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最終話:あなたがたとえ何者であっても

「いついかなるときもあなたのそばにいることをお許しいただけませんか? 私はあなたと共に生きていきたい――いえ、もう私はあなた無しでは生きていけないのです」

 その日、エルムは朝から何となく嫌な予感がしていた。その日はレンブラント侯爵家が主催する夜会が予定されていた。婚約者として、リーリエの名前でエルムも一応招待されていた。義務的かつ事務的になされた一応の招待だとエルムは思っていた。

 家まで迎えにくるなり、デコルテと背中が大きく開いた珍しく露出が多いとはいえど周りに比べれば地味なことの上ない薄い紫のドレス姿を歯の浮くような美辞麗句を並べて褒めそやされたと思えば、そのままきちんとレンブラント公爵邸までエスコートされ、夜会の会場である大広間へ入るなりオーティスは大勢の招待客の前でそんな求愛の言葉を口にしたのだった。

「……っ……生憎だけどお、アタクシ、クズにはこれっぽっちも興味ないのお。ごめんなさいねえ」

 度肝を抜かれながらもエルムは無理矢理平静を装いながら何とかそう言い返すが、努力も虚しく声が僅かに隠しきれなかった動揺で裏返る。口をついて出たのは例によってオネエ様方の口調と同じものだったが、最早そんな瑣末事になど構ってはいられなかった。

 先日、訪ねてきたときに見せつけてやったあの光景が、最近婚約者に興味を示すようになったオーティスにとって堪えなかったはずがない。それなのに公衆の面前でこんなことをするなんて、一旦どういった了見なのだろう。

 オーティス・レンブラントは婚約者に興味がなく、女遊びにうつつを抜かしている――そう思っていたほとんどの招待客たちは信じられないといった面持ちでオーティスとエルムを注視していた。

「あなたに他に想う人がいたとしても構いません。その事実ごとあなたを愛してみせます」

 扇情的な紫色のオーティスの双眸には真摯な光が宿っていた。己に酔っているかのような言い回しを聞きながら、帰国する少し前に留学先で観た舞台にそんな台詞があったなあとエルムはぼんやりとどうでもいいことを考えた。異国の最新の舞台の内容を把握しているのはさすが遊び歩いてばかりいる金持ちの道楽貴族だと感心しないでもないが、オーティスが引用しているのはなぜかヒロインの台詞だった。

 オーティスの手がすっとエルムの顔へ伸びる。甘く端正なオーティスの顔がエルムの顔へと近づいてくる。エルムは顔を引き攣らせた。リーリエに扮して女のふりをしているとはいえ、男とキスをするのはいくらなんでもごめんだった。

「……っ」

 エルムは身を捩り、素早く顔と顔の間に扇を捻じ込んだ。唇の純潔をどうにか守り抜いたことに内心で安堵しつつも、エルムは嫣然と微笑んでみせる。

「あら嫌だあ、そう簡単にオイタはさせないわよお? いーい? 物には順序ってモノがあるのよお? 今までのことを脇に置いて、順番をすっ飛ばせるような立場だったかしらあ?」

 エルムが強気にそう言い放つと、ほうとオーティスは芳醇な色気を孕む双眸を細めてみせた。

「それでは、順序を守ればいずれは私のことを見てくれる……そういうことでいいのですね? 我が愛しの婚約者――リーリエ」

 うっかり言葉尻を捉えさせてしまったのはエルムのミスだった。

「あっ……あらあ、悪いけれど、アタクシがアナタに目移りする日なんて一生来ないわよお? 諦めて他所を当たった方が建設的ってモノじゃあないかしらあ? だって」

 このままじゃ恐らく埒が明かないと判断したエルムは覚悟を決めた。きっぱりと自分のことを諦めさせて、婚約を解消させるように仕向けるには、最大の切り札を叩きつけてやるしかなさそうだった。エルムはオーティスの耳に口元を寄せると素の口調で囁いた。

「残念ながら、僕はリーリエじゃない。リーリエじゃないどころか、女ですらない。だから、僕があなたを好きになることなんて絶対にあり得ないんだよ、オーティス様」

 一瞬、オーティスの双眸が見開かれた。しかし、何かに納得したようになるほど、と頷くと、見る者の心を蕩かす蠱惑的な笑みを彼は浮かべた。

「あなたがたとえ何者であっても、私のこの想いは変わることはありませんよ。それに、今のあなたの言葉がどこまで本当なのか、あなたが本当は何者なのか――いずれ、確かめさせてもらいますよ。私は決してあなたを諦めない――私の心があなたのものであるように、いつかはあなたの心も私のものになるのですから」

 そう言って跪くと、オーティスは恭しくエルムの手へと口付けを落とした。嫌悪感でぞくりとエルムの背筋に悪寒が走った。

「な……」

 言い回しこそ大仰だが、本気しか感じないオーティスの言葉にエルムは絶句することしかできなかった。男であるという最大の手札を切ったにもかかわらず、エルムのことを諦める様子のないオーティスに驚きを禁じ得ない。婚約破棄を引き出すための押しの一手を打ったつもりが、逆に宣戦布告され、追い詰められているとエルムは感じた。

「せ、せいぜい頑張ればいいんじゃなあい? その無駄な努力がアタクシに届くことなんて一生ないんだけれど、ね」

 エルムはあくまで強気の姿勢を崩すことなく、そう吐き捨てるとふんと鼻を鳴らす。恍惚とした表情を浮かべてエルムの手を愛でようとするオーティスの手を振り払う。オーティスの唇の感触が残る手がひどく汚いもののように思えて、エルムはレースのハンカチを取り出してごしごしと拭った。

 エルムはリーリエとオーティスの婚約を破談にするためにここしばらく努力してきたはずだった。淑女としての立ち居振る舞いに不慣れなこともあり、エルムが知っているリーリエとはかけ離れた言動が多少なりともあったことは認めるが、どう考えてもこんなふうになるはずはなかった。

 自分はリーリエではないし、女ですらないと告げたにも関わらず、何故かオーティスの関心がエルムから離れる様子はない。逆にオーティスの興味を余計に煽ってしまった感すらあった。

 リーリエのためだけでなく、エルム自身のためにも、レンブラント侯爵家とオーランド伯爵家の間に結ばれたこの縁談をどうにか断ち切らねばならない。さもなければ己の貞操すら危うい予感がした。

 オーティスとの婚約をレンブラント侯爵家に解消してもらうまでの道のりはひどく遠く険しいものになりそうな気がした。この先に待ち受けているだろう苦労を思うとエルムの頭はずきずきと痛んだ。

 オーティス・レンブラント――彼はひどく手強そうだった。

 本作は今回を持って一区切りとなり、本日が最終更新となります。

 今後、また続きを書くことがあるかもしれませんし、ないかもしれませんが、機会がありましたら、また本作を覗いていただけますと幸いです。

 短い間ではございましたが、本作にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました!

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