第105話 ウェストランド
俺は深緑の色付く森の中を駆けていた。いや、駆けざるを得ない状況だった。
背後からは俺の背丈3倍以上の大きさの魔物、辺りに迸る雷を放ちながら追って来る魔獣が一体。
雷虎という魔物で、今の俺の勇者ランク2では到底敵わない魔物だ。
そうだ。
これは俺がまだ勇者ランク2だった頃の夢ーー。
勇者になるということは、常に“死”と隣り合わせになるということを意味し、それがまさに迫っている時だった。
心臓の脈打つ音は早く、感じたことのない恐怖に呼吸もままならなかったことを鮮明に覚えている。
勇者となり剣を振るい、少なくとも魔物を倒したという実績があって多少自信がついて来ていた時だった。
「くっ! 俺もここまでか!?」
だが1人生まれた村を旅立ってからというもの、雷虎以外にも危機的な状況はあった。それでもなんとか生き延びることが出来たこともあって今回も何とかなる……そう思っていた。
しかしこれから待ち受けるであろう苦難の壁を現すかのように雷虎は俺の前に現れた。
くしくも既に勇者ランク3への条件は満たしており、後はギルドに行って黒の紙を更新するだけだった。
雷虎の放つ雷が俺の前方の樹々をなぎ倒し、行く道を塞がれてしまう。
この時の俺はまだ持つ宝剣アスティオンが魔物特攻特性を持っているとは知らなかった。
その上、技の解放も知らない。本当に駆け出し勇者だった。
そしてとうとう俺に追いついた雷虎はスピードを落として唸る。
雷虎の身体からは絶えず放電が起きており、その電力によってついに森に点火してしまう。
真夜中で雷と点火によって明るくなった森ーー空の森と呼ばれるのは、昔の人々がもし空に森があったらこのような神秘的な森に違いないと想像したからだったそうだ。
昼間は常に微かな霧に覆われており、所々に生える白い樹は地上ではなかなか見ないもの。
そして空の森とそう後押しされることになったものーーそれは一際大きな樹の存在だった。
地上には確認出来ない種の樹だそうで、未だに巨大樹の発生源は解明されていない。
中には空ではなく遠い宇宙からやって来た樹だとか、遠い未知の海から流されて来た樹の種が流れついて育ったものだとか、そんな噂もある。
「勇者ランク3になる手前にとんだ災難だなーーよし、ここは……」
ここでぐたぐたしてても雷虎にやられて死ぬだけだ。
なら、といつもより意識的に強めにアスティオンで斬る。
「ッグオウウウ!!?」
雷虎のレベルは56。まだ戦うには2ランクもの差があった。
だがそうも言ってられない状況。死んだらそれこそ悔いが残る。
精一杯の力で雷虎の前脚付近を斬った瞬間、奴は鳴き……そして襲って来た。
終わった……そう思った時だった。
「グオオオオウウウ!!?」
再び鳴いた雷虎の下に素早く移動する一つの影。
「こんな危ない森に1人で! ここは私が引きつけるから、あなたは早く行きなさい!」
現れたのは剣を持つ1人の女性。
赤色の髪を後ろで括り、何か袋を背負っている。
それは雷虎が放つ雷やそれによって点火した明かりで確認出来た。
女性は雷虎の前脚後脚を超スピードで斬って行く。
なんてスピードだ。勇者だとしても少なくとも俺と同じ勇者ランク2の速さではない。
雷虎の脚は全部で6本。その全てを斬るのに10秒もかかっていなかった。
「早く!」
俺がそんな華麗な剣捌きを見ているとそう急かされた。
「ああ! 恩に着る!」
その後、雷虎によってなぎ倒された樹々を避けながら先を進んで行った。
◇
「ここか……」
空の森を抜けて辿り着いたのはエルピスの街。
人々が魔物時代の終焉を望み求めて築かれた街。
真夜中でも兵士たちの警備力は日中と劣ることがない上、むしろ夜の方が警備力は上がるそうだ。
魔物は日中も活動するが夜に活動を始める魔物も多い。
そんな魔物を相手にするのには、梟のシンボルマークを掲げたソフィア王国の兵士たちが最も得意とする。
シーラ王国と親交関係にある国だ。
兵士たちの入門審査を通過し、まず行った先はエルピスの街のギルド。
ウェストランドという小規模のギルドだ。
俺はウェストランドに入るなり、直ぐにカウンターを探す。
見つけ行くとカウンターには1人の男。
「更新を頼む」
勇者ランク3を満たした黒の紙を男に渡す。
「あ、あー悪いね。俺、受付の人間じゃねえんだわ」
