第94話 匂い
寒さがまた一段ときつくなってきた。
まだアイスベルク山脈に入って間もないが既に一面銀世界が視界の先に広がっている。
今はまだ冬でもないのにこれだけの寒気。その為、冬のアイスベルク山脈の登山は本来ならば禁止されているほどだ。
もちろん、その時期だけはエボルゼブラタイプⅡの運行はない。
「なんなのよーこの寒さは!」
「情けないな、メア。それでも氷魔法の使い手か?」
「そ、それは関係ないでしょ!? ねえセシル」
セシルから無言の返事が聞こえてくるようだ。
メアにぎゅうっと抱きしめられて、さながら湯たんぽ代わり。うんともすんとも抵抗せず、ただただメアの思うがままにされている。
「セシル、嫌なら嫌って言っていいんだぞ?」
「いいよ別に!」
どうやらまんざら嫌でもないようだ。
セシルもセシルでそれが暖かいのだろう。
「いいね~、儂もその中に混ぜて欲しいものじゃ」
「誰だ?」
防寒具の中からその白い髪を覗かせ、老人はその場にどかりと座り込んだ。
「儂か? 儂は何てことはない、ただの木こりのじじいさ。それよかお主ら、儂の話し相手にでもなってはくれんかの?」
「いいよー!」
「あっ! ちょっと!」
セシルがぴょんっとメアの束縛から簡単に抜け出し、座り込んだ老人の前に座る。
「構わない。到着まで世間話でもしようか」
セシルと同じように老人の前に座ると、老人は微笑した。
「ありがとう。こう歳をとるとな、まともに話してくれる者も減って行くんじゃよ」
「そんなこと、私たちで良ければ話してあげるわ。ねっ、セシル!」
「またー!」
セシルに抱きつくメア。
やっぱりセシル、嫌なのか?
「ほうほう、仲が良いんじゃの」
「……爺さん、爺さんは1人でこいつに乗っているのか?」
俺は下を指差して言う。
率直な疑問だった。
アイスベルク山脈は当然、魔物生息領域になっている。爺さんはどう見ても勇者にも兵士にも見えないし強そうにも見えない。
「そうじゃよ? 何か問題でもあるのかの?」
「いや、ちょっと気になっただけだ」
俺たちや爺さんの他にも乗客はいるようだが、特にこちらに気に止める者たちもいないようで、それぞれが話していたりアイス山脈の方を向いている者がいたりする。
「そうよね。一人でこんなところ……危険だわ。お爺さん、何者なの?」
「じゃからただの木こりじゃって! ーー強いて言うなら、魔物が避ける匂いを持っているからじゃろうな」
そう言って懐から出した小袋、特に変わった様子は見受けられない小袋。
「ただの袋だな。見せてもらっても?」
「いいぞ。ほれっ」
そう言って爺さんは軽い様子で小袋を俺に渡した。
なんの変鉄もない、本当にただの小袋。雑に結ばれた紐の中に何が入っているというのか。
「ゴクリ……」
セシルが生唾を飲む音が聞こえる。
「何~、変なもの入っていないでしょうね?」
「変なもの……変なものか! ふぁっふぁっふぁ!」
爺さんが突然笑い出した。
他の連中も何事かとこちらを向く。
「なんだ? やっぱり何か入っているのか?」
変なものーーそれがもし言葉通りのものならこの結び目を解きたくはない。
「……開けてみい、お主らに害はありゃせん」
爺さんがそう言うならと、俺は小袋の結び目を解いた。
「……これは」
その瞬間、辺りの空気が変わったのが分かった。
俺たちの他の乗客もそれに気づいたように辺りを見渡している様子。
「ふぁっふぁっふぁ! 開いてしまったのう! お主、肝っ玉が座っておるわ! ふふ、ふぁっふぁっふぁ!」
何が面白くてこの爺さんは笑ってるんだ?
