第1話 普通の女の子
江嵜遥は。
どこにでもいる、 ごく普通の女の子だった。
両親は優しかった。
休日には出掛けて。
誕生日にはケーキを食べて。
怒られることもあったけれど。
ちゃんと愛されて育った。
友達もいた。
学校にも通った。
特別不幸でも。
特別優秀でもない。
本当に。
普通だった。
だから。
小さい頃から。
何となく分かっていた。
自分は凡人なのだと。
テレビの主人公みたいに。
特別な才能があるわけじゃない。
漫画みたいに。
突然選ばれる存在でもない。
きっと。
普通に大人になって。
普通に働いて。
普通に生きていく。
そんな人生なのだろうと。
幼い遥は、 ぼんやり思っていた。
だけど。
一つだけ。
普通じゃないくらい好きなものがあった。
――声だった。
忘れられない日がある。
まだ小学生だった頃。
家族で遊園地へ行った日のこと。
晴天。
休日。
笑い声。
どこにでもある。
普通の休日。
「遥ー!観覧車乗ろう!」
母に呼ばれ。
父が笑う。
祖母も隣にいた。
観覧車はゆっくり空へ上がる。
高い。
綺麗。
楽しい。
そう思っていた。
ゴウン。
突然。
観覧車が止まった。
「……あれ?」
最初は故障だと思った。
だけど。
何かがおかしい。
照明が点滅する。
スマホが繋がらない。
空気が変だ。
窓の外を見る。
遊園地全体が歪んでいた。
バチバチと静電気が走る。
そして。
遥は見た。
黒い。
人の形。
だけど人ではない。
異常に長い腕。
顔が無い。
なのに。
笑っていた。
ソレが。
ゆっくり。
観覧車を見上げる。
怖い。
怖い。
怖い。
息が出来ない。
涙が溢れる。
遥は願った。
「怖いの……」
震える声。
小さな願い。
「怖いの消えてよ!!」
その瞬間。
ピンク色の光が。
遥を包んだ。
暖かい。
優しい。
光は周囲へ溶け込み。
そして。
化け物は。
消えた。
何も無かったように。
観覧車が動き出す。
照明が戻る。
世界が元へ戻る。
「……あれ?」
遥だけが。
呆然としていた。
隣で。
祖母だけが。
青ざめた顔をしていた。
遊園地から帰った夜。
遥は祖母へ聞いた。
「あれ何だったの?」
祖母は黙る。
そして。
優しく頭を撫でた。
「……忘れなさい」
「え?」
「怖いことは忘れるのが一番だよ」
祖母は笑った。
だけど。
その笑顔は。
少しだけ無理しているように見えた。
夢だった。
物心つく頃から。
テレビの向こうのキャラクター。
笑う声。
泣く声。
叫ぶ声。
私は。
何度も救われた。
だから。
今度は。
私が誰かを救いたかった。
「声優になりたい」
そう言った日のことを覚えている。
父は固まった。
母は箸を止めた。
そして。
祖母だけが。
険しい顔をした。
「声優だけは駄目だ」
遥は目を丸くする。
「え?」
「演技なら女優でもいいじゃないかい」
「でも……」
「声優だけは駄目だ」
その時。
「お袋、そこまで言うことないだろう」
父が口を開いた。
珍しく強い口調。
喜代美が睨む。
「アンタは黙ってな」
「いやでもさ」
父は頭を掻いた。
「遥が本気なの分かるだろ?」
母も静かに言う。
「お義母さん」
少し遠慮がちな声。
「この子、本当に頑張ってるんです」
祖母は黙る。
父が続けた。
「失敗するかもしれない」
「途中で諦めるかもしれない」
「でも」
父は遥を見た。
「まだ何も始まってないのに止めるのは違うだろ」
沈黙。
長い沈黙。
やがて。
祖母はため息を吐いた。
「……勝手にしな」
声だけ。
少し寂しそうだった。
それから。
演劇部へ入った。
発声練習した。
台本を読んだ。
滑舌練習した。
全部。
夢のため。
そして今日。
オーディション当日。
玄関で靴を履く。
緊張で手が震える。
「……行ってきます」
「待ちな」
振り向く。
祖母が立っていた。
腕を組み。
いつもの険しい顔。
喜代美は真っ直ぐ遥を見る。
「あんた」
「……うん」
「全力でやってきな」
遥が固まる。
「反対を押し切って行くってのはそういう覚悟だよ」
静かな声。
だけど。
重い。
「中途半端は許されないよ」
遥は黙って頷く。
喜代美は続ける。
「やるなら最後までやりな」
少し沈黙。
そして。
「……必ず帰っておいで」
遥は笑った。
「……うん!」
玄関を飛び出す。
朝日。
駅へ向かう。
胸が苦しい。
緊張する。
怖い。
だけど。
今日。
人生が変わるかもしれない。
手の中の封筒を見る。
【新人声優オーディション】
遥は深呼吸した。
「……絶対受かる」
その時。
江嵜遥はまだ知らない。
このオーディションが。
人生だけではない。
世界そのものを変えてしまうことを




