第五十八話:街ブラ
____
同日の真昼、アッディーンの『三狗』の一人、騎士団員、『伯斧』ギベリンは斧槍を背負いつつ、マドラサの街を、暫くする事も無いのでプラプラと巡っていた。
昨日まで殆ど徹夜で行軍していたというのに……この男は、龍竜人族の性質上、体力が尽きぬのだろう。
コレも、この種族が太古の昔に魔族と蔑まれた所以ともなっている。
ちなみに彼の主は、現在サイエンと共に稽古に励んでおり、直々に「夕方になれば、ゲルフと共に我が屋敷へ来よ」と命を受けている。
(……思えば、嵐の様な数週間であったな…)
と、ギベリンは堅牢、マドラサを回りつつ、そう思う。
この日は異様に熱く、太陽が石を熱し、遠くを望めば蜃気楼が湧いていた。
活気溢れる城壁街を眺め、歩きながら、気分でも晴らそうかと思っていたのに…ギベリンの胸に宿った感情は別である。
(…公国連合を……僅か、僅か……)
二週間だぞ……あり得ん!
との、マラレルの嫌らしさと剛強さ、そして味方の軟弱さに辟易するように男は叫んだ。
この数週間を回想すればするだけ、この想いは高まるだけだ。
ちなみに…二週間、とあるが、ホスロ視点でのマラレル公国戦争からマドラサ攻略までと、ギベリン達とでは……
ギベリン視点では、マラレルのアッディーン家襲撃事件時から数えて居るため、少々認識に差がある。
(何と…ホスロ様に説明すれば良いのだろうか)
急に歩みを止め、そしてふと、ギベリンは死んでいった、アッディーン騎士団でも名のある面々を、指折り数えて行く。
「サラージュ、ローム、マリケス、オストア……それに……オドアケル将軍も、か……」
挙げた名は、騎士団の中でも精鋭かつ、ホスロやその亡父カイロに忠誠厚き者共であった。
そう。亡父。
そもそも、当の本人……カイロが既に帰らぬ人と成っている。
ギベリン一行が任地先から、城館に戻った時には、彼の死体は見せられる状態でなく…仕方なく指の一部を切り取り、同僚のゲルフが大切に収納袋に入れている。
瓦礫をのけつつ、ホスロの母や、他の親戚も…見つけようとしたが……身元の分からぬ死体を「母君で御座います」と紹介し、異物を渡す訳にも行かぬ為、持っているのは顔が確かであったカイロの指のみ。
「やはり、マラレルは蛮族の国家よ……今どき、焼き討ちをするとは」
彼が配属されていた土地に急報が入り、戻って来た時には、既に城館は黒灰と成っていた。
レンガは焼け砕け、黒く炭で塗装されており、悪臭が漂っていた。
(だが、ホスロ様とアーディル様がご無事で……カイロ様も嬉しかろう………)
しかし。と。思考を一時止め
(されど………リュクリーク王が、アッディーン家の存続を許さず……このマドラサに攻めてくれば)
きっと、エレノアのみならず、今度こそホスロとアーディルは殺されるのだ。
ヤツは、公国のみならず、マラレルのアッディーン家にまでも罪を拡大し、容赦しなかった。そう言う、残虐な生き物なのだ。暴君なのだ。
と、ギベリンは道行く人に不思議な顔をされつつも、一切気にせずに、くぅぅ、と悔しそうに感極まっていた。
己の、(自分が、あのか弱い少年達を守らねば…!)
との使命感に燃え、この真面目男は勝手に…益々、アッディーン家への愛情と忠誠を誓うのである。
「……それにしても、なんと、この街ののどかな事よ」
自分はこんなにも熱くなっていると言うのに、マドラサの、穏やかな風景や、市民の人相を診ていると、ついつい冷静にさせられる。
(やはり、危機感が足りんのかな、マラレルに攻められるやも知れんと言う)
そんな民衆達にまで怒りが募り始めた矢先、突如
トトッ!
