第三章 (ニ)
扉の外から、ノックが聞こえた。
「どうぞ。」声を掛けると、リリアがいつもの様に扉の入り口で、小さく膝を折ってお辞儀をし、水差しとタオルを持って部屋に入ってきた。
「おはようございます。」
一つ年下のリリアは、メイド服に身を包まれ、赤茶色の髪を結い上げメイド帽にきちんと包まれていた。リリアの茶色の瞳は、真っ先にメリンダの頭の上に向けられていた。
今朝のメリンダは、ブルーのドレスに着替えており、髪は無造作に束ねられていた。
リリアは、メリンダの姿で一番目についたのは、髪だつた。大雑把に束ねられたブロンドの長い髪から、あちこちに跳ね上がっていたのだった。
部屋の奥にある化粧室に向かい、水差しとタオル置き、ヘアブラシを片手に戻ると、メリンダを鏡台の前の椅子に連れ立った。メリンダの座る椅子の後ろに立ち、リリアは早速髪を直し始めた。
「お嬢さま、今朝は早くベッドからお出になられたのですか。お着替えまで済まされて、お部屋の紐を引いて頂ければ、直ぐにお部屋に参りましたのに…」
「いいのよ、リリア。今朝は、夜明け前に目が覚めてしまい、お腹も空いて厨房でメアリーに紅茶とスコーンをご馳走になっていたの。だから、朝食は少し時間を遅らせたいの。」メリンダは、本当は悪夢を見てから、一睡もできずベッドの中で本を読んで過ごした事は、リリアには言えなかった。
「わかりました。お嬢さま、もう少しで終わりますので我慢して下さいね。」リリアは手際よくメリンダの髪を束ね上の方に結い上げ、鏡台の上にある小箱から、ドレスに合わせたブルーのレースのリボンを髪に結んだ。
「お嬢さま。執事のハワードさんからの言付けですが、旦那様が書斎でお話があるそうです。それに、今日は大切なお客様が訪ねてこられるそうです。」リリアは、ブラシを鏡台に置き、鏡越しにメリンダと目を合わせた。
メリンダは椅子に座ったまま体ごと振り返り、リリアと向き合った。
「お父様は、今日はお体の具合がいいの?」
「もちろんです。最近は、お体の具合が宜しいようです。」リリアは、メリンダに微笑んだ。
お父様は、ロンドンに来てからお体の具合が良くなることなんて無かったのに。
「朝から、なんてすばらしいのかしら!」メリンダは、嬉しさで悪夢の事などすっかり忘れ、父の書斎の事だけを考えていた。
「食堂に行く前に書斎へ行きます、と、伝えてもらえるかしら。」
「わかりました、ハワードさんにお伝えいたします。お嬢さま、髪型はこれで宜しいでしょうか?」
「いつも、ありがとう。もう下がっていいわ。」
リリアは扉を開け、膝を小さく折り曲げ軽くお辞儀をし、扉を閉め部屋を後にした。
メリンダは、鏡台の上にある小箱に目がとまり、中からドレスに合うネックレスを選んで身に付けた。母からの唯一の形見の品の一つだった。衣装棚から短ブーツを取り出すと、椅子に座りなおして部屋履きからブーツに履きかえた。父の待つ書斎に向かうため、部屋を後にした。
メリンダは嬉しさのあまり、父と書斎で会える事しか頭の中に、残っていなかった。