「……じゃあ、なんでそこにいるんだ?」
「頼まれたんだよ! ここにいてくれって! もう早く帰って来てくれよマスター!」
男はカウンターから出て行く。
「空にしていいのか?」
「かまいやしねえ! 俺は勇者だ! 勇者の俺がなんでギルドの受付なんてしなきゃならねえんだ!」
勇者、そう名乗った男はウェストランドから出て行こうとした。
だが、男の足が止まる。
「マ、マスター……ほらっ! お客さんっすよ! でふっ!?」
男の頭を拳でぶったのは華奢な女性。
「勝手に受付離れないでって行ったでしょ!?」
ギルド内には他にもお客がいたようだが、皆、女性のことを知っているのだろう。ざわざわしていたギルド内が静まり返った。
「お前、さっきの……」
女には見覚えがあった。というかこのギルドに来る前に会ったばかりだった。
「やっぱりここに来たのね。ようこそ、私のギルド、ウェストランドへ」
「お前のギルド?」
「おいやめろ! お前何処から来た勇者だ!? 見たところたいした戦歴もそう無さそうなお前が、気安く話せる相手じゃねえぞ!?」
俺の肩をぐいっと掴みそう言う者。
肩ベルトにナイフが3本、両腰には2本の長剣。
ギルドにいるんだ、しかもそんな格好をしているんだ、勇者なのだろう。
「気安くって、俺に言われててもな……」
ギルドのマスターでどんな立場だろうと、俺の性格上人を敬えるようなそんな大層なことは出来ない。
「くく……はっはっはっ! キミ面白い! 名前は?」
笑いのツボが分からない。特に面白いことなんて言ってないよな。
「シン」
「マスターいいのか? こんな小坊主に生意気口言われて」
椅子に座って男が俺を指差すなりそう言う。
「気にしないよ? 勝手に怖がってるのはキミらでしょ? それより次は私ね。私はこのウェストランドのマスター、フィラよ」
フィラは自身の胸元あたりに手を向けてそう名を告げる。
「フィラはな、女手一つでこのギルドを立ち上げて以来、今じゃソフィア王国の連中も彼女に頭が上がらない奴ばかりだよ。つ・ま・り! 一勇者が気安く話しかけて良い方じゃないんだよ!」
なるほどな。ギルドマスターの顔の他にも違う顔があるってことか。
「大袈裟だよ。それにワグナー、私を呼び捨てにする時点で気安さも何もないと思うんだけど?」
「俺はいいじゃねえか! 昔からの馴染みだろ?」
ワグナーと呼ばれた男も先ほど俺の肩を掴んだ男と同様に勇者なのだろう。二本の長剣を背中に背負いクロスさせ、右腰あたりに小さな盾を装備している。
「そうね。悪いけどワグナー、今日はその子と話したい気分なの。だから、また今度ゆっくり話そう?」
「……分かった。ーーおい、お前」
ウェストランドのマスターにそう返事をしたワグナー。その後、ワグナーは俺の方へ歩いて来るなりぐいっと顔を近づける。
「なんだ?」
とそうワグナーに聞く。
「お前、マスターがいくら美人だからって間違っても惚れるなよ。ま、お前なんかが相手にされるわけねえか」
「何話してるのよ?」
「なんでもねえよ! じゃ、俺は宿に戻る!」
鐘が鳴り、ワグナーは出て行った。
「そうだな、俺たちもそろそろ戻ろうか。マスター、今日も世話になった、また来るよ」
「いつでも来て」
ワグナーが宿に戻ってからか、数人ほど武器を所有している者たちも出て行った。
「こんな夜中なのに、人が多いんだな」
「そうね、彼らは夜を専門にして魔物と戦っているから。聞いたことあるでしょ? ナイトウォーカー」
ウェストランドにはこれから魔物を討伐に行くと言わんばかりの格好をした勇者たちがわんさかいる。
時刻は深夜2時。
「ああ。夜中に魔物と戦うなんてご苦労なこった。それより、黒の紙の更新を頼む」
「どれどれ」
黒の紙をフィラに渡すなり、彼女は∞の印が彫られた台の上に置く。
「そう! 勇者ランク3になったのね! おめでとう!」
更新後、返された黒の紙には勇者ランク3の表示。
ここまでの道のりは長く、何度か死にかけたこともあった。
「世辞はよせ。あーそれと、さっきは本当に助かったよ」
「もう行くの?」
「……明日、また来る」
俺はウェストランドを後にし、エルピスの街にある宿屋を探し回った。
そうして見つかった一軒の宿屋。
真夜中でも営業しており、宿泊をそこに決めた。




