第五十九話:檻の中の女神様
アレは…私が、父と共に初めて奴隷市場に行った時である。十、十一歳くらいだろうか。正確には思い出せぬ。
市場はアッディーン領内には設けていなかった為、確か、わざわざマラレルの首都カロネイアまで出向かなければならなかった気がする。
__市場に行く日の朝、ただ、優しい顔の父が食事中に
「ホスロ、今日は奴隷市場にでも行くか!」
と話しかけてくれた事は、鮮明だ。
当時の私にとっては、奴隷市場は"裕福な大人 "が行く…と言う漠然なイメージを持つ場所。
決して神聖でも無いが、かと言って特段偏見や嫌悪の感情をその場所に向けてはいなかった。
「どれい…いちば、ですか?」
ゴソリ、口に運びかけていたパンをテーブルに置き、もう片方の素手は肉を齧る為に使って居たため、置いていた水入りの御椀に突っ込み、洗う。
濡れた手はゴシゴシ、とテーブルクロスで拭ききった。べチャリ、と汚れた液体が白いテーブルクロスを肌色に染める。
「あぁ、そうだ……お前はまだ行ったことが無かったな」
聞けば、私の知識通り、東西南北、あらゆる土地の種族や奇妙な形の生物が売られているらしい。
「ほれ、あの…エルフのゲルフも、元々は奴隷市場が出身だよ」
だから奴隷将軍と呼ばれるのだ、と父が微笑みながら言うと、幼子とは単純らしく…
(ゲルフを雇った場所…!)
と聞いただけで、今までの知識が洗い流され、書き換えられ……奴隷市場とは豪華で、それでいて熱気溢れる場所だと想像したらしい。
「行きたい、行きたいです!父上!」
と、私は無邪気に答えた。
__思えば、あの無邪気さが無ければ、ラヴェンナと会えていなかったのかも知れない__
城であったりとか、テレビで毎年の様に紹介されている観光名所に実際に行ってみて「意外と…思っていたのと違うなぁ」となった時は無いだろうか。
きっとこの日のホスロもそう言う感想を持ったのかも知れない。
__父に連れられて来た市場は、私の想像とは反し、ソレはもう……ひどい施設であった。今も、そうだが……
老若男女、種族問わずに皆木製か、又は鉄製の籠に入れられ痩せこけている、その上糞尿は垂れ流し…そして何より……どの奴隷も、目が死んでおり、中には蝿や蛆虫を払う気力すら無いのだろうか、動かぬのも居た。
初めての光景に私は思わず吐き気を催し…実際に、おぇぇと入口付近にて、朝食を吐き出した。
「どうした、ホスロ、怖いのか」
「……」
「行くぞ」
カイロが私にベタ甘になったのも…そう言えば、二個目の固有能力『操槍』が判明してからである。
幼少期を思い返すと、ずっと父は私を気にかけていたが、ソレでも厳しく、そして高圧的であった。
私はそのまま、悪臭漂う檻の合間をするすると抜けてゆく。
「今日は…ほれ、最近家の執事が高齢で、中々…ガタが来てやがる」
無理をさせてはならぬし、雑用係に、一人元気なのを買えればな。
とカイロはウキウキしながら私を引き摺ってゆく。
(ウチの子は…コレで本当に、騎士が務まるのだろうか)
とでも、当時の父は思っていただろう。
それくらい、奴隷市場で私は怯え、そして不快感で常に身震いをしていた。
「……ホスロ、なんなら…今日はせっかく、初めて来たのだし、お前が選べ」
唐突に、気持ちを和らげようとしたのだろうか、父は私の目をまっすぐに見る。
父は青い目であった。
「……えっ」
「ほれ、見てみよ」
そのまま父は周囲の籠を順々に、ゆっくりと指さしていき、舐めるように催促する。
「何でも良いが……まぁ金は有る…この辺の安い奴隷ではなく、突き当りの所の比較的綺麗で、ある程度肥えたモノを買いなさい」
その言葉を…"モノ"という単語を聞いて、私は…どうしてだろう、気分が乗らない。
(ゲルフの出身場所って聞いたのに……)
と、想像と現実の差が激しく、動転していたのだろう。
だが、家長の命令は絶対なので、何も言わずに従う。
そうして私は父から離れ、一人で汚い小道を歩いた。
道の左右に捨て置かれたような、臭い檻の中には、口牙が異様に尖っていたり、角が有ったり、下半身が蛇であったり…と様々な人…いや、生物が居る。
(純粋な人間は、居ないのか…)
初めて見る生き物や、人種に感動する間も、雰囲気も味わえぬまま……そのまま無機物のように歩いていると…ドサッ!
