第十九話:不穏過ぎる訪問
ゲラマドと別れた後、二人は湿地帯を抜け、ロードロンドを走破し、ひたすらアッディーン公国領へと向かっていた。
いずれ来るであろう暗殺者の襲撃も、領国内に入れば安心である。
一生懸命に、身体を魔力で強化しながら走っている。
「頑張れ殿下、ランドルド王国をひたすら、ひたすら南下すれば……着くぞ」
「……よしっ」
希望の様に、走りながらホスロは何度も地図を広げては確認し、そしてしまう。
今の少年の心を繋ぎ止めているのは、憎きリュクリーク王への復讐心と、弟が生きているハズという希望的観測だけであった。
「ラヴェンナ…あと少し、あと少しで到着じゃで………どんな場所か楽しみじゃなぁ……」
「殿下…」
何故この少年は杖に話し掛けて居るのだろうか、と不思議にヨナタンは見つめるが……恐らく、長旅で疲れているセイなのだろうなぁと合点した。
そもそも、昨日宿に泊まらせてやれなかった自分の責任でもあるし。
「済まない殿下……俺の…俺が悪かったッ!!」
「うおっ!?」
「急にどうしたん、らしくもない」
ホスロはホスロで、ヨナタンもドロエラムから野宿続きの長旅で疲労困憊なのだろうなぁ…と可哀想に思う。
「いや、いや……済まぬな……この辺りに野馬でも居たら良かったのだが……」
ホスロの操槍に二人で乗る選択肢もあったが、流石に目立つし魔力量の関係で短時間しか無理なので止めた。
「まぁ…ええやん、走ろ」
ヌメヌメ〜とした湿地帯を、辛気臭い顔で男二人が泥を振り落としながら走っている。
ベチャ…ベチャ……バシャン、バシャン!!
バチャ…バチャ…、ストッ
「……」
ベシャ
「…………」
「……あ、………」
ボチャン…、ドボッ
「…ん?……」
「いや…」
しかし、やがてすぐに足を取られて行き、疲労も重なった為、だんだんと速度は落ちて行き、とうとう歩きだしてしまった。
重い泥の中、ひたすら疲れる。最早雑談する気力さえ二人からゴッソリ抜け落ちてしまっていた。
ホスロはもう一度、もう一度魔力を込めた地図を取り出し、コンパスを取り出して現在地を確認する。
「な、なぁ…ヨナタン」
「おう」
「……もう、このまま一日で湿地帯を走り続けてアッディーン公国に向かわんでも、ほれ、ここ……王都ランドルドに向かおうや……乾いた地面の上を行けるで」
「いや…だが、追手………」
「ヨナタン……!!」
「追手…」
「休めるぞ、ヨナタン」
「追__」
ヨナタンは、その単眼を何度もパチパチとたたみ、深く思案すると
「うむ、確かにそうだな……ここは戦略的…まぁその、あれだ、仕方なく寄るのだ」
と、頑張って正当化しようとした。
本来なら使者と言う役目、一日でも早くアッディーン王都、カーヒラに向かうのが義理ではあるが、忘れたらしい。
「いや、駄目だ……いやだが、くっ…王宮騎士ともあろう者が…申し訳御座いません陛下……体は正直なモノです…」
「なんか騎士っぽいセリフじゃなぁ…」
すると、すぐさまヨナタンはその端整な顔をキリッと戻すと。
「ふむ、そうと決まればとっとと向かうぞ殿下、時間が惜しい」
トコトコとランドルドへ向けて小走りで…というかまぁまぁな速度で走り始める。
バッバっと再び泥を巻き上げながら、南東の方角へと湿地帯の横に広がる草原地帯目指して駆け始めた。
「いや、ちょっ早っ!」
全く何処からそれだけの体力が湧いて出てきたのやら、とホスロはフラフラとしながら彼の背中を追いかける。
__王都ランドルド__
「ふぅ…ふぅ……ようやく、着いたわぁ…」
「長かったな、いや、言っても一時間くらいぶっ通しで走っただけか」
「草原を走り抜けるのは、やはり気持ちが良いな……疲れが吹き飛ぶ……なぁ殿下」
「いや…ゼェ……はぁ……おかしい…じゃろ…大体…三十キロ近くを……走破……したんじゃで……」