と肩の上に何者かの掌が乗る。
「ソコの御方、少し宜しいですか?」
一人で、ややオーバーリアクション気味に、感極まったり、冷静になったり、微笑んだりしていたのが不味かったのか、いつの間にかギベリンの背後に、物凄いオーラを放つ女性の騎士が立っていた。
「!……ふむ?」
この時期は何かと…スパイが紛れ込んでも行けないし、不審者が居れば過度に反応するのだろう。
ギベリンは、流石に百数年間生きて来ただけあり、あまり動じず、慌てぬ。
ソレどころか
(…ほぅ、魔力量はよし、雰囲気もよし、間合いの取り方も分かっとる……良い戦士よ…殺り合ってみたいな)
強者である、と背後に立つ人物を鑑定し、内心ギベリンは……密かに喜んだ。
「あぁ、スマンね、のどかな城だもので……ついつい、奇癖が出たかな」
いつの間にか、通りに居た人々は掃けて居た。
ギベリンが怪しく、怖い…というのも有るが、公国の騎士がやって来たので、殺し合いに発展するのでは無いか、と逃げたのだろう。
そして、男は、そのままくるりとステップしながら百八十度に回ると、女性の騎士に顔を見せてやる。
「だが、この顔に見覚えは無いかね、お嬢さん」
「はい、有りません」
「そうかい……」
分かると思ったのに……即座に返されて、少し落ち込む。
回転したことにより、ギベリンも、相手の顔を見る。
彼の目の前に居る女性は、金髪で、それでいて背が中々高い。
上下に着込む鎧は黄金造りであり、公国の騎士爵以上に与えられるペンダントを首から下げていた。
(公国兵でも、上位だな)
「アッディーン公国部隊長の職を賜っております、セレネと申します」
すると、ギベリンと面する女性は、相手の男が危険そうで無いと判断したのか、先に挨拶をし、カチャリ、と甲冑同士が擦れる音を奏でつつ、頭を下げた。
「そうか、俺はギベリンだ、伯斧のな」
だが、どうしてか、ギベリンは直立不動のまま金髪の騎士を凝視する。
「……伯斧…ギベリン…あぁ、アッディーン伯爵家……ホスロ殿の御家臣ですか」
「うむ、うむ」
(やはり…俺の名は遠方にまで届いておったか)
と。娘の表情と、返ってきた反応を見て、ギベリンは内心躍る。
「…いやはや、それにしてもマドラサは良い土地だのぅ…アッディーン家は大損をなさったが、この要塞を手に入れられた事は、何ともめでたい!」
そして、調子に乗りつつ、ギベリンはこのまま世間話でもしようかな、セレネに笑いかけた……が。
当のセレネは(急になんだコイツ)とでも言いたそうな顔にすぐなり、それでも、頑張って会話を試みる。
「なるほど、なるほど……しかし、決して"良い土地"かどうかは……」
「…ふむ、何か問題でもあるのか?」
おや、この娘…謙遜しているのか、と一瞬思ったが、敢えて聞いてみた。
しかし事実らしく、そのまま、セレネが言うことには
「ココ最近、壁外のみならず、壁内まで、賊と化した傭兵や野盗が、ポツポツと根城を作り……時には貴族農民の財を取り上げ、家屋を荒らすのです」
現にセレネの上司のサンレノなどは、毎日愚痴を零しており、「マドラサは駄目だ…あぁ、公国が懐かしいのぅ……」と口癖にすらなっているのだそうな。
「ふむぅ…それは、中々」
まぁでも、治めたばかりだからのう。とギベリンが言ってやろうとしたが、矢継ぎ早にセレネは続けて、不思議そうに
「しかしながら、その荒らし方が特殊でして……どうしてか、財を根こそぎ取るのでは無く、少しずつ…少しずつ、生活が出来る分だけは残してやって居るらしく」
「その上、出会った公国民には一切危害を加えないばかりか、鎮圧部隊が出向けば蜘蛛の子を散らすかの様に逃げ出してしまい……どうも、不思議な集団ですよね」
普通の賊とは違うらしく、誰かから命令を受けているとしか思われない、奇妙に統率が取れている風なのだと。
「はっはっは、"賊の討伐"を命じられている主らにとっては、何ともやりにくい相手だなぁ」
ふむぅ、民にとっては、良いのかも知れぬが…と言ってやりようが無く、ギベリンは笑いながら微妙な顔をする。
