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約束 忘れられない恋 裏切り

約束があった。

「私は絶対に奏人と結婚する。それまで、他の人と付き合ったりしないよ。だから、美和子も…」

沙耶の宣言に、私は頷く。


「うん。私も絶対に哲と結婚する」

微笑み合う私たち。そして、どちらかが言った。

「この約束がある限り、私たちは私たちが信じた幸せに向かって、歩み続ける。これまでの私たちが、間違っていなかったことを証明するためにも」


こうして、約束を交わした。誓い合った。泥沼のように濁り切った想いが報われるためは、何度も疑った正しさを、意志を保つためには、必要な祈りだった。いつかきっと、お互いが想いを遂げて、笑い合う日がやってくる。そうなるまで、私は何があってもこの約束を守り続ける。そのはずだった。


だけど私は裏切ったのだ。哲のことを諦めて、別の男と結婚した。それは、幸せになるため、私を蝕む呪いから解放されるためには、必要なものだと思っていた。思っていたけれど、幸せを手にしても、呪いが解けるわけでは、なかったのだ。




忘れられない恋があった。

小さなステージの上だけれど、スポットライトを浴びて歌う、あいつの表情に釘付けになった。そして、あいつに向かって声援を送る女たちは、たぶん私と同じ光景を目に焼き付けている。


そんな空間を意識した瞬間に「どういう気持ちなのだろう」という疑問が、どこからともなく浮き上がってきた。それが、誰の気持ちを想像したものなのか、自分でも分からない。だけど、私はこの疑問を追って、あいつと深い関係を結ぶことに成功した。同じ景色を求めて這い上がろうとする女たちを蹴落として。


本当に小さな疑問でしかなかったけど、それが私にとって原風景になるなんて、このときは思いもしなかった。




「美和ちゃん、最近は残業ばかりだね。帰ってきたらマッサージしてあげるから、頑張ってね」

五分前に受信した旦那からのメッセージを眺め、私は胸の中で何かが蠢くのを感じた。それは、鉛のように重いのに、縦横無尽に動き回って、段々と空虚の底まで私を引きずり込むようだった。

「あれ、三澤さん。今日は早いですね」


席を立とうとした私に、同僚が声をかけてきた。とても愛想笑いを浮かべる気持ちにはなれなかったが、不思議なことに自動で表情は作られた。


「はい。区切りが良いので、今日は早く帰ります」

「そうですか。お疲れ様です」

「お疲れ様です」


他にも何人か挨拶をして、私は会社を出た。

いつもと何も変わらない。普段通りの私だ。誰も私が最低の裏切者だ、なんて思わないはず。


オフィス街を抜けて賑やかな駅前へ。本当ならすぐにでも改札を抜けて、私より一足先に帰っている旦那のもとに帰るべきだ。しかし、私は喧騒に紛れて、行き交う人々を見ている。水曜日であるにも関わらず、若者が多かった。大学生と思われる、五人ほどのグループが目に入る。男子が三人、女子が二人。きっと、あの中にいる半分は、あの中の誰かに対し、性的な欲求を抱いているのだろう。そんなことを考え、思わず苦笑いが浮かびそうになる。


少し前までは、自分よりも若い世代の人が楽しそうに笑っている姿を見ることが苦痛で仕方なかった。自分たちの未来は明るいと無意識に信じているような笑顔が特に嫌いだった。上手く行く。心の中で描いた未来がやってくるだろう、という確信した表情が、どうしても許せなかったのだ。


それなのに、最近はこんな風に若者を眺めても、悪感情を抱くことはなかった。気持ちに余裕が出たのだろうか。いや、余裕なんて抱いていい状況ではないはずだ。だとしたら、この気持ちはなんだろう。充足感だろうか。分からない。分からないけれど、別に混乱しているわけではないし、嫌な気分というわけでもない。罪悪感は確かにあるけれど、後悔はしていない。


「お待たせ」


押し隠していた感情が思わず顔に出てしまいそうになったが、必死に仏頂面で塗りつぶす。私は不機嫌だと主張するために、力尽くで目を鋭くしてから顔を上げた。


「週に二回も、呼び出さないでよね」

攻撃的な響きを込めたはずなのに、哲は笑顔を浮かべた。どうしてだろう。昔はこんな風に笑ってくれたことなんて、なかったはずなのに。

「ごめん。どうしても、美和に会いたかったんだ」


悪びれた様子はない。反省しろ。そんな意味を含めて睨み付けるが、どうも届かないらしい。


「行こう。美和と過ごす時間を、一秒でも無駄にしたくないからさ」


私は溜め息を吐いて、歩き始めた哲の後に付いて行く。先を歩く背中を見ながら、緩む頬を意識した。なんてずるい人間なんだろう。哲のことではない。誰よりも、自分自身の卑怯具合にうんざりしているのだ。親友を裏切って、幸せを手に入れたつもりだったのに。今度は幸せを与えてくれた旦那を裏切ろうとしている。

それなのに、後悔はしていない、と心の底では言っているのだから、自分なんて信じられないものだ。本当に、どうしてこんな風に、最悪な人間になってしまったのだろう

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