「肺や…血管膨張の……魔力…強化に加えて……筋力増強剤を飲みながらの行軍で……もう、殆ど残って……無いわ……襲われ、たらぁ……どうするん……?」
操槍に乗って移動しようと何度考えた事か。
にしてもヨナタンの方は随分とケロッとしている。
鹿頭族の身体能力には全く、脱帽するしか無い。
「ふむ?」
「あぁ、ふむふむ……まぁ案ずるな」
取り敢えず飯だ飯、とヨナタンは景気よく言うと、トコトコと街中へと入ってゆく。
ランドルド王国の、首都ランドルド。
王国が始まって以来設営された最初の都市の内の一つで、二百年近く存在している。
しかしながら、あまり豊かな街ではないらしい。ロードロンドを見ていた時から思っては居たが、こんな都市が王国で一番栄えているとは到底考えにくい様な外観である。
街の中央に通る大きな水道は立派ではあるが、それの左右に建てられた建造物は目も当てられぬ有り様であった。
所々壁が崩れていたり、廃墟であったり、道には人が通っているものの、生気が失われている。
ただ不可解なのは、どの空き家も最近まで使われていた形跡がある上に、水道の延長線上にある肝心のランドルド城(館)は他の国家と遜色ない壮健さである所だ。
何より、見回りの兵士が一人も居らず、やけに家財を積んだ馬車や獣車が行き交い溢れている。
「……戦争かな」
ヨナタンがふと口走る。
「いやぁ…俺は内紛だと思うで、聞いてみるか」
思い切ってホスロは今、眼の前を通り過ぎようとする家族連れに、何があったのかを聞いた。
相手はホスロが、魔術師の正装(関所を通った後は、マラレルの紋章を剥ぎ取った魔導服に着替えている)をしていたため、金目の物を取られるのかと一瞬驚いたが、ホスロが柔らかい笑みを崩さなかったため、落ち着いて対応してくれた。
中でも幼子達は珍しい服を着ている、とホスロを指さしてキラキラした目でこちらを見る。
思わずホスロもニコッと一段に口角をあげて返してあげた。
そして、二人の呼びかけに応じて、旦那と思われる男が進み出て
「ほぉ、聞いてねぇのかい魔術師さん、今ランドルドでは…というか、アヴェルナ教圏の国家では聖地奪還軍の侵攻話で持ち切りだぜ」
「セイチ……ダッカン?」
ハツミミの如くホスロはポカーンとした表情となる。ヨナタンの方を見るが、彼も一緒にポカーンとしていた。
(おいお前は王宮騎士だろ、なんで知らないんだよ……)
「えぇ…魔術師さん達……軍人の割に…ホントに知らねぇのかよ」
頭をポリポリとかいた男は二人に分かりやすく、噛み砕く様に説明し始めた。
「流石に聖地……は知ってるよな?」
「……いや、あまり熱心な信仰者じゃないけん……」
「うむ……私は…聞いたこと位はあるぞ」
ヨナタンは渋い顔をしながら返す。
すると、そんな二人を見て男はさらにはぁ、とため息をついて。
「うーん、じゃあ聖地がどれ程この世界の宗教国家にとって重要な役割を持っているか説明するよ」と言って
「アヴェルナ教の始祖アヴェルナ・アルマス・ゲルモアイゼ、マラレル教の始祖マラレル・リューク・ノマンディラスト……その両方の生誕地である、聖地『ホルセリア』 」
男はヨナタンが持っていた地図を拝借すると、スラスラと伸ばして、ビシッと指でさす。
マラレルの隣国、ドロエラムから川を下って、遥か南東に位置するマラレル教国家、アララトと、アッディーン公国より山脈を隔てて北東に位置するアヴェルナ教国家、ムセフィムとの国境間に位置する小さな都市である。
「この数百年、ホルセリアは両教の信者が自由に訪れる事が出来る様に、各国合意の上で誰の手にも渡らぬよう取り計らわれてきた」
「だが、つい……二日前程に、マラレルの現教王リュクリークがマラレル教圏中の王国に呼び掛けて、ホルセリアにマラレル兵を置き、実質的に自らの領土とする事を合意させたのだ、アヴェルナ教圏側にはなんの相談も無しでな」
「当然アヴェルナ教圏国家…特に過激派のアッディーン公国なんて大変さ、元々自分の領地でも無いのに「我らが聖徒を奪還する!!」とか息巻いてるらしいぜ」