「笑い事では無いですよ……堂々と戦ってくれれば、どれだけ楽か」
この不思議な集団には、農民から商人まで、皆うんざりしているのだと。
(近頃の野盗共は、変わっておるのぅ……時代かな)
と、ギベリンは娘の話を聞き終え、少し新鮮な気持ちにすらなった。
(そう考えると………百年程前の賊と言えば、気持ちの良い者共ばかりであったわ)
同時に、魔術全盛期である神話の時代の末期を思い出し、多少懐古気味にもなる。
(それにしても………全く、盗賊が蔓延るとは……ホスロ様の政は、上手く行っていないのか)
やはり、ギベリンは、この男はどこまで……自分の主がいかに偉くなろうとも、アッディーン家の宿将であり保護者なのだろう。
夕刻屋敷で面会する時に「ホスロ様、盗賊が闊歩するような土地に、誰が住みたいと思いましょうや」
と、コンコンと諭し説教する事にしたらしく、セレネの話を聞けて良かったと、感謝した。
「娘よ…他にも……我が主の為にも色々とマドラサを知りたい、案内せよ」
「うぅん……私は…コレから仕事なんですが……」
この変わった若爺の案内など、何が起こるやら、とセレネはまた嫌そうな顔をする。
ただでさえ忙しい中、更に要求されるとなればストレスだろう。
だが、そんな娘の表情から読み取ったのか……ギベリンは豪快に笑いながら、龍竜人族特有の、ギラギラとした牙を覗かせつつ
「良い良い、"ジジイ"に無理矢理連れ回された、とサンレノに申しておけ」
ギベリンは、長年騎士として戦場を馳駆しただけあり…一応、公国のサンレノの名は知っている。恐らく、向こうも『伯斧』ギベリンの名は既知だろう。
名のあるの武人の供をするのがどれだけ名誉な事か……無論、この精神は、半世紀前ほどには既に廃れて居るのだが、戦争の時代の影響を色濃く受け継いでいるサンレノ世代にはまだまだ有効だとギベリンは考えた様である。
きっと、「ほぅ、あのギベリン将軍の案内役をしおったか、羨ましいのう」と許してくれるに違いあるまい。
「なるほど……分かりました、はぁ……サンレノ殿も笑い流してくれますかね……?」
「案ずるな、大丈夫だ」
そうしてマドラサ観光の案内役を手に入れたギベリンは、まず、セレネに兵舎は何処だ、と問い、向かわせようとする。
「兵舎…ですか」
だが、セレネは難しそうな顔をし
「実はまだ、兵舎らしき施設は…建造中でして」
まだ無い。と申し訳無さそうに言った。
そして、急ピッチで頭を回すと
「代わりに…うーん……要塞都市ですし……城壁…とか、行きますか?」
「…ふむ?」
(城壁……ここから見えるではないか)
(この娘、俺が老眼だとでも思っておるのか)と思わずギベリンはムッとし、何か言おうとするが
「現在魔道士レマナ以下、公国の魔術師集団が反魔法結界を壁に貼っております、その見学にでも」
反魔法結界は内側からだと見えづらいらしく、壁の最頂部…数十メートルはあるだろう……に登り、見なければならぬ。
だが、それよりもギベリンは、別の単語に反応した。
「……レマナ…」
レマナ…と。
なるほど、レマナは聞いたことが有る。ギベリンの若かりし頃…百年までは遡らぬが、それでもこの十数年間で、よく耳にする名である。
同族…龍竜人族という噂もあるし、会っておこうかな。
「…うむ、良い……では」
男の反応を確認し、セレネも頷くと、二人は壁に向かって歩き出した。
向かいながら、マドラサの…裕福そうな、商人共が建てているのだろう、石造りの家屋が並んで、そして視界から外れて消えてゆく。
「マドラサの風景は、公国の首都のようで美しいです」
「…ああ」
「……反応薄くないですか?」
歩きつつ、しばしば横を見ながらセレネが感動を促すが、ギベリンは適当に受け流し、冷えた眼をする。
「セレネ殿は、まだ若いからな、こんな街で感動出来るのだろうよ」
「……」
そして唐突に、つまらなさそうに言った。ただし、悪意や馬鹿にする気持ちは感じられない。
「老将軍殿は、見聞が広いようで……羨ましいです」
当然。若さを馬鹿にされたのか、とセレネは口を尖らせ、反発するが
