第九十六話:折れぬ剣
___幼き頃
雲が、嫌いだった。巨大な、巨大な…「積乱雲と言うのだよ」と、父に教えられた雲が、嫌いだった。
乾いた地面を歩き、上を見れば、光線の様な太陽が、私の肌を焼いている。だが、草木は青く生い茂り、その光線に感謝していた。
「ルノー家とフォルクス殿の家から、また麒麟児が生まれたらしい…つい最近ガーナー伯が自慢話をして来たばかりだと言うのに……」
積乱雲を見る度、父、カイロは私に苦々しそうに言うのだ。
それを聞けば、私の握った両手が寒くなり、そして汗が滲んでくる。私だって、素質自体はある筈だ、彼等に…ついて行ける筈だ……
嫌いだった。雲の様に、自由な存在が。
全てを与えられて産まれてきた、寵児達が。
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「手合わせ願おう、ライオリック・ノルマンド」
そして
……勇者が現れた。
勇者は、聖剣を抱いている。
「……獅子心」
それに、ライオリックは、全力で応える様である。
幸い、暫く戦線から離れていたため、魔力は多少回復していたものの……万全、とまでは行かぬ。
「魔力解放」
だが、少年は、マラレルの闘将は、唱えた。
肌が、肉が、骨が…魂が、叫んでいる。
「ここで、お前を殺そう、ホスロ・アッディーン」
(義父上を殺せる程にまで、成長したのか?)
叫んでいる。この場で殺しておかねば、必ず手遅れになるであろう。勇者の聖剣は、まるで持ち主と一体化している様であり、思わず凝視してしまうような、悍ましい魅力を秘めていた。
そして、ライオリックは詠唱通りに魔力を解放し、体中の筋肉をゴツゴツと盛り上げる。
蛮征将軍の鍛え上げられた肉体は、その上から被っていた鉄鎧を紙のように砕き、血をたぎらせた。
続けて、懐から青銅製の注射器を取り出すと、ブスリ…と、躊躇無く自らの首に刺し、プシッと勢い良く押した。側にいたウルクが「若様、お待ちを…」と、止めようとしたが、荒く払われ、無視される。
「ホスロよ、龍人というのを、知っているか?」
パキパキ…と、ライオリックの頭から小さな、黒い角が生え始め、目は充血し、肉体は、更に歪な形になる。
即効性の高い薬なのだろうか。
「何十頭もの……龍の心臓部から抽出した高密度の血液と、魔薬草を混ぜて加工する」
「そうして出来た龍液を、元から流れる血と、混ざらぬ程の勢いで血管に流し込めば……」
当時に、鼻と目、そして口からドロリ…とした粘液性の血を吐いた。異物を取り込んだせいで、体が拒絶反応を起こしているのだろう。
顔は…目がカエルの様に出っ張り、角は、更に枝分かれしたように曲がりながら成長し、口からは牙が垂れ下がりながら生え、頬の肉が爛れている。
「はっは、俺でさえ……この…通り……自我は失わぬが、いやはや……辛いものよな」
その姿を見て、ホスロは馬鹿にしたように笑った。
「そんな醜い姿になってまで、王亡きマラレルに、忠誠を誓うのか?」
「真面目な男だ」、と、犬歯をギラギラと見せつける。
「そうそう、龍人…知ってるさ、その姿になれば、もう二度と、真人間に戻れぬ…と言うことも知っている」
「ホンマに、馬鹿じゃなぁ、仲間が見たら驚くじゃろう」
ゲラゲラ、と、本当に可笑しそうに、ホスロは笑い続ける。
だが、ライオリックは怒らず
「だが、我が妻は驚かんだろう…それだけで、十分さ」
そう、獣は、勇者に返すと、霊剣を構えた。
ふぅ…、フー、と、ライオリックは、この、マラレルの英雄は、獰猛な獅子のように、息が荒い。