「爺さんこれはなんだ?」
開いた小袋を摘んで爺さんの前にちらつかせる。
小袋を受け取った爺さんは俺の問いに答えず紐を結び直す。
「お爺さん、その小袋は一体なんなの? ただの小袋には見えないわ」
さっきまで爺さんの言うようにただの小袋にしか見えなかったのだが、それを開けた途端ただの小袋ではなくなった。
この爺さんの嘘を見破れなかったなんて不覚だ。
老人は若者より幾千もの知恵、経験、知識を持つ。この木こりの爺さんも同じ。
「気になるか? 良し教えてやろう」
そう言ってちょいちょいと手招きする爺さん。
俺たち3人は爺さんの前に集まる。
「ーーお主ら、心して聞くが良い。この小袋に入っていたものはな……魔王の匂いじゃ」
一瞬、思考が停止した。
「え……ええっ!? ま、魔王!?」
メアが後ろへ退けぞって直ぐに両手で口を押さえる。
他の乗客たちは気付いていないようだ。
「……爺さん、それは嘘じゃないだろうな?」
「なんじゃ? 儂がいつ嘘をついた? 無論、この小袋の中の匂いは正真正銘、先代魔王の匂いじゃよ」
どうしても爺さんの言葉を信じられずにいたが、それを証明するかのように小袋を開けた途端に変わった周囲の空気。
現時点では60%は信じよう。
「これが魔王の匂い」
セシルがクンクンと爺さんが持つ小袋の匂いを嗅いでいる。
無臭、特に匂いが付いているわけでもない。
「それが本当なら詳しく聞かせてもらおうか」
「本当じゃって! 聞きわけがない人じゃな! 分かった、話してやろう。でも、その前にまた嘘だなどと言うんじゃないぞ?」
「分かったよ」
「気になるわ」
それがもし本当に魔王の匂いならば、この爺さんはとんでもないものを持っているということになる。それに加えてこの爺さんもただの木こりがどうかも疑わしくなった。
一人で魔物生息領域にあたるアイスベルク山脈にいるくらいだ。
アイスベルク山脈付近の魔物は弱いわけではない。とても爺さん一人で移動出来るような場所ではない。
「ーーこの小袋はな」
爺さんはゆっくりとその口を開いた。
◇
アルバート=バージャッグ、それが爺さんの名。
俺たちが今、エボルゼブラタイプⅡに乗って渡っている、アイスベルク山脈を超えた先にあるそれは小さな村に住んでいるそうだ。
その村は国の兵士たちの防衛はされていないようだが、勇者にも負けず劣らずの腕っ節の猛者たちが多くいるとアルバートは話す。
しかも、定期的に訪れる勇者たちのおかげで村に来る魔物も討伐してくれるそうだ。
そして爺さんが持っていた小袋の匂い。
その経緯は爺さんの祖父の友人が元の持ち主だったようだ。
なんでもその友人はかの先代魔王と対峙したことがある人物というではないか。
これはとんでもないことだと俺が心底驚いていると、爺さんは続けてこう話した。
『この小袋の中に入っていたのは、儂の祖父の友人が魔王と剣を交えた時に刃こぼれした一部』
だが、小袋をいくら見てもそんな刃こぼれの一部なんて見当たらなかった。
ただ、それは爺さんの祖父が村の何処かで落としてしまったそうだった。
爺さんの村に来る魔物は村に住む猛者や定期的に訪れる勇者たちによって討伐や撃退がされているようだが、爺さんはその刃こぼれした剣の一部がかなり強力な魔物対策になっていると話す。
魔物は魔王の支配下にあり、はっきりとした上下関係が存在している。その為、たとえ刃こぼれした一部だとしても、残る魔王の匂いは魔物たちには分かるのだろう。魔王と合間みえたことがない俺でも異常な殺気を感じたほどだ。
たかが匂いでそれほど。爺さんの村はくしくも魔物たちの親玉によって守られているということになる。
ただそれでも魔物がやってくるのは、ある程度レベルの高い魔物だとあまり通用しないようだった。
魔物は魔王に屈服しているが、高レベルの魔物になればなるほどその頂の座を今か今かと狙っている奴もいるのだそう。流石にスライムやゴブリンのような低レベルの魔物はそんなこと考えてもいないだろうが、頂の座を狙う魔物の種族は一定の割合で存在している。
そしてその候補と言われているのが、魔竜族、悪魔族、アンデッド族の三種族。
魔竜族は俺たち3人がバタリアの西、庭園と呼ばれる森林の手前付近で目撃したボルティスドラゴンと同種の存在。
中にはエボルゼブラタイプⅡにも劣らない体格の魔竜もいるそうで、レベルは全て100を軽く超えている。
個体の数は他の魔物に比べてダントツで少ないが、生命力、強さ共にトップクラスの魔物だ。
一体でも討伐すればもちろん黒の紙に魔物討伐記録がされて、その勇者の名はたちまち世に広まることになるだろう。
誰がどの魔物を討伐したかは公開情報となっているからだ。
そして次に悪魔族。悪魔族の大半は既にヘリオスの村の者たちによって消滅されたが、残る悪魔族は存在している。その個体の数は魔竜族より多く、各地様々な場所で目撃例が多発している放浪する魔物だ。
魔竜族と同じように単独で行動する。
最後にアンデッド族。こいつらは日中の活動は全く行わない為、知らない者は知らない魔物。
だが、夜になるとその凶暴性は単独の悪魔族に届く勢い。
単独でも多数でも行動し、夜の道を行く勇者たちにとっては邪魔者以外の何者でもない。もちろん勇者でもないただの一般人が出くわそうものなら高確率で死は避けられないだろう。
つまり、この三種族が魔王の座を狙っている。
ただ現役の今の魔王がどの三種族から誕生したのかは不明らしい。
魔王はどの種族にも該当せず、ただただ魔王という一個体のみ存在している。
俺が聞いた話では、悪魔のような黒い翼を持っていたとか、巨人のように大きかったとか、角が何本もあるだとか、つまりはっきりしていない。
魔王について話している本人でさえ誰かから聞いたなどと抜かし、枝分かれして行く確定されていない情報ほど信用ならないものはない。
だが今言った魔王の特徴が全て違うとしても、この世に魔王という存在がいることは確定された事実。
爺さんが持っていた小袋の話を聞いて納得した部分、そして魔王という存在がいかに強大な敵か知らされてしまった。