と横に伸びた通路から
「おや……済まない……ふむ?坊や、迷子かな、ソレとも一人でお買い物かい?」
突然、仮面を付けた…二十手前ほどの青年が、しゃがみ込んで聞いてくる。
頭ごなしに叱る訳でもなく、心から私の状態を心配している様であった。細く、そして女神のように綺麗な声の男。手の形で分かる、随分と育ちが良い。
「えぇ…あ、いや、人の奴隷が…居ないかなぁって」
そう、私は困惑しつつ、返した。
あまり吟味せずに、反射的に放った言葉である。
「良かった、迷子では無いんだね……なるほど、人の奴隷か……更に向こうの、アソコ…突き当りに行けば居るかも知れない」
青年は、やや広角を上げ、今度は私の前方を掌で指した。
「そか、有難う……おにいさんも、買い物なん?」
私の質問に、仮面の青年は優しい雰囲気のまま、深々と頷くと
「あぁ…そうだよ、家の使用人が体調を崩しがちだからね…代わりの人を雇わなくちゃならないんだ」
遠国から連れてきたので、この土地の気候に合わないのだろう、と青年は悲しそうである。
「では少年、良いかい、アソコの突き当りだよ、間違って魔族の檻に近づかないこと……本当に危ないからね」
そして彼は、去って行った。
去り際……ぶわぁ、と濃厚な、ソレでいて新鮮な血の香りが撒かれたような気がした。
(……特性かな)
固有魔法の影響で、魔力を込めなくとも体の発達した器官から魔法が漏れる事がある。
私は感謝しつつ、血の香ばしい香りのする青年を背にし、進んだ。
コツ、コツ……コツ
薄暗くて、ソレでいてネチャリ、とネバネバした小道。
無限に続くようであった。
薄暗いのに、太陽のような、淡い光が常に私の視界に入り込んでいた。
その光は眩しくなく、銀色であった。
私は未知の場所に足を踏み入れた筈なのに……
そして、ソコには懐かしさが有った。知らない物体なのに、漠然と勝手を知っているような感覚。
天使から授けられたように佇む最奥の檻には、少女が入っていた。
「……」
「…」
少女。
そう、私は、その檻の中の少女に…一瞬で目を奪われた。魔法に掛けられた訳では無い、それよりも…もっと、もっと……信仰に近い感情である。コレだけは、確かだ。
檻の中の小さな神様は………汚れては居るが、綺麗な銀髪の、美しい眉毛。
「……しゃべれるんか?」
「……!」
だが、少し怯えている。
(そんなに俺は恐ろしい存在なのか)
と、あの日の私は、自分が魔王のようになった気分であったのだろうか。
分からない。ただ
(俺は、この檻の中の…美しい人よりも上か)
と考えたことは覚えている。
「……ホスロ、見つかったか、家の新たな雑用係は」
いつの間にか、背後に父がいる。音がなかった。
結局息子が変な所に行ってしまわないか心配になり、こっそりと付いて来ていたのだろう。
「……」
私は貴人を紹介するように、檻を指し示した。
「ほぅ、この少女か」
そのままじっくりと見て、カイロは思案し
「大人の男の方が良いのだがな、まぁ、そうか、コレからは遊び相手も必要かな」
ブツブツと独り言を放ちつつ
「良かろう、ほら、金だ、買ってこい」
ゴソゴソ、と懐から数枚の銀貨を取り出して、私の手に握らせて来た。
ソレは重く、そして冷たい。
私はこくこく、と素早く頷くと、近くに門兵のように哨戒していた商人に声を掛け、少女が入っている籠の鍵を開けてもらう。
…ギィぃ…と重い鉛扉が開き、ふらふら…と我が家の新しい家族は、外の空気を吸う。
「ホスロ、良いな、"お前が"買うのだぞ、私ではない」
何故か、あの日の父はしゃがみ込み、再び私の目を見て言って来た。
(将来…ホスロも人を使う立場になる、経験と自覚は必要さ)
とでも思っていたのだろうか。
続けて、私達の会話を聞いていた商人はニコニコとしながら、私の銀貨を受け取り、代わりに熱された鉄棒との交換を促した。
「何処ででも、どうぞ」
何処ででも。
その言葉は、そして棒は、十歳の子供にしては重く、そして不快な塊であった。
何故不快か。流石に、騎士の一族なだけはある。その棒が何を意味するかくらい、私は察せれた。
「父上、印とは物品に付ける物であり、人には要らぬでしょう」
「……」
まだ成人もしていない息子の言葉を聞いた父はどうしてか、私の頭をゴシゴシと撫で
