第三章 (四)
だが、いったいどう言うことだ。社交界で夫探しとは、はらわたが煮えくりかえりそうだ。
エドワードは、従者ロバートの後を追うようにロンドンに向かっていた。執事に僅かな着替えの荷をトランクに詰めてもらい、ほとんど休まずと言っていいほどロンドンに向けて箱型馬車を走らせていた。時折り、馬たちを休ませるのに休憩をとったが、それでもひたすらロンドンを目掛けて馬を走らせた。馬車の窓の外はサズボーン館を発つときは明るかったが、今はほとんど暗くなっていた。
ロンドンに近づくにつれ、薄霧の中につつまれた街灯が所どころ窓から見えていた。馬車は街に近づくとしだいに速度を緩めていた。もう、街に入ったと言うことだ。
馬車は、急に宿屋の前に止まった。少ししてから、馬車の扉が開き従者ウイリアムが扉の横に立っていた。
「旦那様、宿に着きました。部屋に空きがあるそうです。」
「うむ、ご苦労だった。馬車を裏に回し、馬係りにニ頭の世話を頼むように伝えてくれ。その後、一緒に食事にしよう。」
「ありがとうございます。では、わたしは荷を下ろし宿の者に部屋まで荷を上げるよう頼んできます。」
エドワードは従者が用意した馬車のステップから降りそのまま宿の中へと向かった。
宿屋の中には、小太りで頭の禿げた赤ら顔の主人が、カウンターの中で酔っ払い相手に大声で怒鳴っていた。エドワードに気が付くと宿屋の主人は、カウンターから慌てて飛び出し、手のひらを合わせ揉みながら近づいてきた。
「だんな、お泊りですかい?まだ、上等な部屋が残っておりますよ。この時間なので、少しお安くさせていただきますぜ。」宿屋の主人は、ほとんど前歯の抜けた口で唾を飛ばしながら、にやけ顔でエドワードに話しかけてきた。エドワードも半日以上も馬車に揺られたうえ、自分に向けて唾を飛ばされたのには腹が立ったが、酒場同然の場で騒ぎを起こしたくは無かった。両手を強く握りしめ、宿屋の主人の態度に我慢をしたのだった。
「部屋は従者の分も、用意をしてくれ。部屋代はそのままで良いが、食事をその分良い物を出してくれ。食事も二人分だ。それと、ボトルワインも頼む。」宿屋の主人は、舌舐めずりをし宿帳を書く台にエドワードを案内した。
「だんな、何日お泊りですかい?」
エドワードは宿帳に、〝エドワード・フィリオ・サズボーン伯爵〟と、称号まで書き綴った。
「ほう、伯爵さまですかい。それで、お泊まりは?」
「今夜だけだ!」エドワードは宿帳の端を破り、走り書きをし小さく折りたたんで手の中に握り締めた。宿屋の主人は、金持ちの伯爵だと思いエドワードの行為に何も言わなかった。
エドワードは酒場の方に振り向き、薄暗い店の中を見渡した。店の中には、客のテーブルの隙間を走り回りながらエールの空になったジョツキを集めまわる少年に目がとまった。
「おい、坊主!」エドワードは、少年に手を上げて合図をした。少年は、一瞬ジョツキを集めていた手を止めたが、エドワードを一瞥し直ぐにカウンターの奥に消えていった。
少し間をおいて、ジョツキをカウンターの中に戻しに行った少年は、エドワードの傍にやってきた。
「だんなさん、僕にようかい?」
「そうだ、坊主。名はなんて言うんだ。」少年は前歯が抜けた歯を見せながら話した。
「ロンって言うんだ、だんなさん。」
「そうか、ロンか。ロン、少し頼みを聞いてくれるかな?」エドワードは少年と同じくらいに体をかがめ、ロンの荒れた手の中に小さく折りたたんだ紙と硬貨を二枚握らせた。そっと自分の手の中を見たロンは、目を輝かせうなずいた。
「少し先の場所にある、ランダムア屋敷の執事に言付けを届けてくれるかな?」
「わかったよ!」ロンは直ぐに走りだそうとしたが、エドワードに腕を掴まれた。
振り返ったロンに、「戻ってきたら、同じ数の硬貨を渡すから、わたしの所に来なさい。」エドワードは耳元で少年に話した。前歯の抜けた口で、ロンは微笑んで店を飛び出して行った。
カウンターの中に戻っていた宿屋の主人は、二人の様子を見ていたが何も言わず忙しい振りをして笑っていた。どうやら、少年は宿屋の主人の幼い息子らしい。