第五章 (三)
紳士クラブ 『ドラゴンの爪痕』
この場には、殆ど来ることがなかった。先代の伯爵から引き継ぎ、会員の席は残していたが、領地外に出ることが殆どと言っていいほど無かったエドワードにとっては、何年かぶりにクラブの扉を開けることになったのだ。
騒々しい酒場とは違い、中の様子は昔と変わらず、静かな紳士だけの社交的な場だった。ガス灯の灯りは中の隅々にまで和やかさを醸し出し、片隅にあるピアノからは上流階級らしくエレガントに落ち着いた曲が静かに流れ、ところどころに葉巻の煙が漂っていた。床は、何年にも渡って丹念に磨き上げられていた。
エドワードは、何人かの知り合いに声を掛けられ、社交的な挨拶を交わし席を探した。ガス灯に照らされた薄暗いカウンターの席に腰を下ろすと、バーテンダーにブランディを頼み、近くに置いてあるロンドンの新聞に手を伸ばした。上着の内ポケットに手を差し入れ、眼鏡を取り出すと、待つ間に新聞を読みふけるつもりでいたのだった。
「兄さん。エドワード!」その声に、慌てて手に持っていた眼鏡をまた上着の内に戻し、元の場に新聞を戻したのだった。
クラブの入り口から、自分を呼ぶ男が立っていた。顔立ちは、エドワードに良く似ていたが、長身に長髪の容姿とは異なっていた。エドワードより頭位が半分ほど低くした紳士だった。それでも、兄弟そろっての大柄に厳つい容姿には変わりなかった。同じ髪にしたのなら、双子と言っても間違い無かっただろう。アンソニーは、軽い足取りでカウンターに向かうと、隣に腰を下ろしバーテンダーにグラスを頼んだ。
「エドワード、使いを貰って驚いたよ。急にロンドンに来るなんてどうしたんだい?今夜は、どこに泊まるんだ。もし、タウンハウスで良ければ・・・」アンソニーは、嬉しさのあまりに、兄に向って一気に話始めたが、話す途中にエドワードに遮られたのだった。
「弟よ、まずは再会の乾杯からだ。」エドワードはアンソニーのグラスにブランディをダブルで注ぐと、二人はグラスを掲げて一気に中身を煽ったのだった。
「エド、話を聞かせてくれ。ロンドンには、何をしに来たんだい?兄さんは、ぼくと違い領地以外の事には関心が無かったじゃないか。まさか、ロンドンにきて、花嫁探しではないだろうね。」
アンソニーは、エドワードを半分からかってた。目は、微かに笑っていたのだ。
「トニー、聞いてくれ。わたしは、花嫁を探しに来たわけでは無いんだ。寧ろ、花嫁を迎えに来たのだ。」
アンソニーの、グラスを持つ手が一瞬で動きが止まった。
「えっ!?」
「ランダムア家のご令嬢を。」
エドワードの顔は、すでに赤くなっていた。弟に、自分は結婚するのだと、報告したのだから。
「エド、まさか・・ いつから、そんな話になっていたんだい。レディイザベルと、あんなことがあったから自棄を起こしているのではないだろうね?よりによって、ランダムアのご令嬢と・・」
エドワードは深くため息をついた。アンソニーに了承されない事は覚悟をしていた。
「兄さんは、両家の結婚には関心があったわけでは、無かったじゃないか。況して、あの跳ねっかえりのじゃじゃ馬娘となると。」
確かにアンソニーは驚いていたが、口元が微かに笑っていた。エドワードの赤くなった顔を見ると、余計に自分の腹を抱え笑い声を抑え込むのにひと苦労したのだった。座る椅子から、転げ落ちそうになったほどだ。〝確かに、この話の状況は面白い。〟
エドワードは、眉間に皺を寄せて顔を顰めていたが、話を続けた。
「わたしは、自棄を起こしたわけでは無いんだ。レディイザベルとは、もう昔のことだ。わたしとは、何も無かったし。それに彼女がかってに騒ぎ出した事だ。今は、彼女もどこかの公爵夫人に収まっているはずだ。」
だが、アンソニーの容姿を見て、自分も微かに笑いを堪えていたのだった。
「確かに、跳ねっかえりでじゃじや馬娘も、見違えるように美しくなったんだ。当時の彼女は、幼すぎたのだ。今は、十八の年を迎えている。わたしの妻になるのだから、ニ度と口に出すんじゃないぞ。」アンソニーは、笑いを堪えながら頷いた。
「おおせのままに、兄上。」それでも、目はまだ笑っていたのだった。
「兄さんは、知らないかもしれないが、レディイザベルは数カ月前にアローン公爵夫人から公爵未亡人になったんだ。老公爵も病で床に伏せたまま、帰らぬ人となったんだ。まっ、彼女にしたらそれも計算の内だったかもしれないが、今になっては定かではないけどね・・」エドワードは、弟の話に真剣に耳を傾けて頷いた。
「ところで、エド。詳しい経緯を、ぼくに説明してくれないか。」
「経緯は、これからゆっくり話そう。先の話だが、わたしは、今日からランダムア屋敷に滞在している。実は、三日後に花嫁を連れて帰り、一週間後には式を上げるつもりだ。今日の午後、結婚許可書を取り寄せた。報告はそれだけだが、別の件できみに頼みたいことがある。」
「ぼくに頼みって、どんなことだい。お金って訳でもないよね。兄さんなら、金ならぼくよりは遥かにたくさん持っているし・・・。もしかして、レディランダムアの事じゃないだうね。」
アンソニーの顔が、少し険しくなった。
「いや、わたしのレディの話では無いんだ。伯父について調べてほしいことがあるのだ。サーマス卿について何か知っていることはないか?」
「伯父って、サーマス卿なのかい。ぼくは本人についてはあまり詳しくは知らないんだ。ただ、投資の面では良い話は何一つ聞いたことが無いな。もちろん、耳に入らないだけなのかも知れないけど。調べてくれる人間なら、知っている。探偵なんだが、ぼくの古い友人でね。ぼくも投資の時には、相手を色々と調べてもらっているよ。」エドワードは、頷いた。
「無論、報酬の調査料は支払う。何かわかれば、わたしに使いを頼みたい。」
「わかったよ、兄さん。今夜は、とことん呑めるんだろうね。まさか、さっさと屋敷に戻ってレディのベットに潜り込むってことでは無いんだろう。」
「無論、そんなことは結婚前には出来るわけがない。」特に、ランダムアの屋敷内では・・ エドワードは、また顔が微かに赤くなっていた。まったく、弟はわたしをからかいおって。
「今夜は、程々に付き合えるが。実は今夜、公爵とワインを二本呑んだのだが、そのうちのグラス一杯ほどしか呑まなかったのだよ。」
「良かった。それじゃあ、ぼくに詳しい経緯を教えてくれ。まずは、初めにレディランダムアの話からだ。」二つのグラスに、なみなみとブランディが注がれたことは、言うまでもなかった。




