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拒否し切れない男

その電話は、先輩が僕と言う存在に慣れ始めた頃にやってきた。言い換えれば、恋人らしい関係になりつつある頃、と言っても良いだろう。仕事が終わり、会社から駅に向かっている途中のことだ。着信があり、そこには新条玲奈と表示されていた。何かあったのだろうか。そんな軽い気持ちで僕は電話に出てしまったのだった。


「あ、広瀬くん? 久しぶり」

新条さんの声はどこか抑え気味だった。ただならぬ状況なのだろうか。

「あ、はい。どうしたんですか?」


「悪いんだけどさぁ…今から会えない?」

「え、今からですか?」


ここで僕は先輩と新条さんの関係について思い出すのだった。


「いやいや、急には無理ですよ」

「そこを何とか。助けると思ってさぁ。って言うより、どうしても助けて欲しいんだよねぇ」

「何があったんですか…?」


やめておけばいいものを好奇心が勝ってしまった。


「それがねぇ、例の増田くんがねぇ」と新条さんは甘えるような声で言う。

どうやら、例の件は解決していなかったらしい。必要はないのに、一度関わった限りは事情を聞くべきだろう、と僕は耳を傾けてしまった。

「やっぱり納得いかないって言い出したの。それで、彼氏に会わせてほしいって」


「はい? 会ってどうするんですか?」と呆れながら尋ねる。

「どんな人か話してみたいんだってさ。見た目は真面目そうでも、性格が悪いやつなんて、世の中にたくさんいるから、って」

「なるほどー。そこまで言うなら、会わせてあげれば良いじゃないですか、彼氏に」


「だから広瀬くんに電話しているんだってばぁ」

「……あっ」

「あっ、じゃないでしょ。私の偽彼氏、契約は終わってないんだからぁ」


確かに、増田くんを諦めさせるには、僕の力が必要なのかもしれない。しかし、いくら偽とは言え、僕は新条さんの彼氏として立ち振る舞うことは、大きな抵抗を感じた。だって、そんなことをしてしまったら、先輩に顔向けできないじゃないか。


「駄目です駄目です。絶対に駄目」

「なんでさぁ、前はノリノリだったじゃん」


決してノリノリはなかった。むしろ仕方なく、嫌々だったはずだ。


「駄目です。そういうのは、間違ってますよ」

「でも、私…困っているよ?」

「そうかもしれませんが、駄目なものは駄目です」


新条さんは諦めてくれたのか、数秒の間、口を閉ざしたようだった。しかし、甘くてゆっくりとした彼女の口調からは想像できない鋭さで言うのだった。


「もしかて、沙耶ちゃん?」

「え?」

「沙耶ちゃんでしょう?」

「な、なんで…?」


何で知っているのか、と動揺が走る。先輩が誰かに言ったのだろうか。でも、そんな素振りは一切なかったし、誰かにのろけるほど浮かれてもいないはずだ。


「やっぱりねぇ」

「誰から聞いたんですか?」

「ただの直感だよぉ。優しい広瀬くんが、私の頼みを聞いてくれないんだもの。そこまで頑固になるなんて、沙耶ちゃんのことくらいでしょー?」


別に先輩のことを隠していたわけではないが、言い当てられてしまうと、何だか恐ろしかった。そして、その恐怖は正しいものだった。


「じゃあ、話は簡単だぁ」と新条さんは言う。

「簡単?」

「うん。広瀬くんが手伝ってくれないって言うなら、私と君の関係を、沙耶ちゃんに言っちゃうから。連絡しようと思えば、知り合いをつたって、簡単にできるしねぇ」


「か、関係って…僕たちは別にやましい関係じゃないはずです!」

「客観的に見ればそうだけれど、沙耶ちゃんは許してくれるわけないよー。そういう性格だって、分かるでしょー?」


新条さんが先輩に、僕たちのことを話してしまったときのことをシミュレーションしてみた。外面はお淑やかで優し気な先輩だが、その中にあるものはあまりに激しい。烈火のごとく怒り、その炎は僕を焼き尽くすことだろう。言い訳は通用しない。問答無用だ。


「駄目です。それだけは、やめてください」

「じゃあ、話は簡単だよねぇ? 手伝うの? 手伝わないの?」

「……手伝います」




新条さんの職場は、僕の職場から近い。駅の反対側、というだけなので、合流するまでに時間はかからなかった。新条さんは僕を見付けると、人の目を憚ることなく大きく手を振った。


「よかったー、ゆうくんが来てくれてぇ」


ちなみに僕の下の名前は裕也、と言う。まさか新条さんが僕の下の名前を憶えているとは驚きだった。そう言えば、先輩は僕の下の名前を呼んだことがないが…覚えているのだろうか。

新条さんは僕の腕を取ると、本当に恋人のようにしがみついた。


「ちょっと!」と僕は声を抑えながら制止しようとした。

しかし、新条さんは鋭い目付きでこちらを見る。

「増田くんに見られているから、それっぽく振る舞ってよね」


「は、はい」

「じゃあ行こう、ゆうくん」

「うん」


新条さんが僕を引っ張る。振り返って、数メートル歩いたところに増田くんは立っていた。敵意のある目を向けられるのだろう、と気が重かったが、そんなことはなかった。増田くんは僕を見ると、会釈…というほどでもないが、決して高圧的ではない表情で小さく頭を下げるので、拍子抜けしてしまった。


「すみません、急に無理なことを言ってしまって」

それどころか、腰も低く挨拶は謝罪からだった。

「いえ、できる限り納得いただけるように、誠意を持ってお話しします」


僕も頭を下げたが、シチュエーション的に正しいのかどうか、よく分からなかった。そんな何とも言えない雰囲気のまま、僕たちは新条さんが予約した飲食店の中へ入った。

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