「お前は、本をよく読んでいるハズだが……なるほどな、鵜呑みにせぬのは良い事だ」
と褒め、そして呆然と立ち竦む商人を睨みつけ、私から棒を奪い取ると、ガラン!と適当に放り投げた。
「……名前は、何と?」
そのまま私は、少女と向き合い名を問うた。
「……無い」
少女の第一声は、敬語も無しにソレである。
一瞬商人が嫌な顔をする、だが、ホスロは一瞥し、また少女を見つめると
「なら、ラヴェンナと名乗れ」
「…ラヴェンナ……?」
「あぁ、ラヴェンナ、今より六百年程昔かな……神話の時代の、最初期の英雄の名じゃで」
本来ならば奴隷ごときに付ける名ではないが、ホスロは大真面目らしい。
少女、否、ラヴェンナも…その名を随分と気に入ったらしく
「ラヴェンナ、ラヴェンナか……中々良いセンスだな、お前」
変わらず無礼な少女に、私は微笑みながら手を差し出した。
向こうも又、微笑み返し、黒く汚れた手を出す。
__そう、あの日から……ラヴェンナはホスロの"モノ"と成ったのだ。永遠に途切れぬ。
ホスロにとっては、ネロ以外の、初めての同年代であり…それだけに可愛く有ったのだろう、自分が教えられる範囲の剣術や、魔術の稽古を懇切丁寧にしてやった。
加えて…ホスロは、何を思ったか……本来ならばラヴェンナは雑用係以上の何かにはなれぬハズなのに……父や母に頼み込み、無理矢理使用人の階級にさせ、ヒトにした。
部下や友達には「ラヴェンナを大切にな」と常々言い、いつの日か、ラヴェンナは家臣団から使用人殿と呼ばれるようにもなった。
尤も、オドアケルは違ったが。
ホスロとラヴェンナ。ソレは主従関係と言うよりは、兄妹や…もっと、不思議な関係である。
その関係は、ホスロが十四を過ぎ、宮廷魔術師になれるか否かで目に見えて焦り始めても……変わらなかった。
このような心身共に忙しい時期になると自然と、実弟どころか、ラヴェンナへの関心は薄れる筈なのだが……また不思議な事に、二人の関係はむしろ主従関係に近くなって行った。
そしてホスロは、自分は伝記の偉人たちと遜色ない男である、将来大事を成すハズだ…と傲慢になり、周囲を見下すようになってしまった。
一応ネロに完敗し、ソレも矯正されたかの様に思われるが、尚もホスロの…特にラヴェンナに対しての関心と愛混じりの傲慢だけは決して消えなかった。
ラヴェンナの固有能力を回りの貴族や友が馬鹿にすれば食ってかかるのに、自分は「お前の固有能力は弱いなぁ」と口に出して煽る。
彼女の出自を身内以外に中々漏らしたがらないのも、自分だけが知っているという優越感に浸りたいが為。
ラヴェンナはホスロの傲慢さの矛先であり、歪んだ愛を向ける相手でもあった。
自分だけが、あの日の……神様と真の意味で対等なのだから。
今回も、そうらしい。
ギベリンにラヴェンナの出身について言及され、怒ったと言うのに
「ラヴェンナは、俺のモノじゃ、アッディーン家の使用人程度などでは…無いッ!!」
奴隷…所有物である事を、自らだけは認め、他人には断じて許さない。
尤も、ホスロ自身は自覚していないのだろうが、結局、ギベリンが言ったように、ホスロとラヴェンナの関係は対等では無かったのかも知れない。
__
怒り狂い、椅子を放り投げた後に、ホスロはズンズン、と大きな音を鳴らしつつ部屋を後にした。
主なき空部屋には、数名の騎士が残り、唖然とし、未だに何も出来ずに片膝を着いている。
「……ギベリン、何を申した」
そんな空気を破るように、ゲルフが険しい顔で問い詰める。
「いや……お主もどうせ……いや、良いか…ほれ、あのラヴェンナ殿だよ」
あの女性の話題をしてしまってな
とギベリンは悔やむようにして天を仰ぐ。
まさか地雷だったとは………
「若様は、幼少期は……毎日の様に連れ回されて居られたからなぁ、そりゃ、馬鹿な事をしたなぁギベリン」
ゲルフも二人の異常な仲の良さは、しっかりと覚えていたらしい。
「わざわざオドアケル殿にお守りをさせるくらいに気にかけて居られた女人だ、辛かろうな」
そのまま、若主の気持ちを想うと、ギベリンがどれだけ愚かだったかを説教してやりたくなるが、抑える。
(だが、にしても執着が過ぎるな)
と、明日一緒に謝りに行ってやろうと決意しつつ、ゲルフは自分の主にやや恐怖した。




