二つの演劇場
ネモルドーム駅から歩いて程なく、僕達はネモルドーム劇場、いわゆる大劇場に着いた。
……大峡谷に大瀑布、そして今日三つ目の大である。
ラヴィットは大きいのが好きなのだろうか。
建物は綺麗な茶色い煉瓦造りで、窓こそ二階までしかないように見えるけど、高さ的には塾舎と同じ……四階か五階分ぐらいはあるだろう。
「妾達の期待を裏切り、近代的な建築物ではないかと期待しておったのじゃが」
「おい、文法がおかしな事になってるぞ。それ、期待してたのかしてなかったのかどっちなんだ」
「まあ、立派な建物である事は認めるのじゃ」
「うーん」
僕もケイの横で大劇場を見上げる。
「……開国して二十年後ぐらいしてからの、ウチの国の大きな市庁舎ってこんな感じだよね」
「ものすごくピンと来るが、それはそれで失礼なのか褒めているのかよく分からぬの」
もしくは、すごく腕のいい職人が作ったチョコレートケーキだ。
チョコレートは、ビターではなくミルク系。
四角い劇場には旗がはためき、今日の演目である『レパートと鏡の魔女』の文字が……うん、多分そう記されているんだと思う。
正面入り口の上にあるのも、看板ではなく布製のタイトルに龍人やチルミーの姿が織られている。
ヤバイ、センスとか僕にはピンと来ないけど、これはいい気がする。そう、例えるなら何にも予備知識がない人がここを訪れても、何だか入りたくなる雰囲気があるというか。
と言っても、僕達の周りにはもう、入場待ちの人達でいっぱいな訳で、入りたくても入れないだろうけど。
「そもそもどちらにしても、僕達もここに入る事は出来ないんだけどね……」
「チケットを持っておらぬからのう……」
「裏からコッソリとかも駄目だ」
目立たないように、警備員が立っているのを確認する。
……おいおい、警備の黒スーツすら何だか、高そうじゃ無いかあれ。
「そもそも、そんな事、考えもせなんだわ」
「やろうと思えば、出来るけどね」
「何気にシノビスキル持ちとか、そんな伏線を用意するのかやお主!?」
「そうやって侮って、警備の人に捕まる所まで見えた。戯言終了」
僕は手を叩いて、この話題を打ち切った。
「……お主が一方的にボケるというのも、珍しいのう」
「たまには有りじゃないかな。……にしてもこりゃあれだ。千客万来って奴だねえ」
ザッと周囲を見ただけでも数百人……まあ、実際入る人の数は、この程度じゃないんだろうけど。
ゾロゾロと訪れる客層は全体的に若そうな印象だ。
いや、中年壮年はもちろんいるんだけれど、お年寄りよりは若い人達が目立つというか……演劇って言うと、何だか年配の人が観に行くイメージがあったんだけど、そうでもないらしい。
もしくは俳優が人気だからなのか。若い女性、女の子が目立っている。
「大繁盛じゃな。探せばダフ屋の類もおるのではなかろうか」
うん、それは多分いる。
……と、別のモノに、僕は興味を持った。
「あっちで、何かボード持ってる人達は何?」
劇場に向かう人達の端っこに、並んでボードを持っている女の子達がいる。
一人二人じゃない、点々と同じような子がいる。
劇の宣伝、なんかじゃなくて普通にスケッチブックに手製のメッセージを書いているのだ。
「うむ、アレはチケット譲って下さいとか書いてあるの」
「……譲る人、いるのかね?」
それ、無理じゃないかなぁ。
「妾にも、分からぬ。……こそっとダフ屋が来てくれるのを待っている、というのともちょっと違うような気がするの」
ケイも悩んでいるようだ。
「うん、悪い意味で純粋に、タダで見たいって感じがする」
「それはそれですごいのう……後はキャンセル狙いかの。急な用事で帰らなければならなくなった人に対し、いくらか払うから、という人は中にはおるやもしれぬ」
「……うーん、それにしたって、何だ。あの中には、遠方から来る人もいるだろう。観れなかったら、採算取れないよなあ」
「それは妾達の知る所ではないのじゃ」
「そりゃごもっとも。そろそろ人も増えてきた事だし、僕達も移動しよう」
「うむ」
人間観察を終了して、僕達はネモルドーム公園野外ホールに向かう事にした。
僕達が向かう野外演劇場は、ここからほど近く、名前の通り森林公園内にある。
さすがに人の気は大劇場の比じゃないけれど、それでもああ、劇を見に行くんだなって人が並木道を歩きながらでも、チラホラと見受けられる。
「しかしまあ、あんなのの団体用チケットとか、よくウチの塾は取れてたよなぁ」
歩きながらさっきの大劇場の感想を、僕は漏らした。
「おそらく、ウチの実家の伝手じゃの。賀集家は私塾に多額の出資をしておるし、見識を広めるというお題目があるならば、それぐらいの手配はするじゃろ」
「肝心の娘は、入れない訳だけどな」
「元々、入る予定などなかったがの」
「それじゃま、僕達が観る方はどんな感じですかねー……」
並木道が途切れ、僕達は野外ホールに到着した。
野外ホール、いわゆる舞台になる部分は半ドーム状になっており、今は緞帳が下りている。
座席は扇のように広がり、それがすり鉢状になっている。まあ、そうじゃないと後ろの座席の人達は、前の人の後頭部を見る羽目になるから当たり前だ。
そして僕達は劇場の一番後ろから、舞台を見下ろす場所に立っていた。
「……へえ、良い所じゃないか」
「じゃのう。雨だと大変だったじゃろうけど、これはなかなか趣があって悪くないの」
まだ入場は始まっていないようで、清掃のスタッフが動き回っていた。
ロープが張られていて、勝手に入れないようになっているようだ。
……入場口はどこだろう。
「ススムや」
くい、とケイに裾を引っ張られた。
どうやらこの顔は、真面目な話題らしい。
「何だよ」
「これは、食べ物とドリンクを持ち込まねばならぬ」
……本人にとっては大真面目な話題なのだろう、うん。
「お前、さっき懲りたんじゃないの?」
「歩いたら、ちょっとはへこんだのじゃ。それに、演劇とフード類はセットなのじゃ。ないと寂しいと思うのじゃよ」
「……ま、そこんトコは反対しないでおこう。僕も、ちょっと欲しいかなとは思ったしね」
「うむ」
何だかいい匂いもしているし、多分これ屋台がどこかにあるな。
「……ただし、事前にトイレには行っとけよ。悪いとは言わないけど、演劇とか映画とかで一旦離席して戻ってくると、その分の時間何となく損した気分になっちゃうからな」
「元々タダじゃがの」
「それとこれとは別……」
それから、僕は重大な事に気がついた。
「ここってトイレ、設置式の奴とか置いてあるんだろうな。そうじゃなかったら、もう行列が出来てるんじゃないか? 特に女性の場合」
「ああ、その点は大丈夫じゃ。向こうにあるのがそうじゃの」
と、ケイは後ろの森から覗く広場に見える、紺色のボックスの並んでいるのを指差した。
……ホッと安心する。
まあ、他にも色々と悩む事は多いのだが。
「っていうか、一応ソアラさんに挨拶する用意だけは、しといた方がいいのかね? こういうのって、後なのかな? 先なのかな?」
「むむ、それは厄介な問題じゃ。自分で言うのも何じゃが、妾、真面目な対人スキルはあまり長じておらぬ」
「僕は言うまでもないしねえ……」
まず、そんな所から悩む、コミュ障気味の二人であった。