後編
最後です。
結局私の家に来るまでサトにぃは一言もしゃべらないままだった。
家に入ると私から買い物袋を取り上げて母に渡したが、母も普段と様子の違うサトにぃに驚いた様子だった。
私の部屋に入ると、私をベッドの上に投げ捨てるかのように座らせ、サトにぃ自身はドアに寄りかかった。
まるで逃げ場をなくすみたいに。
「……サトにぃも座ったら」
「別に良い」
そう言ってじぃっと私を見下ろすサトにぃ。
まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。
私は思わず引っ張られた腕をさすった。
まだ少し痛く、もしかして赤くなってるんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら彼の顔を見上げると、彼の頬が片方だけ真っ赤になっているのに気づいた。
それに気づいて、心の中の黒いモノが一気に広がった気がした。
深呼吸して、私は口を開いた。
「……彼女とデートじゃなかったの?」
「んなもん振られたわ」
やっぱり。
それで機嫌が悪いのか。
「……だからと言って、私の邪魔することないでしょ」
急に引っ張るもんだから、橋間君怪我してしまったかもしれない。
あ、しかも途中でサトにぃが来たからちゃんと断り切れてもいない。
だからあの時、『彼氏です』なんて言ったのかもしれない。
これは後日、ちゃんときっちり断りに行かないとなあ……まったく、やり辛い。
「……何考えてんの?」
イラついた声で私に聞いてくる。
何だか、心が痛い。
振られても、ココまで機嫌が悪かったことはない。
せいぜい泣き言を吐くぐらいだった。
……もしかして、他の恋よりもずっと本気だったのだろうか?
その振られた相手の事が。
「さっきから何考えてんだって聞いてんだよっ!!」
今まで聞いたことがないぐらいイラつきが混じった怒鳴り声に、怖くなって涙が出た。
怒鳴られたことも、本気で好きになった相手が出来たことも。
怖くて怖くて仕方なかったから。
もう想い続けることさえ許されないようで。
「っあ……悪ィ……」
慌てて彼は私の横に座ると、小さいコを宥めるように抱きしめ、ポンポンと頭を撫でる。
「怒鳴ってごめん……俺、お前の涙見ると妙な気分になるんだよ……」
ポンポンと頭を撫でていた手は、いつの間にか私の髪を梳いている。
……何考えてんのと聞きたいのはこちらの方だ。
「……いくら振られたからと言って、私に八つ当たりしないでよ」
「あ?」
「振られて、私が橋間君と一緒にいるとこ見て妬んだんでしょ。 何でお前ばかりって」
「はあっ!? 違っ……! 八つ当たりとかじゃなくて、俺は……!!」
少し体を離すと私の両腕を掴み、サトにぃは真っ直ぐ私を見つめてきた。
「昨日のお前の泣き顔がずっと頭ん中ちらついてて、落ち着かなくて、色々と考えちまって。 ……デートの時間になってもそれどころじゃなくて、彼女には土下座してナシにしてもらった……ら、頬を思いっきりひっぱ叩かれた。 すげーぞ、しばらく口ん中血の味したし今でも頬がヒリヒリする」
「……バッカじゃないの」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」
「馬鹿だよ。 なにチャンスをふいにしてるの。 デート中に他の女の事を考えるとか良い気分するわけないでしょ」
「女って……お前は……」
「例えサトにぃが私の事を妹だと思っていても、私は『女』なの。 血の繋がってない女が気になる男の傍にいたら、良い気しないの当たり前でしょうが」
「……お前も?」
そう聞かれた時、脳裏に浮かんだのはサトにぃが『彼女』と歩いている姿。
全部を把握しているわけじゃないけど、3人ぐらい見かけた事がある。
『彼女』と歩くサトにぃは笑ってて。
……胸が痛かった。
「……当たり前でしょう」
苦虫を噛み潰す気持ちでそう言うと、何故か彼は傷ついた顔をしていた。
「……なんだ、これ?」
そう呟くと、サトにぃはそのまま己の胸を掴む。
「サトにぃ?」
「……ムカつく」
ぼそっと呟くと、何故か私を掻き抱いた。
「はっ!? ちょっ、何なのサトにぃっ!!」
「……さっきの奴か?」
「はあっ!?」
「さっきの奴が、他の女と歩いてたらお前は嫌なのか?」
「いや、橋間君は……そう言う関係じゃ、ないし」
「彼氏じゃねえのか?」
「恋人になってとは言われたけど、断る前にサトにぃが来ただけよ」
「断るのか」
「まあね」
「でも、さっきお前……」
「何?」
「当たり前って言った時のお前、絶対に経験した事ある顔してた」
……変なところで、鋭い。
「……サトにぃは私の事子供と思っているようだけど、私だって好きな人ぐらいいるもの」
これぐらい言っても良いだろう、と思ってそう言うと……
「はあ!?」
急に腕を掴み、顔を上げる。
「誰だよそれ!! いつから好きなんだよ!!」
今までにない剣幕に、少しビビる。
「さっきからどうしたのよ。 私なんてどうでもいいでしょ!?」
