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03

 翌日、ヒメモスは異種臓器移植の手術の前々日の調整に入っていた。ヒメモスはベッドの上で横になり、静かに目を閉じている。

 真白な部屋に様々な機器が持ち込まれる。白衣に身を包んだ複数の人間がヒメモスの部屋にずかずかと入り込む。その中にはノボルとマコトの姿もあった。

 ヒメモスはそんな周りの様子など関係なく整然と目を閉じたままでいる。

 ヒメモスの身体に機器が取り付けられていく。ノボルもその作業を行っている。ノボルはパッドをヒメモスの露わになった身体につけていく。

 ノボルは作業をしながら、じっとヒメモスの顔を見つめていた。その眼差しは憐みを帯びていた。

 ノボルはパッドを一通りつけ終わると、そっとヒメモスの小さな手を握った。

 ヒメモスはぴくりと身体を震わせた。それからゆっくりと目を開くと、ノボルに気がついて瞳を覗きこんだ。

 二人は目を合わせたまま動かない。周りでは忙しなく人が動いていたが二人の意識の中の外の出来事だった。

 しばらく見つめ合ってから、ノボルはにっこりと笑みを浮かべた。ヒメモスはきょとんとして首を傾げたが、ややあってからそっと柔らかい笑顔を作った。ノボルは笑みを浮かべたまま黙って頷いた。ヒメモスは不思議そうにノボルを見つめる。

 ノボルはヒメモスの手を離すと、作業を再開した。

 そんな二人のやりとりをマコト一人が見ていた。マコトは眉間に皺を寄せ、怪訝な表情だった。

 検査が終わると、ヒメモスは機器を外される。それと同時に作業員達も部屋を出ていく。

 そうして、ノボルとマコトだけが部屋に残った。

 ノボルは、再びヒメモスに身を乗り出すと、優しくそっと手を握った。それから囁くように小さく口を開いた。

「……大丈夫だよ」

 ヒメモスは何のことかわからずに目を丸くして、首を左右に傾げる。

 ――なんだろう、この人は?

 ノボルは困ったような笑顔をつくった。それからヒメモスを握る手に少しだけ力を込めた。そしてヒメモスの手を両手に持って、額の前まで持ってきた。

「ごめんな……、ごめんな……」

 ノボルはそう繰り返して、瞳から涙を一筋、滴らせた。両手は震えていた。

 ――俺のせいだ……。俺の……。

 ヒメモスはぽかんと口を開けてノボルを見ていた。さも不思議そうな表情だった。

 ふと、マコトがノボルに話しかける。

「おい、ノボル。それ以上はやめろ。もう出るぞ」

 ノボルがヒメモスの手を離して、マコトに振り向くと、その後ろにはケイゾウの姿があった。

 ケイゾウはしばらくノボルを睨んでいた。それから背を向けて去って行った。

 マコトはノボルが部屋を出ていくまで自分も出ないつもりだった。

「おい、いい加減にしろ。出るぞ」

 ノボルはもう一度ヒメモスの方を向くと、身を屈めて優しく微笑んだ。

「……じゃあ」

 そう言って立ち上がると部屋を後にした。マコトもそれに続いて出ていく。

 重々しい白いドアががちゃりと閉められる。ヒメモスはそのドアをじっと見つめている。

 ――あの人、不思議な人、笑う人。

 ヒメモスは多くの研究員たちの顔を見てきたが、笑顔を向けられた事などこれまで無かった。だからノボルの笑顔が不思議でならなかった。

 ヒメモスはノボルに握られた右手を天井にかざした。しばらくそれをじっと眺めていた。




 その日の夜、アパートに帰宅したノボルは部屋に上がるとソファに身体を投げ出した。

 部屋は雑然としていて、そこかしこに脱ぎすてた服や下着が散らばっている。テーブルの上の灰皿には煙草がこんもりと山を作っている。そのテーブルの空いた場所に車の鍵を投げる。がちゃりと音を立てて鍵はテーブルの上に落ちた。

 ノボルはリモコンを手に取るとテレビの電源をつけた。画面には昨日、途中まで観ていた映画が停止されて映った。ノボルはそれを再生した。映画の音声が流れてくる。

 ノボルはソファに深く腰をかけると、天井を見上げた。それから今日触った、ヒメモスの手の感触を確かめるように指を擦った。

「……ヒメモス」

 ノボルはぼそりと呟いた。白い部屋でヒメモスの見せた弱々しい笑顔が脳裏に浮かぶ。

「俺は……、俺は……」

 ノボルはぶつぶつと繰り返すと、俯いて両手を合わせて額に押し付けた。

 クライマックスに入った映画が、やかましく部屋に音を響かせる。

 ――俺はどうしたいんだ? 俺はヒメモスをどうしたいんだ? 罪滅ぼしがしたいのか?いや、いまさら何をしたって……。犯した罪が重すぎる。だからといって何もしないのか?俺は、俺は……!

 ノボルは顔を上げると、リモコンを手に取りテレビの電源を落とす。それから、テーブルの上の煙草に手を伸ばす。煙草を咥えて、ライターで火をつける。

 ノボルは大きく息を吸い込んで、紫煙を鼻と口からたっぷりと吐き出した。数回それを繰り返すと、まだ長い煙草を灰皿に押し付けて消した。

 ノボルはしばらく呆然と天井を見据えていた。両手はだらりと下ろして、口はぽかんと開いている。

 ふと、その表情が打って変わって引き締まる。何かを決意した鋭い眼差しになって、ソファから立ち上がる。

 ――やるしかないんだ……。正しい正しくないなんて関係無い。俺は俺の感情に従う。やって後悔した方がましだ。その先に何が待っていようが乗り越えてみせる。それが俺の罪滅ぼしなんだ、きっと……。

 ノボルは急くように行動を始めた。一張羅の外套を羽織り、財布とスマートフォンをポケットに突っ込む。家の鍵を手に取ると、慌てて部屋を飛び出した。


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