「なんでそんな急に……てかヨナタン…お前は知っとくべき話じゃ無いんか?」
祖国の政治問題だろ、と詰め寄る
「いや……俺はあまり国政に疎い…というか、興味が無くてな、熱心なアヴェルナ教徒という訳でも無いし……」
(だから五十将に選ばれないんだよ……)
と内心小言を言うが、続けて聞く。
「んでも、なんだってそんな急に聖地を取る気になったん?」
「んん…そんな事、成績の良い協会少年くらいならみんな知ってるぞ」
男は少し自慢げに
「そりゃ魔術師さん、不死鳥の目玉が動き始めたからだよ」
「不死鳥の目玉だぁ?」
「あぁ、我らアヴェルナ教の祖、アヴェルナ・アルマス・ゲルモアイゼ樣が作り出した聖遺物(古代の偉人が魔力を込めて生成した、姿形が永遠に変わらぬ魔道具の事)だ」
「マラレル教圏の奴らは自分達の始祖が作ったとかほざいてるけどな」
「その眼球を手にした物は、真に望むものを手にする事が出来るらしい」
ソレを聞いて、ホスロの耳がピクッと動く。
「真に……望むもの?」
「ああ、口で〜が欲しい、とは言っても深層心理から望むモノを再現するんだとよ、本当になぁんでも……どんな……そう、人でもな」
男は怪談でもするかの如く、ちょっぴり恐ろしそうな声音で喋る。
「フッ、殿下、まぁ与太話だと思った方が良いぞ」
「ヨナタンもどうせ初めて聞いたんじゃろ?」
後ろで自慢げに腕を組む亜人を振り返ると、ギクッとして小さくなった。図星らしい。
「まぁ、うん、正直おとぎ話だけどな…ぶっちゃけてしまうと、マラレル側は、コレを体の良い戦争名義に使ったって訳だよ、目玉の監視の為のマラレル軍の駐屯であるってね、そして勿論それを阻止したいアヴェルナ教圏国家との戦争が近い内に起こるから、こんなに騒ぎになっているんだよ」
「目玉が動いただけで戦争って……元から余程仲が悪かったんじゃな……」
どうやら男の家族が催促しているらしく、申し訳無さそうに荷物を馬車に積み込むと
「そんな所だ、じゃあな騎士さん達」
「おう、有難う」
ホスロとヨナタンは、フラフラと手を降って見送る。
男が去ったあと、少し真剣な空気が二人に流れた。
「……ヨナタン」
そして、ヨナタンは少年の言いたいことが大体把握出来たらしい。
「案ずるな殿下、天下のアッディーン公国だぞ、マラレルごときの弱小軍に負けるハズが無い」
「いや、それよりも……聖地奪還軍の対処の為にホルセリアに主力を割いている隙に、マラレル本国軍でアッディーン公国を直接殴られはせんか?」
聖地奪還の急進派であるアッディーン公国さえ潰れれば、アヴェルナ教圏側を黙らす事も容易だろう。
「あのなぁ殿下、他の国家との協議やら承認を得るだけでも数日は必要する、その上いざ侵攻となっても補給部隊やら、商人やら、戦闘員以外の随員もたぁくさん連れながらの行軍だぜ、それに道中気楽に進める訳じゃあない」
ただでさえホルセリアの防衛が最優先なのに、アッディーン公国まで占領する将軍や兵力など、到底用意出来る理由が無い
というのがヨナタンの見解らしい。
プラスで聖地への巡礼者もかな、と付け加える。
「我が祖国に軍を飛ばすだけでも一ヶ月は要するだろう、それだけ時間が出来てしまえば対処は楽だな」
そして、最後にとヨナタンは空気を目一杯肺に入れると。
「なにより、アッディーン公国には五百もの屈強な魔術師やら騎士の王都常駐部隊に加えて……五十将最強、アッディーンの剣、『ローズバリア・カルテミヌス』軍団長殿がいらっしゃる」
「この世に二人と居ない固有能力「操陰」の持ち主で、彼の人単独で両国内で起こった反乱が静まったのだぞ」
「ほぅ…そんな強そうな人が居るんじゃったら……」
(だけど、マラレルには五老杖……いや、それよりも………)
「ライオリックが……」
ホスロが呟くのを逃さず、ヨナタンは覗き込む
「ぁあ、いや」