ギベリンは「そうではない」とセレネに弁明しつつ
「公国も、ココも、栄えているのは商人衆だけだろう、農民貧民は、昔から変わらず蚊帳の外、苦しい生活のままだ」
男は悲しそうに語る。
「それは…それは、マラレルだって、他の国だって…」
貴方の故郷の、旧アッディーン家領も、そうだったのだろう、とセレネは返す。
そうでもせねば、国が纏まらぬでは無いかとも。
___喋りつつ、二人は着実に城壁に近付いている。一歩、一歩。
「あぁ、そうだな、その通りだ」
「だが、その常識がおかしいとは思わんか?」
「コレだけ魔術が発達し、普遍魔法の種類も増えたと言うのに…結局熟練して扱える者は一部の……ソレこそ貴族階級だけであり、更に農耕技術も刷新されて行っているのに、未だに手で土を耕す家族さえいる」
「真に豊かで、美しい国というのは…あらゆる国民が最新の文化に触れ、上下が皆満足に衣食住に有りつける青い土地を言うのだろうよ」
そう考えてみれば、マドラサの何と遅れている事か。法は無く、兵も無く、君が言ったように山賊野盗は蔓延り、金は貴族が独占し…更に城壁の外側には魔物の群れが頻繁に出る。
だのに、そう…だのに。
「なのに、城内の民衆は、のどかだ」
こののどかさは、美しさでは無い、平和では無い。
と、ギベリンはやや遠回しに、「マドラサは、お前が思っているよりも豊かでは無いし、このような風景は何処でも見られる」と横の娘に説明した。
「………」
こうも散々酷評されては言い返しようが無いらしく、セレネは残念そうに口籠る。
彼女としては、主であるエレノアの名誉の為にも何か仕返したかったが、この男の言を理解すればするほど、「それも、そうだな」と納得はしたくないのだが、かと言ってどうしようもない。
……そして、また数分ほど歩むと、行き止まりになった。その間中、ギベリンはずっとマドラサの街を、用水路を、舐めるように見回していた。
__行き止まりこそ、城壁の証である。
マドラサの城壁を捉える上での例として……昔の…バグダードの円形街や……この場合の表現としては少し不適切だが、楚に作られた長城を想像すると、分かり易くなるのかも知れない。
円環状に石壁が作られ、その外にも城壁が点々と、連結するように並んでいる。しかも、それでいて…無限に続くように高く、大門がある前方は反魔法結界がはりめぐらされ、後方は崖となっているため、殆ど登る事は出来ない。
ギベリンは改めて、この要塞都市の城壁を見上げ、「"戦"城としては良いな」と感心した。
「こちらです」
そして、壁に辿り着くや否や、セレネはレマナ達の作業場所までギベリンを連れてゆく。
壁に沿うように建造された木製の階段に足をかけ、そして徐々に、徐々にと前方に、そして高所へと二人は向かった。
(………本当に…ホスロ様は数日で、この城を落とされたのか)
と、ビューと風が吹き荒れ、木がガタガタと揺れる階段を登りつつ、ギベリンは(ホスロ様は、猛将だなぁ)と少年の気質を危ぶむと同時に、アッディーン家の保護者として誇らしく思った。
あの御方の事だ、どうせ一発逆転を狙い、虎穴に入るような策を弄したのだろう。
思いつつ、ふと、聞いてみる。
「セレネ殿から見て、ホスロ将軍はどのようなお人かな?」
コンコン、コンコン、と木を踏む音が、数秒間漂い、ガチャガチャ、と脚甲が揺れる。
「うーん……若くて、才能あふれる騎士…ですかね」
ヨナタン将軍や、アステルド殿と似ておられます、と続けて彼女は、公国の新進気鋭な二猛将を例に挙げた。
「…なるほどのぅ、若くて才能溢れる…か、確かにな」
(意外と…評価は低そうだな)
と、ギベリンは失望に似た感想を得た。公国諸将に対してである。
ホスロの直臣の前で、きっと忖度したであろう評価がコレでは……
(この感じだと、なんなら俺の方が将としての評価は上かな)
そりゃそうか、と内心思った。
やはり、彼等は見る目が無いのだろう。
(小石の鑑定士に、宝石の価値は分からん)
ギベリンはそう思う事によって、自分の主の才能が認められぬ事への怒りと失意を収める。
