第八十五話:秘事
_______
ともかく、南方連合は、ローデルヴィレイ川周辺を占領した。
未だ、肌寒い、春に至らぬ季節の頃である。
そして、指揮官のホスロは、南方哨戒部隊を四散させ、怪我人を運び込み、ある程度状況が安定した後に、ダンテ、アステルドを自らの天幕内に招集し、今後の方針を相談する。
護国卿の天幕は、大人三人が入るには、十分な大きさであった。
「ダンテ殿、どうしようか」
勝利後だと言うのに、ホスロと対面している、病院騎士団の団長は、酷くやつれていた。
なにせ、親衛部隊の八割を喪い、旗持ちまでも喪い、更に側近も何名か死亡したらしい。余程彼自身が肉薄した証拠だろう。
「……イグニス…フェニキスと言う部将も、討ち取った…」
以前に紹介された、タウルスと言うダンテの腹心と、相打ちしたそうな。
「南方哨戒部隊は……もう、再起する元気も……無いだろうな…十分やったさ、追わなくとも良かろう」
(いやはや、領土を広げるには、犠牲が多いなぁ……)
と、ダンテは、己の有能な部下達の死に直面し、両腕を失った思いの中、ふと心中で泣いた。未だ左衛門尉が生きているとは言え、彼女は子供である。
ベテラン達が死んだと言う事実は、ダンテを苦しめる。
…だが、顔には出さぬ。自分はオアシス村を代表する、大将であり、それに、まだまだ騎士団自体が壊滅した訳でも無い。
あくまで、戦で疲れた風を装い続ける。
「青二……いや、ホスロ、ダンテ殿も反対されておるし…深追いも良くない、ともかく、エレノア様やクレア殿の到着を待とう」
「待つのが最善よ……全同盟諸国…一万数余が揃ってから、再びマラレルに向けて前進しようでは無いか」
(…クレア…か)
そう言えばあの女、今日中に来るハズであったが…
(まぁ、良いわ)
「…二人の言う通り……確かに、待とう」
「それに、今俺達には、『南方哨戒部隊の討伐』と言う、非常に大きな実績が生まれた」
「南方諸国も、我らの方針に従うであろうよ」
今この場に居る三人は、一応全員『一万の大軍で以てして、マラレルと会戦を行う』という方針(ホスロが、事前に伝えていた)に、揺るぎは無い。
そもそも、わざわざローデルヴィレイ川に布陣したのが、各国の兵の集結の為である。
「ふむ、マラレルが、どれだけ弱っているか……」
そして、ホスロは、呻くように、祈るように言った。
なるほど。会戦を仕掛ける…とは言ったが、前提条件として、マラレルが弱っている事が必須である。
(弱っているハズだ……必ず)
現在、マラレルとしのぎを削っているであろう、ニクスキオン朝が、どれだけ頑張っているのか……
だが、先の南方哨戒部隊は、意外と小勢であった。
(そうだ、大軍を、もう送れぬという…確固たる証拠では無いか)
否…それでも、不安が残る。
マラレルと、真っ向から戦って本当に勝てるのだろうか……無理かも知れない。だって、全盛期の公国でさえ、完敗したのだ。
(勝つには……)
となれば、勝つには、神頼みのみではない……何かの、奇跡を起こさねばならんのだろう。
何かを、掴まねばなるまい。
そして、天井を見上げると、ホスロは徐ろに、自分の目玉に手をやった。
上を向けば向くほどに、薄く、光って行く。
「…聖地に、捧げるか」
__その瞬間、恐ろしい案が浮かんだ。
酷く、情の欠片も無く、だが、博打を含み、それでいて多少の合理性も含んだ案である。
(不死鳥の目玉は、どんな願いでも叶えてくれる……)
また、天幕の中……戦友達の顔をまじまじと見つつ……ゼノンの言葉が、急に脳内に、湧いてきた。今まで、半ば宗教…と馬鹿にしていた伝説が、いきなり、現実味を帯びたのだ。
(……いや、止めろ…俺は何を考えとるんだ)
浮かんだ案は、こうである__
わざと、このまま前進し、道中の拠点を守っているであろう敵を蹴散らしつつ……当初予定していた、旧アッディーン伯爵領まで進出し、そこに大きく布陣する。
位置的には、旧アッディーン伯爵領は、ホルセリアからは遠いものの、マラレルの重要な拠点のいくつかに繋がっている。
おまけに、その地形である。前に、グリヴェルも納得したように、伯爵領は、ひたすらに、広い。ローデルヴィレイの平原よりも、二回りほど、大きいのだ。
(あそこは、格好の戦場よ)
つまり、聖地を狙わず……敵は、(平原にて会戦を望んでいるのだろう)と思うだろう。
そうなれば、当然、マラレル側はホルセリアの守備を薄くする。
だって、ただでさえ戦争続きで、戦える兵は少ない。というか、そもそも、結界も硬い聖地に大軍を置いておく理由はあるまい。
(弱点は、ここよな)
どうやら聖地ホルセリアの『結界』は、勇者の血が入っている者には、弱まるらしかった。
これは、以前より、エレノアに聞いている。
後は、ホスロが選出した、『ホスロが目玉を聖地に捧げる間の、時間稼ぎ要員』を率い、どうにかして結界の中に入り、ホルセリアの最奥部にアクセス出来れば……
(可能性は、ある……だが)