ホスロには、どうも『獅子心』のトラウマが忘れられないらしい。
ずっと何か思案している。
(移動に特化した特等魔術師以上の、特に精鋭たちのみで殺戮の為だけの強行軍を結成すれば、アッディーン公国まで一週間とかかるまい……その上、それを率いるのが五老杖やライオリッククラスであるならば……)
考えたくは無かった。先程の男の話で、アッディーン公国は聖地を奪還するとしていた。
つまり二〜三千程の…主力と言っていい大部隊が領国内を出るのである。
「殿下……アッディーン公国には先にも言った王都常駐部隊やローズバリア殿だけではない、王宮騎士団が在中している」
ヨナタンは、そんなホスロの心理を見通すが如く、声を掛けた。
「狂戦士とも言われる我等だ……君はマラレルの五老杖が出張ってくると危ない……とでも考えて居るようだが、そんな懸念は既に陛下も対策済みであろうよ」
「そう…だよな、そうだよな」
ホスロは自信なさげにウンウン、と首を縦に振った。
ヨナタンはソレをじいっと既に縦に細長い目を更に細めて、少年の背中をバンッと大きく叩くと
「飯だ、飯を食うぞ殿下、大丈夫、大丈夫に決まっている」
「あ、ああ…!」
現役の王宮騎士が胸を張って居るのだ、疑うほうが失礼になるだろう。
道端での長会話を終えた二人は、疲れた足を再び無理に動かしながら宿屋に入って行く。
といっても、開いている店はどれも見窄らしいモノばかりであるが。
(足が攣りそう……いや、もうちょっとの衝撃を加えたり、変な方向に曲げたら終わりだな)
そうならぬためにも、ほぼ残っていない僅かな魔力で保護しながら歩行を行う。
そして、二人が今日泊まる宿名は……奇しくも『カーナリア』であった。マラレルからの支店だろうか。
教圏関係無く店舗を置くとは、中々図太い神経をしていると思う。
流石にマラレル王都カロネイアで泊まったのと比べると、数段格は落ちている。
ただ目に入る宿屋の中ではこの店が一番見栄えが良かった。
即座に二人はチリン、と鈴を鳴らしながら中に入ると
「店主、飯を……」
ヨナタンは余程腹が減っていたのだろう、入るや否や、即座に店主を呼んで食事を持ってくる様に命じる。
テキトーなカウンター席に二人並んで座り、料理が運ばれてくるまで泥を払い落としたり……腹の中にいたヒルを剥がした……うぇぇとホスロは顰めっ面になる。
湿地帯で戦闘していたので気付かなかったのだろう。
そうしてパッパッ、パッと身だしなみを整えている間にも、カチャ、カチャと料理が運ばれてくる。
随分と早い。
戦争の影響で二人以外は客も居らずガラ空きなので、余程暇だったのだろうか。
内容は、小竜の肉に塩を振ったモノと、野菜のスープの二種類であった。
質素で良い匂いがホスロの鼻腔に突き刺さる。
「ほれ、ラヴェンナ」
しかし直ぐには食べはしない、先ずは運ばれてきたスープを、ホスロはベチャと杖に塗りたくる。
ベチャ、ベチャ、ベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャ、と
中に芋なども入っていたので、潰して塗ってあげた。
「ほぅ、殿下の…というかマラレルでは杖に煮物を塗るのが伝統か」
「うん……?、食事じゃけど……」
「あんまり異なる教圏で、そういう行為をするなよ……異教徒と思われるぞ」
「おん……」
どこか上の空、分かって居ないかの様な表情でホスロは頷いた。
「それにしても店主、いい腕前だよ」
「……」
「その無愛想を除けば完璧な宿屋だ」
ヨナタンは食べながら店の男?と気軽く話す。
彼がそうしている間にも、ホスロは杖に食事を与えていた。杖の方は無機質なままだが。
「うーん、好き嫌いはいけんわラヴェンナ……しゃぁない、これは俺が食べようかな」
ズズズ…とスープを飲む。
薄い塩味の、マラレル風の上品なスープであった。
懐かしい味だな……
「だよなぁ…分かるわ」
