親友と危険な女
沙耶と出会ったのは、大学のときに所属していたイベントサークルだった。
最初は、穏やかそうな表情を見せる反面、攻撃的な何かを持っているように見える彼女のことを避けていた。でも、サークルの飲み会でいつの間にか周りが酔い潰れてしまい、私たち二人が並んで何となく会話することになったことがきっかけで、お互いの共通点を見付けたのだった。
「私の彼も同じ音楽サークルだよ」
恋人はいるのか。そんな話から、どちらかがそれを言った。
「私の彼氏、哲って言うの。聞いたことない?」
「あるよ。奏人が良く名前を出している!」
「え、奏人くん? 私も哲から何度も聞いた!」
それから、私たちが次第に親しくなった経緯は語るまでもない。とにかく、あまりに当然で、あまりに自然な流れだった。この出会いの後、四人で出かけることもあったし、バイトでお金をためて旅行に出かけることもあった。
四人でいることは楽しかったし、誰もが遠慮することなく、自然体でいられたと思う。そこには普遍的な関係がある、と感じられた。きっと、遠い未来もこういう時間が続いていて、楽しいという気持ちが途切れることはないだろう、と。しかし、それは一年程度で終わってしまった。
綻びは、外からやってくる。大学生活も二年目を迎えた頃、私たちが所属するサークルに、あの女がやってきた。新条玲奈だ。いつも嘘っぽい笑顔と、甘ったるい喋り方を武器にして、彼女は男を引き寄せた。サークルに所属する半分以上の男が、彼女に何かしらの想いを寄せていたはずだ。
「そんなことないですよー」と笑顔を見せる新条玲奈。
声をかけてきた男を打率九割で喜ばせる。そんな彼女の対応を初めて見たとき、私も沙耶も開いた口が塞がらなかった。そして、同じ印象を抱いた。
「あの子、絶対に人間関係をぶっ壊すよね」
これもどちらが言い出したのか忘れてしまったが、全く同じことを考えていたので、その言葉が出たときは大いに笑ってしまった。
つまり、新条玲奈はどう見ても、サークルクラッシャーだったのだ。サークルクラッシャーとは、何らかの組織に入り込み、男たちを翻弄しては色恋沙汰のトラブルを起こし、人間関係を崩壊させるタイプの人間を言う。実際に、新条玲奈の甘ったるい言動、態度は次々と男たちを狂わせた。そして、一年も経つと何人もの人間がサークルが人間関係をややこしくして、辞めて行ったのだった。
これには、私も沙耶も呆れるばかりだったのだが、そんな新条玲奈がもたらす災いが、まさか自分たちの身に降りかかるとは、思いもしなかった。
「美和子ちゃん、ちょっと付き合ってもらえないかなー?」
新条玲奈に声をかけられたとき、少しだけ嫌な予感があった。できるだけ、自分が所属している人間関係の中に、新条玲奈を入れないよう、逃げ回っていたつもりだが、ついに肩を掴まれてしまったような気分。あのとき感じた寒気は、一生忘れられないかもしれない。
「どうしたの?」
冷静を装いながら、用件を聞く。
「次のイベントでさぁ、このサークルの人たちに協力してもらうんだけど、担当の人に確認したいことがあるんだよねぇ。そしたら、ここのサークルの人と、美和子ちゃんが仲が良いって聞いたからさ」
そう言って、新条玲奈が紙切れを見せてきた。書かれていたのは、哲が所属する音楽サークルの名前。しかも、担当は哲本人だった。
「一緒に来て欲しんだよねぇ。私、人見知りするタイプだからさぁ」と新条玲奈は言う。
彼女の、意識的なのか分からない、間延びした喋り方がいつも以上に恐ろしかった。
「分かった。一緒に行こうか」
きっと、何もありはしない。大丈夫だ。そうやって自分に言い聞かせることは、不安の裏返しでしかない。
「私ってさー」
哲たちがいるだろう部室に向かう途中、沈黙を避けたつもりなのか、新条玲奈が話を振ってきた。しかし、それは答えたくもないような質問だった。
「美和子ちゃんと沙耶ちゃんに避けられているのかな?」
「え、そんなことないよ」