顔中に血管が浮き出、目は血走り……
そして、豹の様に地面を蹴った。
「霊剣」
と、彼が持つ得物に、生まれ付き備えられた能力を解放する。
魔力の大小によって速度が変化するものの、シンプルな、突きである。
龍人化による身体能力の上昇。加えて、霊剣の解放による魔力、動体視力の発達。そして放つ本人は、他でもないライオリック・ノルマンドである。
並の…たとえ、一等宮廷魔術師が相手であっても、まばたきをする間もなく、決着が着いたであろう。
「おっそ」
だが、ガキィン、と、ホスロは"ソレ"を完全に見切ると、何と指二本のみで受け止めた。
「若様ッ」
そして、空いた手に握り締められた聖剣で、流れ作業の様に、勇者がライオリックの、馬とカエルを混ぜたような首を切り落とす寸前……勇敢にも、彼の配下の、ウルクが両者の間に割って入る。
全力でホスロの斬撃を受けとめつつ、ドンッ、とライオリックを肩で飛ばした。
「空気読めや、邪魔じゃわ」
だが、攻防は短く、そのままグイッと押し切られ、肩から袈裟斬りにされ、胴体は上下で別れた。
「ウル……ク」
そのまま、ライオリックの部将、ウルクは一言も発せず絶命した。
姓は無いものの、リュクリークの小間使いから将までに成り上がった、誠実で、優秀な男であった。
銅像の様に目だけは開いたまま、血のみ地面に流れている。
「よしよし、さぁライオリック、早う立て、もう一回あの技を撃って来い」
「お前……」
「…あ?」
そして、ライオリックは、今度こそ、ギュッ…と霊剣を握り、鋭く叫んだ。
「穿嵐ッ」
師から受け継いだ、奥義を。
__『風のジルレド』いつの日か、その称号を、ライオリックは奪ってしまったのだ。
『風』は、当代一の風系の魔法使いのみが名乗れる。師から弟子にその称号が渡った時、穿嵐はジルレド・アキナスのみの技では無くなっていた。
だが、若干のアレンジがある様で……師であるジレルドとは違い、上段斬りに『操風』で発生させた風の刃を纏わせ、叩き付けている。
範囲は半径百メートル近くにも及び、その中心地は削れ去り、龍が相手でも、恐らく骨すら残らぬ。
「ふむ」
と、ホスロも、ここでようやく聖剣に封じられていた魔力を解放し、カキンッ…と、しっかりと受け止める。
受け止める、何の影響も無いかのように、ケロッとし、ライオリックの勇敢さを讃えた。
「コレを喰らうのは二回目じゃな……にしても、素晴らしい技だ、余程…長年、研鑽を積んだのだろう」
「俺も、私も…そうさ、お前の様に、お前達のように…才能があれば……楽しかったのだろうなぁ」
言いつつ、『穿嵐』の余波を物ともせず、ライオリックにズカズカと近づいて行き、腹を思い切り蹴飛ばした。
かなりの威力らしく、ドスッ…と飛ばされた衝撃で、なんと、一蹴りのみで、ライオリックの腹は破れ、肋骨は折れ、霊剣もガタリ…と転がる。
そして、苦しそうに、ヒュー、ヒュウ……と、呼吸をする。
「打撃……ちッ、再生…阻害…の効果も、あるのか」
獅子心の再生能力を以てしても、ギギギ…と、曲がった骨が戻るスピードが遅い。
「ご名答、相性最悪じゃな」
「故に、このまま嬲りつつ、いたぶりつつ、殺してやるさ……」
と、ホスロが聖剣を再びライオリックに向けた瞬間、ザシュッ…と、今度は、巨大な斬撃が背後から飛んできた。
地を裂き空を裂き、そして、不遜にも、勇者の背中を薄く斬りつける。
「…おや」
振り返ると、小さな霊剣を構える、女の騎士が居た。単騎、供も無い。余程急いだ証拠だろう。
(この女…俺の……否、聖剣の、膨大な魔力を察知して来たんか?)