「どうした殿下」
「いや、じゃけん……おぉ済まんな、てかヨナタン食うの早っ」
「だろう……騎士団に入ると、食う時間すら惜しいッて言われ続けるからな……」
「そりゃあ……」
そして食い終わり際、ヨナタンはホスロが杖に塗ったスープを拭かない事に疑問を持って
「殿下……その、いや、流石に拭け」
「だってよ、そうか、いっつも食べるのが一番遅いけんなぁ……」
少年は彼の助言に従って、仕方なく液体を拭き取ってゆく。
明日も早い。今晩は早々に寝たほうが良いだろう。
「店主、同じ部屋を頼む」
「……」
ヨナタンの言葉に、店主はスッと鍵を渡すとトコトコと奥へと引っ込んで行く。
ソレを確認した二人は、ゴンゴン、と古ぼけた木の階段を上がってゆき、ガチャリと部屋を開けた。
昔ながらの宿屋、と言う風な部屋で、何も無い。
寝具が三つ置かれていた。
「ふむ、殿下、私はちょっと明日の分の食料を買いにでも行ってくる」
「俺も……」
「いや、無駄に目立つのは止めておけ…ゲラマドに気付かれていた様にな」
「……」
ホスロは何も言わず、フイッと顔を背ける。
ヨナタンは、「では」と言うと、元来た木の階段を、ゴンゴンと再び重い音を靡かせながら下って行った。
宿屋に取り付けられた窓を見てみると、月光が刺している。美しい満月であった。
ずっと見惚れ続けてしまう様な、魂を吸われるような美麗さ
「キレイな__」
「月が綺麗ですね、ホスロ」
懐かしい声、魔力、雰囲気……
スッと後ろを振り返ると、そこには自分の友が眩しそうに立っていた。手を顔の上において、月光を遮っている。
「……」
「…ッ……」
こちらを向いてクスッと微笑んだ。
「俺を…」
急にホスロは諦めた様な挙動を取って、ゆっくりと美しい所作で膝をつき、首を差し出す様な姿勢になる。せめて楽に死にたい。
「俺を、殺しに来たんか…ネロ」
「いえ」
友達は、ネロは静かに否定する。
黒髪に東洋の武道着、いつもと変わらぬ格好で、妖しく笑っていた。
「そうか…なら良かったわ」
一瞬安堵したホスロは、気が抜けた様に喋り出す。
「なぁネロ、ラヴェンナが、オドアケルが、アッディーン領の者達が……いや、知っとるか」
「……私の父も、ですね」
「……」
ホスロは申し訳無さそうに…というか罪悪感で目が合わせられない。
だが、次の彼女の言葉を聞いた時には、その罪悪感は不快感と怒りに変わった。
その上、それは限りなくホスロにとって恐ろしい言葉でもあった。
「ようやく、アナタは一人になりましたね」
「…は?」
思わぬ言葉を聞いて、ホスロは思いっきり目を丸くする。
「実は知っていたんですよ、私」
ネロは嬉しそうに種明かし…とまでは言わないが、愉快に語りだす。月光は刺し続けている。
「アッディーン家が襲撃される事を…結構前から」
「何故…」
「それは…普通に分かるでしょう」
「別にマラレルからでも他国の情報を得る手段は有りますしね」
マラレル教圏以外の世界は存在しない、という洗脳も完璧では無いらしい。ネロは二年程前から国家間の情勢について執心していた様で
「不死鳥の目玉が動き始めれば、アッディーン公国を中心とするアヴェルナ教圏と、マラレルを中心とするマラレル教圏との激突は必死」
「当然、マラレルに居るアッディーン家も無事では済まされないでしょうね……」
ネロは遠い目をしながらにこやかに喋る
「加えて……コレですよ」
彼女はそういうと、大事そうに懐から重々し気に本…というか日記帳の様な書物を取り出した
「ご覧下さいホスロ……我が家の家宝、大予言者ゲラマドの預言書です」
うっとりと本を見つめながら喋る。
「我がラドリア家初代当主、ゲラマド・ラドリアの書物であり、近い未来の事柄を書の中に示す能力を持ちます」
まぁホントに一日後とかの近い未来しか見れないのですけどね、と一応万能では無いらしいが
「その上…内容が見れるのは血縁のみ……それも、限られた者しか無理ですね」