「良かねーよ!! だって……」
何かを言いかけた時、何故かはっと何か気付いたような表情を浮かべるサトにぃ。
「サトにぃ……?」
不思議に思って呼びかけると、
「……は、はは……あははっ!!」
突然、笑いだした。
そして私の腕を掴んでいた手に、さらに力を込める。
「痛たっ!」
「なあ、そいつのこと教えてくんない?」
「は?」
「好きな男の事。 何処の誰とか、な」
……意味が分からない。
「それ知ってどうするの?」
「そうだなあ」
そう呟くと、何故か私に顔を近づけるサトにぃ。
そして、とんっと私を押し、ベッドに倒す。
「……ふぇ?」
いつもはない行動に、思わず変な声が出る。
サトにぃは何故かにぃっと笑うと、私の上に覆いかぶさる。
「羽月は渡さない、って言う」
その言葉に、今度は私が目を見開いた。
「はあ?」
「……そうだな。 俺がいつも傍に行って、一番よく見てるのは羽月だったんだ」
サトにぃは私の疑問の声を無視して何故か一人納得している。
「……渡せるわけ、ねえよなあ」
サトにぃはぼそりとそう呟くと、手の甲でそっと私の頬から首筋を撫でる。
くすぐったくて、思わず身をよじる。
「この距離を、他の男なんかに渡さねえよ」
そう言うサトにぃの表情は、うまく言えないが今まで見たことないぐらい『好戦的』に見えた。
……そもそも、サトにぃの言う『渡さない』とはどういう意味だろう。
「……私に恋人を作るなと?」
確かに小さい頃からサトにぃしか見ていないにしても、それはあんまりじゃないだろうか。
「そうだな。 ……俺以外、作るな」
……その言葉は、まるで。
「……サトにぃを恋人にしろと言ってるように聞こえるんだけど」
「ああ、その通りだ」
まさか頷くとは思わなくて、思考が少し止まった。
「……お前が他の男を想って傷つくなんてムカつくこと、誰が許すかよ。 お前は俺だけを見てればいいんだよ」
そう言うサトにぃは、『男の顔』をしていた。
サトにぃが私に向ける目は、いつだって『妹』を見る目だった。
そんな彼が初めて私の事を『女』として見ている。
「残念だがその好きな男の事は諦めるんだな、俺がお前を手放すわけねえんだから。 とっとと俺に惚れな」
「……サトにぃって、いつもそうなの?」
「あん?」
「そんな風に、いつも口説いているの?」
やっぱり、そこは気になる。
そうやって口説いて、そして、最後には別れるんじゃないかって。
「んな強引なことするわけねーだろ、嫌われるのがオチだろうが。 ま、お前はぜってぇ誰にも渡さねえから多少強引だろうが我慢しろ」
「強引って自覚はあったんだ……」
そう呟きつつも、口角が上がるのを止められない。
彼がココまで強引になるのも、『私だから』。
『私を手に入れるため』、なのだ。
「ぷはっ!!」
とうとう私は吹き出してしまった。
「……おいコラ、何がおかしいんだよ」
そんな私を見て、サトにぃは苦い顔をした。
そんな表情さえ愛しくて、私は彼の首元に手を回すと、彼を引き寄せる形で抱きしめる。
彼から抱きしめられる事はあっても、自分から抱きしめたのは小学生以来だ。
「……は?」
案の定、彼が固まる。
可笑しくてたまらなくて、私は本格的に笑いだした。
「好きだよ、サトにぃ。 小さい頃からずっとサトにぃが好きだった」
その言葉に、彼は私が引き寄せていた身体を勢いよく起こす。
いきなり離れたのが悲しくて、私の思い違いだったのかと悲しくなった瞬間、
「んくっ…!?」
いきなり、唇を塞がれる。
彼の唇でだ。
「ん、」
最初はほんの触れるようなキスだった。
けど、すぐに唇の隙間から熱い何かが侵入してくる。
驚いてそっぽを向こうとしたが、彼の両手が私の顔をがっちりつかんで離さない。
「ん、ふっ……」
ちゅぱっ……と、やけに生々しい音が響く。
舌を舌で舐められたり、からめられたり、素人の私にはそれを抵抗する手段が思いつかない。
……いや、抵抗する気がないだけかもしれない。
ようやく唇が離れた時、つう……っと彼との間に銀色の糸が出来た。
それも重力に従って私の口の中に落ちる。
私はそれを味わうように、たまった唾液とともに飲み込んだ。
「サト、にぃ……」
「……お前、その顔他の男に見せんなよ」
「?」
私は今、どんな表情をしているというのだろう。
情けない顔をしていると思うのに。
「……可愛いな、お前」
そう言ってふっと笑う彼は、凄く色っぽい。
そしてその瞳はギラギラと光っていた。
まるで飢えた獣が獲物を狙っているように。
……別に、食べたっていいのに。
そう思った時、彼は体を起こす。
「あらためて言うわ」
そう言うと今度は私の腕を引っ張り、私の体も起こす。
そして私の額に、己の額をくっつける。
また、彼との距離が近くなる。
「俺のモンになれ、羽月」
偉そうだなあ、なんて笑いそうになりながらも、私は頷いた。
後日、橋間君にはちゃんとお断りと謝りに行きました。
R15いらないレベルだったかもしれません。
次は蛇足的なおまけです。