魔力量があまりにも多いと、周囲の魔力濃度にすら影響を及ぼす為に、逆に、並の魔法使いでは、感覚そのものが麻痺し、誤作動を起こし、探知が難しくなる。
王家の霊剣に名を連ねる者だからこそ、正確な位置を把握し、コレほどの速度で応援に来れたのだろう。
「……ロザリエ…」
ライオリックの表情が、少し、歪む。
「何を……命令に、反するな………お前は、がっ…はぁ……アウラング・ルノーと……共に、病院騎士団の相手をせよ……と、申したハズだ」
「ライオリック様、しばし、回復に専念されよ…その間、私が」
だが、斬りつけられ、流石にホスロも腹が立ったのだろう。リュクリークにすら迫るほどの速度で、ロザリエと距離を詰めると、心臓付近に、強烈な一撃を叩き込んだ。
武器は一切使わず、撲殺するらしい。
殴打され、ロザリエは吹き飛んだものの、壊さぬように、そのままグシャリ…と、髪を掴まれ、立たされる。
「先ほどの…ウルクとやらも、そうだが……」
「雑魚が、割って入るな」
だが、その言葉に、ロザリエは笑いつつ、逆にホスロの顔目掛けて、ペッ、とツバを吐いた。
吐かれた白い唾は、ホスロの目の下にかかり、そして、ツゥゥ…と垂れる。
「このっ……」
すると、ホスロは髪を掴んだまま、ロザリエの脇腹目掛けて、膝蹴りを食らわす。
今度は真横に吹き飛び、鎧が割れ、口からは血と胃液を吐いた。
「ホスロ……お前の相手は、俺だ、待てッ…」
ライオリックが立ち上がろうとするが、お構い無しに、ホスロはロザリエを蹴り続ける。
一発、二発、三発……と。
だが、いくら蹴り込んでも、女の闘志は失われないらしい。
むしろ、目は更に煌々とし、ギラリ…とホスロを睨見つける。
「不思議だなぁ…本当に、不思議だ」
「何故お前は、否、お前達"霊剣"は………こうも…国に殉じれるのだ」
霊剣……それは、折られて、死んだ、イグニス・フェニキスを始めとし、魔術王リュクリークの事も指しているのだろう。
そして、ホスロは、相変わらず、相手をなめ腐った様な顔を浮かべる。
「俺には分からん」
「マラレルなど裏切り、素直に公国に降れば良い、そうすれば命までは取らぬ」
「そうだ、こうなるもっと前から、白旗を振り、命乞いをし、俺の配下になると叫んでいれば、良かったのだ」
勇者の言葉に、マラレル王国、王家の霊剣準筆頭であるロザリエは、口内を血で溢れさせつつ、返した
「お前には…わからぬさ」
「マラレルを裏切り、公国へと逃れ……護国卿という地位に甘んじるお前には……分からぬさ」
「騎士とは、王家の霊剣とは、そう言う生き物なのだ」
「ずっと…逃げるばかりの人生の…貴様には…分からんよ、分かるハズが無い」
ロザリエの言葉に、ホスロは怒りを通り越して、呆れた様な表情を取った。
「馬鹿もここまで来れば、病の類いだな」
そして、ホスロは右手を貫手の形にし、目を細める。細まった眼は、ロザリエの美しい頭部を見ていた。
「待てホスロ、待ってくれッ」
だが、尚もライオリックは叫ぶ。声を荒げ、哀願するように、叫んだ。
(ほぅ、遂に降るか)と、そのせいで、一瞬、ホスロは顔を背けた。
だが、甘かった様で__背けた先には、再び、霊剣を構えるライオリックが立っており……
咄嗟の、聖剣での迎撃は間に合わず、ホスロは腕で受けてしまう事となる。
「…チッ、卑怯な」
反射でロザリエを離してしまい、そして、彼女はライオリックに保護される。
「良くやったロザリエ、流石はマラレルの騎士よ」
当然、ホスロは心底不機嫌そうに、彼の第三の固有能力を発動させる。
「操天狗」
そして、異形の姿となった。今までよりも、より奇妙な姿である。頭部は完全な犬で、胴体は龍の翼に、巨大な鱗で覆われ、下半身は肉食獣の様に細く、しなやかで…俊敏そうである。
「調子に乗るなよ……狐野郎が」
真っ黒な髪をかきあげつつ、獣は、勇者は、目を血走らせた。