「見えてきましたね」
そして……登りきったらしい。
そのままセレネは右手で前方を指差し……ギベリンの視界に、大小様々、色鮮やかな杖を持つ魔術師達が結界を張る様子が映りだされる。
(ほほぅ……かような大規模な結界付与の作業だったとは……)ギベリンの眼が大きくなるほどに、皆機械のようにビシビシ動き、良い顔をしている。
「ほら…あの、中央で指揮を採られているのが、公国の魔術研究者、レマナ殿です」
「……アレが…な」
童か、と見間違うほどに小さく、そして美しい銀髪の女性である。確かに、数人の魔術師に囲まれて質問されつつも、落ち着いていた。
目的地に着いたギベリンはセレネに「案内ご苦労」と言うと、ズンズン進んで行きながら
「やぁやぁ坊主、良い腕だのぅ」
「貴殿は公国の某ではないか」
とフランクに、通りすがりの魔術師達に声を掛けてゆく。
掛けられた方は、本来ならば大事な作業中であり、怪訝な雰囲気になるはずなのだが、ギベリンの声が澄んでいて、素直で、そして優しい表情のため、ついつい手を止めてわざわざ挨拶し返してしまう。
ギベリンには、ホスロの宿将には……こういう不思議な魅力が有った。
同僚のゲルフには無い、ある種のムードメーカー、軍勢を束ねる将としての突出した才能である。
そしてスイスイと進み、進み。ついにレマナの所まで着た。
「……誰ですか?」
この時には、既にセレネは御役御免とばかりに帰っているためギベリンのみである。
そのため、レマナは、急な来訪者を歓迎はせず、目を細め、そして警戒しながら話しかけた。
相棒の小杖は、いつでも振るえるように利き手である。
「そう、警戒なさいますな」
公国の研究者ともなれば、一地方の領主さえも兼任する場合があるため、ギベリンはやけに礼儀正しい。
「先日…アッディーン家旧領より、部下と共にエレノア様の家臣団に加えていただいた、『伯斧』ギベリンで御座います」
『伯斧』の名を聞いても、分からぬらしく、レマナはうむ?と首をかしげながら
「あぁ………ホス君の部下かな?」
「…はい」
(ホス君……ホス…君……?)
一瞬、自分の主があだ名で呼ばれているのが引っ掛かったが、乱されぬように、続けて今度はギベリンから
「このような大規模な魔法結界の付与の作業は、中々お目にかかれませんなぁ……いやはや、年甲斐も無く、はしゃげてしまいました」
「そりゃそりゃ、良い経験になったようで何より」
だが、レマナは急に鋭い目つきとなり…ギベリンのつま先から、頭までを見回す。
見れば見るほど、レマナの瞳が細く…そして、何故か龍のように鮮烈みを帯びてゆき、赫くなった。
「……だが、君は、そう…ホス君の部下と言ったね」
彼女にとっては、今、この時期に来訪して来る者は全てエレノアの権利を、生命を脅かし、害する者だと決め付けている。
公国の魔女には、こういう悪癖があるのだ。
エレノアが貴族と面会する時も、片時も杖を離さず護衛し、此度の…遠出に際しても、わざわざアーディルに「アーディル殿、どうかエレノア様を頼むよ」と厳命した。
この時も、その過保護が出てしまった。
『「一体何を…レマナから聞き出せと言われたのかな?」』
一瞬、会話中の魔女の声が二重に重なった気がし、バチィ!と反射的にギベリンは鼓膜を魔力で保護し、『操狂』の出力を上げ、精神支配への耐性を引き上げる。
「……おや、脅かせてしまったかな」
公国流の挨拶代わりなのだろうか、それとも事前に連絡すらせずに面会して来た無礼者に対する仕打ちなのだろうか。
まさか警戒心故だとはつゆにも思わぬギベリンにしてみれば、いきなりレマナが錯乱したのかと、疑ったほどである。
だが、術を掛けられ、ソレが本気だと分かり…彼もまた仕方なく戦闘態勢に入った。
「……!」
「まぁ待ち給え、冗談だよ」
「……」
だが、ギベリンは、尚も野生動物のように眼光が鋭い。
「ほら、杖も仕舞おう、帽子も…どうぞ」
だが、予想と反し、レマナは素直に杖を地面に置き、術の精度を上げるための魔術ローブや帽子も脱いだ。
(……?本当に、冗談だったのか?)
