1、知恵の神は死んだ。
知恵の神が死んだ。
今日死んだ。
だからと言って本当に死んだ訳ではない。はっきりと目にその存在は確認できるし、死んだ診断証明がこの世に一切合切存在していないのだ。
でも、死んだと表現できるのだった。
これは考えなくとも一大事である。
神が死ぬというのはそれもそれは一大事である。そもそも神は死ぬのかという論は様々な解釈があるので論じないとして、矛盾のない様に解釈を含んで欲しい。
さて、論を戻すが、死んだ神が死んだ神だから色々と不和が生じる。
神は万能ではないというのを基にすると全知が居なければ、その根本を作る者達は辻褄なんて一つも考慮に入れず、ルールが跋扈するように世界が創造されていく。
ルールが跋扈すれば、ルールがルールに抵触し、ルールがルールをその抵触すら許容範囲と定義する。
悪法もまた法なりとも言うほどルールに正確な世界では矛盾撞着が多くなる。
それは世界の世界法則の欠陥となり得る病と成り果てて、どうしよもできない癌となる。
この世界の行くつく先はそれは渾沌でしかない。或いは純粋なディストピアだろう。
見渡す限りおおよそ無視できる取るに取らない些細な出来事しかない世界ではそのような言葉すら出てくることはなかった。
上記はなにも気にすることはなかった。
では何が死んだのか。
勿体ぶらずに率直に完結に言うならば漢字二文字で、知恵だった。
知恵の神の知恵が死んだ。
この世界の真理や未来、過去のあらゆる事象への知識が死んだ。
いや、そもそもの話“死んだ”と言う表現は語弊はあるかもしれない。
“死んだ”なんて言えばまるで勝手に死んだかのようだ。しかし、この知恵の神が死んだのは別に勝手ではなかった。むしろ故意だった。
それを考慮して再度言うならば――知恵の神は殺された――だろう。
受動的ではなく。自発的に。
自殺的に。
我が知恵の神は己が手で知識を殺した。切り捨てたのだ。我が知恵の神はいつしか語っていたのを思い出した。先輩と色々駄弁ってみたり、色恋や艶聞に花を咲かせたり、友情を育みたいし、ああ。食事だってしてみたいと。良く分からなかった。神や天使が恋や食事を必要とするわけではないじゃないですかとその時の私は言った。
「そうですか」とただ一言、この空の青さを憎んだ。
私ではダメだったらしい。私以外ならいいのか。それは到底分からなかった。
いいや。分かっていたはずだ。今の私なら。
ただ、分かりたくなかっただけだ。今の私なら残酷なまでに分かってしまう。
そうあって欲しいと思っているただの願望に過ぎないだろう。知らないふりは終わりにしよう。
なら、知った上でどうすればいい。ものを得るためのお金、魔法を使う時に居る生贄や、そして、なってしまった現実を変える手段……。ああ。この知識がいなった大切な人の代わりだと言うのなら、一つも必要ない。それなら、返さないといけない。これは当然の結末だ。
本当に大層なことではない普通の結末だろう……。本当に……。




