第二十二話:助手と研究者
コポコポ…コポコポ、と机の上に置かれた透明な容器の中で緑色のネバネバした液体が沸騰し、泡立っている。
視線を移動して行くと、同じ形状の器に青……赤……紫…とにかく色んな色彩の液体入の瓶がヅラァァっと横に長細い卓上に有る。
ポータルを潜った先。
ここはレマナの研究室兼住処であるらしく、コンスノープルでもかなりの奥地で、比較的温暖で資源が豊富な場所に建てられているらしい。
説明を聞きながら部屋を見渡してみる……何というか、とてつもなく汚い。
至る所に何かの研究結果を纏めた資料だろうか、が、転がっている上に少し大きめの虫の死体がそこら中に散乱していた。
オマケに前述した瓶の数々、それら全てから異臭が放たれており、とてもではないが、人間が、この世に生を受けている物体が過ごせる環境ではない、とホスロは判断した。
「なぁ…占い師さん、俺は、その……ヨナタンから結構金もろぅとるし、その、な……別にアンタの世話にならんでも__」
「なぁにを遠慮しているんだい、ホス君、さぁさぁ、存分に寛ぎ、我が研究を手伝ってくれたまえ」
「ホス君……?」
「殿下君だと長いからね、助手を呼ぶ時は出来るだけ短く言いたいのだよ、古代の魔道士ゴールのようにね」
良くわからない故事を引用しつつ、何故か勝手に助手認定された上に家に住まわされ、研究を手伝わされるらしい。
俺が一体どんな悪い事をしたのかと、天を仰ぎたくなる気持ちを抑えて、重ねてホスロはレマナに言った。
「だから、別にアンタの__」
「良いのかい、私はこれでもまぁまぁ名の知れている研究者だ、そんな私の下で助手として努めている間は大丈夫だが、そうでも無い限り、君の出自は不明だ、この戦時中に、無事に二日間凌げるのかなぁ……」
「ぐっ…」
レマナは銀髪を揺らし、にへぇと目を弛ませ、細めながら笑う。
「じゃあ、分かったわ、世話にはなる、でも、アンタの研究を手伝う道理は」
「へぇ、マラレルでは恩人を助けるな、って教えられてるんだぁ…へぇ……」
「恩人じゃあ無いじゃろ」
「衣食住を提供してあげる予定なのに…?」
「……」
「あれぇ、黙っちゃったぁ、アレレ〜?」
思いっきりぶん殴りたい気持ちをギリギリと抑え、ホスロは仕方なく
「……承知…しました」
と、宜しく頼みます、と頭を下げる。
それをレマナは至極満足そうに、頬をプクーと楽しく緩ませながら見ている。
「ふむふむ、宜しい、苦しゅうないぞ」
そして、では早速、と奥の方に引っ込んで行こうとする、が、ホスロはそんな彼女の服をグイッと引っ張って
「悪い、占い師さん、手紙とか…その、マラレルまで送る事って可能なん?」
「おやおや、ふむぅ……まぁ私の転移魔法を使えば可能だけど……なになに、まさか…想い人にでも!?」
「…一応、世話になった人やら……妻に」
「えぇ!?、君ぃ、奥さん居るんだぁ、こりゃあ隅に置けないねぇ……」
「決闘で、俺は不本意ながら結ばされた契約じゃけどなぁ」
「でも……」
ホスロは眉を下げてポツリと言い出した。
「別に、あの村に何の不平不満があった訳じゃ無い、教え子に囲まれて、ちょっとヤバい感じだけど美人な伴侶もおって、皆優しゅうて、ネロの誘いを無理にでも断って帰ろうと思えば帰れたじゃろう」
再び、ホスロは、でもと付け加えて
「俺は…俺の心は戦いを求めた、より強くなりたかった、本当に…根っからの」
戦闘狂じゃなぁ、と自嘲するように寂しく笑った。
その性質の代償がこのザマであると。
「まぁホス君…君も色々とあるのだねぇ……よいよ、まぁ、思う存分手紙を書き給え」
後からね、と付け加えてレマナは言うと、笑顔でそこら辺に落ちていた筆をホスロに手渡した。
「有難う、所で肝心の紙とかってあったりするんか?」
「ん、いや無いよ」
「えっ」
「冗談だよ、有りますよ、今ホントに無いと思ったでしょ〜」
(この……)
ぶん殴りてぇ、と思わず口走ったが、レマナはそんな少年をスルーして、クルッと回転し、ビシッと指をさして決めポーズをした。
「ではホス君よ、さっそく研究を手伝って貰う訳だが」
と、今度こそ大きな硝子のコップを机から取って
「この中に魔力を込めながら、砂を一粒ずつ入れて行って欲しい、あぁ勿論、経過も毎回記録しながらね」
レマナは「砂よ満ちよ」と詠唱して、御椀一杯程の量の砂を正確に顕現させた。
どうやら、砂に魔力を込めた時の体積の膨張度合いを調べるらしく、半年程この工程を繰り返しているらしい。
公国の研究機関に発表する予定だとの事。
「大体平均して魔力を込めない砂と比べて、三倍程に大きくなるんだよ」
ピンッと指を立ててウィンクしながら自慢気に喋る。
