 中に収めていた髪が、ずるり、と落ちた。


 生ぬるい風と顔から滲んだ汗で、こもっていた熱が徐々に冷えていく。


 ため息を一つつけば、

 ほら、目の前の目撃者はより一層目を見開いた。



「お前、は……」


 森川千尋は、思わず言葉を飲み込んでしまった。

 何気ない学生生活、いつも通りの教室でのクラスメイトの笑い声。


 入学して二ヶ月ほど経ったが、まだ口を利いてないクラスメイトはいる。仲良くするか、しないかなんて個人の自由なのだ。


 だが、そう、目の前の通り魔は、


「こんばんは、森川くん」


 昼間、椅子で転倒した千尋に落ちたシャーペンを手渡したあの女生徒だった――。


「十六女…さん…?」


 十六女杏子シシメ キョウコ、それが千尋の前の席にいる彼女の名前だ。


 普段は口数が少なく、事務的な連絡以外のことで千尋含め他の生徒と談笑のような話をしているところを見たことがない。


 大人しそうな地味な生徒、だろうか。丸眼鏡が彼女の特徴でもあったが、今はかけていない。

 同窓会でも開かれた日には彼女の名前を聞いてもピンと来る者がいるかどうかも怪しいくらい存在感の薄いクラスメイトの顔を眼鏡が外れて尚認識できたのは、後ろに座って普段から丸眼鏡の横側から覗かせるその顔を見ていた千尋だったから分かったことなのだろう。


「あら、覚えていてくれたの?」


 自らの存在感のなさの自覚が彼女にもあったのだろう、十六女は意外そうにそう言った。


 脱いだヘルメットを地面に無造作に放り捨てる彼女を見て、千尋は力のない声で、


「なんで、君が……」


「?」


 いまいちよく聞こえなかったのか、十六女は微笑しながら小首を傾げる。


 千尋の目にはその表情から普段の根暗な性格とは違い、雰囲気がとても明るく見えた。

 まるで、ただ顔がよく似た別人のように見えてくるような軽い錯覚すら覚えるくらいだ。


 それと同時に、なぜかクラスメイトと分かれば、今までの恐怖感が少しずつだが和らいでいくような感覚もあった。


 千尋は、思い切って立ち上がると、


「なんで十六女が、ここにいるんだよ!」


 柄にもなく声を張り上げる。


 しかし、威圧的な問い詰めをされても十六女は、更に首を傾げるだけだった。質問の意味が分かっていないのか、あるいは答えようとして悩んでいるのか、その白を切っているかのような微笑みからは読めない。


「なんで、て言われても…。見れば分かるでしょう?……そこで、たった今、赤の他人を殴っていたのよ」


 品のある口調、その声色はとても冷たかった。

 そして、先ほどの薄っすらと張りついていた微笑は消え、無表情で真っ直ぐと、十六女は、千尋を見つめていた。


 ごくり、と、千尋が固唾を飲み込んだ。


 まるで獲物を前にし、いつ『狩る』かを頭上で狙っている梟のような、とても静かで、だが確実にじりじりと追い詰めるような圧――。


 数分…いや、実際には数秒だったかもしれない膠着状態。あまりの静けさで風すら耳元にざわざわとうるさく聞こえるくらいだ。


 すると、それを解くかのように、ふっ、と十六女が口元を綻ばせた。


「……いいのよ、警察に通報したって」


 他愛のないことのように、十六女は、そう言った。

 その言葉に思わず千尋は、「え」とだけ声をあげる。

 が、続けざまに、


「でも、そうなった場合、私は森川くんが携帯を取り出した瞬間にそこに転がっている金属バットを拾い上げるでしょうね。そして、それであなたを殴って、殺してしまうだろうけど」


 十六女は、笑顔で軽く言い放った。

 若者の間で聞き慣れた殺害予告も、今の状況を鑑みるに冗句ではなさぞうだ。


 通報してもいいが、『通報させる』わけではない。ということだろうか。


(言ってることが、無茶苦茶だ……)


 和らいだはずの恐怖が、徐々にまた顔を覗かせ、千尋の心を蝕んでいく。

 それを感じているからか、


(今すぐに通報しないと…!)