ならば
「冗談が過ぎますな」
と、ギベリンもコレ以上くどくど言うことも出来ず、斧槍をしまった。
だが、依然として警戒は継続する。
「……最近は、仲間と称して我が主、エレノアを傷付けようと企む輩が多い…」
そしてレマナは言い訳のように言うと
「君の主も、そんな連中にならないように…言ってあげなさい」
ギベリンの奥にいる人物を疑うような、惜しむような声を捻り出す。
「……」
(ホスロ様と、この魔女の間に、ケンカでもあったのか?)
加えてそのセリフは、まるで師匠から弟子に忠告するような、慈悲が含まれていた。
「……」
そして、そのままレマナはギベリンに背を向けると、作業に戻る。
まるで、早く帰れとでも言わんばかりに。
本来ならば「まぁ、邪魔にならない程度に見て回られよ」とでも言うべきなのだが、気が利かなかったのか、心境故か、本当にレマナは一言も発さずにギベリンを突き放した。
男も心得ている。モヤモヤしながら一例すると、即座に階段を降り始めた。
__________
「そうか、そんな事が」
と、アレから暫くし、ギベリンは夕方まで引き続きブラブラとマドラサを練り歩き、時間を潰した後に、眠りこけていた同僚のゲルフを呼び寄せ、他にも二、三の上級の騎士を引き連れて…ホスロ屋敷(城館)へと参った。
少年もちょうど、サイエンとの稽古が終わったらしく、盛大に息をはいているものの、顔は晴れ晴れとしている。
ただ、流石に新しい革服に着替えて、家臣団の前に姿を現した。
面会時、ホスロは、部屋の最奥中央の上段にある椅子に座り、その下方にギベリン、ゲルフ達が片膝を立てている。剣は帯びていない。
そして、ギベリン、ゲルフの両名が主に、マラレル公国戦争勃発後の、旧領の成行きを説明した。
どうやらアッディーン騎士団は城館襲撃時、城館
には二割ほどしか居らず、残りの兵達は戦争用意や国境封鎖の為に普通に動員されていたらしい。
この点、最期の最期までカイロはリュクリーク王を信じていたのだろう。
その動員令は当然、この場にいる者達も皆同様であり、アッディーン城館陥落のウワサが流れた頃には、既に城は焼き払われており、いつの間にか仲間であるはずのマラレル兵達から組織的な攻撃をくらい、何もわからぬまま逃げ出したそうな。
「面目…ありません……」
「いや、エエ、エエ」
と、ホスロはその点に関しては追及しなかった。
だが
「公国がマドラサに新たに建てられたのは、どうやって分かったん?」
一番、再会した時から聞きたかった事を問うた。
マドラサはマラレルからかなり離れている。噂話が流れるのも、遅れるだろうし、何より噂話程度でこの者達が軽率に動くとも思えない。
「ああ、ソレは……ザルク様から教えていただきました」
「……ザルク?」
思わぬ名が帰って来る。
「えぇ、我ら騎士団が、行く当てもなく、いっそのこと復讐のためにこのまま取って返し、旧領で砕けようか、と思案しながら大陸を彷徨っていると」
ギベリンは、誇らしげに息を吸い込み
「マラレル貴族のザルク、という方が突然現れて」
「「このまま南方、マドラサの方面に行けば、貴殿らが探し求める血が有るやも知れぬ」」
と、教えて下さりました。
あの御方のお陰で、今の我らが有ると言っても過言では有りません。
ギベリンは懐かしげである。
(ザルク…か、そんな貴族はいなかった気がするが)
「どんな感じの人だったん?」
そして、今度はゲルフが
「確か…眼帯をした、六十は過ぎて居ったでしょうな……とにかく、歴戦の古豪のような雰囲気の老人でしたわい」
嬉しそうに、長耳をバタバタしながら言う。好印象だったのだろう。
(眼帯…眼帯……)
「その者は、杖を持っていたか、それとも丸腰か?」
「丸腰に御座います」
(…!、なんだ、ゲラマドさんじゃ無いか)
と、流石に大陸のど真ん中を……危険地帯を丸腰で、しかも眼帯の古豪と来たもんだ、きっとあの預言者とか名乗っていた老人だろう。