「へぇ…」
(それを求めて何になるんだよ…と内心混乱したが、従う他あるまい)
早速レマナから大量の砂入りの御椀と、硝子瓶を受け取ると、適度に魔力を込めて、さっさと作業を始めた。
「……」
レマナも同じ作業をするらしく、カタリ…と道具を横に並べてやり始める。
「……」
「………」
「おっ…ちょっと多かったな」
「………」
「…落ちた……」
「……」
どちらも喋らない、否、ホスロの方は多少話す気はあるものの、レマナがあまりに集中している為に中々話し掛けれない。
始まって少ししか経って居ないというのに、この集中力とは全く、驚かされる。
一体、こんな実験の何が楽しいやら
「占い師さん」
「……んもぅ、何なのさ」
限界まで集中していたのに、急に現実に呼び戻されてレマナは口をツーンと伸ばし、不機嫌そうに怒る
「…よく、そんな楽しそうに出来るものだなぁと」
すると、そんな無知な助手の言葉を聞き、レマナは顔をクシャッと歪ませて
「私には……こんな…魔法の研究しか、無いから………」
どこか遠い場所を見るかのように、長いまつげを曇らして、小さく言う。
流石に踏み込む勇気はホスロにはまだ無く、そうか、と言い、戻った。
「…」
その後は、二人共何も話さず、ザッ…ザッと砂を入れ、魔力を込め、砂を入れてを繰り返す。単純で、無機質な作業により時間が溶けてゆく。
だが、六時間が経過しても御椀の中の砂は、八分の一くらいしか減らなかった。
「今日はもう、この辺で止めておこうか、我が助手よ」
ホスロはコクリと頷くと、グググ…と背伸びをして、空気を目一杯吸い込む。ポキポキと背骨も音を鳴らした。
「疲れたかい?」
「そりゃ」
「ならソコの円卓に腰掛けてなよ、ご飯作ってあげるからさ」
確認すると、レマナは顔を見せないように、立て掛けてあった魔道士の帽子を深く被って、台所へと行こうとする。
「手ぇ貸すわ」
「いや、イイよ、それに…龍竜人族の料理は覗くべからず、だよ、少年」
「……変なモン入れるなよ……?」
「私を何だと思っているんだい??」
彼女はそう言うと、何故か赤面しながら出ていった。
研究室は全域がポータルの様に特定の空間と空間を行き来できる仕様となっており、ドアが一つしかない。
それにも関わらず、匂いや光等の空気を媒介する物はどこの空間にドアが繋がっていようとも、異常事態に備えて入ってくるそうな
よって、レマナが出ていき、バタンと閉ざされた後も二、三分もすると香ばしい匂いが漂ってくる。
ジュージューと何かを焼く音……焦げた匂いもして来た……
ずっと香り続ける。
言われた通り円卓に両手を降ろし、足をプラプラ遊ばせながら待っていると、やがて大きな皿を両手に軽々と持ってレマナが現れた。
「ほぉ……卵料理か」
見れば、肉を焼いた…というかちょっと焦げている卵で肉を巻いた上に塩を振ったのだろうか、シンプルな品である。
「卵、卵か……珍しいなぁ、すぐに腐るけん余り売られんし、採れたてしか使えんハズじゃけど……」
だが、どう見てもこの家…というか研究室に卵を産めそうな生物は居ない。ポータルですぐに市場に行ったのだろうか、いや、こんな戦時中の夜に市が開かれるかは疑問だ。
「……早く食べるよ」
顔中を真っ赤にし、シューと湯気を立てながらレマナは食事を勧める。
反してホスロはハテナを頭に掲げながら、スプーンで料理を掬い上げ、立て掛けてあった杖に与える風なポーズを取った。
「いただきます、どうじゃ、ラヴェンナ……そうか、美味いか、らしいで占い師さん」
「……君の故郷では、杖に食べ物を与える風習があるんだねぇ…興味深いよ」
「いやぁ、別にそんな習慣は無いけど……」
「ふむ?、そうかい」
微妙に話が噛み合わないと思いながら、ホスロは料理を口にしてゆく。
中々、良い塩加減の上にグニぃとした不思議な食感、マラレルでこんな料理は食べた事が無い。
「……なんでさっきから顔が赤いん?」
だが、どうもホスロが料理を口にする度、レマナの顔は赤くなるばかりである。
「べ、別にぃ、さっさと食べなよ助手君」
上ずった声で、顔を直視せずに、勧める。
先程から普通に美味い…が、なるほど、どう考えても鳥の卵の味はしない……
(コイツ…一体何の卵を使ったんだ……)
何となく龍の肉の味に似ていない事も無いが、と良く咀嚼しながら悩む
「コレ……さては、小竜の卵じゃろ」
当たったか、と満足げにホスロは聞いたが、レマナは顔を両手で覆って
「……ハズレだよ」
と聞き取れないくらいの小声で返した。
「ほぉ、当てられて悔しいんか」
煽るように言ったが、レマナはふりふり、と左右には首を振り、否定した。