 動けなくなるその前に、千尋は行動に出ようと思った。


 だが、これと言って『交渉術』なんていうものを持っているわけでもないし、こんなことに巻き込まれること自体今までなく平和的に過ごしてきた。つまり、この窮地から脱することができるくらい器量よく頭を回転できるほど冷静でもない。


 かと言って、人気がないこの場所で声を張り上げても駆けつける人は少ないし、その間に十六女が鮮血を纏わりつかせた金属バットを拾い上げ襲ってくる方が遥かに早いだろう。


 と、なると答えは一つだ。


「…………、」


 千尋は、足元を見た。

 逃げるしかない、そう思った。


 足も極度の緊張で竦みそうだ、走れるかも分からない。そもそも近くに交番はあるんだろうか、この辺りの土地勘には疎い。


 それに、きっと逃げれば、十六女も必然的に追ってくるだろう。運動能力は並より少し下だと自覚済みの千尋には巻けるかも不安だ。


「ずっと、考え込んでいるようね」


 まるで時間切れと宣告するように、十六女が声をかけた。

 千尋は、面をあげて、彼女を睨みつける。


「警察に通報する気がないなら、このまま立ち去る森川くんの背中が見えなくなるまで私は黙って『見送る』だけよ。危害は加えないわ、約束よ」


「殺す、なんて言われて……そんなの、信じられるわけないだろ」


 千尋は、少し怯えながらも至極当然な返答した。

 それを聞いて十六女は、くすくすと笑いながら「なんだ、ちゃんと喋れるんじゃない」と茶化すように呟く。


 その瞬間を、千尋は見逃さなかった。


「くッ…!」


 相手の話を悠長に聞いていられないわけがない、相手のペースに呑まれるだけだ!

 そう思った千尋は踵を返して、勢いよく走り出した。


 スクールバッグも置き去りにして、己の身一つだけを携えて。

 後ろを振り返ったら、終わりだと思った。そんな暇も余裕もない。


 前へ前へ、と足をひたすらに動かした。

 逃げれる、と信じた彼は。


 が、その背中を睨む一つの眼光は、何も許していなかった。


「誰が、」


 十六女は、その白い手をゆるりとコートのポケットに伸ばした。

 じゃらり、と引きずり出したのは、漆黒の鎖だ。

 それが三本あって、それらは手の平に収まるサイズの鉄輪にそれぞれ繋がれている。更に鎖の先には錘≪オモリ≫もつけられていた。現代ではほとんんど見かけることがない、江戸時代に使われていた飛び道具『微塵≪ミジン≫』のようだ。


 三本の鎖の内二本を掴み、頭上でぐるぐると回し始めた。ヒュンヒュン、と一本の鎖が空を切る音がする。

 千尋の、遠ざかりかけている背中が、ゆっくりと見えた。


「誰が、逃げていいって言ったの?」


 少し声を張って言った後、十六女は微塵を千尋の背中めがて、投げ打った。


 背後で、何かの気配を感じる。

 重たくて冷たい、だが『人の気配』ではない別の物の……思わず、千尋は振り返った。


 直後、ガツンッ、とこめかみに何かがめり込んだ。


「ぐぅッ…!?」


 まるで全力で投げられた硬球が当たったのような衝撃に耐えられず、そのまま地へと突っ伏すように勢いよく転倒。


 後を追うかのように、じゃら、と微塵が地に落ちた。


「あぁ…、ぐ…っ…」


 酷い鈍痛が、主に左のこめかみから痛覚に乗って頭部全体に走ってくる。

 うつ伏せになった身を起こそうとしても、その痛みのせいで腕や足に力が入らない。


「扱い方が難しいのね……、全く検討違いなところに飛んでいってしまったわ」


 足元から近づいてくるのは、文句を垂れる独り言と砂利を踏み潰してやってくる足音。


 すると千尋のこめかみ辺りから、だらり、と何か生温かいものが垂れてきた。


「打ちどころが、悪かったようね。下手に振り向かなければよかったのに」


 かろうじて動く目を、そろりと持ち上げれば、いつの間にか千尋を見下ろすように『長い黒髪の通り魔』が静かに佇んでいる。


 口を一文字に噤み、まるで散り行く道端の花でも見ているかのような侘しそうな表情だ。


(死ぬのか……僕……)


 やがて、そう心で自問をした千尋の瞼は重みを増してきた。


 額から流れてきた鮮血が、薄っすらと開けた瞼を乗り越え瞳へと張りつき、反対側の頬へと伝い流れていく。


 真っ赤な色をした景色とその女生徒の表情は、なぜか――どこかで――、


 そっと瞳を閉じた同級生の顔を、黙って見つめる。

 彼女の顔は熱帯夜らしい温いそよ風で持ち上がった後ろ髪でよくは見えなかった。


 しかし、固く閉じていた唇は薄っすらと開いていく。


 まるで、続きを、語るように――。








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