できるだけ、不自然がないように答えたが、彼女は真偽を判断するためなのか、こちらの表情を窺ってきた。どう受け取られたのか、彼女は視線を正面に戻すと、貼り付けたような笑顔を浮かべた。
「だったら、良かったんだけどさ。何となく、二人には嫌われたくなかったんだよねー」
「そうなの?」
「うん。二人とも、周りの意見に流されて、人のことを判断するってタイプには、見えなかったからさ。そう言う人に嫌われたとしたら、もう駄目じゃない?」
私は何とコメントすべきか迷った。確かに、私も沙耶も誰かが嫌いと言ったから誰かを嫌う、というタイプではない。ただ、新条玲奈については誰かが言ったから、というわけでなく、避けていた。
だって、絶対に危険なタイプだから。関わらない方が安全。それだけのことで、彼女の人格がどうとか、そういうことではない。
「二人は、仲良くていいよね。私、友達を作るのって苦手だから、羨ましいよ」
「そんなことないでしょ。玲奈ちゃんの周り、いつも人いるじゃん」
「人はいるかもねー」
笑顔を浮かべている彼女だが、その表情がどこか無機質で、見ている方まで気持ちが不安定になった。
「でも、友達として接してくれているかどうかは、別問題だよね」
彼女の言葉に、私は何も返すことができなかった。それは、彼女が抱える暗い部分を感じ取ったから、というだけではない。彼女が持っている何かに、引き込まれそうになったからだ。彼女は今にも崩れてしまいそうな、決定的な破綻を抱えているように見えた。
今すぐにでも、手を伸ばして、引っ張り出してあげなくては、彼女は底のない闇へ落ちて行く。そんな拙さが、彼女にはある。そして、その拙さは私だけが知っているような錯覚に、陥りそうになっていた。それは、彼女の危険性を改めて知らしめるような感覚だった。
「もしかして、ここ?」
「あ、うん。そうだね」
私が返事に困っている間に、目的地についていた。新条玲奈は待っている。私が部室のドアを開くことを。しかし、私はできなかった。このとき、私の頭の中で言語化できていなかったが不安は、後になって理解した。彼女に、この向こう側にいるだろう、哲と会わせるなんて、きっと悪いことが起こる、という確信に近いものがあったのだ。
漠然とした不安ではなく、言語化できるものであれば、私は何か理由を付けて、ドアを開けることを避けられたかもしれないが、状況はそれを許さなかった。
しかし、幸運にも(私個人としては幸運なことに)私がそのドアを開こうと手を伸ばしたとき、想定外のことが起こった。独りでにドアが開いたのだ。いや、部室の中から誰かが出てきたのだ。それは…沙耶の彼氏である、奏人くんだった。
「あれ、美和子ちゃん。どうしたの?」
奏人くんは瞬きするような間隔で、新条玲奈の顔を確認しつつ、私に笑顔を向けた。
「えっと…」
私はそのとき、部室の奥に哲の姿を認めていた。
「奏人くん、再来月にうちのサークルと一緒にやるイベントのこと、聞いている?」
「もちろん、知っているよ」
「流れとか、方針についても?」
「あらかたは把握しているつもりだけど?」
奏人くんの笑顔にほっとすると同時に、私の心の奥に潜む悪魔が囁いた。
「この子、新条玲奈さん。うちのサークルのメンバーなんだけど、そのイベントのことで聞きたいことがあるって」
次に、私は新条玲奈の方を向いた。
「彼は柊木奏人くん。このサークルの中核メンバーだから、何でも聞くと良いよ」
「えー、何でもですかー?」と新条玲奈は奏人くんに笑顔を向けた。
「別に中核ってわけじゃないけれど」と奏人くんは笑ったが、まんざらでもない様子だ。
「それじゃ、よろしくね」
話が終わるまで、そこに止まっていれば良かったのかもしれない。だけど、私は逃げるようにその場を去った。何となくだが、この瞬間には立ち会ってはならない、と思ったのだ。
「浮気されているかもしれない」
沙耶がそんな相談を受けたのは、それから少し経ってからのことだった。