指揮官の…ましてや、一国を預かっている男が取るべき道では無い。そもそも、そんな、不確定要素の多い伝説を信じ、戦術を組み立てるなど、愚かでもある……と言うのが、一応、ホスロの脳内には、表面的に浮かんだ。
だが
(一応、クレアに相談するかな)
捨て切れなかったらしい。この場の、ダンテと、アステルドには流石に打ち明けなかったが、クレアには相談してみる事にした。
_______
翌日、クレアが、エレノアの部隊まで指揮しつつ、到着する。
計三千騎。しかし、その大半が新規に集めた兵のため、実際の戦闘力はかなり落ちるだろう。
予定通り。主君が到着しても、ホスロは待った。
他の、同盟諸国を…である。
先ず、ロデッサ伯国の君主が、予定通り千の魔道士部隊と、三百の重装騎馬、そして二百の小竜部隊を引き連れ、ローデルヴィレイに布陣し、続けてトッティチェリ公国と……続々と、やって来る。
__そして、ネロを殺してから、四日後の夜、ホスロは密かにクレア・ドールを天幕に招き、己の心中に秘めている作戦を伝える。
既にローデルヴィレイに集結した兵は六千を越えており、テントが、血の大地を覆うように敷かれている。
「護国卿、狂われたか」
「そんな、不確定要素の強い伝説を信じ、何千もの命を犠牲にするなど……」
(まぁ、そう言うじゃろうな)予想どおり、クレアは反対する。
戦術面から見ても、有りえんのだと。
「ふむ…反対するか…クレア」
本来ならば、ここでホスロは……と言うか、護国卿は、折れるべきである。
「ならば、俺はな、道を定めた」
(……やっぱり嫌だ、この案を、捨てたくは無い)
「万事、結局は本人の覚悟の問題じゃ…捨てる事が出来るかどうかの……その、覚悟の問題だったのだ」
「それは、怠惰の心、プライド、欲求、そして…人の精神だ」
「……はい?」
誤魔化すように、ホスロは急に、話題を変える。
「数日前、俺の友を、この手で殺した」
「…それは、お気の毒に」
だが、不思議とホスロは、首を横に振る。
「違う、クレア……俺は、友の死について、悲しんでいる訳ではない」
「……?」
「友が死に、悲しい…という思いにギリギリ至らない、私の精神を把握出来て、むしろ良かった…とすら思っている」
「俺は…私は、元来そういう性分だったのだろう」
「それが、戦争になって、顕著になっただけだ」
そして、ホスロは、ニィ…と微笑んだ。
「勿体無いなぁ……この、私の精神の器に見合うだけの、実力があれば……」
と、自嘲した。
(この男は、何を言っているのだろう)
どこか、要領を得ない。多少、ハイになっている。
「……道を定めた…の意味は……護国卿、貴方は…他国の兵士どころか、部下の命すら、駒として、感情移入をせぬと決めた……という意味でしょうか?」
人の精神を捨てた…と言う風な事を、先程この男は喋った。それも踏まえて、クレアは恐る恐る尋ねる。
「うん……?」
「そんな事言ったっけな」
「まぁ、エエわエエわ……最初は、お前に"相談"をするつもりだった」
「……じゃけど、もう、色々と、面倒くさい」
「クレア、俺は、聖地ホルセリアに乗り込む…乗り込み、目玉を捧げよう」
「え、あ、護国卿、それは……」
クレアは、まるで、狂人と会話を行っているような気分である。だが、この娘は、多少動揺したものの、すぐに直す。
「この、今集結している一万近くの兵は、全て囮じゃ……旧アッディーン伯爵領まで前進し、布陣した後は、クレア……お前が、私の代わりに指揮を採れ」
「相手はきっと、ライオリック・ノルマンドじゃろう」
「何故、分かるのですか?」
「何となく」
北方戦争も、終わりが近いらしい。
放った密偵によると、ニクスキオン朝の皇帝、ゴッドフリー・ド・パルテナと、リュクリークが、堂々…一騎討ちの状態になっているのだとか。
……虫の殺し合いと、竜の殺し合いでは、規模も、期間も桁が違う。真の強者同士の勝負は、一週間を超える事も、ザラである……必ず(これは、ホスロの希望も入っている)リュクリークは北部戦線から移動出来まい。
だが、マラレル側としては……かと言って、南方連合、一万の大軍を野放しにすれば、その、鋭い爪により背中を裂かれるだろう。
故に、きっと、リュクリークは、彼の信頼する、最も勇猛な将軍を派遣してくるハズである。
それか、ライオリック自身が判断し、乗り込んで来るか…何れにせよ、五老杖以上が来ることは確かだろう。
「なぁクレア、頼むよ……私には、もう、戦友も、弟ですら……正直言って信用ならん」
「我が部下達は、皆、それほど指揮に長けている訳では無いしな」
(あぁ、オドアケル将軍が、生きていれば……)
と、ホスロは嘆いただろう。
「これは命令じゃ、クレア・ドールよ、今から作戦の全容を伝える、他言するなよ」
命令…と、あらば、受けるより他は無いだろう。
「はっ」
クレアは青髪を地面近くまで垂らし、剣を抜き、それを両手で握り、拝命する。
南方連合、総勢一万は、未だ寒いローデルヴィレイに布陣している。




