04
翌日、昼、ノボルはヒメモスの異種臓器移植手術前日の調整、検査に参加していた。同様にマコトもその場に居る。前日のように白い部屋に機器と研究員が押し寄せる。灰色の機器と研究員の薄いグリーンの衣服が白い部屋に彩を加える。
ヒメモスはいつものようにベッドの上で、特に感情も無く目を瞑ってじっとしている。まるで眠っているかのようだった。
検査が始まる。ヒメモスの身体には、肌が見えなくなるほど様々な機器が取り付けられる。ヒメモスはじっとされるがままに身を任せる。ノボルはそんなヒメモスを悲しい瞳で見つめながら作業を進めた。
マコトは怪訝そうに顔をしかめて、ノボルを見ていた。
検査が終わる。研究員たちは機器と共にぞろぞろと部屋から出ていく。口々に次の研究の話をしている。既にヒメモスに対する関心は無くなっていた。殆どの研究員はヒメモスは異種臓器移植をして死ぬものだと考えていた。
ノボルは部屋に残ったままだった。マコトもノボルを監視するかのようにその場を動かない。
検査が終わってもヒメモスは目を瞑ったままベッドの上で仰向けになっている。ノボルはヒメモスを驚かさないように、そっと手を握った。ヒメモスはぴくりと身体を動かした。
ヒメモスはゆっくりと目を開けると、ノボルの方に顔を向けた。視界に入ったノボルは、昨日のように悲しそうな笑顔を向けていた。
――笑う人、不思議な人。
ヒメモスはノボルににっこりと笑いかけた。その笑顔は純粋無垢だった。自分が明日、遺伝子組み換えされた豚の臓器を移植されるなど考えもしていなかった。
ノボルは泣きそうになった。鼻がじぃんと痛くなった。同時に怒りもふつふつと沸き起こってきた。ノボルはヒメモスの手をを握っていない方の自分の手を強く握りしめた。笑顔は消え、怒りと悲しみに顔をしわくちゃにした。
ヒメモスはじっとノボルを見つめている。ノボルの複雑な感情を計りかねていた。表情を次々と変えていくノボルが不思議でならなかった。興味も湧いてきた。
ノボルはヒメモスの手を離すと、涙液に潤んだ瞳を向けながら、優しくヒメモスの頭を撫でた。
ヒメモスは片目を瞑って、撫でられるがままに身を任せた。温かい手が心地よかった。
ノボルはヒメモスの耳に顔を近づける。ノボルの吐息がヒメモスの耳にかかる。ゆっくりと口を開く。
「大丈夫だよ」
ノボルはマコトに聞こえないくらい小さな声で囁いた。ヒメモスはその囁きにくすぐったそうに首をすくめた。
ヒメモスはノボルの言葉の意味はわからなかったが、好意的な感情で言われていることには気付いた。ノボルに笑顔を向けて口を開いた。
「ありがとう」
ノボルは笑みを浮かべながら頷いた。もう一度ヒメモスの頭を撫でた。それから立ち上がった。
「……じゃあまたな」
ノボルは小さな声で言った。マコトはその言葉を聞いて、(……またな?)と心の中で首を傾げた。
ヒメモスはにこにこと笑顔をつくりながら頷いた。ただ笑顔を向けらるだけなのに、また会えることが不思議と楽しみだった。
ノボルは惜しむような視線をヒメモスに向けつつ、部屋を出ていった。マコトもノボルの後を追って部屋を後にした。
ヒメモスはノボルが出ていった扉をじっと見つめている。しばらくして、視線を外すと天井を見つめた。ヒメモスの脳裏にノボルの笑顔を浮かぶ。
「……ふふっ」
ヒメモスは自分が笑みを漏らした事に自分で驚いた。ヒメモスは自分の中に初めて感じる何か新しい感情のようなものに気づいた。それがなんという感情なのかはわからなかったが、ヒメモスは心地よさを感じた。
ヒメモスはその心地よさにうっすらと笑みを浮かべて、そして瞳を閉じた。脳裏にはまたノボルの顔が浮かんだ。
――笑う人、不思議な人、また会いたい人。
ヒメモスは訪れた眠けに身を任せて、意識を遠くしていった。
夕方、ヒメモスのいる白い部屋に繋がっている研究室には、研究員は一人しかいなかった。他の研究員達は夕食を取りに食堂へと出払っていた。一人、残っている研究員は煙草をふかしながら、椅子の背もたれに体重を乗せ、クリップで留められた書類をぱらぱらと捲っている。
ふと、研究室のドアが開く。研究員はドアの方に椅子を回す。そこにはリュックを背負った私服姿のノボルが立っていた。