結局鈍感なホスロは、何の卵か最後まで気付かなかった様である。
そして食事も終わると、レマナは普遍魔法で球状の温水を作り出して浮かせつつ、ドアポータルの眼の前で『風呂』と言い、場所を変えた。
そのままガチャリ、と開くと六畳程の広めの浴室が現れる。仄かに石鹸の、優しい香りが漂っている。
彼女はキュキュと音を立てながら入ってゆき、浮かせていた温水をドボンと沸かしながら空中で分解させて、中をソレで満たした。
「先に湯浴みでもさせて貰うよ……間違っても変な気を起こさないように」
「誰が小娘の裸を見たいん……?」
「おい」
若干キレ気味にレマナは風呂場へと入って行った。
バタンッと強めにドアも閉める。
それを見届けて、ホスロは彼女が上がる間に、外で鍛錬でもしておこうかと思い、そして実行する。
椅子から立ち上がり、その場で上裸となった。
そして一緒に食事を採っていたラヴェンナを手に持ち、変形させて剣の形状にする。
下半身は魔術師の長めの服だ、どう見ても変質者にしか見えないのだが、ホスロは至って真面目らしい。
歩き、ギギギ……と先程レマナが使った研究室のドアの眼の前で『外へ出たい』と唱えて開ける。
そして夜空へとその身を投げ出した。多くの星が浮かんでおり、鮮やかな黒色であった。
レマナの簡易ポータルに入ってから研究室を出ていなかったので、景色がかなり変わっており、ソレもまた新鮮で良い。
改めて、コンスノープルはやはり寒い、冷気がホスロの全身を貫き、冷やす。
目に入る星星も、何となく寒さを誘う。
「……フゥゥ」
早めに体を動かした方が良いだろう。
集中しながら両手で剣を持ち、振り下ろす。
また上げて、振る。
一振り一振り、心を込めて……振る。
何十と振り抜いた挙げ句、思いつきで顔をバサッと上げた、すると星が降っているでは無いか。
スー、と流れる様な流星の束が少年の頭上を飛び交っている。
(ホスロ、流れ星にな、願い事をすりゃ叶うらしいぞ!)
ラヴェンナの懐かしい肉声が、ふとホスロの脳内に浮かんで来た。
「そうか……ならここは一つ…」
何故かクハっと笑う。
こんな、キレイな夜空にする願いとしては的外れかも知れないが、それでも少年は、迷わず願った。
それは際限なく無謀であり、他者から見れば哀れで無駄な、悲しい願いでもあった。
リュクリークの首を、この両手に受け止めるとの。
血を垂らしながら、両手で彼の者の死体と相対したい。
そんな物騒な願いを必死にしていると、ザッザッと誰かがギィぃとドアを開けながら近づいてきた。
恐らく
「おやホス君、夜空が綺麗だね」
「上がったんか」
「あぁ、良い湯であったよ、それにしても、君が星好きだとはね」
「いやぁ、別にそんな事は無いけど、鍛錬がてら願い事をしとっただけじゃ」
「どんな」
湯気を登らせ、寝間着に着替えたレマナが優しく目を細めて聞いて来る。
「そりゃ……あぁ…ヨナタンが無事に帰って来れますように、ってな」
だが、流石に真実は言わない。
「そうかい、君は友達思いだねぇ」
「私なら先生が健康であります様に、とでも願うかな」
「…ゲラマドさんの事か?」
「そりゃそうさ、何せ二十年近く師事してたんだからね」
「同じ女性同士、魔道士同士、随分と気が合った物だよ……ほぼ友人と言っても差し支えが無いね」
ソレを聞いて、ホスロは目を見開いて驚く。
「女性……?、ゲラマドさんは老人の、両目が見えん男じゃろ?」
「うん?、何を言っているんだい、先生は隻眼の老女だよ……誰かと間違って居るんじゃないか」
両者のゲラマドの姿形が何故か噛み合わない。
続けてホスロは質問する。
「……ゲラマドさんの固有能力は『操魔法』…だったよな」
「あぁ……うん……?、確か、確かそうだった、ね……」
やはりレマナの頭の中のゲラマド像と、ホスロの頭の中のゲラマドでは相違点があるようだ。
だが、もしかしたら、あの時自分が出会ったゲラマドは、レマナの先生の兄とかなのかもしれない、とホスロは勝手に納得した。しかし、それならば何故レマナを『バカ弟子』と呼んだかがちょっと不明になるが。
「ゲラマドさんに兄妹とか居たのか?」
「うーん……先生に兄妹かぁ……分からないねぇ…」
しかし、そうとしか考えられない。
恐らく居たのだろう。
「まぁ取り敢えずホス君、水浴びでもしてきなよ、すんごく臭い」
「態々面と向かって言わんでも……」
残念そうな表情を取り、剣をズズズ…と引摺りながら、ホスロはショボーンとして家の中に入ってゆく。
反して、夜空の下には、未だにレマナが手を顔の前に置き、星光を防ぎつつ立っていた。
タレ目を細め、流星をうっとりと見つめながら
「先生…元気にしてるかなぁ……」