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◆第十三話『疾風のブブ』

「……お前たちは無事だったか」


 肩越しに振り返り、そうこぼしたブブ。

 その顔はどこか安堵したように穏やかだった。


 普段とは違う一面を見たこともあり、ルカは思わず呆然としてしまった。だが、ブブの向こう側――狂人となった教師が再び魔法を発動しようとしているのを見て、はっとなった。


「先生、後ろっ!」

「――問題ない。見えている」


 ブブが狂人の教師たちへと2発の<フロストバレット>を発動。飛ばした拳程度の氷塊で肩を弾くようにして教師たちを仰け反らせ、倒した。


 発動までの動作が驚くほど速かった。

 威力こそ同じのようだが、以前、<銀の魔導駒(シルバーゴーレム)>が使っていたものよりもさらに洗練されている。


 いまも教師以外の狂人から放たれた魔法が飛んできている。

 それらを先ほどと同様に土壁を出すことで、ブブは完璧に防いでいた。


「お前たち、下級生を頼んだぞ。わたしは正面の者たちを沈黙させる」

「沈黙って……」

「もちろん、痛い目を見てもらうということだ」


 壁が弾けると同時、深く腰を落としたブブが<ウィンドウォーク>の風に包まれた。まるで放たれた矢のごとく飛び出すと、狂人たちの間を縫うように目まぐるしく駆けはじめる。


「この<疾風のブブ>! 意志なき者たちに遅れをとりはせんっ」


 注意を引くためだろうか。

 派手に声をあげながらあちこちを駆け回っている。

 時折、狂人に接近しては素手で殴り、言葉どおり沈黙させていた。


 その凄まじい動きにルカは思わず唖然としてしまう。


「は、はや……」

「腹も一段と荒ぶってるな……」


 ファムが感嘆しつつそんな言葉を漏らした。

 たしかに腹は揺れに揺れている。

 だが、それが気にならないほどにいまのブブは格好よく見えた。


 イメルダが目の前で繰り広げられる光景をじっと見ながら言う。


「……あれ、<イグニッション>を使ってるわ」

「でもモンドリーク先生って上級魔導師なんじゃ?」

「あんたと同じ、得意な魔法だけ使えるって魔導師はいるのよ」


 速さに絶対の自信を持つだけのことはあるというわけだ。


「にしてもわっけわかんねぇ。モンドリークの奴がこれの犯人じゃなかったのか!?」


 くしゃくしゃと髪をかき乱すファム。

 ルカは「そのことなんだけど」と話を切りだす。


「さっきイメルダ、言ってたよな。みんなを狂わせたなんらかの道具があるって」

「……なにか心当たりがあるの?」

「ああ。祭典の前、大通りに置かれていたイーリカって花だ」


 イメルダがはっとしたようにまぶたを跳ね上げる。

 ファムも同様の反応を見せたが、次の瞬間には難しい顔をしていた。


「配置が大通りだったってのは納得だ。けど、花で人を操れるわけないだろ」

「ありえなくないかも」

「……マジかよ」


 信じられないと目を見開いたファムに、イメルダが説明をする。


「イーリカが魔素の動きに反応して出す香りは人の心を穏やかなものにするって聞いたことがあるわ。もしそれが本当だとしたら、人の感情に影響を及ぼせるってことよね」

「つまり、なんらかの方法でそれを悪いほうへ向かわせたってことか」


 ファムがそう纏めると、イメルダが頷いた。


「しかもイーリカを持ち込んだ……アルヴォ先生はアスフィール魔導院出身。詳しい方法はわからないけど、そういった手法を知っていてもおかしくはないわ」

「……まさかのアルヴォかよ」

「誰かの指示だったり、騙されてって線はあるかもだけど……」


 イメルダは歯切れ悪く言った。

 相手はあの聡明なアルヴォだ。

 きっと誰かに騙されるイメージが湧かなかったのだろう。


「とにかく、この状況を止めるにはアルヴォ先生をどうにかする必要があるわ。イーリカの破壊も効果があるかもしれないけど……現に大通りから離れても影響を及ぼしてるあたり、おそらくすでにその手を離れてる」