「おぉ、関川。どうしたんだ?」
ノボルは研究員に片手を上げて軽く挨拶すると、向かいの椅子に座った。
「お疲れ。煙草、一本貰えるかい?」
「ああ、どうぞ」
「ありがとう」
ノボルは了解を得ると、煙草を一本失敬してライターを借りるとぷかぷかと吸い始めた。 ノボルは三口ほど吸ってから、何か思いだしたように顔を上げると、研究員に話しかけた。
「あぁ、そうだった、親父が今度の新しいプロジェクトの件で呼んでいたぞ。できれば早めに来て欲しいそうだ。大変だなお前も。同情するよ」
ノボルは自然を装って、ぺらぺらと嘘を並べ立てた。ノボルは心の中で自嘲気味に苦笑いした。
研究員は煙草を灰皿に押し付けて消すと、席を立ち上がった。
「なに、今丁度暇してたところだ。ちょっと行って来る」
「そうか、お疲れ」
ノボルは手を軽く振って、研究員を見送った。研究員は白衣をひるがえして、すたすたと研究室を出ていった。
ノボルはそれを確認すると、すぐさま煙草を消して、顔色を変えて白い部屋のドアに駆け寄った。ポケットから鍵を一本取り出すと、がちゃがちゃと鍵穴に突っ込んだ。その手は震えている。
「くそっ!」
ノボルは慌てる自分を叱責するように言った。落ち着きを取り戻すように、深く深呼吸を一回した。それから重いドアはぎぃと音を立てて開いた。
白い部屋の中には、ベッドの上に三角座りをして読書をしているヒメモスの姿があった。ヒメモスは突然入ってきたノボルに驚き、目を丸くして顔を向けた。
ノボルはヒメモスのもとに駆け寄ると、リュックの中から、黒髪の長髪のかつらと女子用のワンピースを一着取り出した。
ヒメモスは何が起きているのか理解できずきょろきょろと、ノボルと、リュックから出された物を見比べている。
ノボルはヒメモスの着ている白い病衣に手をかける。
「ごめんよ」
ノボルはそう言うとヒメモスの病衣を脱がし始めた。ヒメモスは困惑した表情のままなすがままに服を脱がされた。それからノボルは、リュックから取り出した水色のワンピースをヒメモスに着せた。
水色のワンピースを着たヒメモスは、自分の服を珍し気に見つめた。ノボルはそんなヒメモスに笑みを浮かべながら指示を出す。
「立ち上がって」
ノボルはヒメモスの手を握って、立ち上がるのを手伝った。ヒメモスは頷くとベッドから降りて立ち上がった。ヒメモスは別の場所での検査なんだな、と思っていた。
ノボルは立ち上がったヒメモスの頭に、用意したかつらを被せた。
「とっちゃ駄目だぞ」
ヒメモスは不思議そうに黒髪を両手ですいたり撫でたりしながら頷いた。
ノボルは準備が整うと、ヒメモスに背を向けて身を屈めた。背を向けたままヒメモスに話しかける。
「それじゃあ、俺の背中に乗って」
ヒメモスは困惑してその場に立ち尽くした。少しづづだがノボルがやろうとしていることに気づき始めていた。
ヒメモスがまごついていると、ノボルが急かすような語調で口を開く。
「ほら、早く乗って」
ヒメモスは頷くと、ノボルの背中に身体を乗せた。ノボルは両手を背中に回して、ヒメモスの身体を支えた。それから立ち上がった。
「ヒメモス、これから俺のいう事を守って欲しいんだが、出来るな?」
ノボルは首を後ろに向けて口早に言った。
ヒメモスはおぶさりながらこくりと頷いた。
「……うん」
「よし、じゃあ言うぞ。ヒメモス、お前は俺の背中顔を押し込んで隠す。そして何があっても顔を上げないこと。そして絶対に喋らない事。この二つだ、わかったな?」
「……わかった」
「よし、いい子だ。それじゃあ早速顔を背中に埋めるんだ」
ヒメモスは頷くと、ノボルの背中に顔を押し付けた。ノボルの温かい体温と肉感が気持ちよかった。ノボルは背中で、ヒメモスが顔を埋めたのを感じると、立ち上がった。
「これから、外に出る。何があっても二つの約束を守ること」
「……うん」
ヒメモスは顔を埋めながら答えた。
「よし、それじゃあ行くからな」
ノボルはヒメモスを背負って白い部屋を後にした。白い部屋の隅にある、山積みになった本だけが様々な色を帯びていて、部屋の中に浮かんでいるようだった。。