だが、わざわざ変名を使ったとあれば、余程後ろめたい活動でもしているのだろうか。
反マラレル気味な思想の人だったし、あのあとギルドから追われたのか……
分からぬ。
「そうか、老人には、また会った時に…礼でもしようかな」
「ところで主らは、アーディルには会ったんか?」
本来ならば、この場にアーディルも呼ぶのが筋だが、生憎彼は…余程エレノアへの信仰が厚いらしい、彼女とともにマドラサ領の僻地まで赴いている。ソコの貴族への挨拶らしい。
(あの子達は…大丈夫かな、動き過ぎる)
と、ホスロとしては心配でならない。
貴族階級だと言うのに、軽率すぎやしないだろうか。
少年にとってアーディルはまだまだ危なっかしい弟であり、エレノアは守るべき末の妹のような存在である。
「いえ、まだ…私は会っておりませんが」
とギベリンが申し訳無さそうにする横で、ゲルフは
「私は昨晩」
エレノアに拝謁した後に、マドラサ城外を巡回していたアーディルを頑張って探し、話したらしい。
「立派に……本当に、立派に成長されておりますよ、アーディル様は」
実兄なので、そんな事は百も承知だが、ゲルフは昨日のアーディルの健気さと謙虚さを思い出しながら、鼻水を垂らして泣いている。
(この男は…本当に大げさな)
すると、今度は、そんな同僚を呆れた目で見つつ、無視しながら、ギベリンが
「ところでホスロ様……御当主と、奥方様、更にオドアケル殿以下の主要な騎士の亡骸は確認したのですが……」
続けて……言葉を区切りながら
「その、ご友人の…使用人殿は………」
察しの良いホスロは、それだけで、この男が何を言いたいかが分かったらしい。
頬が強張る。
「……アイツは、体は無くなってしまったな」
しかし…どうしてか、少し、婉曲な言い方をした。
おまけに細い声で、掠れている。
ギベリンは、相変わらず奥の方で片膝立てをする同僚たちを差し置き、スルスル…と進みつつ、ホスロの殆ど顔横まで来ると
「…体………体とは、その……では、精神が生きていると?」
(言い辛い事なのか、それとも何かの暗示か)
と憶測した。
「否、そうでは無い、魂だ、アイツの…魂が、まだ、留まっている」
(…?ホスロ様は…狂われたか…いや、なんだろう)
と、ひやりとするほど、今度はホスロの声が力強くなる。
ならば、どういう意図か、聞き出さねばならぬ。
やはり自分を試しているのだろうか。
故に、ギベリンは決断する。
「ホスロ様……生きていれば、いずれ別れはやって参ります」
ソレが前倒しになっただけだ、くよくよするな、と宿将はやや強めに言った。
そして
「そもそも、あの娘は…"ラヴェンナ殿"は…元を正せば奴隷ではありませんか」
いくら友情や愛が強かったとしても、そんな身分の者に固執し、いつまでも引き摺るのは良くない、と追撃する。
この点、ギベリンは昔ながらの、頭の硬い老人の思考らしい。離れた身分同士で絆が生まれたとしても、ソレは結局、強い立場の方が優勢なのは変わりない。
主従関係の延長である。との。
百数十年も生きれば、常識は凝り固まる。
「あなた様は、他に目を向けるべき事が山程有りましょう」
そんな事では大事は成せぬ…
が、聞いたホスロは、ギベリンに反論するよりも先に、声を張り上げ
「言葉を慎めギベリン、お前に何が分かる!」
椅子から立ち上がり、そのまま掴んで放り投げた。
バンッ!と投げられた木製の椅子が、奥の壁に当たり砕ける。
(そうだ、コイツに…この世界の者らに、何が分かる…)とホスロは降って湧いた怒りを抑えきれず
「貴様"ごとき"が、ラヴェンナの名を口にするなッ!」
そうだ、自分と、ラヴェンナは……ただの、友では無い、ただの主従では無い、生まれながらの……
________
生まれながらの………そう。あの日から、あの時から、ラヴェンナはホスロの…
"忠実"な…親友として。