「じゃあもう大丈夫だな。さっきアルヴォんとこにはキアラ先生がいるって聞いたし。もしなんらかの行動を起こしてたとしても簡単に止められるだろ」

「……いや」


 キアラが本気を出せれば間違いなく勝てるだろう。

 だが、いまの彼女は<極致の賢聖>として、本来の実力を出せる状態ではない。


 ――キアラが危険にさらされている。

 そう認識した瞬間、反射的に駆け出そうとしていた。

 だが、イメルダにがしっと腕を掴まれ、阻まれてしまう。


「待ちなさい、ルカ。行ってどうするの!」

「キアラ先生を助けるんだ! イメルダも見たろ、先生が倒れたところを!」


 巨大な魔獣から救ってくれた、あのとき。

 キアラが倒れたところをイメルダやファムも見ている。詳しい事情は知らなくとも万が一の可能性があることはわかるはずだ。


 イメルダが下唇を噛んだのち、睨んでくる。


「……仮にそうなったとしても相手はアルヴォ先生よ。あんたが敵う相手じゃない。それに道中にだってたくさん狂人がいるのよ? どうやって辿りつくの?」

「そんなのわかってる! けど、行かないと先生がっ!」


 イメルダが心配してくれているのはわかっている。

 それでも脳裏に浮かんでしまうのだ。

 ――魔力の枯渇で倒れたキアラの姿が。


 強引にイメルダの手を振りほどこうとした、そのとき。


 そばで見ていたファムが盛大なため息をついた。


「ったく、しゃーねーな。ボクが囮になって狂人どもを引きつけてやるから、その間に行ってこい」

「ちょっとファムまでっ」

「こいつ、意外と頑固だからな。特別演習んときにイメルダを助けるって言ったときもひとの話なんて聞きゃしなかったしな」


 自身が助けられたときのことを挙げられたからか。

 さすがのイメルダも勢いを失っていた。


 まるで滑り落ちるように彼女の手が放される。

 ただ、納得いかない気持ちは消化できていないようだ。


 猛烈に鋭い視線で睨まれた。


 と、ファムが学園の西側へと向いた。

 こちらに横目を向けながら指示を出してくる。


「先生たちのことを話してた奴ら、あっちから来てたよな。下級生のほうはまあ……イメルダがいればどうにかなるだろ」

「簡単に言ってくれるわね」

「なんだ、できないのか?」


 挑戦的な笑みとともに煽るファム。

 イメルダも負けじと胸を張って応じる。


「あたしを誰だと思ってるの。余裕よ余裕」


 その言葉を証明するかのように飛んできた魔法を<魔法障壁>であっさりと防いでみせた。


 ただ、ファムに驚いた様子はない。

 ただ当然のこととして受け止めていた。

 わずかに口の端を吊り上げたのち、ファムが駆けはじめる。


「そんじゃ行ってくるか……ルカ、先生は任せたぞ!」

「ああ、ファムも気をつけて!」


 ファムは軽く体を沈め、踏み出したと同時に加速した。<ヒューリアス>を使ったのだろう。あえて危険な距離を保ちながら狂人の間を縫うように駆け抜けていく。見事に引きつけられた狂人たちがぞろぞろとファムのあとを追いはじめる。


 この調子なら難なく目的地まで辿りつけそうだ。


 と、カサカサと近くの草むらから音が聞こえてきた。

 出てきたのは見知った生徒の狂人だった。


「イメルダァ……っ」

「イ、イ、イメルダァ……ァ、ァアアッァ……!」

「ウーノ、モッグ……!」


 しかも彼らのあとにはぞろぞろと狂人たちが続いていた。

 ざっと数えても20人近くはいる。


 下級生たちが悲鳴をあげながらイメルダの背後へと避難する。そんな下級生を狙ってウーノが放った<フレイムランス>を再びイメルダが<魔法障壁>で防ぎきった。


「ったく、本当にいつもいつも邪魔ばかりしてくれるわね……」


 イメルダがウーノとモッグを苛立たしげに睨んだのち、下級生へと声を張り上げる。


「あんたたちも少しは協力なさい! とくに先頭2人は殺さない程度に容赦なくやっていいわ!」


 イメルダは学園でも有名なうえ人気も高い。

 そんな彼女の指示とあってか、下級生も恐る恐る従うようにウーノやモッグに下級魔法を浴びせはじめた。


 ……いかに狂人とはいえ、なんとも不憫だ。


「さっさと行きなさい、ルカ! キアラ先生を助けるんでしょ!」


 足を止めていたからか、イメルダがそう叱咤してきた。


 狂人の数は彼女だけで相手にするには多すぎる。

 だが、いまは勇敢な下級生も加勢しはじめている。


 命を奪わず戦闘不能にしなければならない。

 そんな難しい状況ではあるが、きっと大丈夫なはずだ。


「……みんなを頼む!」


 ルカはそう言い残して駆け出した。


 ファムが多くの狂人を引き連れてはくれたがすべてではない。個々で徘徊する狂人たちを避けながらひた走る。


 やがて目的の西側の校舎に辿りついた、そのとき。


 視界の中、遥か上空に光の魔法陣が描かれた。



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