「ゲラマド……さん…?」
頭が痛くなりそうな話を聞かされて、ホスロは情報量で脳がパンクしそうになる。
(ロードロンドで出会ったゲラマドさんとは…流石にな、別人か……それよりも)
「……それより、ネロ、だったらなんで……なんで俺に知らせんかったん?」
「何故、ですか……」
「ああ、言え」
ホスロは心配で張り詰めた顔で、少女に問う
すると、ネロは不思議そうに
「だって、貴方の周りの人達が居なくなれば、私に依存するしか無くなるでしょう?」
美しい瞳に、長髪をキラキラとさせて、無垢そうな表情で少女はケロッとして言い放つ。
「……?」
「私が幼少期から貴男に憧れを抱いている話は、ついこの前しましたよね、それにですね、本当は……あの頃からずっと貴男以外の人間に興味が無かったのですよ」
「ずっと貴男だけを見てきました」
「だから愛ですよ、愛ゆえにホスロの周囲の人を見殺しにしました」
「私は貴男を独り占めにしたい、そしてその上で絞め殺したい程に愛しています、本当なんです、本当に愛しているんですッッ!!」
ネロは微笑んで喋っている。
目にはなんの狂気の色も見えない……美しい色。
「でも、でも……ホスロは、貴男は家族や幼馴染が死んだくらいでは折れる人では有りません……希望がある限り、何度でも目標を作り、挑戦する人ですッ!そのはずでしょう、ですから……私のした行為は間違っていませんでした、しっかりと貴男は新たな目標を決め、それに従おうとしている………」
先程からネロの言葉が頭に入って来ない。否、理解したくも無かった。
「おい……サイエンは……キルルワの村の住民は無事……なのか!?」
「あぁぁあ……なんて…………そう、それですッ!!くぅぅううう………あぁ………やはりイイですね」
「それ故に!!貴男は美しいのです……!」
「無事かって聞いとんじゃけど?」
ホスロは怒気を込めて睨みつける。
「はぁ…はぁ、えぇ…ご安心を……"殺しては"居ませんよ」
「じゃあ……」
「リュクリーク王……陛下がおわす玉座の間まで行けば、もしかすれば分かるかも知れませんね……」
「……」
ネロは先程から理由のわからない独り言をブツブツブツブツブツブツブツブツ言っている。
「その表情……流石は……いえ、やはり……」
「なぁ、ネロ」
「は、はい!?ホスロ…」
ネロは急に名前を呼ばれて、乙女の様に顔が赤くなる。そして、上目遣いでホスロを見上げている。
逆に、ホスロはそんなネロを冷たく見下ろして
「お前との友情は……無かった」
冷静に言葉を吐いた。
「では、恋情は有るのですね」
言ったが、逆に少女は嬉しがって更に顔を赤くする。
流石にホスロも我慢の限界が来たらしい。立てかけてあった杖を手に持ち、剣に変貌させると、斬り掛かろうとする。
「その仕込杖……報告にあった……ラヴェンナですか」
「お前が!!……その名を、二度と!!!口にすんなや!」
半ば発狂しながらホスロは縦に斬る。が、ぬるりとネロは斬撃を避けると、シュタッと宿屋の窓から出張った木の部分に足を掛けた。
「今はまだ、貴方を捕らえません、まだまだ、もっと……貴方の瞳に絶望が堕ちてから……その時が収穫時ですかねぇ………」
「今まで常識人ぶっとったのは、なんなん?」
「う~ん、意味が分かりませんが…私はずっと私でしたよ」
「恐ろしい…女じゃわ」
ネロはその黒い瞳に少年の顔を、嬉しそうに焼き付ける。頬からツゥぅと涙が落ちている少年の顔を。
ラヴェンナを失い、そしてネロという唯一無二の友を失った男の顔は、酷く情けなかった。
「そう……その表情を見たかった」
「あぁ…ラヴェンナが羨ましぃ……」
ネロは湯悦に浸って笑うと、声を上げながら夜空へと消えてゆく。
その後ろ姿を見送りもせずに、ホスロはただ呆然と部屋の中央で佇むだけであった。
ヨナタンが来るまで少年の涙は耐えなかったらしい。